行ってらっしゃいの朝、私たちは強くなった
あくる朝、レーク城の寝室では、若い夫婦が別れを惜しんでいた。
「グユウさん、いつ頃・・・帰れるのですか」
シリがためらいながら質問をした。
「・・・雪が降る前に帰りたいと思っている」
グユウは淡々と答えた。
「そうですか」
今は9月なので、雪が降る前は12月くらいだろうか。
若いシリにとって、3ヶ月先は随分と長く感じた。
以前、グユウはゼンシと国王へ挨拶に行くために2ヶ月くらい留守にしたことがある。
その時も寂しかったけれど、命の心配はしていなかった。
今度は武装をして武器を片手に争いに行く。
命の危険もあるだろう。
「シリ・・・」
寂しげな顔をしているシリを、グユウはそっと抱きしめた。
「籠城の準備をして・・・待っています」
シリは泣きはしなかったけれど、声は震えていた。
「あぁ」
軍服を着たグユウから木のような清涼な香りがする。
優しくシリを手放して、背中に手を添える。
「行こうか」
ホールには大勢の家臣達が集まっていた。
グユウとシリが表れると歓声が上がる。
グユウが家臣の前でゼンシ征伐を訴える。
兵が足踏みをしてグユウに賛同をした。
今朝は子供達も乳母と共にホールにいた。
グユウとの別れを考慮して見送りに来ていたのだ。
家臣達の声に驚いたようで、ユウが小走りでシリの足元にすがりついてきた。
「ユウ様!」
乳母のヨシノが自分の元に来るように声をかけた。
ユウは首を振って、シリの足にしがみつく。
「ユウ」
シリは、ぎこちなく微笑みユウを抱いた。
1歳半になるユウは、母親似の金髪、青い瞳の美しい顔立ちをしていた。
活発に動くけれど、今だに一言も喋らない。
何か言いたそうな顔をしているし、今にも喋りそうな口元をしているのに。
その言葉は口から出てこなかった。
シリもグユウも、乳母達もユウに何か喋らそうと励んだけれど、
ユウはじっと顔を見つめるだけで話さない。
ユウは緊張したような顔で、金色の頭をシリの肩にもたれさせていた。
グユウがシリの方を向いた。
ユウを抱いたシリ、その後ろにはシン、乳母の手に抱かれて眠っているウイがいた。
グユウは何か胸に迫るような表情をした。
「ジム、あとは頼む」
忠実な重臣に声をかけた。
「任せてください」
ジムが穏やかに声をかける。
「シン」
グユウが3歳の息子に声をかける。
シンは聡い子なので、この状況が大変な事は何となく肌で感じていた。
ばら色の頬に髪はクルクルと縮れている。
父親似の黒い瞳はおずおずとグユウの顔を見上げた。
「父が留守の間、母上と妹達を頼む」
グユウは、まるで大人に話すような言い方を3歳の子にした。
争いで子供は急に大人びてしまう。
父が話している意味はわからないけれど、その期待に応えたいと思った。
「はい!」
領主の息子らしく、キビキビした声でシンは返事をした。
グユウは目尻を少し下げ、シリに視線を向けた。
シリは以前の争い前のように、笑顔を見せることはできなかった。
笑う気持ちになれなかった。
「行ってらっしゃい」
シリの唇にのぼったこの言葉は、愛しい人の無事を祈る愛情の甘みがこもっていた。
「行ってくる」
グユウはシリとユウの青い瞳を見つめながら伝えた。
青いマントをひるがえし、ホールの階段を降りて城の外に行ってしまった。
シリは、暖かく柔らかいユウの身体をギュッと抱いた。
エマがそっと背後に寄り添ってくれる。
多くの兵とともに、グユウもこの城からいなくなった。
けれどシリの胸に広がるのは、誇りではなく――果てしない不安だった。
次回ーー
――戦場でまた、彼は血に染まってしまうのではないか。
秋風に揺れる果実を見つめながら、シリは爪先に染みついた黒を見下ろす。
その色は、不安と同じように決して消えなかった。
明日の17時20分 夫が不在の間に始めたこと




