城と共に滅びる気ですか?
「りんごは実っていませんが、これなら・・・」
あくる日、エマが差し出したのは青いトマトだった。
以前、ひどいつわりで苦しんでいた時、シリは青りんごなら食べれた。
青りんごの代替品にエマは青いトマトを持ってきてくれた。
ガブリとかじりつくと、頬をきゅーっとすぼめたくなるような酸味と香りが広がる。
「これなら・・・食べれるわ」
「青トマトは体には強すぎることもありますから・・・」
エマは言葉を選んだ。
水も食べ物も受け付けなかったシリが何かを口にしている。
それだけでありがたい。
「エマ・・・ウイの時より体調は良いの」
シリは安心させるために話した。
「そうですか」
エマは少し悲しげに微笑んだ。
「この状況では・・・寝てる場合ではないわ」
争いが始まる少し前に、
商人ソウは、あるだけの商品を全部詰め込んだ。
そこにはレーク城で作られた軟膏が入っていた。
ソウは他の領へ出稼ぎに行った。
その日のうちに街道の動きが止まった。
すなわち、それは物流が滞る事になる。
シリが頼んだ堕胎薬も届かなくなる。
ーー困るわ・・・。
お腹の子が成長すればするほど、子を流す時に苦しむはず。
そして・・・子供を産みたい気持ちが日増しに強くなってしまう。
◇◇
その日の昼過ぎに、ゼンシ率いるミンスタ領の兵がワスト領に侵入してきた。
ーー懐かしい。
シリの生家 赤と白の花が記された旗が続々と見えた。
レーク城の目の前にある丘が本陣になる。
ミンスタ領の旗がどんどん設置され、多くの兵が丘を埋め尽くしていた。
あの丘の一番眺めが良い場所にゼンシは悠々と座るだろう。
「ついに来たわ・・・」
シリはなびく髪をそのままに馬場に佇んでいた。
「あぁ」
グユウと重臣達は緊張で顔を硬くする。
シリは振り向いて、重臣達を見つめた。
皆が深刻そうな顔をしていた。
「兵が来る事を怯えていたけれど・・・来てしまえばなんてことはないわ」
金髪をなびかせ、イタズラっぽく微笑む。
「備えはしたわ。後は戦うだけ」
城には大量の食糧と武器が備わっている。
澄んだ目で重臣達を見つめた。
「そうだな」
グユウは淡々と答えたけれど、その言葉は力強かった。
「やりましょう」
オーエンの暗灰色の瞳は燃えているように見えた。
「私も・・・頑張ります」
カツイが真剣な眼差しをした。
チャーリーは黙って弓矢を撫でた。
他の重臣達は、静かな闘志をみなぎらせてうなずいた。
争いは翌朝に始まる。
◇◇
その日の夕方、レーク城内は、争い前の張り詰めた空気が充満していた。
シリは軟膏と包帯の確認をしていた。
「シリ様」
ジムが落ち着かない表情でそばにきた。
「キヨ殿が使者として来ております」
「キヨが?」
シリの表情が変わった。
「ええ。シリ様と2人きりでお伝えしたい事があるとか・・・」
あのキヨと二人きりになるなんて・・・想像するだけで寒気がする。
「それは絶対に嫌。グユウさんとジムも同席して」
シリはキッパリと言い放った。
ホールで待機していたキヨが顔を上げた。
シリとグユウが現れたからである。
シリの隣にグユウがいたので、つい苦い顔をしてしまう。
ーーシリ様と2人で話したいと伝えたはずなのに・・・。
憎らしいほど整って凪いだ無表情ヅラを見る羽目になった。
「シリ様・・・お久しぶりでございます。今日もお美しい・・・」
キヨは恍惚とした顔でシリを見上げた。
シリは険しい顔をしてキヨを見つめた。
痩せて貧弱な身体、薄い頭髪、目ばかりがギョロギョロしているハゲネズミのような小男が
武力を使わずワスト領を追い詰めた。
「キヨ、兄からの伝言はなんですか」
シリの言葉は氷のように冷たかった。
「その瞳・・・その口ぶり・・・」
シリが冷たくすればするほど、キヨは嬉しそうな顔をする。
手に入るものが、難しければ難しいほどキヨは燃えるタイプだった。
「キヨ殿 話してくれるか」
グユウの言葉に少し苛立ちが滲んだ。
キヨの視線に色を感じたからだ。
キヨはチラッとグユウを見た。
相変わらず暗い男だ・・・キヨは忌々しく思った。
ーー信じ難いことに・・・
いや、正気を疑うことに、美しく聡明なシリはこの無表情で暗い男から離れようとしない。
「ゼンシ様からの伝言です。明日から我々は攻撃を開始します。
シリ様はセン家の妃ですが・・・モザ家の姫です。決して悪いようにしません。
姫様達とレーク城を出ましょう」
キヨは話した。
「私はグユウさんの妻です。今さら、兄のもとに帰る気はありません」
シリはキッパリと首を振った。
決意に満ちた瞳は、ゼンシのように見えた。
思わずキヨは目をこすった。
「シリ様、今回の争いにタダシ様が参戦します。甥っ子と争うのですか?」
キヨは切り札を出した。
タダシ・・・ゼンシの長男とシリは姉弟のように仲良くしていた。
甥っ子の名前を出せばシリは動揺するだろう。
一瞬、シリの顔色が変わる。
それを確認したキヨの胸には、奇妙な熱が灯った。
ーーどうしてだ・・・どうして、あんな男なんだ。
あの冷たい目、表情の乏しい暗い男――
シリほどの女が、なぜ、あんな男を選ぶのか。
言葉にはできない苛立ちと、どうにもならぬ哀しさが入り混じる。
手に入らないものほど欲しくなる。
けれど、それだけではない。
どうしても彼女に「選ばれない」自分を、自分自身が許せなかった。
「タダシ・・・あんな幼い子が戦に出るのですか」
予想通り、シリの顔色が変わった。
「タダシ様は17歳です。適齢です」
キヨは言葉を重ねた。
シリの心が乱れている今がチャンスだ。
「シリ様、よくお考えください。こんなに敵に囲まれているのですよ。
レーク城と共に滅びるつもりですか」
もはや、キヨの声は泣き声に近かった。
「姫様達は・・・」
キヨは訴えた。
2年前、このセリフでシリの心は揺らいだ。
「私の覚悟は決まっています」
シリが静かに答えた。
グユウはその言葉に、すぐには何も返さなかった。
ただ、わずかに瞳を伏せ、シリの顔をじっと見つめた。
無表情のはずなのに、その沈黙に揺らぎがあった。
揺れるグユウの表情をキヨは見逃さなかった。
ーーシリ様よりも、この男を説得した方が話は早そうだ。
「兄に伝えてください」
シリはスッと椅子から立った。
ただ立っただけなのにシリから発する圧力がすごい。
「ジム、キヨが帰ります。門まで見送りを」
そう言い、ホールから立ち去ろうとする。
慌ててグユウが後を追う。
「また伺います」
キヨは、シリの背中にむかって話した。
ーーあの暗い男と死ぬつもりでいる。
本当に男を見る目がない。
キヨは心の中で深く長いため息をついた。
次回ーー
キヨとの対面に臨むシリ。その毅然とした声が、戦の幕を切り裂く。
隣で見つめるグユウは、怒りと愛を押し殺しながら、ただ願う――
「どうか、生きてくれ」と。




