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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
【第二部】第十五話 異常に正常な日常
61/69

15-2

「なんとなくそうだとは思ってたのよ」


 目を見開き、額に汗を浮かべる千博をよそに、常夜は言った。


「あの尾崎八百が普通の人間を勧誘するはずがないもの。だから薄々貴方は只者じゃないんだろうと思ってたんだけど、やっぱりね」

「なに言ってるんですか。俺はごく普通の人間ですよ!?」


 千博は思わず声を荒げる。

なりかけとは精神が人間の範疇を外れつつある人間のことだ。

言い換えるなら異常者や狂人という単語がしっくりくるだろうか――少なくとも千博はなりかけについてそのように理解していた。


「俺は別に狂ってないし、ごくまともな人間です。だってそうでしょう?」

「……貴方、それ本気で言ってるの?」

「え?」

「貴方、自分が普通の人間だと思っていたの?」


 冗談ではなく、常夜は本気で驚いている素振りだった。

彼女が驚く理由が分からず、千博は柄にもなくうろたえる。


「普通の人間もなにも、俺は別に鳴郎たちや常夜部長みたいな特別な力を持ってるわけじゃないし、自分で言うのもなんですが、常識もあるじゃないですか。一般人ですよ一般人!」

「普通の人間――一般人はとても怪奇探究部に半年もいられないわ」

「どうして? 俺はほとんど見てたばかりで、特に特別なことはしてないですし。俺は普通です!」


 千博はまるで無罪を叫ぶ容疑者のように自分の正常さを繰り返すしかなかった。

一体自分のどこが普通と違うというのだろうか。

勉強や運動神経は多少平均より上回っている自覚があるが、それで己を特別な人間だと思えるほど、千博は傲慢でも愚かでもない。


「とにかく俺は普通です! 失礼ですがこれは常夜部長に対しても譲れません」

「そう。それでその一般人の千博君に質問だけど、貴方初めて化け物に出会った後、一体どうしたのかしら? たしか口裂け女に襲われたと聞いたんだけど」


 今している話とはまるで無関係と思える質問をされ、千博は戸惑った。

だが部長相手に無視するわけにもいかず、とりあえず答えを返す。


「……鳴郎と鬼灯に助けてもらいました」

「そうじゃなくて、その後よ。彼女らに助けてもらって、彼女らと別れて、家に帰った後のことよ」

「普通に家に戻って、夕飯を食べて眠りましたけど。あ、頼まれたお使い忘れたことを怒られました」

「ふーん。なら最近の話だけど、千博君のクラスメイトが山犬に殺されたわよね。それで貴方はそのクラスメイトの家で、彼の生首が入った冷蔵庫を見つけた。その日中に犯人の山犬は退治したけど、貴方は山犬を退治して私たちと別れたあと、どんな行動をとったの?」

「鳴郎たちに送ってもらって家に帰って、夕飯をまだ食べてなかったので、カップラーメンを作って食べました。それでその後は風呂に入って普通に寝て、翌朝学校へ……。それがどうかしましたか?」

「貴方やっぱり普通じゃないわよ」


 常夜の言っている意味が分からず、千博は首をかしげた。

二つの問いのどちらにも、ごく一般的な回答をしているだけだと思うのだが。

なぜおかしいと思うのかこちらが口を開くより前に、常夜が言う。


「つまり千博君は、生まれて初めて常識では考えられない存在に命を狙われた日にも、クラスメイトの無残でグロテスクな死体を見た日にも、ごく普通に食事を味わい、睡眠をとり、朝を迎えたということね。事態が解決した後とはいえ、昼間の恐怖を思い出して震えることもなく、惨殺死体が目に焼き付いて食事を受け付けなくなることもなく、ごく普通に」

「ええ、だから俺は恐怖でおかしくなったりとかしてませんし、マトモなままですって」

「マトモなままなのがおかしいのよ」


 常夜は断言した。


「もし千博君が本当に普通の人間なら・・・・・・・・・・、とっくに、いえ、口裂け女に襲われた時点で、恐怖のあまり家から出られなくなっているはずよ。命の恐怖が繰り返し脳裏に蘇り、ひょっとしたらまた化け物に襲われるかも分からない――普通なら、ノイローゼやパニックに陥るわ。余りの恐怖体験にね」

「でも、鳴郎たちは昼間は安全だと言ってましたし……」

「それでも、よ。それでも恐怖するのが『普通の人間』なの。電車事故に遭った人間が、それから電車に乗れなくなるなんてよくある話よ。たとえ理性では高確率で安全だと思っても、心や体が言うことを聞かないって。人間の理性は、それほど万能ではないもの。たとえ昼間は安全と言われても、普通なら心と体が外出を拒否するはずよ、普通ならね」

「普通なら……」

「百歩譲って普通より理性的な人間でも、それこそクラスメイトの惨殺体を発見した直後に日常に戻れるなんてありえないわ。フィクションの名探偵でもあるまいし」

「じゃあ俺は普通じゃないと……?」

「さっきから言っているじゃないの。――千博君、貴方は異常に理性的すぎるわ。それこそ人間やめかけるくらいにね」


 愕然とする千博をよそに常夜は続ける。

千博がなんど恐怖に直面しても平常心を失わず、日常生活を送れることが異常なこと。

死の恐怖にさらされた時に、通常と変わらない冷静さがあるのはおかしいこと。

彼女は責めるわけではなく、淡々と千博の異常性をあげつらっていく。


「貴方の理性はもはや狂気よ。どうして何の不安も恐怖も抱かずに、化け物退治を見物できるのかしら? 人間の悪意や恐ろしさに触れても、心を乱されずにいられるのかしら? 千博君に動揺というものはないの?」

「化け物退治を見ていられるのは、鳴郎たちを信じているからです。人間の嫌な面を見ても平気なのは、人間良い面も悪い面もあると思っているからです」

「信じていても不安はよぎるものよ。人間には良い面悪い面あると言っても、強烈な負の側面を見たら、普通は立ち直るのに時間がかかる。人はそう簡単に何でも割り切れる生き物じゃないのよ」

「でも、そうしたら常夜部長や花山さんだって、おかしいことになるんじゃないですか」

「私たちは小さいころからそういった環境にあるから、慣れているもの。でも千博君は違う。半年前いきなりそういった環境に放り込まれた。なのに、何でもなく即時に順応してる――」


 それでも千博自身ではまだ、自分がおかしいだなんて信じられなかった。

狂人は自分が狂人だと分からないというが、ひょっとして本当に自分はおかしいのだろうか。


「常夜部長は、俺のことを狂人だと思っているんですか?」

「狂人でもないわね。だって理性が行き過ぎた故の狂人なら、もっと冷酷で機械的に見えたり、無感情に見えたりすると思うもの。でも貴方はとても優しく誠実で、感情がないわけでもない。なんとういうか、ぬきんでた理性と人間的な部分が、すさまじく奇跡的なバランスで同居しているというか……。異常に発達した理性にも振り回されず、正常を保っていられる千博君は、狂人というより、その枠からも一歩踏み出しているようにも見えるわ」

「――狂気の向こう側へ行った者」


 千博は自然と鬼になった人間を現す言葉を口に出していた。

二人の間に沈黙が広がる。

あくまで常夜一人の考えであるが、彼女が今まで述べたセリフは千博がなりかけであることを如実に表現しているといえた。

机の下で握りしめた拳に、千博自身の爪が深く食い込む。

いくら理性的な千博といえど、自分が化け物とも神とも悪魔ともつかないモノになりかけていると自覚して、平静でいられるわけがなかった。

暑いわけでもないのに干上がった喉で、かろうじて声を出す。


「……俺は、鬼になるんでしょうか」

「分からないわ。そう簡単に人間が鬼になるとは思えないし。……結局は本物の鬼に聞くしかないのかも」


 常夜が申し訳なさそうなそぶりを見せる。

千博は首を横に振った。

急に押しかけたうえに、質問をぶつけまくったのだ、望んだ答えが返ってこなかったとはいえ、彼女を攻める気持ちは毛頭ない。


「でも逆に考えてみてよ。ひょっとしたら不老不死になれるかもしれないのよ? 人類の夢じゃない」

「……フォローありがとうございます」

「永遠に近い命と絶大な能力ちから、卓越した精神力なんて、男の子の夢じゃないの。少年漫画のキャラみたいでカッコいいわ。……調子に乗ると鳴郎みたいな中二病発症するかもしれないけど、理性的な千博君なら大丈夫よ!」


 精一杯のフォローをしてくれる常夜を見て、千博はここへきて初めて笑顔をもらした。

事態はなんら変わっていないが、少し気持ちが楽になった気がする。

常夜へ丁重に礼を言うと、千博は彼女の家を後にした。

話し込んだせいで外は日が傾きかけており、慌てて家に帰る。

おそらく鬼になりかけているとはいえ、内面はともかく千博はまだ普通の人間だ。

逢魔が時に現れた妖怪に、あっさり殺されてはたまらない。


 自宅へ戻った千博は、今日常夜から聞いたことを頭の中で整理した。

明確な答えは出なかったが、情報が手に入っただけマシといえよう。

千博は改めて常夜に感謝の念を抱いた。

情報がなければ、そちらのことに関してまるで無知な自分は手も足も出ない。

後は与えられた情報を自分でどう料理するかだ。

千博は自室でベッドに寝転がりながら、与えられたヒントを口の中で反復した。

「鬼とは何か」――早急に結論を出す必要はないものの、かといってあまり後回しにするわけにもいかない問いである。

鬼がなにか分からなければ、「なりかけ」のことも不完全にしか分からないからだ。


(とりあえず、俺が鬼になるのか――すぐに鬼になってしまうのか、それだけでもアイツらに聞こう)


 数いる人外の存在の中でも、おそらく次元の違う存在であろう鬼灯兄弟。

彼らを鬼だと知った日から、千博は二人と顔を合わせていない。

出会った時から人外だったといえ、真実を知った状態であの二人に会うのは正直怖いのだ。

だから千博は新年度最初の部活動で、鬼灯兄弟に話を聞くことにした。

他の部員たちがいれば、一人で会うより不安が紛れるだろう。

幸い新年度は、もう二日後に迫っていた。



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