76.ねこひげ
私たちは聖域近くの森までやってきた。
道中の魔物戦は、お察しの通りである。王族の服を脱ぎ、狩猟本能全開になったラッセル様が無双していた。まあ、道中そこまで強い敵は出てこなかったし、私がやるとオーバーキルになってしまう。自然と戦闘はラッセル様担当になった次第だ。
「はぁ〜♡ ……しゃーわせじゃー♡」
「ひゃううん……♡」
ラッセル様がヨルを抱っこしてうっとりしている。多分、今ものすごくストレス発散になっているのだろう。彼女は王族で、娘の前では猫をかぶっている(犬なのに)。だから普段はストレスを溜めていたのだろう。
「大変なんでしゅね……」
「なにがですじゃ、聖女殿?」
「いえ、普段から相当ストレス抱えてるんだなぁと」
「……そうですな」
「隠さずともよいのではないでしょうか?」
「しかし……一国の王がこんなケダモノみたいなことをしていたら、引くではないですかの?」
一応客観視はできているらしい。
「よいのです。妾ひとり我慢すれば、民は安心できる。妾一人が我慢すれば……」
そんな姿が、かつての自分に重なった。夜遅くまで会社に残って働いていた自分と。
「そんなことしても意味ないでしゅよ」
「聖女殿……?」
「一人で我慢しても、誰も褒めてくれないでしゅし。自分が体調を崩すだけ。百害あって一利なしでしゅ」
まあ、すぐ変わるのは難しいだろう。王が豹変したら国民が驚く可能性は確かに高い。
「ありがとうですじゃ……聖女殿……いや、コネコ殿」
ラッセル様が微笑む。
「含蓄に富んだ説教でしたじゃ。言葉の端々から苦労がにじみ出ておりましたぞ?」
「あ、あはは……」
……実体験ですからね。
「さて、雑談はそれくらいにして、そろそろ行こうか」
アメリアさんは馬車を近くの木にくくりつける。ここから先は深い森が続き、馬車は入れないらしい。
「あるきかー」
この小さい足で森を歩くのは、少々大変そうだ。
「ひゃん……!」
ヨルが近づいてしゃがむ。カッ……とヨルの体が輝き、大人ボディに変化する。
「もしかして……乗れってことでしゅか?」
「ひゃうん!」
こくんと頷く。私を乗せてくれるらしい。ありがたい。
「ありがとぉ、ヨルしゃん」
「ひゃわん!」
アメリアさんに手伝ってもらい、ヨルに乗る。ふわふわで、永遠に触っていられそうだ。日なたで干した絨毯のように暖かく、良い匂いがする。
「ふしゃー!」
カバンからましろが出てきて、私の頭をてしてしと叩く。
『【なにうっとりしてるのっ。ヤスコはあたしだけモフモフしてればいいのにっ!】』
どうやら焼き餅を焼いているらしい。愛美さんは制裁猫パンチを受けていた。いつになったら学ぶのやら。
「ふにゃ……」
ましろがヨルの毛皮の上でころんとする。心地よさそうに目を閉じ、すぴーすぴーと寝息を立てた。どうやらましろもヨルの毛皮に虜になってしまったらしい。
「神獣を虜にするとは……おしょるべし、ヨルしゃんの毛皮……」
「ひゃうん!」
私たちは森の中を進んでいく。隊列はラッセル様、ヨルと私たち、アメリアさんの順。ラッセル様は何度かここに来ているらしく、道順を覚えているという話だったが——。
「すみませぬじゃ。迷いました……」
『ふぇ……? なんでですか? 何度も来たってましたよね?』
「うむ……においを覚えていたので、迷わないはずでした」
彼女は道しるべとして自分の匂いを残していたらしい。それを嗅いで進めばゴールにたどり着くはずだったが、匂いが消えていて迷子になったと。
『え、それってマーキング……』
「しょれいじょうはいけない……!」
想像してはいけない。王族はそんなことしないのだ。
「誰かが意図的に匂いを消したのじゃ」
「誰が……でしょうね」
「それは……わからぬ。すまぬのう」
状況を整理する。聖域(湖)へ向かうルートの目印が失われ、私たちは今どこにいるかわからない。
「こういうときは調教師の力で——」
『……駄目ですわ』
貞子さんが首を横に振る。
『視界一面、緑が広がるだけで、湖らしきものが見当たりませんの』
「カモフラージュしゃれてるんでしゅかね……?」
ラッセル様の言によれば、古の賢者が外からの侵入を防ぐために呪術的結界を施したという。上から探すことも難しいらしい。
「困りましたね……」
完全に迷子だ。上空からの確認も効かないとなるとお手上げかと思われたが、まだ手はある。
「ましろたん。出番でしゅ!」
ましろは「猫のひげ」という特別な索敵スキルを持っている。高性能レーダーのようなものだ。目的地探しはたやすいはずだ。
「ふなー」
『【ねむーい】ヨル様の毛皮のうえで、すっかりおねむみたいですね……』
ましろをどかそうとするが、ましろがペシッと私の手を払いのける。昼寝したいらしい。もう……。
『やすこにゃん、こうなったらやすこにゃんの出番ですよ!』
「あ、なるほど……今の猫神モードなら、猫のひげが使えると?」
『YES!』
私は猫のひげを発動する。ぴーん! 尻尾が勝手に動き、あさっての方向を指す。
「え? なにこれ……尻尾が勝手に動くでしゅ!」
『こっちの方向にあるんじゃないですかね』
「ええ……。猫のひげってスキルなのに、なんでひげじゃなくて尻尾が指してるんでしゅか……」
『そらやすこにゃん、おひげないし。女の子だから』
そんなこと言うな。ましろだってメスなのにおひげないでしょ、ってツッコみたくなるが神のルールだ。
『さ、やすこにゃんが道を示してくれました。向かいましょう、聖域に!』




