結婚相手は無愛想 本当に寡黙
「大丈夫。行くわ」
心配そうに見つめるエマに、そして何より、自分自身に言い聞かせるように、シリは小さくつぶやいた。
その声はかすかに震えていたが、確かな決意がこもっていた。
ジムが静かに馬車の扉を開ける。
シリは深く息を吐き、そっと瞼を開いた。
戦に向かう前の兄、ゼンシの姿が脳裏に浮かぶ。
恐れを見せぬその背中。
顎を少し上げ、口元に笑みを浮かべ、堂々と歩む姿。
――兄の真似をすればいい。
ただ、それだけ。
差し伸べられたジムの手をとり、シリは馬車を降りた。
両脇に並んだ家臣や侍女たちが、一斉に頭を垂れる。
松明の灯りが揺れ、その炎に照らされる人影が、門前にまるで銅像のように立ちすくんでいた。
ーーあの人が・・・グユウ様?
確信に近い直感だった。
やがて結婚するその人に向かって、シリはゆっくりと歩き出す。
シリの到着を待ちわびていたワスト領の家臣たちは、期待と好奇心に胸を躍らせていた。
その中でも、家臣のカツイは誰よりも花嫁の姿を見たがっていた。
ーーグユウ様の結婚は、領内にとって大事件だ。
飛ぶ鳥を落とすミンスタ領、その領主ゼンシの妹――「ミンスタの魔女」と呼ばれた女が嫁いでくる。
どれほどの美女なのか・・・。
興味は抑えきれず、シリが近づいてきた瞬間、家臣たちは不敬を承知でそっと顔を上げてしまった。
夕暮れに溶けるような淡い暗がりの中、
白と紫のドレスに身を包んだシリの姿が、まるで幻のように浮かび上がる。
夕陽の名残が髪に差し、まるで焔のように赤く輝いている。
目は若い星のように煌めき、そこからは抑えきれぬ感情が滲んでいた。
家臣たちは思わず息を呑んだ。
カツイは口を半開きにして呆然と立ち尽くす。
ーー本当に、美しい。
噂以上だ。
いや、言葉では表せないほどだ。
その美しさは、この地に縁があるとは思えないほど、異質で、気高かった。
後ろを歩いていたジムの鋭い視線に気づき、慌てて頭を垂れる。
噂は、真実だった。
一歩ずつ、近づいていく。
門の前に立つ青年――彼が、グユウ。
高い背。
すらりとした体型。
黒の燕尾服に、白いボウタイ。
そして、無駄のない立ち姿。
ーー背が高い。
シリ自身も背が高い。
今まで、自分より背の高い男はゼンシだけだった。
けれどこの青年は、それをも越えていた。
顔一つ分は高い。
近づくごとに、その顔立ちがはっきりと見えてくる。
インクのように黒く硬い髪。
白い肌。
切れ長の瞳。
高く通った鼻。
薄い唇。
ーー想像以上に、整ってる。
だが、気になるのはその表情だった。
シリが近づいても、グユウは微動だにしない。
その顔に、喜びも驚きもない。ただ、無表情に見つめているだけ。
歓迎も、興味も、まるで感じられない。
ーー鉄仮面のよう・・・。
これほど無感情な顔で迎えられたのは、人生で初めてだった。
どれほど政略とはいえ、もう少し笑顔のひとつくらいあっても良いはずなのに。
やがて、シリがグユウの目の前に立つ。
沈黙が、間に落ちる。
どうすればいいのか分からず、シリの心がざわめいた。
ーー私から・・・声をかけるべき?
シリの瞳は揺れていたが、グユウの目は静かに凪いでいた。
感情の波を、まるで拒絶しているかのように。
「グユウ様」
見かねたジムが、低く鋭い声で名を呼ぶ。
その瞬間、グユウは夢から覚めたように、わずかに瞬きをした。
「・・・グユウ・センだ」
小さく、低い声。
そこに感情はなく、ただ言葉を口にしただけだった。
「遠路ご苦労だった。今夜は、ゆっくり休むといい」
冷ややかな目が、シリを一瞥する。
そして彼は、何も言わずに城へと背を向け、歩き去った。
扉が音もなく閉じられたような感覚。
そこに温もりも、歓迎も、なかった。
ジムが慌てて侍女を呼ぶ。
この夜は休息にあてられ、明日の婚儀に備えることとなる。
部屋に入るとすぐ、エマが目を輝かせて言った。
「グユウ様、とても・・・とてもハンサムでしたね!」
「ええ、確かに見た目は良いわ」
シリはあの無表情な顔を思い出しながら、苦く笑った。
「でも・・・冷たい人ね」
吐き捨てるように言って、ふかふかのベッドに身を沈めた。
そう吐き捨てたものの、その冷たい眼差しが、いつまでも心に焼き付いて離れなかった。
明日、あの無表情な男のもとに嫁ぐ――その現実が、背筋をひやりと凍らせた。
「エマ、今日は疲れたわ。一緒に寝ましょう」
明日は結婚式。
そして――初夜。
重くのしかかる現実に、シリはため息をついた。
そのまま、目を閉じた。
次回ーー
ワスト領へ政略の花嫁として嫁いだシリ。
結婚式で並び立つ二人は絵画のように美しかったが、無表情な夫グユウの心は読み取れない。
祝福の声が響く宴の中で、シリだけが孤独を抱えていた――そして、迫る初夜。




