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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
【第二部】第十五話 異常に正常な日常
64/69

15-5

 鉄でできているはずの金棒は、持ち手から見事に折れてしまっていた。

いくら金属製とはいえ、何度も妖怪をぶん殴っているのだ。

金属疲労を起こして折れてしまっても仕方のないかもしれなかった。


 後ろで堅いものが砕ける音が――具体的に言えばコンクリートの砕ける音がする。

回転しながらすっ飛んで行った鳴郎の金棒は、後ろに飛んで校舎を破壊したらしい。

マズイことになったと思うが、今は校舎に対する損害など気にしている場合ではなかった。

初動を外したため、テケテケはもう鳴郎の目前にまで迫っている。


「あー、クソ。ぶっ壊れた……」


 戦いの最中にもかかわらず、彼は折れた金棒の断面を悔しそうに眺めていた。

テケテケが嬉しそうに唇をゆがめる。

だがテケテケの爪が鳴郎に届く瞬間、彼は顔を上げもせず彼女の手首を捕まえると、そのまま手首を支点に彼女の体を横にあった壁へ叩きつけた。

衝撃でテケテケの身体からつながっている腸は宙になびき、女の悲鳴が廊下へこだまする。

声がかすれているのは、腹から下がないため上手く発声できないせいだろう。


「キクコ、殺るか?」


 鳴郎がひるんだテケテケを放り投げると、阿吽の呼吸で前に飛び出してきたキクコが彼女に踵落としを食らわせた。

鼓膜と腹膜が痺れるような衝撃波が辺りに伝播する。

思わず目を閉じた千博がおそるおそるまぶたを開けると、キクコの踵の下にはテケテケの残骸と砕け散ったリノリウムの欠片があった。

テケテケはたった一撃で原形をとどめないほど四散しており、辺りには彼女の肉片と血がこびりついている。

またキクコの蹴りはテケテケと床板を破壊するだけにはとどまらず、一番下のコンクリートまでヒビをいれていた。


「ボールはともだち」

「キクコテメェ、校舎破壊すんじゃねーよ」


(そういうお前も壊しただろ……)


 コンクリートにめり込んだ金棒の片割れを見ながら千博は思った。

後で修理代を学校から怪奇探究部宛てに請求されなければいいが。

千博はため息をつくと、後ろで腰を抜かしている山田、田中、鈴木に言う。


「とりあえずもう大丈夫だぞ」


 山田、田中、鈴木は互いに顔を見合わせる。

もはや脅威は去ったというのに、彼らは青ざめた顔のままだった。

三人は震える足腰で立ち上がると、けたたましい声で悲鳴を上げながら一目散に逃げだす。


「あ、おい、どこいくんだ」


 千博は引き留めようとするが、それを花山が首を横に振って制した。


「……追ったらダメです」

「でも……」

「あの三人は、ダメだったんです。怪奇探究部には入れません……」


 消え入りそうな声だが、きっぱりと花山は断言した。

常夜の顔を見ると、彼女も首を縦に振る。


「彼らには入部する資格がなかったってことよ。腰を抜かすのは仕方ないとしても、逃げ出すんじゃ部員として失格ね」

「ですが……」

「入れたとしても、あの調子じゃすぐ死ぬか重傷を負うわ。といっても、もうこの部活に入ろうとは思わないだろうけど」


 先程の怯えぶりを見ていると、常夜の言うこともあながち間違いではないように思えた。

戦えないのは千博も同じなのでともかく、化け物を見てパニックになるようではいざという時逃げられず、最悪命を落とすだろう。

いま追わないのは彼らのためでもあるのかもしれないと千博は思った。

彼らが逃げて行った方を見ても、そこには突き刺さった金棒があるだけである。


「今年は新入部員ゼロね……」


 常夜が残念そうに呟く声が、妙に耳へ残った。













 いくら自分たちから仮入部を希望したとはいえ、怖い思いをさせたのは申し訳なかった――そう思った千博は、翌日、三人の元へ謝りに行くことにした。

だが誰を尋ねてみても、彼らのクラスメイト達から欠席だという答えが返って来るばかりである。

三人そろって風邪でも引いたのだろうか。

気になった千博はそれぞれの教室へ何度か足を運んでみたが、彼らはさっぱり登校してこないままであった。

仮入部の日から一週間たったところで、ようやく山田が登校してきたという噂を聞き、さっそく尋ねてみる。

だが山田は教室を訪れた千博を見るなり、あの時よろしく悲鳴を上げ、逃げ出していってしまった。


(俺そんなに怖がられることしたかな……)


 これ以上怯えさせるのも可愛そうなので、もう会いに行くのはやめることにする。

しかしどうしても山田が自分を怖がった理由が気になり、部活でその話をすると、常夜が呆れたように言った。


「そりゃ怖がられるに決まってるでしょうよ」

「……どうしてですか?」

「だって末恐ろしい妖怪を前にしてもこれっぽっちも動じず、おまけに化け物じみた力を持った部員と平気で一緒にいるのよ。彼にとっては、千博君も化け物みたいに見えてるでしょうね」

「だけど、あそこまで怖がらなくても……」

「言っておくけど、山田君なんてかなりいい方なのよ? あとの二人がどうなったか知ってる?」


 「酷い風邪とかじゃないんですか?」と千博が答えると、キクコ以外の全員が頭の痛そうな顔をした。

常夜によると、あの後田中は恐怖のあまり家から出られなくなり、鈴木に至っては妙なものが見えるようになったと精神病院に入院しているらしい。

ともに日常生活すら送れなくなった二人の惨状を聞いた千博は、絶句するしかなかった。


「これが普通の人間が、初めて怪異に出会った時に示す正常な反応よ」


 さすがにメンタルが弱すぎやしないかと言いそうになったが、千博は思い直す。

彼らは多少子供っぽさや生意気さがあったとはいえ、年相応の少年たちであった。

一年生の時のクラスメイト達を思い出しても、あの三人がとりわけ弱かったようには思えない。

そこから導き出される結論はただ一つ、常夜の言うとおり、彼らの示した反応こそが人間として正常で、千博の方が異質だということだ。

普通の人間との対比を突きつけられると、千博は否がおうにも自分の異常性を自覚せざるを得なかった。


「あの、あの三人には可哀想なことしちゃいましたね……」

「そうかもしれないけど、結果としてこの街で生き残る可能性は上がったわよ?」

「あ……、たしかに……」

「それに勧誘の時もちゃんと言っておいたものね。『部活中命と精神の保証は致しません』って」


 普段の千博なら、「いくらなんでもそれは酷だ」とか「俺の時にそんな話はなかった」とか、なんらかの突っ込みをいれただろう。

だが今は言葉を発する気力もなく、部活中も千博はほぼ無言のまま過ごした。

正常な人間が何たるかを見せつけられてやっと、春休みに常夜から聞いた「貴方は異常に理性的すぎる」という言葉の意味が理解できた気がする。

普通の人間は初めて化け物を見ただけで、最悪精神病院に入院するハメになるのだ。

それに命を狙われるオプションや、クラスメイトの惨殺死体というオプションがついたら、どうなるかは想像に難くない。

だが千博はそのどれもを経験しても、。怯えたり寝込むどころか、事態が解決さえしてしまえば、その日中に快適な食事と睡眠をとれていた。


 一緒に帰り道を歩く鬼灯兄弟を見ながら千博は思う。

自分にとって、彼らは恐怖よりも強い友情を感じる存在だが、田中たちのような普通の人間からすると、化け物退治をするところをみた時点で、拒絶してしかるべき相手なのだろう。


 鬼は辞書を引くまでもなく、強くて恐ろしい存在だと皆が知っている。

もし鬼灯兄弟が、鬼が本当に危険でないのなら、強い存在と認知はされても、同時に恐怖の代名詞にはならなかったはずである。


 直接的に害がないとはいえ、鬼灯兄弟は、ひいては鬼は、やはり人間が本能的に危険を感じるべきモノなのだ。

だが千博は友情という理性により、本能が告げる危険と恐怖を押し殺し、こうして二人と付き合っている。

常人なら発狂してもおかしくない状況に何度も置かれながらもそれを楽しみ、常人なら遠ざけるべき存在と友情をはぐくむ千博の生活は、一言で言うなら異常に正常な日常だった。

だが千博は自分の生活を後悔したりやましく思っていない。

それもまた異常な理性だと思うが、不思議と自分を変えようとは思わなかった。


(俺もそのうち鬼になるのかな……)


 千博は自分の手を夕陽に透かす。

同年代に比べて厚い手の平だが、陽の光越しに赤く輝くそれは、某歌のように自分に血が通っていることを教えてくれた。


(人間だ……)


 少なくとも、今はまだ。


「ねぇ、ちひろ」


 手のひらをかざしたままの千博に、前を歩いていたキクコが振り返る。


「鬼もね、たのしいよ」


 自分が考えていたことを読まれていたような気がして、少し背筋が寒くなった。

分かりやすい鳴郎とちがい、キクコは考えていることがさっぱり分からなくて正直怖い。


「そ、そうか」

「うん。だからちひろも鬼になったら楽しいなって」

「えっ」

「そしたらね、わたしたち、ずっとずっと一緒にいられるよ。だから――」


 しかしキクコの台詞は最後まで放たれることなく、鳴郎の怒声にかき消された。


「やめろキクコっ!!」

「どーしたの? クロこわい」

「千博が鬼になるなんてふざけるな! そんなこと絶対にさせねぇぞ!!」


 鳴郎がキクコを睨みつけた。

彼の視線と殺気は今まで千博が見てきたそのどれよりも鋭く、下手すると本気でキクコを殺そうとしているようにも見える。

だがキクコはきょとんとした顔のままで、一般人なら泡を吹いて気絶する気迫でも、まるでカエルの面に水だった。


「どうしてクロおこるの? ちひろが鬼になったらイヤ?」

「当たり前だろうが」

「それはクロちゃんだからイヤなの? それとも黒鬼だからイヤなの?」


 はたから聞いている千博にとってはさっぱりな質問だったが、鳴郎の殺気が急にしぼんだのは事実だった。

キクコは固まってしまった鳴郎から離れると、腕を広げて大の字になりながらその場をグルグルと回る。

ただ回っているだけなのに、緩急のつき方が不安定なせいか、見ていると腹の底から不安と不快感が込み上げてきた。

ゆったりと不快な回転をしながら、キクコは普段とまるで違う確かな口調で、歌うように言う。


「暴力は愛によっても起こるものであり、それゆえ愛のみでは暴力を制することはできない。また恐怖によっても暴力は起こるものであり、それゆえ恐怖のみでは暴力を制することはできない」

「……急にどうしたんだキクコ?」

「だからこそ暴力を完全なる支配下に置くことができるのは、理性において他にないと私は考える」


 キクコは千博の方を向いてぴたりと動きを止めた。

まるで別人が乗り移った様相に、千博は息をのむ。

彼女の目は昏い青さを誇っており、夜の帳を連想させる瞳に心臓が締め付けれらる心地だった。

どれくらい見詰め合っていただろうか。

再び動き出したキクコは、いつも通り素っ頓狂な彼女へ戻っていた。


「かえろかえろ。カエルないてないけどかえろー」


 カエルの真似をしているのか、彼女は大きくスキップをしながらあっという間に見えないところまで行ってしまった。

呼び止めるべきかもしれないが、とても追いかけるような気にはならない。

それは鳴郎も同じようで、彼は彼女が見えなくなっても悔しそうな顔で道の向こうを睨みつけていた。


「……なんだったんだ? アレ」

「知るかよ。アイツの考えていることなんか」


 同じ鬼である鳴郎にさえ分からないというのだから、人間の千博になど分かるはずないのだろう。

キクコの行ったほうを見詰めていた鳴郎は、今度はこちらの方へ振り向く。

キクコとは違う、夜よりも深い、まるで黒穴ブラックホールのような底知れぬ闇を想起させる瞳だった。


「千博、お前は鬼なんかになるんじゃねーぞ」

「鳴郎……?」

「キクコは楽しいとかほざいたが、鬼になるなんて最悪だ。しかもその最悪な気分がずっと続くんだぜ」


 「どうして鬼や悪魔が天国じゃなくて地獄にいると言われるのか考えてみろ」――そう言ったっきり、彼はなにも喋らなくなってしまった。

いくら話しても、うんともすんとも返事をしてくれない。

隣を歩く彼の横顔にははっきりといら立ちが見て取れたが、同時に何かに怯えているようにも感じられた。

ほとんど始めて見る彼の恐れの感情に驚いても、千博は上手く言葉が出てこなくて、こう言ってやることしかできない。


「大丈夫。俺は鬼になったりしないから」

「そうか」


 彼は笑ってこそいたが、黒い瞳にはどことなく寂しさがにじんでいた。

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