戦いができない理由
昼食後、視察の一行は馬にまたがり、領内の見回りへと出発した。
「今日は寒い。乗馬をすると身体が冷える。城に残った方が良いのでは・・・」
グユウが心配そうに話す。
「大丈夫です。乗馬用のコートもありますし・・・南の砦の様子も知りたい」
シリの瞳に力が宿る。
南の砦には、ミンスタ領の家臣・ハゲネズミのキヨが駐屯している。
彼はゼンシの命令で、ワスト領の動きを監視するため砦に残っていた。
シリはグユウの不在時、何度も砦の視察を望んでいたが、
「戦士が不在のときに敵領の砦に近づくのは危険だ」と、グユウが断固として許可を出さなかった。
この日、嫁いでから初めて――
シリは乗馬用のコートに袖を通した。
過去二年、冬のあいだは妊娠していたため、乗馬の機会などなかった。
鮮烈な赤に金の縁取りが施されたそのコートは、目にもまばゆく上質な布地で仕立てられていた。
目を奪われるような鮮やかな赤い色は、
シリの切れ長の青い瞳、輝く金髪、凛とした姿に驚くほど似合っていた。
シリがその場に佇むだけで独特の空気を醸し出していた。
「そのコート・・・どこかで見たことがある・・・」
グユウは、何かを思い出すように目を細めながら尋ねた。
「兄に・・・作ってもらいました。兄も同じ色のコートを持っています」
シリは伏し目がちにつぶやいた。
ーーそうだった。
ゼンシも戦場では赤いコートを好んで着ていた。
非凡な男の風格が、あの色に宿っていた。
ーー似ている。
何百回と繰り返してきた思いが、グユウの胸に重く落ちた。
惚れ抜いている妻と、殺したいと思っている義兄。
このふたりが、どうしてこうも似ているのか――。
しかも、女であるシリに、戦のための上等な乗馬コートを仕立てたこと。
それがゼンシの異様な執着を物語っていた。
馬を走らせると、領民たちが家の戸を開け、外に出てきた。
戦の際、城内での炊き出しや手当てに助けられた恩を、彼らは忘れていなかった。
青いマントを翻す端正な領主と、
赤いコートを着て、金色の髪をなびかせて馬に乗る妃に皆が手を振った。
シリが笑顔で領民たちを見つめると、静かなざわめきが起きた。
人を惹きつける容姿と、周囲を圧倒する存在感――
それもまた、ゼンシとシリの共通点だった。
丘に登ると、南の砦が一望できた。
砦の中の建物からは、賑やかな声が漂ってくる。
キヨが地主たちを招いて宴会を開いているのだろう。
「キヨのお得意の外交だわ」
シリの言葉は毒の針を含んだように刺々しかった。
重臣たちは沈黙したまま、砦を見下ろしている。
「ワスト領の内部を崩し始めているのよ。グユウさん、この砦を攻める事はできないの?」
シリが馬上から振り返り、鋭い視線を向ける。
「キヨ殿は何も悪いことはしていない。
こちらに攻撃を仕掛けてない。地主とお酒を飲むことは何も責めることではない」
グユウは淡々と説明する。
「それでも・・・!キヨは今に何かをするわ。放っておくのは危険だわ」
シリは一歩も引かない。
「だが、丸腰のキヨ殿に手を出せば、ミンスタ領に攻撃の口実を与えるだけだ」
グユウは厳しい表情を崩さずに言った。
「それに・・・今のワスト領には、争いをする体力がない」
重臣たちは、重く頷いた。
「争いをする体力が・・・ない?」
シリは目を見開いて質問をした。
ーーそんな事、考えた事もなかった。
「あぁ。ここは冷える。城に戻ってから話そう」
グユウがぽつりと呟いた。
冷たい風が吹き抜け、空が鈍い灰色に染まっていた。
次回ーー
「争いをする体力がない――」
グユウの言葉に、シリは初めて領の財政の厳しさを知る。
雪深く人口の少ないワスト領に、戦を支える余裕はもうなかった。
必要なのは、すぐに収入となる手立て。
議論の果てに浮かび上がったのは――思わぬ物だった。
「これは、売れると思います」
カツイの声が、沈んだ空気を震わせた。




