妃が考えた新たな作戦
朝食に出されたお茶は酒のように芳醇だった。
「美味しいお茶だ」
一口飲んだグユウが静かに言った。
「オーエンが淹れました」
金色の髪を下ろしたシリが伝えた。
グユウが褒めると、オーエンは嬉しさを隠すように、さりげなく肩をすくめた。
「コツはクリームを沢山入れることです」
少しだけ顔を赤らめたシリに視線を向けながら、オーエンは淡々と語った。
だが、内心は跳ねるように誇らしかった。
やがて朝食が終わると、重臣会議が始まった。
「南の砦は落とすのは・・・難しいな」
グユウが眉をひそめた。
「そもそも、ミンスタ領はどうやって南領を手に入れたの?」
とシリが問えば、
「兵の数が決め手だった」
と、グユウが端的に答えた。
ジムが補足する。
「ミンスタ領の兵二万五千が南砦を囲みました。籠城の備えも薄く、数日で降伏したそうです」
「なるほど。なら、攻め込まれたのではなく、包囲に屈したのね」
シリは冷静にうなずいた。
「高所の上、堀が厳しい。攻めにくい砦だ」
サムが悔しそうに話した。
堀とは土を掘って高低差をつける、城には欠かすことのできない防備のことを指す。
「あぁ。キヨ殿は新しく堀を作り、そこから矢や銃弾を打ち込んできた。
良い場所に堀を作った。あれは、なかなか攻めにくい」
ロイが説明をした。
「しかも堀の底がU字になっていた。足場が悪いので弓矢の命中率が落ちる」
チャーリーが話す。
「あぁ。それはミンスタ領のお得意の堀ですね」
シリが答えた。
「そうなんですか?」
カツイが驚いた顔をした。
「堀までは・・・確認不足でした」
ジムが素直に非を認める。
ミンスタ領に足を運んだことのある者は、ジムとサムだけだった。
「婚礼の時に行っただけでは堀までは見ないわ」
シリは微笑んだ後に、真面目な顔をした。
「でも、堀の話を聞いて、思い出したことがあります。
兄がどうしても作れなかった堀――それを、レーク城で試してみたいの」
「言ってみろ」
グユウの低い声が会議室に落ちる。
「この布地のように、縦横に区切られた堀を作りたいんです」
シリが手にしていたのは、赤と白の格子模様の布だった。
「堀を区切る?!」
聞いたことがない話に重臣達がどよめく。
「ええ。縦横に四角く区切ると、敵は次の堀に進む前に動きを封じられるわ」
シリが頷く。
「堀を区切る目的は?」
サムが静かに質問をした。
「落ちた兵が動けなくなるの。仕切られた堀から脱出するには、時間がかかる。その間に狙い撃ちができるわ」
戦法の話になると、シリの声が生き生きと輝く。
「一つの堀を越えたと思ったら、次の堀。しかも枠が細くて、足場も悪い。敵にとっては悪夢よ」
羊皮紙にさらさらと図を描き始めたシリの姿に、オーエンは心を奪われた。
ーーまるで・・・別人みたいだ。
朝にクリームを入れてお茶を淹れていた女性が、今は堀の深さや兵の動きを語っている。
ーー男だったら、きっと偉大な領主になっていたに違いない。
オーエンは、そう何度も思ってきた自分の考えを、またも繰り返した。
「責める方は、堀の中で動けずにいる兵がいたら・・・狙い撃ちは簡単。必死でよじ登っても槍、石、銃で狙い撃ちをするのよ!」
戦法の話になるとシリの目は星のように輝く。
狙い撃ちと話すたびに微笑む。
「仕切りは十字ではなくT字にしましょう。このような形にするのです」
「なぜT字に?」
オーエンが質問をする。
「十字だと、まっすぐ進めるでしょ?でもT字にすれば、敵は迷う。時間を稼げるわ」
グユウが穏やかに問いかけた。
「シリ、その堀はどこに作りたい?」
「レーク城の麓。広くて平らだから、ここが最適です」
「あそこか」
グユウがうなずく。
「大軍が来るなら、必ずあそこから攻めてくる。従来の堀では防げないから、ずっと考えていました」
その目は、妃というより戦場の戦士のようだった。
「オレは良いと思う。皆はどうだ?」
グユウは重臣に問いかけた。
「シリ様・・・堀の深さは・・・?」
ジムが質問をする。
「深さは130センチ、底はU字に掘りたいです」
シリはテキパキと話す。
「なにゆえ…130センチですか」
ジムが不思議そうな顔をした。
「男性の平均身長は155センチと聞いています。
胸くらいの高さがあれば武具をつけた兵は乗り越えるのが厳しいからです」
シリは真面目な顔で話す。
「枠は平らにしないで細く尖らせたい。敵が歩くのが苦戦するほど」
羊皮紙に描かれていく精密な図面。
ロイが小さく息を飲む。
「このような堀は・・・前例にない」
義父 マサキが渋い顔をする、
「兄が考案しましたが、シュドリー城には広い土地がなく、水っぽい地質なので諦めた堀です。
枠を細くT字にするのは私が考えました」
「前例にないことは…成功するとは限らん」
マサキの語尾は弱々しくなる。
「・・・新しいことを考えて形にするのは面白いわ」
シリは微笑む。
その姿をグユウは愛おしそうに見つめていた。
ーーああ。私はまた、自分の器の小ささを思い知る。
オーエンは、そんな二人を見つめながら、自嘲するように小さく息をついた。
「素晴らしい堀だと思います」
オーエンは熱を帯びた瞳でシリを見つめた。
他の重臣達もうなずいた。
「負けた争いほど得るものが多い」
グユウは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「雪が溶けたら堀を作ろう」
次回ーー
冬の静けさの中、レーク城では女も男も手を動かし続けていた。
布を織り、軟膏を練り、鉛を弾丸に――。
穏やかな光の差す窓辺で、シリは微笑んだ。
けれど雪が溶ける音とともに、春はやってくる。
それは、次の争いの足音でもあった。
シリの世界と同じく、こちらも雪が降っています。
寒いので皆さまもお気をつけて。




