月に照らされた決断
その夜、月は空高くのぼり、雪に反射して城の中庭を青白く照らしていた。
冷え込みは厳しく、風もない静かな夜だった。
「グユウさん 一緒に月夜の散歩に行きませんか?」
寝支度を整えた後、シリが声をかけた。
グユウは一瞬目を見開き、戸惑いの表情を浮かべる。
「今からか・・・?」
「ええ。日中は何かと忙しくて・・・」
言い訳のように口ごもるシリに、グユウは静かに頷いた。
「行こうか」
「夜に散歩って・・・」
散歩に行くと言い出したシリにエマは呆れ果てていた。
「美しい月夜の誘いには勝てないのよ」
シリがはしゃいでる。
エマはしぶしぶ雪靴を取り出した。
寒い夜に散歩は感心しないけれど、働き詰めのシリには気分転換の必要があると考えたのだった。
雪原に出ると、木々の影が月光で長く伸びていた。
二人はゆっくりと歩き、馬場から見えるロク湖を見つめる。
湖面は凍りつき、白く輝く氷が静かに横たわっていた。
「シリ、城下町に軟膏を作る建物を作らないか」
しばらく沈黙があった後、グユウが白い息を吐きながら切り出した。
「城下町にですか?」
シリがグユウを見つめる。
「ソウに提案されたんだ。城での生産にも限界がある。領民に委ねれば、量も増える。
・・・何より、シリには少し休んでほしい」
そう言って、グユウはシリの手を自分の両手で包み込む。
「グユウさんが、いつもハンドクリームを塗ってくれるから・・・手荒れは落ち着いています」
毎晩、寝室で行われている2人の秘め事を思い出したようでシリの頬は赤く染まった。
グユウも何かを思い出したようで、気まずそうに目をそらした。
だがそのあと、シリの表情が翳る。
「城下町に建物を作るのは止めましょう」
シリはつぶやく。
「・・・どうして?」
グユウが首を傾げる。
シリはロク湖の向こうをじっと見つめた。
「・・・争いが始まったら城下町が焼かれる可能性があります」
彼女の声は、どこか硬かった。
昨年の夏、ゼンシがレーク城の城下町を焼き払ったときのことが、今も脳裏に焼き付いている。
燃え上がる屋根、逃げ惑う人々、そして――何も残らなかった道具たち。
シリは青く輝く、美しい目を月光がみなぎる空にむけた。
「建物を作って焼かれたら・・・」
シリは震える声で言った。
「全てが台無しです・・・道具も焼かれてしまう。
レーク城は籠城むけの城です。狭くても城で作り続ければ収入は途切れません」
グユウはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「・・・わかった。だが、軟膏作りは領民に頼もう」
「人を使えば、そのぶんお金がかかります」
そう言ったきり、シリは黙り込んだ。
彼女は、ワスト領の財政を誰よりも気にかけていた。
妃である自分が動けば、人件費はかからない。――それが、彼女の思考だった。
だがグユウは、彼女の手を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「一人でやれることは限られている。仲間と一緒に行うと予想以上の効果が出る」
グユウがつぶやいた。
「それは・・・」
ハッとした顔でシリは顔を上げた。
以前、争い前にシリがグユウに伝えた言葉だった。
「軟膏は教えれば誰でもできる。シリにはシリしかできない事がある」
グユウの目がまっすぐに彼女を捉える。
その視線の奥に、優しさと信頼、そして静かな決意があった。
「・・・私にしかできないこと」
シリはゆっくりと繰り返した。
妃として、自分がやるべきこと。
それは軟膏作りだけではなく、領を支える大きな務めだった。
「グユウさん わかりました。私にしかできないこと・・・取り組んでみます」
真面目な顔でシリをグユウを見上げた。
「それでこそシリだ」
グユウはシリの髪に唇を落とした。
「城に戻ろう」
二人は雪の中を、再び歩き出した。
◇
その夜、シリは激しい風の音で目を覚ました。
つい先ほどまで月が美しく照っていたのに、今や嵐のような吹雪が城を叩いていた。
隣ではグユウが静かに眠っている。
炉の揺れる灯がその寝顔を照らしていた。
「う・・・」
寝言のような小さな声とともに、グユウが手を動かす。
その手がまるでシリを探すかのように伸びてきて、シリはそっとその腕に身を預けた。
胸に抱かれるそのぬくもりが、たまらなく嬉しい。
頬をすり寄せると、グユウの口元がかすかに緩んだ。
寝ている姿まで、愛おしく思える。
ーーずっと、こんな夜が続けばいいのに
シリは夢のようなそのひとときに、そっと目を閉じた。
けれども――春は、容赦なくやって来た。
次回ーー
レーク城に春が訪れた。
吊り橋の完成に喜ぶシリとグユウ。
だがその頃、南の砦では――キヨが静かに動き始めていた。




