3話 旅支度
貧困街には幾つか井戸が設置されている。飲む場合は〖水浄化〗や煮沸をさせなくてはいけないが、別段そこまで汚れた水ではない。
最初は拭くだけで済ませようと思ったが、こびり付いた物は中々落ちず。頭から水を被り布でこすっていく。
汚水は地面にしみ込むか、溝を通って排水路に流れていく。技術をもった職人というのは本当に凄い。
「こんなもんか」
山々が冷たい風をさえぎってくれるから、この地方はそこまで冷えないと言っても。
「老いは免れんか」
この程度、若いころはなんともなかった。
着るかどうか悩んだが、せっかく身体を清めたのだ。流石にこれまでの服は嫌だと感じたのだろう。
ラウロから受け取った黒い法衣に袖を通す。左足には藁を編んで作った旅草履。
「備え……か」
かつて自分がまとっていた白い物に比べれば劣るが、とても良い材質だ。
「物造りには、何時の時代も頭が上がらねえな」
創造主だけではない。天界に導かれてからの師も、鍛冶の神だった。
それは今も変わらず。
・・・
・・・
腰に友鋼の剣を差し、右手には包み袋を持つ。
老人は排水路の橋を越え、なじみのいる作業所へ。
「今日も早いな」
「爺じゃねえか、ってなんだよその格好は」
建築神の加護を持つ者。
「出かけることになってな。お前さんには世話になった」
最初の出会いは余った木材を分けて欲しいと願った時。
施しは受けないとか言っているが、実際には多くの者から助けられて今がある。
「そうか。義足の調子は大丈夫なのか?」
「お前さんのお陰もあってな」
見た目はただの棒義足だが、この者によって力が込められている。もっとも専門は建築なのであれだが、ないよりはずっと良い。
「この彫刻刀もありがとうよ」
腰紐に括り付けていた、数本のそれを返す。
「そうか」
彼の協力がなければ、そもそも像の制作など無理だった。
「あと出来はいまいちだが、これまでの礼だ」
建築神の木像を渡す。
「良いじゃねえか。ありがたく祀らせてもらうよ」
始めて作った対象なので、上手くできたとは思えない。
「ちょっと待ってろ」
親方は神像を作業台に置くと、離れていく。
〖旅立ちの門〗 属性神と建築神が必要で、簡単には部外者が入れない空間をつくれる。
いつかのあれは両方が眷属神だったし、急造なこともあり、本物のそれと比べれば力は劣っていた。
「ほら爺、これは餞別だ」
小さな木材とナイフ。
「旅用の像を作れというんか?」
「ああ」
手のひらサイズ。片腕での細かな作業は難しいが。
「そうだな。ありがたくいただくか」
旅立ちとは名ばかりで、ずっと同じ場所にいるつもりだから、いい時間つぶしになるだろう。
ナイフと木材をボロボロの布に包む。
「ちょっと上がってけよ。茶くらいだすぜ」
「いや。このあと教会に用があってな」
ラウロの時と違い、餞別もすんなり受け取るあたり、関係も深く長いのだろう。
「なかなか楽しかったぜ。像や義足づくりなんて、そうそう経験できなかった。感謝してる、いい勉強になった」
「達者でな」
去り行く背中。彼は察していたのか、作業も再開させずじっと眺めていた。
・・・
・・・
まだ夜が明ける前。
貧教会の門を叩く。
「誰だいこんな時間に。大した用じゃなけりゃぶっ殺すよ」
素敵なシスターさんが、着火したての紙煙草を咥えながらでてきた。室内では吸わないのではなかったのか、それも教会内とか。
「すまんな」
「珍しい客だね。小奇麗にしてどうした、夜這いでもしにきやがったか」
ギャハハと笑う。シスターとはいったい。
「そりゃラウロのかい?」
黒い法衣。
「ああ。ちっと邪魔をさせてくれ」
「好きにしな」
教会の内部には創造主と光神の白像があり、そこまで大きくはない。あえてそれらは目に入れないようにしているので、普段は好んで来ない。
中央教会に設置されているのは、試練の間と同サイズの立派なもので、これら以外の各属性神の像もある。
応接室に案内すると言われたが、直ぐに済むと断る。
爺は包み袋を床に置き、手と歯を使って結び目をほどく。
「えらい器用じゃないか。んで、それかい」
先ほどもらったナイフと小木材を残し、これまで作ってきた神像を並べていく。
「寄付したい」
「なんのつもりか聞かせな」
並べた中から、時空神像だけを布上にもどす。
「ラウロが故郷に帰してくれるそうでな。ちっと気が早いが」
「そういやそんなこと言ってたか」
老人を町から出すうえで、彼はこのシスターに協力してもらえないか頼んでいたようだ。この人そんな偉い役職とかもっているのだろうか。
「あたしゃ断られたって聞いたがね」
「ことわっちゃいねえさ。帰ってきたら改めて頼もうと思ってた」
そうかいと言葉を残し、探るように老人をみる。
「儂も長くはねえからよ。ちっとでも近い場所で死にてえ」
ため息をつき。
「わかった」
もう用はない。だが爺は先ほど貰ったナイフを見て。
「頭を丸めてえ。申し訳ねえが、頼めんか」
このシスターの性格からして、面倒くさがると思ったが。
「ラウロのもあたしがやってんだ。外にでて待ってな、準備してきてやる」
ちゃんとした道具を使うから、ナイフは要らないとのこと。
小さく咳き込みながら。
「すまんな」
時空神の像と木材を布に包む。
封印から出る時に失ったのは、左の手首から先と、右の膝から先。
ナイフの革鞘に紐を括り付け、それを右足に巻く。
・・・
・・・
もうすぐ夜が明ける。
小さな箒のような物で付着した髪をはらい、首にかけた大きな布を外し。
「なかなか似合うじゃないか」
「昔はずっとこれだったからよ。軽くなった」
鋏で眉毛も切ってもらったから、視界も開けていた。
「生まれ変わった気分だ」
「そうかい」
あんな汚い恰好では失礼だから、良かったと心から思う。
老人は椅子から立ち、包み袋を持つ。
「邪魔したな」
シスターは煙草を咥え、マッチに火を灯し。
「どこに行くのか知らんがよ、ラウロに挨拶はしなくて良いのかい?」
「楽しかったと伝えてくれ」
老人は貧教会を後にした。
・・・
・・・
〖剣神の加護〗
これは言葉によって固定されているためか、加護者に神力を送るときも剣の力が主となって流れ出る。
場所は貧困街の広場。いつも彼と修行をしていた場所だった。
昇ってきた太陽をしばらく見つめる。
貧困街の朝は早く、道には誰かが歩いていた。
「ちっとずらした方がいいな」
自分の周りに結界をはり、外界からの認識をずらす。〖認知結界〗は後衛を守るのに使える神技だ。
〖剣神〗という呼び名のため、時空の技を使うのは本職に比べてかなり難しい。彼はすでにその身分を失っているが、まだこういったものは残っていた。
「〖空間転移〗」
地上界であれば〖転移〗だけでいいが、空間を越えるとなればこっちが必要になる。
〖転移〗も〖空間転移〗も、本来であれば連発はできない。建築神の加護を持つ者が転移補助の〖神殿〗を造り、時空神の加護を持つ者が時空紋を操作するからこそ、探検者たちは続けてダンジョンへの入場ができていた。
前方の空間が歪む。
継承すれば、もう人としての最後は望めないだろう。
友鋼の剣に触れる。
「付き合わせてすまんな」
返事などはない。そもそも喋れない。
鞘から友を抜き、太陽にかざす。
「これが最後かも知れん」
爺からすればこの光とは最後の別れ。
大地も海も空も風も。全ては各属性神が創造主と合作した神の技。
直視できない〖太陽〗を身体に浴び、黒い法衣を暖かくさせる。
「思い残すことはない」
空間の歪みの先。
爺はうす暗い闇の中に消えていく。




