吹雪の中、灯りを目指して
吹雪は吠え叫び、丈夫なレーク城がミシミシッと揺れた。
重く冷たい風が壁にぶつかるたび、古い窓枠がわずかに震える。
「父上は帰ってくる?」
シンが、今にも泣き出しそうな顔でシリを見上げた。
「もちろん、帰ってきます!」
必要以上にシリは大きな声を出してしまった。
シリ自身の不安を振り払うように。
その声に、シンは何かを察したのか、それ以上何も言わず、目を伏せた。
窓ガラスには霜が厚くこびりついている。
昼間だというのに、外はすっかり白に包まれ、薄暗い。
ワスト領の兵たちは、まだ戻らない。
南砦までは馬で三十分ほどの距離。
それなのに、嵐が始まってからすでに一時間以上が経過していた。
冷たい不安が、胸の奥に静かに広がっていく。
帰れなくなっているのではないか——そんな思いが、凍てついた心にしみこんでいく。
そのとき、女中がテーブルに燭台を置き、火を灯した。
揺れる光が、壁に影を揺らす。
「城中の灯りを南側の窓に灯しましょう!」
シリは立ち上がり、燭台を手に取り走り出した。
すぐに意図を察したジムが、女中たちに命じる。
「城の灯りを集めろ。小鉢に油を。糸を芯にして・・・火を灯すんだ!」
南の窓という窓すべてに、明かりがともる。
油の入った器に火を灯せば、室内はまるで昼のように明るくなった。
燃える炎が、希望のように揺れた。
「この灯りが・・・目印になればいいのだけど」
シリは窓の外を見つめながら、ひとりごとのように呟いた。
◇◇
吹雪の中、ワスト領の兵たちは必死に前へ進んでいた。
視界はまるで白布で覆われたように何も見えない。
前を歩く者の背すらも、すぐにかき消されてしまう。
「この風じゃ、馬でも歩兵でもすぐに散り散りだ」
カツイが雪の中、黙々と縄を編んでいた。
数本の縄を結び合わせ、長く一本にする。
「カツイ、それを何に使う?」
サムが、風の音に負けじと声を張り上げる。
「これを歩兵の腰に結ぶ。はぐれないように、互いの命綱になる」
目を開けられないほどの暴風雪。
凍えるだけでなく、方向を見失えば命の保証はない。
カツイの提案で、兵たちは一人ひとりロープで繋がれた。
氷の粒のような雪が頬を打つ。
鼻孔は凍りつき、呼吸が浅くなる。
馬達は先へ先へと走りたがっていたが、次第に歩みが遅くなった。
急に馬が動かなくなった。
「馬が・・・止まった?」
足元がぴたりと止まり、グユウが前のカツイが叫ぶ。
「鼻が塞がれている! 凍って・・・!」
カツイが急いで馬の鼻先の氷を削る。
氷がぱりぱりと音を立てて剥がれ、馬がようやく動き出す。
「おかしい・・・」
グユウがつぶやいた。
もう1時間以上、馬を走らせている。
城に到着しているはずの時間だ。
何度も馬の鼻先の氷をはがした。
「風向きが定まらない。西北から来る風を左に受ければ、城に着くはずだったのに・・・」
ロイの言葉に、チャーリーが声を荒げた。
「四方八方から風が吹いてる! 方角がわからねぇ!」
「止まるな、進み続けるんだ。止まれば凍死する」
グユウはそう命じたが、誰もが疲労と寒さで足取りが鈍くなっている。
そのとき——
「光だ・・・光が見える!」
カツイが進行方向と反対を指差す。
「光?」
グユウが不思議な顔をする。
「何も見えないじゃないか」
オーエンの声が苛立つ。
「どこだ? 何も・・・」
グユウの声を遮るように、また一瞬、吹雪の隙間から灯りがちらりと見えた。
「光・・・あそこを目指そう」
グユウが指示をした。
光は段々と大きく強くなってきた。
「あぁ・・・」
グユウがため息をついた。
小高い山の上に建つレーク城が見えた。
南側の窓という窓が明るく揺らめいている。
その暖かな光を見つめると、泣きたくなるような暖かい気持ちになった。
「戻ったぞ・・・」
グユウが小さく息を吐く。
「戻ったぞ!!!」
その叫びに応えるように、兵たちの歓声があがった。
「うぉーーーっ!!」
凍えきった者たちの中に、火が灯ったような声が響いた。
嵐が起こってから2時間後の帰宅だった。
◇◇
「兵達が戻ってきました!」
目を凝らして外を見つめていたオリバーが、声をかけた。
弾かれたようにシリが席を立ち、ホールにむかって駆けていく。
扉が開くと、氷のような空気がホールに流れた。
兵達が続々と帰ってきた。
皆、身体が冷え切っている。
「重臣達は・・・」
シリがジムに問いかける。
「馬丁に馬を預けているかと・・・」
ジムの言葉に安堵しきれない表情で、シリは外を見つめた。
やがて、足を引きずるようにしてグユウが現れた。
「グユウさん!」
シリが叫び、走る。
子どもたちも笑い声をあげて駆け寄る。
凍りついたグユウの上着を脱がすと、溜まった雪がザザザザーと床に落ちた。
冷気が周囲に広がり、吐息さえ白く凍りつきそうだった。
だが、無事だ。それだけでよかった。
シリはすぐに指示を出し、兵たちに暖かい食事を用意させる。
暖炉に集まった兵たちが靴を脱ぎ、足を温めていた。
「皆は無事か?」
「はい。全員無事です」
ジムの言葉に、グユウは深く息を吐いた。
「今回の争い、敗北はオレの責任だ」
グユウが静かに話す。
「あんな嵐は予想できません。グユウ様のせいでは・・・」
重臣、兵達が口々に反論する。
「皆を危険な目に合わせた。すまない」
グユウの声には、深い悔しさと痛みが滲んでいた。
「皆さんが無事に戻ってこられた。それが、何より大切なことです。
ワスト領の宝は、領土ではなく、人ですから」
シリは豆のスープを配りながら、真剣な顔で語った。
「終わりよければ全て良しです」
震える声でそう続けると、兵たちの間に安堵の笑みが広がった。
「争いよりも怖いものって・・・あるのですね」
オーエンはシリから渡された豆のスープを手に取りつぶやいた。
「生きて帰れないかと思った」
サムの低い声に、皆が静かにうなずく。
シリは妃として職務に徹することで、気持ちを保っていた。
けれど本当は、今すぐグユウの胸にすがって泣き出したいほどだった。
「ご無事のお帰り・・・良かったです」
迫る涙を我慢するため声を硬くしながら答えた。
「あの灯りは誰が?」
ロイがスープの湯気越しに問いかける。
「シリ様です」
ジムが答えた。
「どうして灯りを・・・」
チャーリーの問いに、シリはそっと微笑んだ。
「昔、本で読んだことがあるんです。
海では、灯台という建物が一晩中灯りを灯して、
船乗りたちの帰る場所を示すのだと。
この吹雪の中でも、目印になるかもしれないと思って・・・」
その言葉に、兵たちは静かに感動し、目を伏せた。
誰もがその灯りに救われたのだ。
「シリ・・・ありがとう。あの灯りがなければ、俺たちは戻れなかった」
グユウが、優しく微笑む。
その瞬間、シリの心の堤防が決壊した。
「よかったです・・・」
真っ青な瞳に涙があふれ、頬を伝って流れ落ちる。
けれど彼女は拭おうとしなかった。
慈しみに満ちた眼差しは、まるで女神のようだった。
オーエンは眩しげにシリを見つめた。
「それから・・・カツイにも感謝しなければ」
グユウは皆の前で振り返る。
「この嵐の中、誰一人迷わずに帰れたのは、カツイのおかげだ。
ロープでつないだ判断も、馬の処置も・・・見事だった」
「い、いえ・・・重臣になる前は、厩で働いていたもので・・・」
カツイは照れくさそうに頭をかいた。
今度ばかりは、オーエンも素直にうなずいた。
「この嵐はあと2日は続くだろう。危険なので、その間は城に寝泊まりするように」
グユウがそう命じると、皆が一斉に頷いた。
長く凍えた冬の一日が終わりに近づいている。
窓の外ではまだ、吹雪が遠吠えのように唸っていた。
けれどその中にあっても、心の灯りは確かに揺れていた。
南の砦は失った。
だが、大切なものは、こうして手の中に戻ってきたのだ。
それ以上、望むものはない。
「今季最大の寒波」予想におびえています。
雪国は雪が降っても外出(仕事)はします。
皆さまもお気をつけて。
次回ーー
吹雪の夜、暖炉の前でりんごを焼く香りが広がっていた。
「美味しいな」と笑うグユウの声に、シリもそっと微笑む。
けれど翌朝――首筋に刻まれた赤い痕を見たオーエンが真っ赤になり、
「虫刺されではありません」と、やけくそ気味に告げることになるとは、
誰も思っていなかった。
明日の17時20分 首筋に虫刺され




