苦労をかけてすまない・・・
その日の夜、3ヶ月ぶりに寝室に入ったグユウは、戸口でふと足を止めた。
部屋の雰囲気が、少し違っていた。
「少し模様替えをしたのです」
シリが静かに話した。
窓際にあったソファとローテーブルが、暖炉の前に移されている。
「窓のそばは冷えるので。・・・暖炉の前なら、寒くないです」
ローテーブルの上には数冊の書が積まれていた。よく見ると、兵法や戦術書ばかりだった。
「・・・片付けてなくて」
シリは少し目を伏せた。
「この本は・・・」
「義父上の館から貸していただきました」
「そうか」
義父 マサキは戦が上手な領主ではなかった。
そのコンプレックスを埋めるためだろう。
戦術の本はたくさんあった。
女性が表に出る事を認めないマサキが、
戦の本を貸したという事は、シリの能力を認めたのだろう。
グユウはソファーに座った。
シリは小鬼のような炎を求めて薪を3本焚き付けた。
暖かくて良い気持ちだ。
2人は黙ったまま火を見つめた。
「オレが不在の時に城を守ってくれた」
グユウは炉の火が輝く暗がりをすかしてシリを見つめた。
グユウはシリの手をそっと取る。
シリは微笑んだ。
「シリ・・・ありがとう」
手を握った瞬間、グユウは違和感に気づいた。
その手は荒れ、硬くなっていた。ひっかき傷や火傷の跡もある。
「これは・・・」
グユウがそっと手を顔に寄せる。
その時に気づいた。
「ブラックベリーは棘が多いので摘むと傷だらけになるんです。
火傷は・・・砲弾を作っている時に型に触れてしまって・・・」
シリはきまりが悪そうにつぶやいた。
2年半前 シリが嫁いだ時は滑らかな白い手だった。
結婚式で指輪を交換するために、
シリの手を取った時、絹のように柔らかい手で驚いた記憶がある。
今、その面影はない。
「すまない・・・苦労をかけている」
グユウは切なげに両手で荒れた手を撫でた。
ワスト領に嫁がなければ、シリの手は美しかっただろう。
「苦労なんてしていません」
シリはグユウを見つめる。
「こうして、籠城の準備をするのは、グユウさんと一分一秒でも長く過ごしたいから。
その為に自分の手で考え、行動する。楽しいですよ」
「しかし・・・」
「グユウさん、私は幸せです」
納得できずに切なさそうなグユウの表情を見ながら、シリは言葉を紡ぐ。
「何もせず、部屋に閉じこもって、他人の言われるままに生きている方が辛い。
自分のため、そして家臣のために一緒に頑張れるのは幸せです」
シリは微笑んだ。
暖かい炉の火に映えて美しい髪は、溶けた金のように輝いていた。
グユウを見つめる瞳は青く魅力に溢れていた。
戦場から戻ってきたグユウにとって、その姿は夢のような光景だった。
いつも、胸に秘めている事を思わず口に出てしまった。
「・・・シリはキレイだな」
グユウの言葉に、シリは瞬きをした。
長いまつ毛が上下に揺れ、それだけでグユウの胸を打った。
「グユウさん、どうしたのですか」
「・・・思ったことを言うのはダメなのか」
「そういう訳ではなく・・・」
シリは途端に髪の毛をぎこちなく触り始めた。
顔は赤くなっている。
それは炉の熱のせいなのだろうか。
違う。
グユウの言葉に恥じらっていた。
「シリなら、いろんな人に見目を褒められるだろう」
グユウは不思議そうな表情で、赤くなるシリを見つめた。
実際、シリの容姿は美しい。
褒められることは、シリにとって挨拶のようなものだった。
シリが毛嫌いしているキヨは、毎回シリの容姿を褒めている。
「グユウさんに言われると・・・照れます」
シリは恥ずかしそうに目を伏せた。
その仕草がいじらしくて、グユウはシリの背に腕を回し、そっと唇を重ねた。
シリの手が自然とグユウの髪に触れる。
彼女からの優しい応えに、グユウは熱を深め、唇を深く重ねる。
長い口づけに、シリの眉がわずかに寄った。
息が浅くなっているのを感じたグユウは一度唇を離し、彼女の様子をうかがった。
シリは荒く息をつきながら、そっと目を開ける。
2人は目を合わせた。
グユウの美しい黒色の瞳は熱が揺らめいていた。
「グユウさん」
「なんだ」
「争いに行く前の約束を覚えていますか」
シリは恥ずかしそうにつぶやいた。
争い前日の夜にグユウがシリに伝えた言葉だった。
グユウは微笑んだ。忘れるはずがなかった。
「あぁ。覚えている」
「また聞きたいです」
頬を染めて俯くシリの姿が、胸を締めつけるほど愛おしい。
「意味は分かっているのか?」
グユウは嬉しそうな顔を隠しきれない。
シリの方から、こんなことを言ってくれるのは夢のようだった。
自分の勘違いかもしれないので、思わず聞いてしまう。
「察してください」
恥ずかしさに耐えきれず、シリはグユウをにらむような目を向けたが、それさえも愛おしい。
グユウは再び唇を重ねた。
シリは「もう」と小さくつぶやきながら、彼の腕に身をあずけた。
「嬉しいが、久しぶりだからオレは自制がきかない」
「・・・胸を張って言う事ですか」
グユウはシリをベッドに誘った。
◇
情事のあと、シリはそっと彼の腕の傷に触れた。
「傷・・・」
少し掠れた声を出す。
「シリの忠告のお陰で大きな怪我はしていない」
その声を聞くだけで、涙がにじみそうになる。
シリは彼の胸に顔を埋めた。
グユウの腕の中に包まれる。
暖かくて幸せな気持ちになる。
「今・・・とても幸せです」
グユウの大きな手が、彼女の髪を優しく撫でた。
ーーこんな幸せ、眠るのがもったいない。
そう思いながらも、瞼は次第に重くなっていく。
ーーグユウが帰ってきた。
もう何もいらない。
「たとえ、また離れても・・・あなたの言葉を胸に生きていけます」
シリの声は、夢と現のあわいに溶けていく。
「シリに出会ってからオレはずっと幸せだ」
グユウの言葉を最後にシリは意識を手放した。
小説を始めて書いてもうすぐ3ヶ月。読んでくれる人がいるので書き続けることができます。ありがとうございます。
次回ーー ヶ月ぶりに戻ったグユウと重臣たちを前に、シリは籠城の成果を披露した。
鉄砲玉が詰まった樽、試作された矢尻、薬草を漬けた瓶、そして畑の土。
細部にまで行き届いた準備は、誰の目にも圧巻だった。
「三年は籠城できます」
揺るぎない瞳で告げるシリに、グユウはただ言葉を失う。




