夜の誓いと、青い瞳
シリが一番好きなのは夜の時間だった。
毎晩、グユウが静かにハンドクリームを手に取り、シリの手をやさしく包み込む。
「疲れただろう」
グユウが話す言葉は少ないけれど優しかった。
そして、美しい黒い瞳は労りと慈しみで溢れていた。
その瞳を見るだけで、シリは胸がいっぱいになる。
「大丈夫です・・・」
熱に浮かされたようにささやく。
毎晩のようにグユウはシリを求めた。
二人で達したあとも、なかなか離れられず無言で抱き合う。
は、は、は、と全力疾走した後のような呼吸をしながら
シリはグユウの胸にくたりと身体を預ける。
呼吸音が少しずつ小さくなると、
グユウは暖かい身体に手を這わせ、唇を重ねる。
言葉もなく、視線が交わる。
「・・・グユウさん 変わりましたね」
シリが弱々しく話す。
「そうか・・・?」
グユウは不思議そうな顔をしてつぶやく。
インクのように真っ黒の髪に瞳、スッと通った鼻筋に、薄い唇。
グユウの外見はあまり変わってないように見える。
けれど、結婚当初は無表情で、感情が見えない瞳の奥は凪いでいた。
「ええ・・・。こうして・・・2人でいると・・・瞳に喜怒哀楽が出るようになりました」
「オレは人形ではない」
グユウは、顔の前に落ちたシリの髪をうしろに戻した。
「人形というより・・・置き物のようでした」
結婚当初のグユウの表情を思い出して、シリが笑い出す。
「シリのために変わりたいと思った」
グユウは、もっと上手に気持ちを感情に表したいと思っていた。
もちろん、前よりも気持ちは口にしているけれど、
その言葉は断片的だった。
気持ちを上手に口にすることができないので、溢れる想いを瞳に反映していた。
グユウの瞳を見つめるたびに、シリは全面的に降伏したくなる。
この時代の女性・・・特にシリのように身分が高くなると、
自分のやりたい事を口にして行動することは、滅多にできなかった。
シリが思うままに口にして行動することを、認めるグユウの存在は稀だった。
並の男・・・特に領主なら、シリの行動は我慢ならないだろう。
けれど――
その全てを受け止めてくれる男が、ここにいた。
「グユウさんと結婚して・・・楽しいことばかりだわ」
シリはうとうとしながらつぶやいた。
「・・・オレもだ」
グユウはシリを愛おしそうに見つめた。
それは確かな幸福だった。
けれど、幸福が続くほど、人は願ってしまう。
――この幸せが、どうか壊れませんように。
シリはそっと目を閉じた。
◇◇
ミンスタ領 シュドリー城
「ワスト領を今だに滅ぼすことができん」
ゼンシの言葉には怒りと苛立ちが滲んでいた。
張り詰めた空気の中、家臣達は恐怖で身を縮める。
今夜のゼンシは機嫌が悪い。
ゼンシの機嫌が悪い時に活躍するのは重臣のキヨだ。
領民出身のキヨは余計な見栄やプライドがない。
全身全霊でゼンシをおだて、ゼンシの機嫌を保っていた。
そのキヨは、ワスト領の砦にいる。
「あんな小領は昨年の夏に叩き潰すつもりだった。悪運に恵まれている」
忌々しそうにゼンシは机を強く叩いた。
ゼンシの脳裏にはシリとグユウの顔が浮かんだ。
裏切ったグユウはもちろん、シュドリー城に戻らないシリにも腹が立った。
「早くアレを取り戻すぞ・・・」
独り言をつぶやき、紅茶を飲み干す。
「恐れながら・・・」
スッとゼンシに意見を言う家臣が出てきた。
「なんだ。言ってみろ」
目の前にいる重臣 ビルに命じた。
この時代、家臣は世襲制で家柄を大事にしていた。
常識にとらわれないゼンシは、家柄ではなく能力で家臣を雇用していた。
領民出身のキヨ、そして出所不明のビルもそうだった。
「ワスト領を攻めるよりも周囲の領を攻撃しましょう。
隣のリャク領を滅ぼし、孤立化させ、徐々に弱体化させるべきです」
「リャク領をどのように責めるか案があるか」
「あります。火攻めにしましょう」
緑色のビルの瞳は煌々と強く光っていた。
「夜明け前に全軍で囲み、四方から火を放ちます。逃げ道をなくし、皆殺しにするのです」
息を呑む家臣たち。
だがゼンシは冷たい笑みを浮かべた。
「・・・面白い。詳しく聞かせろ」
蒼く燃えるその瞳に、狂気が宿る。
ゴロクは、ビルとゼンシの視線が交錯するのを見ていた。
――何かが、動き出す。
やがて、黒煙の先に待つものは――
誰にも、わからなかった。
次回ーー
夏の終わり、シリとグユウは森へブラックベリーの収穫に出かける。
穏やかな日差しの下、嫉妬と微笑みが交錯する甘いひととき。
だが帰り道、シリの瞳がとらえたのは――動き出したキヨの影だった。




