16-3
「テメェは馬鹿か!!」
赤ん坊の霊を背負いながら机の上でうずくまる千博に、鳴郎はもう一度怒鳴った。
憑りついた赤ん坊は新生児と比べても頭が大きく、手のひらには水かきが残っている。
霊のため大きさこそ三歳児ほどだが、ひょっとして母の胎内で死んだ水子の霊ではないかと鳴郎は思った。
赤ん坊はまるでコアラのようにしっかりと千博の背中にしがみついている。
目を閉じてはいるが、こちらへ向けられた顔からは絶対に離さないという強い意志が伝わってきた。
「なにがダッシュで帰るから大丈夫だよコノヤロウ」
「……すまん」
「一人で大丈夫っつって大見得切った挙句にこのザマかよ。馬鹿野郎」
「……すまん」
心霊に憑りつかれるのは、普通の人間にとって身体的にも精神的にもダメージだ。
心身への害の大きさは、憑りつかれた時間の長さに比例し、除霊するなら早いに越したことはない。
「放課後花山に除霊してもらうぞ。分かったな」
「……スマン」
霊に憑りつかれた状態が余程辛いのだろう。
いつもは理路整然と話す千博が先ほどからスマンとしか言葉を発していない。
しかしもともと優しくないことを自覚する鳴郎は、水臭いことを言った末に憑りつかれるという失態に腹を立てていたのもあり、彼の体調になど配慮しなかった。
「とりあえず、だ。どうしてこんな馬鹿なことになったのか経緯を説明しろ。くわしくな!」
鳴郎はぐったりする千博へ容赦なく尋問を開始した。
彼が説明したいきさつはこうだ。
委員会が終わった後帰り道を急いでいると、公園の前で女性に声をかけられた。
女性は赤ん坊を抱えており、困っているので赤ん坊を少しの間見ていて欲しいという。
女性が若かったのもあって同情した千博が赤ん坊を抱えると、彼女は煙のように消えていたそうだ。
「で、気付いたらその赤ん坊に憑りつかれていたと」
「そうなんだ……」
「テメェは馬鹿か!!」
道行く人に声をかけ、赤ん坊を託す女――それは江戸以前から知られている妖怪、姑獲鳥である。
姑獲鳥は妊娠中に死ぬか出産で死ぬかした女性がなる妖怪で、彼女から赤ん坊を受け取ると、その人間はもれなくその赤ん坊に憑りつかれてしまうのだ。
千博がただの水子にではなく、姑獲鳥の水子に憑りつかれたとなると話は厄介だった。
姑獲鳥の水子はただの水子霊とは違い、時間がたつにつれて重みを増していく。
もちろん重みといっても霊なので物理的な重さではなく、被憑依者の体感的な重さだ。
しかし体感といっても憑依された者には実際の重さと変わりはない。
耐え切れなくなったが最後、被憑依者の身体はぺしゃんこに押しつぶされてしまうのだ。
相手が赤子だからといって、同情していい相手ではなかった。
「もし花山がダメだったら、オレがソイツを始末する」
「できる、のか……?」
「オレが鬼なの忘れたのか? 地獄に叩き落とすくらい簡単だぜ」
何なら今この瞬間にでも、赤ん坊を地獄の釜に放り込んでやってもいい。
「それはダメだ!」
だが千博はぐったりしていたのが嘘のように大声をあげた。
「地獄に落とすなんて、そんなことしちゃダメだ。コイツはまだ赤ん坊なんだぞ。可哀想じゃないか」
「テメェ、そんなこと言ってる場合だと思ってんのか」
「でも何も悪いことしてないのに、地獄行きなんて可哀想すぎる。俺はまだ平気だから、それだけはやめてくれ」
「あのな。死んだのに、生者にすがってまでこの世にしがみついてんのが罪なんだよ。あきらめろ!」
鳴郎が部活の友人として過ごした半年間に何度も思ったことだが、千博は優しすぎた。
怪奇探究部でいくつもの惨劇を目の当たりにしたというのに、彼は優しさは身を滅ぼすと学習しなかったのだろうか。
親切心につけ込まれ姑獲鳥の水子を背負う羽目になった挙句、その水子にまで同情するとは、お人よしというより単なる馬鹿である。
しかし背中の水子をかばう千博を見ていると、いくら鬼の鳴郎といえど、無理やりその子を地獄へ落すのは気が引けた。
(千博のそういうところがいい――って、オレはなに考えてるんだオイ)
一人で頭をぶんぶん横に振る鳴郎に、千博が息も途切れ途切れに言う。
「鳴郎、この子を成仏させる方法分かるか?」
「そんなもん専門家に聞けよ!」
放課後、霊を背負ったままの千博を部室へ連れて行くと、彼を見た花山は開口一番に言った。
「え、あ、それ、姑獲鳥の水子ですか……?」
さすが乙女ゲームの主人公のごとく心霊に愛される少女、花山一子である。
今日も常人なら即座にあの世に連れ込まれる量の悪霊を身にまとった彼女は、一目見ただけで千博の霊が何たるかを言い当てた。
ひょっとしたら彼女なら、赤ん坊を成仏させる方法が分かるかもしれない。
机に突っ伏した千博の代わりに事の経緯を説明すると、花山は「……千博くん、うかつすぎです」と呆れていた。
「で、このクソガキを成仏させる方法分かるか?」
「う、うーん。あの、やっぱり、赤ちゃんなんだからお母さんのところへ連れて行くのが、いいと思います」
「お母さんっつっても、姑獲鳥の本体は消えたんだろ? コイツのおふくろ成仏しちゃったんじゃねーの?」
「は、はい、だから、その、死体がある所に……」
鳴郎は腕を組んだ。
いくら治安の悪い夢見の森といえど、そこらじゅうに死体が転がっているわけではない。
生前の姑獲鳥が妊娠中か出産時に死んだというなら、死体は霊安室か葬儀場か、はたまた遺骨になって墓の中にあるだろう。
だが赤ん坊の母親の死体がどこにあるにせよ、姑獲鳥が生前誰だったかを特定できなければ、死体の場所も分からない。
水子に聞いても言葉が分からないだろうし、推理担当の千博はグロッキーだ。
「ヤベェぞ。手掛かりが少なすぎる」
「あ、あの、でもちょっと妙なんですよね……」
「なにが」
「そのぉ、姑獲鳥って、自分が死んだ場所や、死体が埋めてある場所、あるいはその近くにでるのがほとんどなんです。千博くんが出会ったのは、えと、住宅街の公園ですよね……?」
昨今出産といえば、自宅でなく病院か助産院でするのが通常である。
妊娠中に死んだとしても、突然死したわけでもなければ病院で死ぬのが自然だ。
千博が姑獲鳥にあった公園は通学路なので鳴郎も知っているが、あそこで妊婦が突然死したとの噂は知らなかった。
花山の言うとおり、確かに妙である。
「で、でも、とにかく、その公園と赤ちゃんのお母さんに関係があるのは、確かだと思います」
「手掛かりは公園にあるかもしれないのか」
話を聞いた常夜がとにかく行ってみよう許可を出したので、疲弊した千博にげきを飛ばしながら、一同は件の公園へ向かった。
公園に展望台と人工の林があるのは前から知っていたが、改めて行ってみると思った以上の広さがある。
常夜が千博にどこで姑獲鳥と出会ったのかを聞くと、彼は道路にほど近いところにある林を指さした。
千博が通学路であるその道路を歩いていたら、林の中から声をかけられたらしい。
「姑獲鳥の顔は覚えているかしら?」
「そうですね……、取り立てて美人でも不細工でもない顔でした。似顔絵なら描くことができます。あと、とても若かったですね」
「若かったってどれくらい?」
「下手すると十代……。だから気の毒に思って」
「……そう。服装は覚えてる?」
千博は首を横に振った。
無駄なことまでよく覚えている彼が記憶にないとは珍しい。
千博自身も戸惑っているようで、きりりとした眉毛を眉間に寄せていた。
「覚えてないというか、妙なんです。服装が全く目に入らなかったというか……」
「あの、霊だからそういうこともありますよ。人の形してない時も、ありますし」
花山の言うとおり、死霊は必ずしも人間と変わらない姿で出てくるとは限らない。
顔ははっきりしていても体はあいまいだったり、もちろんその逆もある。
「とにかくその林に行ってみましょ」
現場に行けば、何か手がかりになる物が落ちているかもしれない。
千博が声をかけられたという林は、植樹をして時間がたっているせいか、まだ日が高いのに薄暗かった。
おかげで魑魅魍魎がうようよしており、それ目当てにいつ大きな化け物が出てきてもおかしくないと思う。
林に足を踏み入れると、千博は植えられた木々の中でも一際立派な楠木を指さした。
「姑獲鳥はあの木の下にいました。――赤ん坊を抱いて」
楠木は道路を歩いていてもかろうじて見える距離にあった。
そこから声をかけられれば、確かに姑獲鳥の姿も見えるし、道路と公園の境は膝丈ほどのフェンスしかないから、すぐに乗り越えて木の下へ向かえるだろう。
地理的な条件面から考えて、千博が姑獲鳥と出会ったのはおそらくこの楠木の下で間違いはなかった。
しかしいくら探索しても楠木には何の変哲もなく、また手掛かりらしきものも落ちていない。
一同は途方に暮れた。
一体なぜ姑獲鳥は、自宅でも病院でもない林の中に現れたのだろうか。
鳴郎は千博が場所を勘違いしているのではないかとも思い始めたが、その時吹いた風が運んできた匂いに、答えを察した。
人間には分からないほどごく微量ではあるものの、風の中には確かに死臭が含まれていたからである。
姑獲鳥は死んだ場所か、自分の死体がある場所の近くに現れる妖怪だ。
「おい、近くに死体があるぞ」
同類であるキクコ以外の全員が自分の言葉に目を見張った。
鳴郎が風が吹いてきた方向に向かおうとすると、それより早くキクコが走り出す。
彼女は前もって場所を知っていたかのように、枯れかけた桜の木の前で立ち止まると、犬のように地面を掘り始めた。
(コイツ、分かって見ていやがったな)
だがいま怒ってもしかたないので、鳴郎は黙って地面を掘りを手伝ってやった。
何かが埋められているのは確実らしく、鬼の力を抜きにしても土が柔らかい。
鬼二人がかりで掘ったことにより、素手にも関わらず、わずか数分で「目的物」は全てがお天道様のもとに晒されることになった。
埋められてさほど経っていないのか、死体は色が悪くなってはいるものの、大まかな形を保ったままである。
うら若い女性の死体。
まだくびれや胸部の未発達な体は、若さよりもむしろ幼さを感じさせた。
個人を特定されないよう、犯人が取り去ったのだろう。
埋められていた死体は下着しか身に着けておらず、持ち物も何も出てこなかった。
「だから服を覚えてなかったのか……」
声を震わせながら、千博が呟いた。
「この女で間違いないのか?」
「たぶん。髪型に見覚えがあるから」
腐っていないと言っても、死後数日が経過しているだろう死体。
目は落ち窪み、頬の肉は下がり、残っているのは面影程度である。
一目会っただけでは、いくら千博といえど自信を持って本人だとは言えなかったようだ。
死体の髪は短く、飾り気のないその髪型は、生前運動でもやっていたのだろうかと思う。
そこまで考えたところで、鳴郎は彼女の髪に既視感を覚えた。
「ねぇ、この死体……湯池莉子じゃないかしら?」
常夜が鳴郎の既視感の正体をはっきり口に出す。
「まさか、中学生だぜ!?」
鳴郎は思わず叫んだ。
姑獲鳥は妊娠していた女性が変じる化け物だ。
湯池莉子が姑獲鳥の正体だというのなら、必然的に彼女は妊娠していたことになる。
(今回の騒動、死体見つけて解決ってワケにはいかなそうだぞ)
千博のヤツ、面倒くさいことに巻き込みやがって――鳴郎は半分八つ当たりめいた小言を口の中で呟いた。




