エピローグ「ネバー・サレンダー」
エンドロール後のオマケ映像
あるいはディレクターズカット版のラスト的ななにか
小津監督に何を言われるかわからないが、映画はやはりハッピーエンドに限る。
主人公が死んでしまったり、宿敵を倒せなかったり、恋人と別れたりして終わる映画は、観た後に心がもやもやとしてしまいよろしくない。何より、現実世界はいつもいつでもハッピーエンドというわけにもいかないのだから、せめてスクリーンを隔てた世界くらいは幸せでいて欲しいと思うのだ。
世界はそこそこのビターエンドで満ちている。だから、大学に入ってからの俺なんかは、どこまでも恵まれているなあと心底思う。
不純な動機で変わったサークルに入部して、個性溢れる素晴らしい部員に出会って、一目惚れの相手と手を繋いで歩ける関係になって、そして――永遠の別れだなんて勝手に思い込んでいた親愛なるむさ苦しい友人が、ひと月ともせず帰ってきたのだから。
さて、その日は専洋大学の夏休み最後の日であった。9月ももう終わりが見えているというのに、相変わらず蝉はうるさいし、これまた相変わらず気温が30度を下回りそうにない。白鯨の活動もその他の予定も無かったため、部屋に転がって「くたばれ地球温暖化」などと節をつけて歌っていると、ふいに呼び鈴が鳴った。
あきら先輩は家族と出かける予定だと聞いたし、はて誰だろうと思い扉を開けた際、現れたのはシャツの上からでもわかる大胸筋、つまるところはスライだった。
「よお、ラン。元気してたか?」
俺がそのお気楽な問いに答えられなかったのは、むせび泣いていたからとか、そういう湿っぽい理由があったわけでは決してなく、ただ単純に混乱していたからである。
なんだコイツ。なんでここにいやがる。幽霊か。それとも、逃げ帰ってきたのか。
様々な疑問はさておき、俺はスライの腹筋に向けて拳を放った。そういう約束だったからである。しかしスライは約束に反し俺の一撃を受け止めた。そして、「何する」などと殴られることがさも不服そうに言ってきた。
「何する、じゃないだろ。そういう約束だろうが。何も掴まず帰ってきたらぶっ飛ばしてやるって俺が言って、それでお前は受けて立つって、そう言ったろ」
「ああ、言ったさ。だから帰ったんだろうが。ラン、俺は〝掴んだ〟」
スライは「まだチャンスの芽でしかないが」と付け足し、肩に掛けた麻袋から1冊の本を取り出した。見ればそれには、〝牙王第12話〟と書かれている。
「なんだよそりゃ」と尋ねると、スライは「台本さ」と答える。
「知らないか? 深夜帯で放送中の特撮番組だ。敵役としてだが、それに出ている。当初は予定していなかったキャラなのに、気づけば敵の大将の側近だ。大出世だぞ」
「なんでそんなことになるんだ。あり得ないだろ、普通」
「そうさ、普通じゃない。だが、嘘や冗談でもないぞ」
いまいち話が見えてこない。立ち話では埒があきそうにもないので、俺はスライを部屋に招き入れ、腰を据えて説明させた。
スライの語るところによると、ぼたもちが転がり込んできたきっかけは俺との特訓だったとのことだ。
4月の後半から俺とスライはほとんど毎日、例の染井吉野桜記念公園でトレーニングを行っていた。大の大人2人が閑静な公園で筋トレに耽っているらしいという噂は、近所の主婦から主婦へと伝わり、俺達はちょっとした巣鴨名物となっていた。
その噂が爆発したのが、例の決意の日である。まだ日も高いうちから日が落ちるまで、ほとんど休むことなく戦い続けた俺達の姿は、いつの間にか隠し撮られた挙句、ネットの海に放流されて日本中に知られることとなった。
大多数の人間は、俺達の姿を「バカ野郎だ」とあざ笑った。一部の人間は、俺達の姿に「いい動きしやがる」と舌を巻いた。そのやや奇特とも言うべき人の一部に、偶然にも『牙王』の関係者がいて、さらに偶然なことにその関係者が、安アパートを出て町をぷらぷらしていたスライを見かけ、「出てみないか」と声をかけたことにより、今に至るというわけらしい。
ご都合主義の神様のいたずらとしか形容できない奇跡に頭痛を感じる俺を余所に、スライは得意げな顔である。
「さて、長話はこれまでだ。とりあえず乾杯といこうじゃないか」
「乾杯って、まだ昼だろうが。それに酒なんて無いぞ」
「心配するな、これがある」とスライは麻袋からささみガムを取り出す。
それを見て俺は実感した。ああ、まったく。本当に帰ってきやがった。また狭い部屋にこのデカブツと2人暮らしかよ、チクショウ。俺のプライベート空間を返せ。
言ってやりたいことが色々あったのはさておいて、とりあえずささみガムを受け取った俺は、スライを睨み付けつつそれをかじった。
久々に口にしたささみガムは、思い出よりも少しだけしょっぱい味がした。




