4話 大空洞 前編
目を開ければ、そこには見上げるほどに広い岩肌の天井があった。大空洞と呼ぶだけあって、洞窟というには広すぎる。
光源もないのに視界が透る。空気は淀んでいるどころか澄んでいて、神聖な雰囲気すら感じていた。
「俺らだけなんだな」
「試練と練習ダンジョンは空間が完全に別けられてる。あとこのタイプなのは、迷宮くらいだったかな」
何かを発見したのか、アドネは一方を指さし。
「ねぇおじさん、あれが神像?」
くり抜かれた岩肌の中に設置されている、高さ一mほどの白い像。
「正式には時空神像だな。あの付近は安全が保障されていて、もし戦闘不能になった場合はそこに転移する」
言い終えると後方を見て。
「今日は加護を得たいから、できれば撤退もしたくないが、もしもの場合はここから脱出だ」
時空の紋章。
「ダンジョンによっては紋章が複数あってな、その場合は脱出経路の確保が最優先になる。しょっぱなからボス倒すなんてまず無理だ」
一から三年ほどで更新されるため、攻略が進んでいれば、事前に地図などを用意される。更新時に中の者は強制的に出されるが、一応数ヶ月前に告知があり、挑戦禁止の命令がくだされる。
更新されてすぐは魔界の介入率が0%になる。以上のことから考えると、試練・練習というダンジョンはこの時期、天上界では大忙しなのではと無粋に思う。
ラウロは装備の鎖に神力を沈め、兜と片手剣を出現させた。右足にはナイフホルダーがベルトで括り付けられ、左前腕には超小型の丸盾。左手のグローブは消えていた。
「まずは俺がどう補助するか、ちゃんと教えた方が良いか」
その発言を受けて二人は何度かうなずく。
「おっさん言っちゃ悪いけど、剣の扱い本職って言うほどじゃないもんな。素人目だけど」
「悪かったな。まあ実際、俺が本腰入れて稽古始めたの、ここ三年くらいだ」
技術不足もあるが、剣の神技がないのも、そう評価される原因だろう。一応だが、教えてくれる相手もいたりする。
「自分の攻撃力を上げたり、敵の防御力を下げる神技があんのは教えたよな」
「どんなに固い敵でも、攻撃が通ったりするんだよね?」
意外とラウロの指導は実技よりも、雑学や座学が多かったりする。
「でもそれは鎧なんかの装甲を柔らかくする。ってのとは違う」
二人はすでに教わっていた。
「攻撃を内側に浸透させるんだろ」
防御を下げ、攻撃を上げる。剣で斬れるなら切れ味の向上。そうでなければ、攻撃の衝撃を装甲に浸透させ、内部に痛みや振動を響かせやすくする。
ちゃんと学んでいるようだと、満足気に神力混血を実行。
「以上のことを踏まえて、これが俺の神技〖聖域〗だ」
ラウロを中心として、広い範囲の地面がうっすらと光る。
「光の内側に居れば、お前らの防御力が上がり、敵は防御力が下がる」
自分が味方と認識している対象はバフを得て、その逆はデバフを付けられる。
「あとはそうだな……魔系統にはより反映される」
これまで自分の加護について、二人にはあまり語ってこなかった。
「ダンジョンは神さまが造ったものだから、ここの敵は違うってことだよね」
教えて来た甲斐がある。
「おっさん光神の加護だもんな、この聖域ってのにも回復の力があんのか?」
「一定回復は光ほど特化してない。秒間が主体で、一定は光の初期単体だけだ、患部に触れるやつだな」
ナイフをホルダーから出して、怖がるそぶりもなく自分の頬を切り裂く。
「俺の聖域はかなり熟練も上がってるから、秒間回復でもけっこう早い」
血はすぐに乾いて止まり、傷口も治りかけている。
二人に引かれていると気づきもせず、ラウロは神像に向けて歩き出した。聖域はその場に残ったまま。
・・・
・・・
時空神像の前に立つ。すでに数分経過していたが、まだ聖域は残っていた。
ラウロは神像に祈りを捧げる。感謝とか願いならわかるけど、祈りというのが昔は中々理解できなかった。
膝を地面につけ、両手を重ねた。
「これのひび割れ具合で、魔界からの介入度合を測る」
ラウロに習って祈りを始めていた二人は、急にそんなことを言い出す相手にキョトンとしながら。
「この時空像さまは、大丈夫そうだね」
「像が壊れるほど、死ぬ可能性が上がるんだっけ。ここはいくら死んでも大丈夫なんだろ」
自分で言ったことに対し、ルチオは苦笑いを浮かべ。
「まあ試しに死ぬ奴なんていないけど」
物事に絶対はないので、ひび割れ一つない今の状態でも、死なないとは言いきれない。
ラウロは頬に残った血を搔き剥がしながら。
「慣れてくるとたまにいるんだが、回復神技あるからって無理しないようにな」
一つ例をあげる。
「麻酔ってあるだろ、痛みを一時的になくしたりする奴だ。植物の猛毒を薄めるかなんかして作ったらしい」
それのお陰で助かる人が増えた。今は回復神技のお陰で出番も減っているが、病気の種類によっては対象外のことも多い。
「腹を裂いて治療することができるようになったわけだ。人は痛みだけで死ぬからな、麻酔なしでそんなことできない」
なにが言いたいのか今の所わからないが、いつもの雑学にはちゃんと答えと納得が用意されていた。
「俺の神技には精神を安定させたり、痛みを和らげる効果を持つのもある。平気ではないけど、なんとかなる」
治癒ができたとしても、傷を負ったという事実は身体と心に残る。治っているのに錯覚して、戦いが終わり集中が途切れると、ありもしない激痛に苦しむ。
前衛はそのうち痛みに慣れ、耐性ができる者も多い。特に引き付け役。
「多分な、気づかない内に蓄積して行くもんなんだ」
稀に頭のネジが外れてしまったのか、大きな傷を負ったはずなのに、治癒と共に全てを忘れてしまう者が確認されていた。
「ストレスは残るんだよ」
できていたことができなくなる。文字を読んでも内容が頭に入らない。朝起きて、急にベッドから動けなくなる。
「回復に頼りすぎるなってことでいいのか?」
「ああ」
アドネは一瞬なにかを口走りそうになって、言っちゃ駄目だと別の返答を用意する。
「そっか。わかった」
二人の理解を得ると。
「ここは罠なんてもんはないし、奇襲をしかけてくる敵もいないが、引き締めていくぞ」
深呼吸をして、ルチオは歩きだす。ラウロだけに警戒を任せず、自分の目で行く先を探る。
アドネはふと気になって聖域を確認する。まだ地面はうっすらと光っていた。
・・・
・・・
警戒をしながら進んでいたが、その時間を利用して自分の神技をいくつか教える。
知らないままでは活用もできない。
そしてついに人生初の瞬間が訪れた。遠目でそれを確認して、他に隠れている個体が居ないかも探る。
「こっち来た」
すでにショートソードは抜いている。
相手は二体。二足歩行のネズミ型生物。六十cmほどの体格に、同じ大きさの石槌を担いでいる。服装は片肩がけの汚い布。
ラウロはこの生物をダンジョンでしか確認していないので、恐らく天上界の完全オリジナル。
「生物を殺すってのは慣れが必要だ。そこら辺は村出身の方が有利だったりするよな」
猪や鹿。弓で射ったり、罠で拘束して頭部を棒でなくったあと、心臓を槍で一突き。
神技名を唱えることもせず、〖聖域〗を発生させて二人の後ろにさがる。
「動きは鈍らせとく」
聖神の加護 神技〖聖者の威圧〗 本来は敵の意識を自分に向けさせる技だが、こちらが圧倒しているため、大きく怯ませることができる。
一体のネズミは石鎚を落として、お尻から地面に転がる。少し可愛い。
残るもう一体はなんとか恐怖に抗っていた。
「俺が先にでる」
ルチオはいったんラウロより後ろにさがり、そこから遠回りでネズミに向かう。狙うのは怯みが弱い方。
動き出したことに気づいてはいるのだろう。両者を交互に見ながらも、それでも威圧から意識を外せない様子。
近づいていたルチオの方を見て、向きを変えてから石鎚を大きく背後に持っていく。
訓練は嘘をつかない。走りながら半身を捻じり、歩幅のタイミングを合わせると、右脇に構えていた剣から突きを繰り出す。
「おりゃっ!」
切先が胸に沈む。ネズミは背後に構えた石鎚を仰け反ったまま地面に落し、倒れることもなく灰になって崩れた。
もう一体は尻もちをついた状態で、ルチオの戦いを眺めていた。
こっそり近づいていたアドネは歯を喰いしばりながらも、ネズミの喉元に剣先を突き入れる。
別に二人の戦いを総評することはしない。やれることをやったのだ。よく頑張ったと思う。
「おっさん、今のは前に居てくれた方がやりやすかった」
「悪い。手を出しちゃいけないと思って」
逆に指摘されるまである。
「なんかあるよ」
尻もち側の生物が灰になった。その中に素材を落としたらしい。
「おお、初の戦利品だ!」
「これは民の鉄鉱石だな」
量からしてなにも作れない。
「まあ、当然だよな。試練ダンジョンだし」
初めて生物を殺し口調が震えているが、それでも嬉しそうなルチオ。
民鋼 一般的な鉄鉱石がら作られる鋼。灰の濁銀色。
兵鋼 同じ強度で軽い鋼だと、ダンジョン黎明期に騒がれた。その所為か今でも軽鋼と呼ばれることが多い。黒灰の濁銀色。
将鋼 重さは鋼と一緒だが、質が段違いに異なる。大剣や鈍器など重さを武器とするのなら、これが到達点でも良い。神力を沈ませることで、神技が一定値強化される。浅黒い鈍銀色。
王鋼 質は将軍と同等だが軽い。武器であれば細剣などだが、基本は防具にすることが多い。神力を沈ませることで、神技が一定値強化される。黒の鈍銀色。
神鋼 神力を沈ませる量に応じて、神技が強化される。重さは力を沈めた時の意思に寄り添う。白銀色。
空間の腕輪 装備の鎖 ダンジョン装備 これらを一括りにして、断魔装具と呼ばれている。
地上界とは切り離された装備。地上界では手に入らない装備。
理から少し外れてしまったが、それでも地上界を守るための装備。もし問題が解決すれば、力を失ってしまうとも考えられている。
「俺もいつか神鋼の剣とか持ちたいな」
自分の発言に少し頬を赤くして。
「しょせんはガキの憧れだけど」
「夢も持たなきゃ叶わないからな。ただ俺のお勧めでよ、友鋼ってのがある」
いぶかし気な顔をして。
「トモ鋼?」
「そんなの聞いたことねぇけど」
お伽話のようなもので、実際には出回ってない。色は普通の鋼と変わらない鈍い銀色。
「使い手の技量に合わせて変わるんだとよ」
面白そうだとルチオは目を輝かす。
「俺がガキのころ、良く寝かしつけてくれた姉ちゃんに聞かせてもらった話だ。お前ら……エルダと同じくらいの子だったかな」
寝る時のお話だったか。
辺りを見渡して警戒する。
「とりあえず戦利品はこれに入れるか」
空間の腕輪を足もとに置いて神力を沈み込ませれば、入れた量だけの大きさで地面が円状に歪む。
「こんなかに放り投げろ」
アドネは投げることもせず、両手に持った鉄鉱石を床に置けば、そのまま沈んでいく。歪んだ場所に立っていても、ラウロがうっかり収納されることはない。
十秒ほどが経過して元の土にもどった。
神力を込める時に収納を意識すればこうなり、何を放出するかを意識すれば単品。何が入っていたかも覚えていないときは、全部放出すればいい。
じゃあ行くかと移動を再開させた。
「なあ、今の話しもっと聞かせてくれよ」
興味があるのか、アドネもうなずいて目を輝かせる。
・・・
・・・
昔々のうんと昔。
剣の眷属神には鍛冶神という剣技の師匠がいた。今度、創造主の命令で遠くに行くことになったから、その餞別で昔から使ってきた鋼の剣を打ち直してもらう。
そのはずなのに剣は鈍になっていた。布切れ一つ斬れやしない。
鍛冶神の元弟子。創造主の眷属は困っている彼を見て、君の剣にこっそり意思を持たせてみたんだよと教えた。
失敗しちゃったのかな。いつも真面目に修行してるから、それに応えて頑張る鋼にしたんだと。勝手なことをして、ごめんなさい。
困った奴だなと呆れながらも、善意だから仕方ないと納得した。
今から大事な命令が待っている。自分を含めた三柱で、この地より旅立たなくてはいけない。
最初の最初に産まれた、創造主よりずっと昔の誰かが決めた理だと、旅立ちに持って行けるのは白い衣とあと一つ。
彼は人間のころからとても強かった。やがて導かれ天使の時代を終える。神になってからは友人である時空の眷属神と協力しながら、神技の特訓と開発をしていた。
とりあえず、昔やっていた毎日の素振りを再開させる。
・・・
・・・
二人がせがむので、お前らが警戒しろよと念を押し、三十数年前の記憶をたどった。
「ずっと昔の誰かって、創造主さまが天上界を創造したんじゃないの?」
「だいたい創造主の眷属なんて、俺聞いたことねえよ」
首を傾げる二人。自分も同じ質問をしてた気がする。
―― 私と君との内緒の話し。誰にも言ってはいけないよ ――
相手によっては激怒されかねない内容だと、今ごろになって思いだすラウロ。
「だよな。まあ適当な姉ちゃんだった気がするから、あんま深く考えんな。教会に怒られるかも知れないし、迂闊に言うなよ」
しばしの沈黙。ラウロは相手の姿を思いだす。
「姉ちゃん……兄ちゃんだっけか。いや、姉ちゃんだな」
お嫁さんになってと無理言った記憶がある。
妙に納得した様子のアドネ。
「神技だけじゃなくて、ちゃんと剣の技も磨けってことかな。師匠が剣神じゃなくて鍛冶神ってのも、多分そこら辺を現してる。内容は他言危険かもだけど、教訓としては昔話の体は成してるね」
誰だお前。
この少年。いや、青年は本当に確りしている。
ルチオはショートソードを鞘からぎこちなく抜き。
「おっさんあれ敵だよな。もうこっちに気づいてるみたいだ」
「悪い、警戒怠ってた。ありゃゴブリンモドキだな」
緑の身体。年齢にしては小柄なアドネより、頭一つ小さい。布の腰巻の上部、腹がぷくっと出ている。
「それにしてもムカつくな、んだよあれ。俺らを馬鹿にしてんのか?」
「ありゃ挑発だ」
真ん中の個体はこっちに短剣の先を向けながら、ニタニタと肩を揺らして笑っている。
両側の二体はなんども飛び跳ねて、棍棒をブンブンと振り回す。
「気が弱い奴は、あれでもけっこう怖気づいたりする」
「なんか分かるよ、怖いもん」
アドネは大人しいが、気が弱いわけではないようだ。
「ぶっ殺す」
ルチオはそう言いながらも、先走る様子はない。
「じゃあ今度は俺が前に行くな。真ん中は任せろ、左右はお前らだ」
ラウロは挑発にムカついたのか、片手剣を鞘から払うと走り出す。
「はいよ」
「わかった」
突然動きだしても二人が動揺することはなく、焦らずゆっくり後ろから追っていく。
どこか本物と比べればシンプルに修正されている小鬼。こっち来たぞと指さして、小馬鹿にする様子を強めたが、一定の距離に近づくと真顔になる。三体とも武具を構えた。
この魔物は嫌いだった。
〖威圧〗
オッサンは走るのをやめて立ち止まった。
三体が一歩足を下げるが、戦意は挫けていない。
真ん中のゴブリンに敵意を強く込めれば、金縛りのように動きが止まる。左右の二体はそのまま後ろに下がる。
ゆっくりと迫るラウロ。
ゴブリンは意を決したのか、こなクソと錆びた短剣で突いてきたので、左手で掴んでから剣ごと自分に引き寄せる。
緑の肌。その首には片手剣の刃が当たっていた。優しく引けば血が噴きだす。
二人は互いの位置を確認し合っていた。息を揃えて左右から斬りかかる。
緊張はしていたようで、ゴブリンが灰になったのを確認すると、アドネは額の汗を手で拭う。ショートソードについた青い血は、すでに消えていた。
ルチオはその手を眺め。
「おっさん、それ駄目なんだよな」
「悪い見本として覚えてくれ」
かなり小さい盾を左腕には装備しているが、錆びた短剣をそのまま手で掴んだため、今もポタポタと地面に滴る。
「本物のゴブリンは刃に毒を塗ってることが多い」
〖活力の光〗 触れることで状態異常を治癒。
〖治癒の光〗 触れることで癒す。
「癖なんだよね。たぶん」
「ああ。もう染み込んじまってるな」
教育係の面目はつかないが、悪い見本としては悪くないだろう。鉄鉱石と角材を手に入れたので、腕輪の空間に入れておく。
本来の得物は素手だが、もう回復前提の基盤が整っている。これまで積み重ねてきた経験もあるので、下手な加え方はしたくない。
剣でも槍でも体術や短剣術など、肉薄時の鍛錬はしていくもの。三年前にそう教わり、剣に本腰を入れると決断した。
苦痛に耐え忍ぶでは積もっていくだけ。まず何か少しでも楽になる工夫はできねえのかと、町の貧困街で当時のラウロは諭された。
片手片足のない、変な浮浪者に。
少し時間をずらしてみました。




