死んだら妻に殺される
ミンスタ領 本陣
「グユウめ・・・!」
ゼンシは低く唸り、燭台を勢いよく壁に叩きつけた。
金属の鈍い音が鳴り響き、部屋にいた家臣たちの背筋が一斉に凍りつく。
ゴロクは息を殺して、ゼンシの苛立ちが過ぎ去るのを待っていた。
地図の上に置かれた駒を、ゼンシは苛立ちまぎれに払った。
「前回はあいつ、自ら馬を駆って突っ込んできた。
今回も同じだと思っていたのに・・・なぜ後方にいる!」
彼の戦術は、グユウが真面目で命知らずという「性格」に基づいていた。
前列で目立つように配置した自慢の武者たちは、予想外の弓矢の集中砲火で次々と負傷した。
「小領のくせに・・・四ヶ月もかかっている!」
その声は、もはや怒りというより焦りだった。
部屋の隅で気配を消していたゴロクが、密かに息を吐く。
◇◇
一方、ワスト領本陣。
夜も更けていたが、グユウはまだ手紙に目を通していた。
「夕食を皆で食べているらしい」
グユウは手紙を読みながらオーエンに語った。
「それは良いことですね。妃様の発案ですか?」
オーエンが尋ねると、グユウは黙って頷く。
グユウは、日中は争いの指揮で忙しく、
夜はトナカや他の領主との打ち合わせで忙しく過ごしていた。
分厚いジムの手紙を読んでいる時のグユウの表情は、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「厨房の負担も減らして協力し合って・・・春には養蜂も始めたいと張り切っているようだ」
グユウは淡々と読んでいたが、目元にかすかな笑みが浮かんでいた。
張り切るシリの顔が、まぶたに浮かぶ。
オーエンも微笑んだ。
この数ヶ月、彼はほぼ毎日、グユウのそばにいた。
二人は同い年。
寡黙な領主と、忠義心が誰よりも熱い家臣。
戦の中で、奇妙な信頼が育ちつつある。
争いに飛び込もうとするグユウを、制止するのはオーエンだった。
「死んだらシリ様に殺されますよ」
オーエンは、グユウを見つめながら説得した。
「死んだら殺される?」
グユウは不思議そうな顔をした。
「ええ。グユウ様が討ち死にでもしたら、妃様は天から降ってきて、棺を叩き割って怒鳴りそうです」
静かに、しかし確信を持って言うその声に、グユウは一瞬、黙り——そして、ふっと笑った。
それは、オーエンの言葉がもたらした小さな“抑止”だった。
実際、その言葉を聞いて、グユウは思い留まることが多々あった。
ーー死んだらシリに殺されてしまうからな。
大変な状況になっても、そう考えるだけで心に余裕ができた。
力任せで命知らずに攻めることをやめ、周囲の家臣達と戦略的に考えるようになった。
全てを冷静に見極める。
領主がそう判断することで、ワスト領の領力が向上してきた。
ーー死んだら殺される。
冗談のようでいて、それは戦場に立つ者にとって、何よりも強い“生きる理由”だった。
しかし、そんな決意すらも揺るがす嵐が、このすぐ先で待ち構えていた。
次回――シリのもとへ届くのは、戦況を綴った重い手紙。




