刺繍の贈り物と、ほどける月夜
「グユウさん、とても似合うわ」
シリの澄んだ声が寝室に響く。
グユウはアオソで作られたシャツに初めて袖を通した。
黄みを帯びた薄い茶色のシャツは、彼の白い肌、漆黒の髪と瞳によく映える。
腕まくりをした逞しい腕には血管が浮かび上がり、シリは思わず頬を染めた。
「すごく着心地が良いのだな」
シャリッとした布の感触に、グユウは感心したように腕を動かす。
「ええ。アオソの布は夏に最適な生地のようですよ」
「・・・重臣たちにもシャツをあつらえたい」
グユウがつぶやく。
「良い考えですね。特産品が良い物だと肌で感じるでしょう。
仕立て屋に頼んで採寸して作ってもらいましょう」
シリが微笑んだ。
◇
開け放った寝室の窓からは、カエルの甘い声と虫の音色が溶け合い、
えも言われぬ美しい夜の音が流れ込んでいた。
「実物のカエルは気持ち悪いけれど、カエルの声は良いわ・・・」
シリが幸せそうにため息をついた。
シリが窓辺のソファーにもたれながら、ふわりと笑った。
その横に座るグユウの手が、そっと小さな包みを差し出す。
「これを」
「私に・・・?」
グユウの瞳は凪のように感情を隠していた。
不安なときにそうなるのを、シリは知っている。
包みを開けると、濃紺のしっかりとした布地が現れた。
「・・・乗馬服だわ!」
シリが目を輝かせて声を上げる。
キュロットの形だ。
「嬉しいです。ありがとうございます」
その瞳を見て、グユウは心底ほっとしたように息をついた。
女性の贈答品に男服なんて聞いたことがなかった。
城下町の仕立て屋が男だったのが幸いだった。
しどろもどろにグユウが要望を伝えると、察しが良い仕立て屋は、その気持ちを汲んでくれた。
「その・・・ドレスよりも喜ぶと思った」
どこか恥ずかしそうにグユウが口をつぐむ。
そのキュロットの裾には、小さなりんごの花の刺繍が施されていた。
「すごい・・・。キュロットに、りんごの花の刺繍・・・」
指で刺繍をなぞりながら、シリはゆっくりと呟いた。
「こんな贈り物をいただけるのは、国中で私だけです。本当にありがとうございます」
シリが微笑むと、グユウは眩しそうに彼女を見つめ、そのまま少し強引に抱きしめた。
少し汗ばんだ首筋から、ほんのり甘い香りが立ちのぼる。
「あの・・・ちょっと」
戸惑ったようにシリが身を硬くする。
「急に困ります・・・」
困惑を押し隠すような小さな声。
その耳元に唇を寄せて名を呼ぶと、シリはくすぐったそうに身をよじった。
その動きに誘われるように、グユウは彼女をそっと抱き込み、無我夢中で唇を重ねた。
◇
ほの明るい月明かりの元、ベットに横たわるシリは眠ったように深い呼吸を繰り返していた。
その頬を撫で、乱れた髪を梳き、額に唇を落とす。
グユウは身をよじるシリを抱き寄せ、首筋に顔を埋め、足を絡める。
やがて、シリの瞳がゆっくりと開いた。
ぼうっとグユウを見つめ、焦点がゆっくりと戻ってくる。
「私・・・」
思うように口が動かないのか、弱々しい声が唇から漏れる。
「・・・無理をさせた」
そっとシリの髪を撫でながら、グユウは呟いた
◇◇
翌朝、シリはロク湖に浮かぶチク島へ行くため乗馬服を着てみた。
この時代、キュロットを着る女性はいなかった。
世間一般の常識から見ると、シリの服装は女性らしくなかった。
けれど、絨毯を敷きつめた古い階段を降り、
ホールに立ったシリの姿は、とても女性らしく魅力的だった。
長い金髪をキリリと一つに縛り、ほっそりしたシリに紺色の乗馬服は似合っていた。
ドレスが似合う女性はたくさんいるが、乗馬服が似合う女性はいない。
見守る家臣達は、言葉にならないため息をついた。
次回ーー
国王とゼンシの蜜月が終わろうとしていた。
その頃、シリは体調を崩し、「船酔い」と笑う。
だが、その頬には――かすかな熱が宿っていた。




