68.女王の呪いを解く
カバンから出てきたあと、私たちはいよいよネログーマ王都――エヴァシマへと到着した。
「……変、ですわ」
シュナウザーさんが荷台から顔をのぞかせて言う。
「変って?」
「水が……ないですわ」
「水……?」
「はいですわ。エヴァシマは“水の都”と言われる、大きな湖の上にある都市なんですの」
言われてみれば、城の堀らしきところにも水は見当たらない。外壁をくぐると、街全体がどんよりとした印象だ。建物は白くて綺麗なのに、人通りが少ない。水路もあるにはあるが、水が干上がっているように見える。
「わたくしがいない間に……なにかあったんですわ。お母様に話を聞かないと」
「おかーしゃま?」
「はいですわ。ネログーマ女王、ラッシー・ネログーマ。それがわたくしのお母様の名前」
シュナウザーさんは、もしかして次期国王なのでは――そんな予感が胸をよぎる。
『思わぬ重要人物……。ごますっておいたほうがいいですよ、やすこにゃん!』
「友達にそんなことしませんよ……」
ほどなくして、私たちはネログーマ城へとたどり着いた。見上げるほどの巨大な樹を改造して作られた天然の城で、圧倒される。アメリアさんと私は、ただ黙ってその大きさを見上げた。
「こちらですわ」
シュナウザーさんがてこてこと中へ入ろうとしたところで、門番に即座に止められた。
「なんだこの犬?」「おい、わんころ、入っちゃ駄目だぜ?」
たしかに今のシュナウザーさんは完全に子犬の姿だ。門番たちの反応も無理はない。
「すまねえ」
するとバセンジーさんが駆け寄り、シュナウザーさんを抱きかかえる。
「このわんこは、おれのなんだ」
バセンジーさんがいるおかげで、シュナウザーさんは問題なく中へ入ることができた。少し不服そうなシュナウザーさんの表情が印象的だ。
門番が私たちを改めて見る。
「で、後ろのお嬢さん方は?」
「この人たちは、ラッセル女王陛下に謁見のために参ったお方です」
門番の表情が暗くなる。
「どうした?」
「ラッセル女王陛下は……現在、病床に伏しておられます」
その言葉に、私たちは一斉に息を呑んだ。
「え……!?」
シュナウザーさんは駆け出す。私たちも後を追って、自然に満ちた城内を走る。やがて私たちは大きな扉の前に着いた。
「おかあさまっ!」
シュナウザーさんが扉を開けると、ベッドの上に横たわる美しい女性が見えた。しかし彼女の肌はキラキラと輝き、水晶のように固まっている。
「おかあさまっ! おかあさまぁ……!」
シュナウザーさんがベッドに駆け寄ろうとしたそのとき、脇に立っていた太った獣人が小声でつぶやいた。
「な!? なんでこいつがここに……」
その顔つきは、どうにも悪そうだ。ましろが鼻を鳴らす。
『【悪人のにおい】だそうです。もしかして……あいつが』
「……ボッタクルゾイ」
なるほど、あれが財務大臣ボッタクルゾイらしい。彼はシュナウザーさんをつまみ上げる。
「おい、誰か。この汚い犬を外に放り出せ」
「離しなさい、ボッタクルゾイ!」
バセンジーさんが割って入り、シュナウザーさんを取り返す。
「この子は、大事な人なんです」
「はっ! そんないぬっころがか?」
「ええ」
しかしボッタクルゾイの表情は煮え切らない。
「で、後ろのメスどもは誰だ?」
ボッタクルゾイがこちらをにらむ、その瞬間だった。
「しゃーーーーーーーーーー!」
「あぉおおおおおおおおおおおん!!」
ましろとヨルが雄叫びを上げた。あまりの声に、私たちはとっさに耳を塞ぐ。
「ぐええええええええええええええええ!」
ボッタクルゾイはそのまま吹き飛ばされ、壁に激突して動けなくなった。
「な、んだ……からだが、う、うごか……ない」
『獣咆哮〈バインド・ボイス〉です。相手を一時的にスタンさせる、フェンリルのスキルですね』
要するに、ヨルのスキル攻撃である。ましろが「やれ」と命じたのだという。
「ぐ……き、きさ、ま……このわたくしを、だ、だれと心得る……! 一国の大臣を傷つけて……ただですむと思うなよ!」
どう見てもクロ。後で調べてから対処すればいい。今はラッセル女王を救うのが最優先だ。
「シュナウザーしゃん、お母様を治療させてもらえませんか?」
「お願いします!」
「あい! アメリアしゃん、抱っこしてくだしゃい」
アメリアさんが頷き、私を抱きかかえてくれる。まずは鑑定だ。
――――――
ラッセル・ネログーマ
【状態】宝石症
――――――
宝石症――罹患すると体が内側から徐々に宝石化し、最終的に全身が宝石になり窒息死する。延命はできても、治療法は存在しない。
「そん……な……」
シュナウザーさんが膝をつき、ぽたぽたと涙を落とす。ボッタクルゾイは嫌らしい笑みを浮かべている。どう見ても、彼がこの病を仕組んだ疑いが濃い。
『……すぐに治癒で直さないと!』
「でしゅね……! 治癒!」
私は治癒スキルを発動する。だが、ラッセル様の肌は変化しない。
「なんで! どうして!」
『おそらく、病の進行のほうが治癒より早いのでしょう』
治しても病が進行してしまい、治療が追いつかないらしい。するとましろがラッセル様の体をじっと見る。
「ましろたん! 力貸してっ!」
「ふにゃ? にゃん!」
ましろがラッセル様の体に飛び乗る。じっと観察したあと、
『【呪いの気配がする】』
「呪い!?」
『多分その呪いがこの女を病にしている。呪いの触媒を切除する必要がある』
胸にかけられたペンダントから黒いモヤが立ち上っているのが見えた。明らかに邪悪な気配だ。
「これでしゅ!」
私はペンダントをつかみ引き抜こうとするが――。
「コネコちゃん、ダメだ。ペンダントが肌に張り付いてる!」
ペンダントからは木の根のようなものが伸び、深く根付いていた。
「大丈夫、だよね、ましろたん!」
「うにゃ!」
ましろが神威鉄爪〈オリハルコン・クロー〉を発動する。ずばんっと根っこだけを丁寧に切断し、私はペンダントを引き抜く。
「これならいける……!」
ラッセル様の体は既に鼻の下まで宝石になっており、呼吸が止まりかけている。私は浄化スキルを発動。猫神モードの強化と相まって、激烈な浄化の光が部屋を満たす。――絶対に諦めない。友達のお母さんを目の前で失わせはしない。
光が収まると、私の体はどっと力が抜けた。
「コネコちゃん。おつかれ……もう大丈夫だ」
ラッセル様がうっすらと目を開ける。
「うう……ここは……?」
「お母様っ!」
「! シュナ……?」
「はい、シュナウザーですっ! おかあさま! 治ってよかったぁ……!」
娘を見分ける母の愛は偉大だ。ラッセル様は確かに戻ったようだ。
「そ、そんな馬鹿な……! あの強力な呪いが、とけるわけないのにぃ!」
ボッタクルゾイは狼狽え、墓穴を掘っている。
「ましろたん、制裁を、よろしく」
「うにゃー!」「ひゃーん!」
ましろと、成人態になったヨルがボッタクルゾイに近づけば、彼は叫びながら逃げ惑い、二人の前にひれ伏すしかなかった。神獣と見て、彼は「バケモノだ!」と叫ぶが、その場はボッタクルゾイの敗北で終わる。
やがて、倒れたボッタクルゾイの姿が消え、そこに現れたのは灰色の髪をした、ラッセル様そっくりの柔和な獣人の少女だった。呪いが解け、本来の姿へと戻ったのだ。
「よかった……でしゅ……ぐぅ……」
大きな安堵に包まれ、私は急に眠気を覚え、目を閉じた。




