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今日が最後の日だと思って過ごしたい


いよいよ明日は旅立ちの日になった。


「グユウ様はお忙しそうですね」

エマはシリに話しかけながら靴下を編みつづけた。


「ええ。そうなの。私もまともに話してないわ」

シリは机に座り羊皮紙に何かを書いている。


ワスト領は争いの準備で忙しい。


シリとエマも、争いにむけて支度に忙しく過ごしていた。


「お休みになられてます?」

エマは、ものすごい速さで靴下を編み上げていく。


シリは首を振った。


「ジムに聞いてみると書斎で仮眠をしているみたい。

領主は心身ともにタフじゃないと、やってけないわね・・・」


最近のグユウは、いつでも重臣と一緒に行動し、打ち合わせを行なっていた。


それに加えて、他の領主たちと頻繁に手紙を交わしている。


二人は城内ですれ違った時に、何かの想いを込めて視線を交わすだけの日々だった。


グユウは何も言わないけれど、一瞬、シリを見つめて優しげに瞳が揺れる。


忙しい日々だったけれど、シリはその一瞬があるから頑張れた。


「私も編み物を真面目に取り組めば良かった・・・」

エマは出兵する兵のために靴下を編んでいた。


「今からでも遅くありません。教えますよ。

手を胃袋のところで組み合わせる代わりに、編み棒を動かしていると元気になります」

エマは少し笑いながら話した。


「籠城計画書をジムに出したら覚えるわ」


シリが格闘していたのは籠城計画書だった。


籠城の準備・・・来るべき争いに備えて、数年分の食糧の準備をシリは計画していた。


妃とはいえ、グユウが不在の間に勝手に行動することはできない。


なので、重臣達の許可を得なくていけない。


保存食の提案、準備、それに伴う費用を全て羊皮紙に記入していた。


計画書をジムに重臣達の前で読んでもらい、

籠城の準備に許可を得るように段取りをしていた。


シリの計画にエマは舌を巻いた。


「編み物は他の人もできます。シリ様は妃の仕事を全力で取り組んでください」

エマは真面目な顔でシリに話した。


何とか仕上げ、ジムに籠城計画書を渡すことができた。



あっという間に夜になった。


シリとグユウは、久しぶりに一緒に夕飯を食べた。


そして、いつもより早めに2人は寝室へむかった。


話したいことが沢山あった。


月は銀色の空にのぼり、下ではロク湖がおぼろげな輝きをおびて光っていた。


シリは娘らしい様子でソファーに座った。


「シリ、籠城計画書が通った」

グユウが嬉しそうに報告をした。


「本当!!嬉しいわ!」

シリの顔は喜びで輝いた。


・・・予想外にすんなり許可を得ることができた。


「あぁ。重臣達はシリの能力を評価し認めている。シリ、頼んだぞ」


籠城の準備はシリに委ねられることになった。


「はい」

輝く瞳でグユウを見つめた。


2人の間に甘い何とも言えない空気が漂う。


グユウがそっとシリの肩に手をかけようとした瞬間、

弾かれたようにシリが立ち上がる。


「この前オーエンと一緒に出かけた時に見つけたんです」

嬉しそうにブラックベリーをグユウに見せた。


ろうそくの灯りの下で、ブラックベリーは黒く輝いていた。


「オーエンと・・・?」


グユウは目の前にあるブラックベリーよりも、

シリがオーエンと出かけたことを気にした。


何も気づかないシリはグユウの隣に再び座る。


「はい。前に話した義父上の館の橋の件です。

オーエンと二人で馬に乗って、良い方法を見つけたのです。ロープを使って・・・」

嬉しそうに話すシリの口をグユウは唇で塞いだ。


唐突なグユウの口づけにシリは目を見張る。


「ん、ん・・・う」

シリは苦しげに何かを訴えた。


「嫌か?」


一回唇を離したあとにグユウは質問する。


シリが何か言おうとしたその一瞬を逃さず、

グユウは再び唇を寄せ、今度は言葉ではなく、熱をそっと送り込むように触れた。


身を縮こませたままシリはグユウにしがみついた。


シリを優しくベッドに押し倒したグユウは、

指で、唇で、手でシリの身体を触れた。


最中に眼の淵を少し赤くしながら、グユウは繰り返し自分の想いをシリに伝えた。


シリは、グユウの美しい黒い瞳を見つめながら、うなずくので精一杯だった。


グユウの微笑みは心をギュッと掴まれるし、

不器用な掠れた声はシリの思考をドロドロに溶かしていく。


グユウが息をつめたように、何かを押し殺すように囁いた。

その声があまりに優しくて、涙がにじみそうになる。


優しく抱かれるのが幸せで。

シリはその幸せに一時溺れた。




彼の手が髪を撫でるたび、

あたたかさが心に落ちていく。


「グユウさん・・・今日は…どうしたのですか」


静かな夜のあと。

シリは彼の腕の中で、そっと声を漏らした。


グユウはしばし黙り込んだ。

家臣に嫉妬して、衝動で抱いた――そんな本音を言えるはずもない。


「想いを口にしてくれて・・・嬉しかったです」

シリは恥ずかしそうにグユウの顔を見つめる。


シリが求めていたのは、肌のぬくもりだけじゃない。

言葉――気持ちだった。


「想っている事を口にしなかったのは・・・」


グユウはシリの髪に顔をうずめながら続けた。


「平和だったから・・・だと思う。

いつか言える、明日もある、そう思っていた」


だが、その“明日”が当たり前ではないことを、

戦の前夜にしてようやく痛感する。


「きちんと、伝えておきたかった。シリに」


小さく、けれど確かに響く声だった。



「グユウさん・・・帰ってきたら・・・また聞きたい」

シリはグユウの瞳を見つめる。


「わかった」

グユウをもう一度シリを強く抱きしめた。


「約束ですよ・・・」


「・・・約束だ」


グユウが旅立つ日まであと8時間。


けれどその約束が、無事に果たされる保証はどこにもなかった。


次回ーー


多くの兵とともに、グユウもこの城からいなくなった。

けれどシリの胸に広がるのは、誇りではなく――果てしない不安だった。


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