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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第十六話 本能
66/69

16-2

  昼休み、鬼灯姉妹はいつも千博と昼食を取っている。

年頃の男子が女子に混じってよく平気だなと思うのだが、本人が気にしていないようなので、鳴郎は何も言わないままでいた。

こっちとしても同調圧力の面倒くさい女子や、下心満載の男子と食を共にするよりは、くそ真面目の千博の方がよっぽどいい。

昼休みを告げるチャイムが鳴ると、鳴郎はいつも通り近くの席をくっつけてキクコと千博を呼んだ。


「な、鳴郎さん、僕たちも一緒に食べていいかな?」

「席三つしかねーの見りゃ分かんだろ。満席だ」


 ガックリ肩を落としながら声をかけてきた男子たちが去っていく。

どうせキクコ目当てだろうが、近寄らせないのはむしろ彼ら自身のためであった。

なんせキクコという赤鬼は少しでも隙を見せると、人間を襲って喰ってしまうのだ。

この街の行方不明者のうち、一体何人が彼女の胃袋へ消えたことだろう。

喰われるのは世間一般で言う悪人ばかりとはいえ、なるべく人を近づけないに越したことはなかった。


 鳴郎は揃ったメンバーとランチを始めながら、ちょうど一年前のことを思い出す。

入学して間もない頃、学校内の探検と称して、鬼灯姉妹は校舎裏を散策していた。

そこで見かけたのは、制服を派手に着崩した男子生徒たちが、気弱そうな少年をリンチする姿。

やめておけと言う鳴郎に、彼らは告げた。


「とっとと出てけよ新入生。この世は弱肉強食なんだ。弱い奴は狩られるんだぜ」


 思春期真っ盛りの彼らは、軽い気持ちで「弱肉強食」などとほざいたのだろう。

だがそれが彼らの命を奪う結果となった。

弱肉強食――それは弱者は強者の餌食なるという意味である。

そして不運なことにこの場にいる強者はキクコで、弱者は不良たちであった。

弱肉強食の理を肯定したということは、彼らは強者じぶんに食べられることを許可したのだと、キクコは解釈したのである。

もちろん曲解だが、古来から悪魔と言われる類のものはそんなものだ。

鬼、悪魔は人の言葉の揚げ足を取り、曲解し、己の欲望を満たす。

キクコをイカれていると思う鳴郎でさえも、同じ性質を自分の中に認めざるを得ない。

かくして不良三人はキクコの腹の中へ納まり、キクコは晩飯を残して社に叱られた。


(しかし人肉なんてそんなに美味いもんかね?)


 鳴郎は美味しそうにおかずのサイコロステーキを頬張るキクコを眺めた。

一見牛肉のように見えるが、あれは昨日まで社の担当編集者だった埋原の肉である。

赤鬼としての性質上、彼女が人間の捕食者でなければいけないことは知っているが、それにしても人肉が上手いとは思えなかった。

キクコ曰く、人肉の味は肉の質ではなく、いかに生前恐怖したか、または恐怖させたかによって変わるという。

人を恐怖させればさせるほど肉は上手くなるといい、だから凶悪犯罪者の肉が一番美味しいのだそうだ。


(多少は社会の役に立っているのかねぇ?)


 悪人ばかり食らうという側面を見れば、キクコは人間にとって神だろう。

人間ばかりの教室の中で人肉を食らう彼女を、鳴郎は神だなんて思いたくないが。


「おい、食べないのか?」


 向かい側に座っていた千博に指摘されて初めて、鳴郎は自分が弁当箱の蓋すら空けてないことに気付いた。

考え事をしていたせいで、包みを広げたまま手を止めていたらしい。


「悪ぃ、ボーっとしてた」

「今日ね、クロのお弁当わたしがつくったんだよ!」

「お、マジかよキクコ」

「キャラ弁なんだ。ちゃんと食べてねっ」

「へー、お前そんな器用な真似できたんだ」


 意外に思いながら弁当箱を開けると、そこには美容パックのように剥がされた埋原の顔が、三食そぼろの上に乗せられていた。


「うきゃあああああっっ!」


 思わず素の声で叫んだ鳴郎は、思い切り弁当の蓋を閉める。


「テメ、な、おま、な、なに入れてんだゴラァっ!」

「埋原さんのキャラ弁だよ」

「キャラ弁じゃなくて本人だろうが!!」


 さすがは恐怖と絶望を本質とするキクコ、暴力の化身である黒鬼なくろうをビビらせるとは大したものである。


「どうしたんだ?」

「なんでもねぇよ! とにかくこの弁当は絶対に食わないからな!!」

「ひどいひどい! せっかく作ったのに!」

「作ったんじゃなくて剥がしたんだろうが!!」


(あれ? 剥がしたのはオレだったかな……?)


 とにかく腹が立った鳴郎は、放課後、キクコを置いて一人で部活へ向かうことにした。

千博は委員会活動があるとかで、本日遅刻である。

たまには一人行動もいいものだと鼻歌でも歌いそうになったが、苛原が立ちふさがるようにやって来たのを見て、すぐに一人で来たことを後悔した。

部室のある北校舎は空き教室ばかりで、他の生徒の姿はない。

面倒くさいことが起こりそうだった。


「鳴郎さん、昨日ぶりだね……」


 無言で横をすり抜けようとすると、苛原が行く先をふさいできた。

寝ていないのか目は血走っており、鼻息が馬のように荒い。

顎まわりには無精ひげが生えてきているし、様子が妙なことは一目で分かった。


「……通せよ。急いでんだよ」

「そんなこと言わずにさぁ、先生の話聞いてくれないかなぁ」

「知るかクソが」

「俺やっぱり君のことあきらめられないんだよ。昨日の夜もずっと君のこと考えててさ。どうしたら君をモノにできるかって、ずっとそのことばかり考えたんだ」


 興奮しているせいか、苛原の声は上ずっている。

鳴郎に睨みつけられても、奴の話は止まらなかった。


「俺は教師になったんだ。鳴郎さんみたいなコに触れないまま終わるなんて考えられない。キミまだ彼氏いないんだろう? 」

「気が狂ったのかテメェ」

「そんな口聞いても、鳴郎さん女の子なんだから力じゃ俺にかなわないって。実は先生いま悩みがあるんだ。こっちで慰めてくれないかな」


 苛原はいきなり鳴郎を羽交い絞めにすると、空き教室の方へ引きずって行こうとした。

息遣いは先ほどよりも荒くなり、下から仰ぎ見ても下卑た笑顔を浮かべているのが分かる。

コイツは昨日の埋原と同類だと鳴郎は思った。

過去にも同じことを繰り返してきたのか、それともとうとう理性の糸が切れたのか。

鳴郎は抵抗するふりをしながら、短い吐息を繰り返すヤツに聞く。


「一体急にどうしたんだよ先生。どうしてこんなことすんだよ」

「しょうがないよ。先生だって男なんだ。君みたいな綺麗な子を見たらヤりたくなるにきまってるだろ? 本能だからしょうがないじゃないか」

「そうか、本能か」


 鳴郎は肉食獣の牙を見せて嗤ったが、苛原は気づかなかった。

鳴郎が持つ鬼としての性質は、暴力である。

だから理由をつけて暴れたがるし、理由をつけて命を奪い取りたがる。

怪奇探究部で絶えず化け物を葬っているのも、鳴郎個人の趣味に加えて鬼の性質に従っているところもあった。


 性質は鬼の本能だ。

そして鬼、悪魔の類は人の言葉の揚げ足を取り、曲解し、己の欲望を満たす。


「最後にもう一度警告してやる。離さないと殺すぞ」

「離すわけないだろぉ」

「そうか。そりゃなによりだ・・・・


 暴力をその本能とする鳴郎は、「本能だからしょうがない」という苛原の言葉を、「本能に従うのは仕方のないこと」つまり「本能に従って鳴郎が苛原を殺すのもしかたない」ことと解した。

本人からの「許可」を得た鳴郎は、千博にはもちろん、怪奇探究部の仲間にさえめったに見せない鬼の本性を露わにする。

体を回転させて苛原の拘束を振りほどき、黒い爪の生えた手が彼の頭を鷲掴みにした。


 鳴郎が人間を殺すときのやり方はだいたい決まっている。

獲物の頭部を掴みとり、怪力のままに引きちぎるのだ。

鳴郎の腕に捕えられたが最後、人間は抵抗らしい抵抗もできないまま頸椎を折られ、脊髄を割かれ、首をもぎ取られる。

行為自体は一瞬で終わるため、獲物は自分が死んだとも気が付かないくらいだ。

苛原も過去の例にもれず、瞬きをする余裕もなく鳴郎に首を狩られた。


 ――もし、千博が顔を出すのが一秒でも遅れていたら、そうなるはずだった。


 廊下の角から千博が出てきたのをみとめた鳴郎は、コンマ一秒に満たない間に、苛原から手を放し、対象から距離を取る。


「なにやってるんだ!!」


 「見られた」と鳴郎は瞬間的に思った。

だが目をつり上げて向かってきた千博は、鳴郎ではなく苛原の胸ぐらをつかみ上げる。


「おい先生! 今なにをしようとしたか言ってみろ!」

「な、なんだよお前は……」

「生徒襲うなんて最低だろうが! 消え失せろ!!」


 千博は中学生らしからぬたくましい腕で、苛原を床へ叩きつける。

犯行を見られたのがショックなのか、それとも生徒に負けたのがショックなのか、ヤツは喚きながら走り去っていった。


「大丈夫か?」


 千博の爽やかな笑顔を見て、聞く相手が違うだろうと思った。


「テメェどうしてここに?」

「委員会の教室がこの近くだったんだ。歩いてたら叫び声が聞こえてさ」

「どこから聞いてた?」

「え……、君みたいな綺麗な子云々から……」


 男らしい骨ばった顔つきの千博が、顔を赤らめる。

さすがにすべてを口に出すのは真面目君には恥ずかしかったのだろう。

貴重な物を見たと思いながら、鳴郎はやって来たヒーローに聞く。


「相手はオレだって分かってたんだろ? ならどうして助けに来たんだ」

「そりゃ鳴郎が強いのは知ってるけど、友達がひどい目に遭いそうなら助けに行くに決まってるだろ」

「テメーがこなかったら殺せたのに。余計なことしやがって」

「殺すなんて物騒だなぁ。しかしあの先生にこんな趣味があったなんて驚いたよ」


 半笑をしながら頭をかいているところをみるに、千博は鳴郎が本気で苛原を殺そうとしたとはまったく思ってないらしい。

おめでたい野郎だと思った。

こちらが鬼だと知ってもなお、ヤツは鳴郎がいいヤツだと頭から信じ込んでいる。

鬼になってから鳴郎がたくさんの物を壊し、人を傷つけ、そして殺してきたとはつゆ知らず、こちらをちょっと乱暴な友人程度に考えている。

鳴郎はふと、もし千博が全てを知ったらどんな反応をするのか気になった。


 時に人を殺すいまでさえ、鳴郎が千博に見せているのは、鬼としての鳴郎のほんの一面だ。

己の性質に囚われているものの、人だった時の人格ほとんどそのままで、自制心もあり、結果的に人間のためになる行動をするいまの自分は、神道の用語を使うならいわば和魂にぎみたま

だが学問の神が元は祟り神でもあるように、または勇ましい武神が時に恐ろしい疫病をまき散らすように、神の類である鳴郎にも自分ですら恐ろしくなるような側面がある。

通常荒御霊あらみたまと呼ばれるその状態は、いったん陥れば計り知れない犠牲者が出、事実過去に大勢の死者を出した。


 鬼のなんたるかと、鳴郎の過去。

その全てを知った時、果たして千博は鳴郎、ひいては鬼の存在自体を拒絶するだろうか。

それとも、「鬼とはそういうモノなのか」と、あっさり納得するだろうか。

おそらく前者だと思うが、もし後者の反応を取るなら、彼は人間よりも鬼に近い存在になっているといえるだろう。

たとえ絶交されるとしても、鳴郎は千博に拒絶の反応をして欲しいと思った。

鬼になってから取った自分の行動を、鳴郎は悔いてもいないし罪悪感を抱いてもいない。

真実を知られて絶交されるのは仕方のないことだと割り切れるが、千博が鬼へ近づいていってしまうのは存在を否定されるよりも嫌だった。


 彼には人生の最後まで人間として生きてほしい。

それは人生の途中で人間をリタイヤせざるを得なかった鳴郎だからこその願いだった。


「部活は途中から出れそうなのかよ?」


 しかし秘めた思いなどおくびにも出さず、鳴郎はどうでもいいような話題を千博へふった。


「出られないならメールで連絡しろよ? 後で迎えに行くから」

「あ、わざわざそんなことしなくてもいいよ」

「なんでだよ」

「いつも送ってもらうもの悪いと思ってるし。ダッシュで帰るから一緒じゃなくても大丈夫だって」

「ホントか? どうなっても知らねぇぞ」

「いつもありがとうな、鳴郎」


 優しく細められた鳶色の瞳に、鳴郎はそっぽを向く。


(友達なんだから遠慮しなくてもいいのに)


 水臭い彼の態度に若干気分を悪くするが、千博ならたいていの化け物を脚力で振り切れるだろうし、大丈夫かと思った。

気をつけろと言って彼と別れた鳴郎は、予定時刻をだいぶオーバーして部室に顔を出す。

室内には千博以外の全員が既に揃っていた。


「ずいぶん大騒ぎしてたじゃない、鳴郎」

「聞こえてたんなら助けろよ」

「あら嫌よ。制服が変態教師の血でずぶぬれになるなんてまっぴらだわ」

「ったく、薄情な部長を持ったもんだぜ」


 花山は花山で「あの、キクコさん、お肉食べれなくて残念でしたね」と言っている。

いくらこっち側に慣れているとはいえ、人を殺す黒鬼と、人を食らう赤鬼を前にしてこの態度。

もし人間に正気の値というものがあるなら、こいつらはとっくにゼロになっているに違いなかった。


「さて、おしゃべりもこれくらいにして、本日の部活動を始めましょう。……と言っても、あまり派手な事件はないんだけど」


 常夜はないよりはマシだろうと言って、一人の女子生徒の写真を一同に示した。

運動部なのかショーッとカットの髪をした、とりたてて美しくも不細工でもない少女である。

名前は湯池ゆのいけ莉子、夢見の森第二中学校の三年生。

鳴郎の見立てどおり彼女は運動部であるバトミントン部に所属しており、先週から行方不明になっているとのことだった。


「行方不明なんてしょっちゅうあることじゃねーか」

「だからないよりはマシだって言ったのよ。ひょっとしたら妖怪に食べられたのかもしれないし」

「そうなのか?」

「警察も捜査してるんだけど、彼女の親友も失踪の心当たりすらないんですって」


 見た目はどこにでもいそうに見える少女の、突然の失踪。

もしここが滅多に事件などない普通の街なら、ひょっとしたら鳴郎の興味を誘ったのかもしれない。

だがここは瘴気と邪気に満ちた夢見の森タウンである。

体も精神も健康な一般人が突然自暴自棄になり、いなくなるなどよくあることだ。

どうせどこかで首でもくくってるんだろうと思うと、やる気もなくなった。

他の部員たちも気乗りしないのは同じようで、真面目な千博がいないこともあり、本日の部活はろくに話し合いもしないまま解散となる。

鳴郎は部室を出るときに千博を待つかどうか迷ったが、押しつけがましいのもよくないだろうと思い、彼をおいたまま校舎を後にした。


 鳴郎が自分のした決断を呪ったのは、それから約十六時間後のことだった。

登校してきた千博の背中に、へばりつくような形で赤子の霊が憑りついていたからである。


「……ごめん、鳴郎。憑りつかれた」

「テメェは馬鹿か!!」


 青い顔で謝罪をする千博に向けて、鳴郎は容赦なく怒鳴り声をあげた。

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