第3話 儂は頑張ったけれど死じゃたよ~! (2)
カドカワ10周年記念長編コンテスト中間選考作品でございますm(_ _"m)
だから儂は曾祖父以前がおこなってきた商いでもある海産物の仕事へと興味も湧いたから。
「ヤス、その商品を仕入れる所を教えてくれや」
と嘆願して、色々な海産物の卸業者を紹介してもらったよ。
特にあの当時は現金ならばどこの製造会社や卸問屋も商品を10キロや20キロ単位だが直ぐに販売してくれたし、農協やAコープ、スーパーマーケット、ショッピングモールや百貨店で売れば直ぐに売れて足りないぐらいだった。
特に思い出にあるぐらいよく売れたのは、儂等が日本で最初ぐらいに販売したと思うから。
アーモンドフィッシュやカレイの骨せんべい……。野菜チップに限ってはクズまで売れるぐらいよく売れた。(笑)
それと芋かりんとうは日本人だけではなく、試食を出せば海外の人も好んで購入してくれたから。
今も観光地やイベント会場で販売をされている方は、試食を出しながら試してみるといい、と告げたところで話を元に戻すけれど。
海産物や駄菓子を混ぜた試食販売! イベント販売! を続けている最中に儂は今度はドライフルーツ……。
まあ、松の実やパンプキンシードにひまわりの種に金柑のドライフルーツかな? これも日本では最初の頃の販売だったと思うからよく売れた記憶がある。
特にドライフルーツの販売は押しの強い、擦り付けの販売を得意としていた儂には向いていてのぅ。
お客さま一人当たりの単価が大変に上がったから、ショッピングモールや百貨店の担当者の人も大変に喜び、日程の方を一月に一回はコンスタントに入れてくれるようになり生活の方も楽になっていった。
だから資本金もできたので儂は健康食品の原料パウダーやドライフルーツ、豆菓子などを問屋さんに買ってもらう仕事を始めた。
これも健康食品自体がまだ珍しく、量販店さんの方もまだハ〇ス食品さんと大〇製薬さんぐらいしか定番にはなかった記憶があるのでよく売れた。
しかしよいことはいつまでもつづかない。
特に今では考えられないかも知れんが輸入食品がテレビの方で事ある毎に叩かれて、家の会社は原料が輸入食品ばかりで、国産品ではないから売り上げも下がり、量販店さんの定番からも撤退……。
最後は大きな問屋さんとの取引もなくなるから会社もまた倒産した。
まあ、それでも食わないといけないので販売業に戻ったけれど、不景気のために物も売れず、借金を返済しながらの細々とした生活の中……。儂はふと気が付けば70代になり、自分のちょっとしたミス……。水分補給怠り、熱中症……。そして痴呆症じゃよ……。
その後は今までの無理がたたったのか? 下り坂を転げるように色々な病気を併発……。
そして治療を続け、最後はよくある肺炎で、自分が子供達に儂は100歳まで生きぬくに全然足りない70代後半であの世へと向かう。
しかし儂の人生はこれで終焉する訳ではなく、天界へと行けば神さま、仏さまが儂のことを待っていてくれたのだった。
◇◇◇
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