表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/227

この結婚に愛はない

「今日は、結婚式の日だわ」


夜明け前、目を覚ましたシリは静かに窓辺へ向かい、独り言のように呟いた。


ミンスタ領に比べ、ワスト領の空気は重く湿っていた。

露を含んだ冷気が肌にまとわりつく。

眼下に広がるロク湖は、夜の闇に沈み、まるで黒い鏡のように静かに横たわっている。


その湖の深い色を見つめていると、自然とグユウの瞳が思い出された。


今日は、式と初夜。

そして一日空けて披露宴。

これから先、数えきれない儀式が待っている。


何を考えているのか全く読めない、まるで置き物のような人と、これから夫婦になる。


ため息が、自然と漏れる。


先のことは考えず、目の前のことをひとつずつ片付けるしかない――。


東の丘から陽が昇り始める頃、シリは婚礼の支度に取りかかった。


身にまとうのは、自分の瞳と同じ色のウェディングドレス。

ミンスタ領でこのドレスを着た夜、兄ゼンシに乱暴された――。

辛く、悲しい記憶が染みついたこのドレスが、皮肉にも一番よく似合うと言われる。


ワスト領の侍女たちも、口々にシリの美しさを称えた。


細くしなやかな首筋には、サファイアのネックレスが青く光り、エマがそっとヴェールをかぶせてくれる。


レーク城の式場は、こぢんまりとしてはいたが、手入れが行き届いていた。


式にはワスト領の関係者が列席しているが、シリの知る顔はひとつもなかった。


霞のようなヴェールをかぶり、青のドレスの裾を引きながら、シリは無言のままグユウの元へ歩みを進めた。


グユウは紺色のフロックコートに銀糸の刺繍をまとい、式場の中央に佇んでいた。


相変わらず無表情で、まるで人形のようだった。


ヴェール越しにその顔を見た瞬間、シリの胸が一拍飛ばすように打った。


生理的にはありえないことだと分かっていても、心がそう感じた。


動悸は式のあいだ中、収まらなかった。緊張だ、と自分に言い聞かせる。


指輪の交換。

グユウは不器用にシリの手を取り、中指に指輪をはめようとした。


「薬指よ」


ヴェール越しに、イタズラっぽく微笑みながら、シリはそっと自分の薬指をつついた。


そのときグユウと目が合った。

ほんの一瞬、彼の瞳が「ありがとう」と語ったように思えた。


この人は、言葉よりも瞳で気持ちを伝える人なのかもしれない――。


ヴェールアップの瞬間、うつむくシリの睫毛が長く揺れ、夢見るような瞼をふせていた。


グユウの目が、かすかに動いた。


けれどその変化に、シリは気づかない。


口づけは儀式的に軽く交わされ、結婚証明書に署名を終えると、式は滞りなく終了した。


長身の二人が並ぶその姿は、まるで絵画のように美しかった。


式の後は、城のホールでささやかな宴が開かれた。


シュドリー城に比べれば簡素でアットホームだが、温かな雰囲気があった。


結婚前、「ミンスタの魔女」と警戒していたグユウの父・マサキも、酒の勢いに背を押され手のひらを返すように褒めちぎった。


「こんなに美しい女性は見たことがない。グユウは幸せ者だ」


その言葉に、シリはほんのりと頬を染めた。


けれど――肝心のグユウは、隣に座っていながら、まるで彫像のように表情を動かさなかった。


祝福に満ちた場の中で、彼の無反応は際立っていた。


そしてふと、視線を感じる。


そっと目を向けると、マサキに仕える家臣たちがこちらをじっと見つめていた。


中でもひときわ目立つ、がっしりとした顎の若い家臣――その視線には、露骨な警戒と敵意が滲んでいた。


シリが見返すと、彼は慌てて視線を逸らした。


無理もない。


自分は他領から来た者。


乗っ取りを警戒されるのも当然だ。


シリはまた、心の中でため息をついた。


何度目だろう。


場が賑わえば賑わうほど、自分の孤独が際立つ。


思い切って、隣のグユウを見上げる。

自分を見て欲しいという気持ちは、隠しようもなく露骨だった。


だが彼は、前だけを見ていた。


まるでそこにシリが存在しないかのように。


無視――そう言っても過言ではない態度だった。


グユウは、他の家臣とは短くても言葉を交わしているのに、シリとは一言も会話をしない。


ドレス姿を見ても無反応。

口づけも義務。

目も合わせず、話しかけることすらない。


きっと、私との結婚が嫌なのだろう。


シリは小さな息を吐いた。


――もちろん、私だって望んだ結婚ではない。


そう思いながらも、胸の奥に詰まる孤独は、どうしようもなかった。


宴が終わりに近づく。


このあとは――初夜。


シリの不安と緊張は、静かに、けれど確実に高まっていった。




次回ーー


初夜の夜。

「怖がる女は抱けない」と告げた寡黙な夫。

涙をこらえるシリの心に、安らぎは訪れるのか――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
, ,

,

,

,

,
,
,
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ