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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第十六話 本能
65/69

16-1

  昔ある退治屋が「鬼とは狂気の向こう側に行った存在である」と言った。

またある時代の高僧は「鬼とは最も悟りに近く、最も悟りに遠いものである」と言った。

一般社会ではことわざや慣用句でしか残っていないが、退治屋業界には、今も鬼の性質を表現する言葉が残っている。


 鳴郎やキクコ、そして社のような存在は、古来からある時は鬼と呼ばれ、ある時は悪魔と呼ばれ、ある時は神と呼ばれてきた。

人間たちは時代や宗教、また鬼、神、悪魔と呼ばれるモノのどの側面・・・・を見るかによって、ソレを鬼・神・悪魔なのかを決めようとする。

しかし当事者である鬼灯鳴郎から言わせれば、それらはどれも正解であり、どれも不正解だった。

重要なのは名前ではなく、ただ自分たちのような「モノ」が存在しているという事実だけだからだ。

とはいえ名前がないのは不便なので、現代日本に生まれ、また特定の宗教にも帰依していない鳴郎は、自らのことを鬼と表現している。

悪魔というと仰々しいし、神というと自信過剰だし、自分にとって一番しっくりくる表現が「鬼」だったからだ。


 鬼は多神教の神や悪魔と同じ位階に位置する存在である。

多神教の神々や悪魔たちの中には、時代と場所が変われば鬼と呼ばれるようなモノも多い。

神話に出てくる神や悪魔のほとんどが並外れた能力を持つのと同じように、鬼もそのほとんどが超越的な能力を持っており、またほとんどの神や悪魔が不死に近いように、鬼もそのほとんどが不死であった。

しかしいくら凄まじい能力を持っている存在だからといって、鬼がいつも壮大な冒険やら戦いやらを繰り広げているわけではない。

「現役世代」である鬼のほとんどは普段は人間と大して変わらない日常を送っており、それは現役世代の一柱である鳴郎も同じだった。

外見上ほとんど人間と変わらない彼女は、いま数年遅れできた中学生活の真っ最中である。

所属している部活動は普通と少し違うかもしれないが、それでも彼女の持っている能力を考えれば、十分平凡な生活の範囲内だった。


 今日もいつも通り部活動を終えた鳴郎は、義理の姉であるキクコと友人である千博とともに、昇降口に向かって校舎内を歩く。

だが途中で後から名前を呼ばれ、振り返ると、そこには鳴郎たち2-C女子の体育を担当する、体育教師の苛原いらはらが立っていた。


「鳴郎さん、で合ってたよね」


 体育教師らしく背は高いが、むさ苦しさのないさわやかな顔で苛原が笑う。

苛原は以前からこの学校にいる教師だ。

バトミントン部の顧問をしており、一度部員たちを県大会にまで導いている実力者である。

しかし鳴郎との付き合いは今年度からのため、まだ二週間ほどだった。


(なんか呼び出されるようなことしたか……?)


 鳴郎といえど、相手が教師なら普段は多少大人しくしている。

だがたった二週間の間に呼び出しを食らうようなことをした覚えはなかった。


「なんか用スか?」

「いや、君自身のことについてちょっとね……」


 意味ありげな口ぶりで苛原が言った。

彼はまだ教師になり立てで若く、ある程度整った柔和な顔つきをしている。

これは大人な男性に飢えている女子生徒たちが騒ぐわけだと、彼を見ながら鳴郎は思った。


 なんとなく不穏な空気を察した千博が、苛原に言う。


「あの先生、俺たち先に行った方がいいですか?」

「ああ、そうしてくれると助かるよ」

「おい、鬼灯。行こう」


 優等生らしく千博は渋るキクコを促して、先に昇降口へ駆けていった。

二人きりになったところで、もう一度鳴郎は尋ねる。


「なんか用スか、先生?」

「君自身についてちょっとね」

「だからハッキリ言ってくれないと分かねぇんスけど」

「おいおい、女の子がそんな口聞いちゃダメだよ。もっと可愛らしくしないと」


 垂れ目の彼は人好きのする笑顔で笑っていたが、視線はこちらの全身を執拗にまさぐっていた。

目線は特に腰回りや胸辺りに集中しており、そういうことかと鳴郎は思う。

人間のころから容貌に優れていた身として、こういうことは慣れっこだった。

だが慣れているからといって不快感が軽減されるわけではなく、また相手が教師となるといら立ち倍増であったが。


「で、なんだ? テメーはオレを視姦するために呼び止めたのか?」

「ちょっ、鳴郎さん! し、視姦なんてそんな言葉……」

「ハッキリ言え。こっちは忙しいんだよ!」


 鳴郎は横にあった壁を蹴り上げた。

教師に対してありえない態度だが、いやらしい目でジロジロ見てくる野郎に使う敬語は持ち合わせていない。

苛原は突然の凶行に身を震わせたが、目は蹴る時にのぞいた鳴郎の足首へ釘付けになっていた。


「ぼ、僕はただ、君を見たとき、綺麗な子がいるなと思って……。てっきり男だと思ったけど、君を受け持っ時女たの子だって分かって驚いてさ」

「それがどうした?」

「どうしてそんな男の子みたいに振る舞うのか気になってね……。君ぐらいの年頃の女の子は、身体の変化に戸惑って男ぶりたくなるから、良かったら相談にのってあげようと思って」

「……仮に誰かに言うにしても、同性に相談するに決まってるだろ」

「鳴郎さん、本当にもったいないよ。女子の制服着たらきっと綺麗だろうし、男が怖いなら、先生が慣らして――」


 「失せろクソ野郎!!」――鳴郎は鬼の気迫を込めて怒鳴った。

気絶してもいいと思ったが、苛原は青ざめながら逃げただけである。


(もっと気合を込めてやればよかった)


 多少後悔するが、あんな最低野郎のために労力を使うのももったいないと考え直した。

評判の悪い教師はもちろん、生徒から人気のある教師でさえあのザマである。

「夢見ノ森タウンは先生の墓場」とはよく言ったものだと思った。

ごちゃごちゃ話している間にキクコたちは遠くへ行ってしまっただろうし、走って追いかける気もしないので、鳴郎は一人で家路につく。

自宅に着いてリビングへ行くと、キクコが鞄をほったらかして社お手製のクッキーを喰い散らかしていた。


「おい、片付けしないうちにオヤツ食べたらシロに叱られるぞ」

「シロいまいないもん」


 キクコに言われて初めて、社の姿が見えないことに気付く。

近くに気配がするので自宅内にいるのは確かだろうが、呼んでみても返事すらない。

仕事が立て込んでいるのかと思い仕事場のある別棟へ行ってみても、そこには空になった彼女の椅子があるばかりだった。

居住用のスペースにも仕事用のスペースにもいないとなると、可能性があるのはあと一つだけである。


 鳴郎たちが今住んでいる鬼灯家は、以前惨殺事件があった二世帯住宅だ。

妻の希望など一切聞かずに夫とその両親が建てたこの家には、地下に夫のためのホームシアターがある。

とはいっても社が買い上げた時に地下室は改造され、今ではキクコの「調理場」になっている。

調理場なんてほとんど社は立ち寄らないのだが、どこにもいないとなると、あとは地下のそこだけだろう。

鳴郎が一見物置に見える地下への扉を開けると、血のにおいが鼻を突いた。

聞こえるのは、男のうめき声と社の鼻歌。


「なにやってんだアイツ?」


 一人ごちた鳴郎が階段を下りると、見慣れた地下室が現れる。

まるで古い手術室のように全面タイル張りになったその部屋は、何度も血しぶきがかかったおかげで、壁床問わず目地に血がこびりついていた。

地下にあるせいか空気は濁っており、吊るされた裸電球が室内にお化け屋敷のような趣を添える。

三流ホラーに出てくるような地下室の中で、社は瞬く白熱灯に照らされながら、椅子に座ってご機嫌そうにメロディーを口ずさんでいた。

彼女が来ているブラウスは前が引き裂かれて下着が覗いており、鳴郎は顔をしかめる。

社の隣ではステンレス製のテーブル――通称キクコのまな板――に四肢をくくりつけられ、さるぐつわをかまされた男が呻いていた。


「誰だコイツ」


 鳴郎は呟いてから、その中年男性が社を担当している漫画編集者、埋原うめはらだと気づいた。


「どうしたんだコレ?」


 鳴郎が指さすと、社が鼻歌をやめて叫んだ。


「ちょっと聞いてよクロちゃん!」

「どうしたんだよ……?」

「あのね、今日コイツが原稿取りに来たと思ったら、いきなり私のことを押し倒して襲おうとしたんだよ!」

「マジか……」


 社の破れたブラウスはそういうわけだったのかと合点がいった。

埋原は容姿端麗な社に一方的な思慕だか劣情を抱き、自宅で二人きりなのをいいことに襲いかかったのだろう。

そして、返り討ちにあって、キクコの調理場へ運ばれたと。

さほど怒っている様子はないが、調理場へ運んで来たとなると、彼女はコイツをキクコの晩飯に提供するつもりらしかった。

助けてと言わんばかりに唸る埋原に、鳴郎は「今日は最低男の日なのか?」とあきれ果てる。


「でもさすがに殺すのはマズイだろ? 局部切り取るだけにしといたらどうだ?」


 いくら警察が手を出せない自分たちといっても、いろいろ聞かれるのは面倒くさい。

助け舟を出してやったにもかかわらず、埋原のうめき声が一層大きくなった。


「えー、それじゃダメだよー」

「もちろん麻酔なしでだぜ」

「それでもダメ。だってコイツが担当した女性漫画家、一人自殺して一人行方不明になってるんだよ。これが初めてじゃないよ」

「あ、そりゃダメだな」

「コネで入ったからクビにならなかったみたいだけど、コレが運のつきと思って、ね?」


 社の最後のセリフは、縛り付けられた埋原に向けられたものだった。

埋原は目に涙をためながら、首を激しく左右に振る。

鳴郎はその様子を見て、彼の被害者も似たような反応をしたのだろうと思った。

ヤツを助ける義理はない。


「じゃオレ、キクコ呼んで来てやるから」


 しかし踵を返した鳴郎を社が呼び止めた。


「あ、クロちゃん、キクコちゃんを呼んでくるのはもう少し待って」


 襲われた直後だというのに、なぜか社は笑っていた。

キクコの赤色とは違う、血のようなあかに満ちた瞳が、薄暗い地下室で呪いの宝石のように輝いていた。


「最初は、私も埋原さんをキクコちゃんのご飯にしようと思ってたの」

「思って“た”?」

「うん。でも、途中でいいこと思いついちゃって」


 鈴の転がるような声で言うと、彼女は内緒話をする少女のように人差し指を唇に当てた。


「私ね、いま解剖シーンを描いてるところなんだ。それも生きたままのやつ」

「……それで?」

「医学書見るのもいいけど、もっといい資料が欲しいなーって思ってて……」


 「だからクロちゃん、ソイツ解剖してくれない?」――社は埋原を指して、あっけらかんと言い放った。

鳴郎すら唖然とする発言に、埋原のうめき声が止まる。 


「ばっ、なに言ってんだお前!」

「だってだって、どの資料見ても載ってないんだもん! 生きながら人間が解剖されたらどうなるか!」

「だからってあのなぁ――」

「やだやだ。このままじゃ満足いく作品が描けない!」


 「バカなこといってんじゃねーよ!!」と怒鳴りつけても、幼児退行状態になった社になにを言っても無駄だと分かっていた。

普段の彼女は可愛らしく素敵な女性だが、芸術の類のことになると途端に見境がつかなくなるのだ。

たとえ社会が混乱しようが何人死のうが、満足いく作品のためなら彼女にとってそれは必要な犠牲なのである。

もちろん犠牲の中には社自身も含まれており、作品のためなら、己に火を放つことすら厭わない。


 さすが退治屋をして「存在自体が地獄変」と言わせしめた白鬼、鬼灯社。

芸術のため死すら超越し、芸術――つまり創作の性質を持つ鬼となった彼女の執念は伊達ではない。


「で、なんでオレが解剖しなきゃなんねーんだよ」


 お願いだとしつこくすがり付く社に、鳴郎は冷たく切り返す。


「だって私がやったら、すぐ死んじゃうと思うんだもん」

「あのな、オレだって医術の能力は持ってないっつーの」

「でも拷問は暴力の範囲内だからクロちゃんの能力に入るでしょ?」

「たしかに……って、オレはやらないからな? メンドクセぇ」

「えー、やってくれたらクロちゃんの好きなアップルパイ、本気で作ってあげるのに」

「うっ」

「やってよー、そしたらそれにチョコレートケーキもつけてあげるよ。あ、チーズケーキも作ってあげる」


 創作の性質を持つ社は、物作りに関してはすべて天才以上の力量を持つ。

本気で作った彼女の手料理は、人間なら食べた途端に発狂するレベルの美味を誇り、その味は鬼である鳴郎の胃袋さえでもがっちりとつかんでいた。

大好きな社の本気スイーツ三種類と、強姦魔の命。

天秤にかけたらどちらが重いのかなど分かりきっている。


「馬鹿野郎! そういうことは早く言えよ!」

「やってくれるの?」

「当たり前だろ」

「やった! クロちゃんカッコいい! あ、なるべく長持ちさせてね?」


 鳴郎は地下室に常備してあった除菌もしていないメスを握る。

埋原の目から涙が流れたが、それを見てもなんとも思わなかった。

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