乗馬と甘いため息
ワスト領では、秋の収穫が本格化していた。
アオソの採取と、繊維の加工が始まったのだ。
「これで完成と言うわけではないのよね・・・」
陰干しした糸の束を見つめて、シリはつぶやく。
収穫したアオソを水に漬け込み、皮を剥いでいくと
白く光沢がある糸ができてくる。
これを陰干しにした。
「はい。この糸をさらに細かくして、つなげて1本の糸にしていきます」
エマが手際よく作業をしながら応じる。
糸にした後に編む作業が待っている。
完成は来年の春になる。
「お金を稼ぐって大変ね」
シリはため息をついた。
「無料で手に入るものを、形にするのは手間がかかるものです。長い冬の間、退屈ではないはず」
「確かにそうね」
シリは、染めで緑色に染まった指先を見つめ、少しだけ笑った。
それからアオソの収穫の続きをしようと、森の奥へと足を運んだ。
そよ風がかすかな音を立ててポプラの木々に囁いていた。
シリは束の間、カゴを脇に寄せ座り、
組み合わせた両手に顎を乗せて綿毛のような雲を追っていた。
平和で、美しい九月の午後。
――それは、ほんの束の間だった。
「シリ様 グユウ様がお呼びです」
馬に乗ったオーエンが、やや焦った様子でやって来た。
家臣達は、手分けをしてシリを探していたらしい。
余裕のないオーエンの表情を見て、シリは胸騒ぎを覚えた。
「なにか、あったのですね」
「・・・すぐにお戻りください」
オーエンが馬を降りて近づくと、ふと眉をひそめた。
シリが、乗馬に適さないスカート姿だったのだ。
この時代、女性がスカートのまま馬にまたがるなど不作法とされ、
ましてや足が露わになるなど、裸に近い感覚だった。
だが、シリは迷わなかった。
「横向きで乗るわ。馬を操れる?」
シリが真っ直ぐな瞳でオーエンを見つめる。
女性が必要に迫られて乗馬をする場合は、横向き乗馬が主だった。
オーエンは女性と乗馬などしたことがなかった。
しかし、領主の妃のお願いを、「できない」と断るのではなく、
「できる」と引き受けるのがオーエンという男だった。
オーエンは一瞬戸惑ったが、すぐに頷いた。
「できます」
馬にまたがったオーエンが手を差し伸べ、シリはその手を取り、横向きに腰かける。
不安定な姿勢に、シリの声が少し震える。
「横向きは、バランスをとるのが難しいわ」
自ら提案したとはいえ、手綱を持たないので落下しそうで不安になる。
「私に・・・捕まってください」
目を伏せたままの声に、シリはオーエンの身体にしっかりとしがみついた。
その瞬間、オーエンの頬が赤くなる。
「自分で馬を操れないのって、怖いわね」
「普通の女性は・・・こうやって乗ります」
手綱を握る指先は明らかにぎこちなく、目の縁は赤みを帯びていた。
だが、シリはそれに気づくことなく、あっさりと言い放つ。
「つまらないわね。やっぱり馬は操らないと」
視線を上げると、距離の近さに驚いたのはオーエンだった。
青い瞳と柔らかな香り。
それは、女慣れしていない彼には少し刺激が強すぎた。
そんな中、シリはふと思い出したように言った。
「置いてきたアオソのカゴ・・・回収してもらえる?」
「・・・後で私が回収します」
ため息をつきながら答えた。
「侍女に渡してくれる?アオソは摘んだ当日に処理をしないとダメなのよ」
「・・・承知」
城の門が見えてくると、シリは馬から飛び降り、スカートを持ち上げて走り出した。
「オーエン、ありがとう!」
ふくらはぎが露わになる姿を、ただ呆然と見送るしかなかった。
「馬に乗らなくても足が見える・・・」
オーエンは小さくため息をついた。
それは、戦争への不安ではない。
自分でもよくわからない、行き場のない気持ちへのため息だった。
彼は一度だけ振り返り、カゴのある森へと馬を走らせた。
次回ーー
静まり返った書斎の中、シリの指先が羊皮紙を握りしめて震えていた。
灰に帰した隣領の運命は、明日のワスト領の姿かもしれない――。
彼女の胸に、燃えるような恐怖と決意が同時に芽吹いていた。




