18話 灯滅せんとして光を増す
通常は魔界の侵攻が始まると、ダンジョンにも瘴気が多く漏れ出し、危険な状態になるとされている。
ただ墓地といった例外もあった。
そもそもの造りが異なっているという点もあるが、なにより骸の騎士という存在が大きい。
〖聖〗のように属性としての有利不利があるのではなく、〖燃え尽きる魂〗は単純に火力で【瘴気】を焼き払う。
もし彼が死んでも、【魔】はその魂を縛れない。
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普段は時空騎士団の遺品が置かれている小高い丘の上には、一時的に祭壇が設置されていた。
これは〖転移〗を援護するための設備。
今もユダの【遮断結界】を抉じ〖開ける〗ため、時空の主神が額に汗を流す。
何名かの眷属神もその支援をしているが、状況はあまり良くないようだった。
マグやグレースもこの場におり、〖化身の像〗から意識を飛ばす。
〖聖神の化身〗は同じ〖像〗に宿っていたラウロの〖化身〗を、いつの間にか弟だと認識しているようで、別々になってから会わせろと煩いらしい。
そしてラウロの〖化身像〗に抱きついて離れない。
こういった面からしても、多くの〖感情〗が込められた〖紋章〗は、輪廻と繋がってないだけで一つの魂だと感じてしまう。
目の前にいるこの男よりも、ずっと生きとし生ける者だと。
「本当はその剣もなんとかしたいんだけど」
欲望神と交わした約束。
あの時。強引だったかも知れないが彼は確かにうなずいた。
本当は内容なんて聞いておらず、適当に合わせて了承しただけな気もするが、それでも約束は約束だ。
カチェリは骸の騎士に最上級の軽鎧を用意し、かなり無理やりに装備をさせていた。
ただ〖英雄の鞘〗は長年愛用していた剣にしか反応しない。
友鋼の剣や聖人の戦棍も地上の鋼だが、これらは間違いなく一流の品だろう。しかし彼の両手剣は違う。
粗悪品ではないが、決して業物の類ではない。
もともと〖英雄の鞘〗に収まっていた剣とは比べるまでもなく、何処にでもあるただの両手剣だ。
「……」
〖再生の蒼炎〗は〖怨嗟〗に焼かれた期間に比例し、継続時間は一日から数週間とかなり長い。
でも現状はそれが仇となっており、まだ骸の騎士は皮膚がなく、筋肉やら脂肪がむき出しの状態だった。喋る機能も戻ってはいない。
骸の騎士は指先を遺品の入れられた木箱へと向ける。
それは事前に聞かされていた願い。
海が見渡せる崖の上には慰霊碑がつくられ、今は観光名所となっていた。
だが実際に彼の遺体が発見されたのは別の場所であり、そこにこれらを埋めて欲しい。
「わかってる」
カチェリはちゃんと知っている。
魔神との戦いに備え、普段から修練を続けている。
わざと負けるといった自殺行為は禁じられており、骸の騎士もその理を破ったりはしない。
彼が全力で戦うことを。
その時だった。〖化身像〗に触れたまま意識を飛ばしていたマグが、両目を開くと祭壇に意識を向け。
『やられたっ! もうラウロしか残ってない、まだ転移できないの!』
『……すまない』
天上界に住む種族は休息を取らずとも死ぬことはないが、それでも疲労は蓄積する。
食べなくても死なないが空腹は感じる。
寝なくても死なないが、記憶の整理はできず。
このような状態では、本来の実力も出せないはずだ。
それは時空の主神だけでなく、骸の騎士にも当てはまるのではないだろうか。
カチェリは拳を握りしめ。
「もしかしたら〖孤独の闇〗を使うかも知れない。そしたら封印空間が発生するはずだから、それを足掛かりに!」
『そうかっ』
時空神は〖杖〗を構え、自分の神技に意識を集中させる。
欲望神は天上界の中でも頭脳労働をしている人材だった。そのため本当はこのまま何もせず、ユダに全てを任せるべきという選択肢も脳裏にはあった。
「私たちはラウロっちに示さなきゃいけない」
この世界が。この世界を管理する者たちが、信ずるに値する連中だと思ってくれるように。
時空の主神が〖空間〗を抉じ開ける。
『頼む』
全ての元凶は彼の加護者と、その力を利用しようとした国家にあったとしても、この災いを招いたのは誰か。
先代が彼に与えた罰は、自分の代わりに時空の主神を務めろというものだった。
『あの方を、終わらせてやってくれ』
騎士の前方に〖空間の歪み〗が出現した。
時空神とカチェリを交互に眺めてから、最後に正面の闇に向けて歩きだす。
「今世でも前世でも、私はきっと王様だったよ。たぶん間接的には、君よりも多くの命を奪ってきたはずだ」
骸の騎士は〖歪み〗の目前で立ち止まった。
「君の存在は天上界にとって、あまりにも都合が良すぎる」
天使でありながら、条件が整えば主神級の実力を発揮可能。
「今まとっているのは〖再生の蒼炎〗だ。あんな名前、わたしゃ認められないし、あっちゃいけない」
こちらを振り向くこともなく、骸の騎士は歩みを再開させた
「その罰は真っ当なものなのか」
空間の闇を〖炎〗が照らす。
「私にはっ 妥当だとは思えないよ!」
歪みが消えた。
・・
・・
【正法・像法・末法の終】 これらの効果範囲は発動までの準備期間で変化する。
世界全てに広げるのなら数カ月は必要だけど、もしそれが達成されたなら、間違いなく地上界に終焉を齎してしまう。
なにを考えてこの魔技を開発したのか。【瘴気】とはこんなものまで造れてしまうのか。
一人だけを残し、邪魔なモンテたちを排除するためであれば、それはあまりにもオーバーキルだ。
ラウロの〖聖拳士〗はマグからもらった神力で召喚されたものであり、ボスコに比べれば彼が消費はかなり少ない。
神力の消費減少。補充をしたのは〖聖者の行進〗を始める前の一度切りであり、〖刻印〗にはまだけっこうな神力が残っていた。
ユダより無理やり補充された古き時空と、マグの聖に押し出される形となって、〖刻印〗は自分の神力で満たされていく。
もともと【未来視】には、骸の騎士が不意打ちしてくる場面も見えていたのだろう。
ラウロの眼前にはもの凄い光景が広がっていた。
「これが……主神級の戦いか」
戦神の本領は〖後期傭兵団〗の召喚であり、モンテは軍という意味での主神級なのだろう。
個と個のぶつかり合いは視界に捉えるだけでも辛い。
一帯を覆い尽くす〖炎〗はラウロを避けて広がっているが、その熱だけでも〖回復〗が追いつかず、未だ〖孤独の闇〗による傷も癒えていない。
時空神。または時空の魔神という名称の枷がなければ、ユダの剣技は余裕で主神級だろう。
叩きつけられた【一撃】を〖両手剣〗で受け止めるも、その身体が【幻影】でぶれ、幾多の角度から【打撃】が軽鎧を砕こうとしてくる。
【お前は……何者だ】
【幻影】を無視したままユダを〖両手剣〗で押しのけ、続けて【障壁】ごと【外套】を斬り裂くも、【闇十字】でその威力は弱体化されてしまう。
【なぜ、その剣技を】
研ぎ澄まされた〖殺気〗が飛び散り、【幻影】の動きをも鈍らせる。
燃え上がる〖怨嗟〗が【幻】ごとユダの本体を焼き払った。
焦げた皮膚を【雪】が巻き戻そうとしているが、あまりの熱量に【治癒】の性能が低下していた。
それだけではない。
【なぜ、その神技を】
〖出血斬り〗が発動する。
〖蒼炎〗だけがその場に残り、剣士の姿が消えた。次の瞬間にはユダの側面へと回り込み、一歩を踏み出しながら斬りかかる。
上空へと跳んで【障壁】に着地すれば、片手を地面に向けて【束縛の闇】を発生させた。
動けずにいるラウロを敵と認識し、そちらへ向けて〖特攻〗で宙を駆け、歩行阻害から逃れることに成功。
骸の剣士は急停止したが、【空間の歪み】より【幻影】が【一点突破】で【打撃】を仕掛ける。
その【一撃】を受け止めるも、別の方角より本体が接近。
【幻】を〖両手剣〗で焼き消し、そのままの勢いでユダの【剣】を叩き返したが、またも身体がぶれて別の角度より新たな幻影が【打撃】を叩きつける。
〖怨嗟の炎〗が一点に集まれば、物理判定を得た〖鞘〗が出現し、【幻】の打撃を受け止めた。
【瘴気すら喰らう熱。だが、己をも蝕むか】
ラウロでも何となく理解できる。本当に危険なのは〖怨嗟〗ではなく、身にまとう〖蒼炎〗だと。
〖鞘〗が実体を無くし、〖短剣〗へとまとわり付く。
ユダは身をよじって〖貫通〗を避けるが、突き伸ばした腕をそのまま横に切りつけ、刃が【外套】を掠める。
ただそれだけで魔神の全身が音を立てて燃え上がった。
苦悶を浮かべながらも、ユダは倒れることなく、降る【雪】が〖炎〗に溶ける。
骸の剣士は片手で握った〖両手剣〗で追い打ちを仕掛けるが、全ての斬撃を【片手剣】で受け流されていた。
【身体能力の強化と、もとの肉体にズレがある】
ユダの動作が研ぎ澄まされ、徐々に差が生まれていく。
【神技名との相性が悪いのか?】
「……」
手首を返した先の一手を、〖装甲砕き〗として放つ。
ほんの一瞬の溜めは、隙とも呼べない一時の間。
ユダの肉体が【加速】し、片足を前に出しながら、身を屈めて〖剣〗を避ける。
〖鞘〗だけが反応して出現するも、斬撃は【残刃・血刃】となって鎧を通り抜け、皮膚のない肉体を斬り裂いた。
受け止められた【片手剣】を〖鞘〗ごと振り抜き、続けざまに剣士の脇腹を蹴って吹き飛ばす。
〖特攻〗〖装甲砕き〗〖貫通突〗〖出血斬〗
これら覚醒技を爺と共に改良したのはユダだった。
【出血斬りの効果時間は終わった】
【雪】が降り、魔神の肉体が【瘴気】と共に巻き戻されていく。
熱と火傷の苦痛がもう一度、ユダの精神に襲い掛かるが、その表情に変化はない。
骸の剣士は〖再生〗により秒間回復を得ているが、【血刃】による傷は癒えず。
吹き飛ばされた先に〖鞘〗が出現し、身体を受け止めて転倒を防ぐ。
「……」
骸の剣士は短剣を鞘に戻す。
〖両手剣〗を上段に構えると、すぐさま〔殺気〕を放ったのち、一気に魔神へと斬りかかる。
向けられた〔殺気〕を、研いだ〔殺気〕で相殺すれば、ユダは笑みを浮かべ。
『〔魂身〕か』
剣気を身体に帯びての斬りかかり。
『……ならば』
剣への気持ちを心に宿す。
〖英雄の鞘〗が剣にまとわり付こうとするが、骸の騎士はそれを拒む。
ユダの〔魂心〕が両手剣を両断した。
『敗北を願う者に、私は斬れん』
口角がわずかに緩む。
「……どうかな」
骸の騎士は崩れ落ちた。
寸前で〖鞘〗が割り込み、即死級の斬撃が致命傷へと軽減されていた。
〖聖神召喚〗は無効化され、〖無常の拳』も〖孤独の闇〗も通用せず。
ラウロに残された最後の一手。
それは骸の剣士がつくりだした確かな隙。
鋼の剣がスッと空気を通る。
障壁は間に合わず。〖剣〗は【闇十字】を通り抜け、相手の片腕を切断し、その先にある胴体を斬った。
ユダは咄嗟に向きを返して【片手剣】を一閃。ラウロは指先で剣の側面を撫でて軌道を上に反らしたが、【幻影】が別の角度より刃を叩きつけてきた。
手首を返すことなく通された剣筋。
その一振りは全てを切り開く。
幻影は闇に散り、大量の黒い血飛沫が舞う。
『……エバン』
灰の大地に雪が積もる。
動揺を押し殺し、ユダは態勢を立て直す。
戦いが始まってから、徐々に友鋼は強化されていく。
それは倉庫街を出発した時なのか、それとも魔界の侵攻が開始されてから今日までの期間なのか。
攻撃が(極)だとしても、剣神一体は借り物なので、文字ほどの効果は期待できず。
剣身一体では斬打突が最初は(弱)となる。
友鋼が先代主神の剣技を再現する。
他の神技を使わなくても、その一振り一振りが(極)であれば。
〖旧式・無断〗と【無断・幻影】が激突する。
『やはり、勝てんか』
複数の【幻影】を防御に回すことで凌ぐも、化け物じみたその衝撃により、地面の灰ごと靴底を削りながらの後退。
〖旧式・一点突破〗が【影十字】と【障壁】を突き破り、仰け反った相手の心臓へと迫るが、背中から倒れると同時にユダは〖手首〗を蹴り上げる。
洗練された突きは蹴り上げの衝撃にも崩されず、そのままユダの上を通り抜けた。
着地の反動を利用して振り返ると、〔剣気〕を身体に帯び、転倒した相手へと斬りかかる。
ユダの肉体が【加速】して横へと逃れ、〖友鋼〗は地面の灰だけを斬った。
『いつまで持つ』
ラウロの足を蹴り払うも、寸前で飛び跳ねて回避する。
しかしユダはそのまま回転を続け、着地した瞬間を狙って【剣】で斬りつけてきた。
「甘いっ!」
靴底が【剣先】を踏み止めたが、もともと彼の武器は折れていた。
物理判定を失った【剣】は通り抜け、回転の反動を利用してユダは立ち上がる。
『その動き、いつまで再現できる』
「……」
筋肉が悲鳴をあげていた。
関節が軋み、骨にもヒビが生じる。
骸の剣士との戦いを経て、いつの間にか目的すら忘れてしまっていることを、ユダ自身も気づいていない。
両者は間合いを測り、構えを整えた。
視線が
呼吸が
殺気が
空気が
心が
剣が合わさる
・・
・・
空間が歪み、血塗れの犬を抱かえた男が戦場に復帰する。
骸の剣士だけでなく、魔神の姿も消えていた。
「……ラウロ」
地面に倒れる仲間のもとへ、一歩を踏み出そうとした瞬間だった。
訓練場の中心に中規模の【転移門】が発生し、それに【古き時空の紋章】が浮かぶ。
そこから大小さまざまな魔物の群れが溢れ出す。
誰かが囁く。
聖油の炎を灯せと。
最後の戦いが始まろうとしていた。




