15-1
今回から第二部開始です。
主人公は中学二年生になりました。
千博は眉間にしわを寄せながら、手にしていた分厚い本を閉じた。
気安さとは無縁の渋柿色の装丁をした、いかにも小難しそうな本である。
春休みを利用をして図書館から借りてきたソレは、日本古来から現代まで、「鬼」についての伝承と学説をまとめた書籍であった。
千博は「鬼と伝承」と金字で記された表題を見ながら、あの二人の姿を思い浮かべる。
どんな闇よりも黒い髪と瞳を持つ、鬼灯鳴郎。
不安を掻き立てる逢魔が時の化身のような、鬼灯キクコ。
夢見ノ森タウンを恐怖に陥れた殺人鬼と対峙した日、彼らは自らを「鬼」と名乗った。
しかし正直、誰もが目を見張るほど美しい容姿をした鬼灯兄弟と、世間一般でイメージされる鬼の姿は、まったくもって重なり合わない。
だから千博はあの日以来、「鬼」について記された文献を片っ端から読み漁っていた。
夢見ノ森図書館にある鬼関係の文献は、すべて読みつくしたと言っても過言でないくらいである。
ひょっとしたら、そうすることで自分の親しい友人が怪物だったという現実から逃れようとしていたのかもしれない。
前々から得体の知れなさがあったキクコはともかく、乱暴ながらも優しさを持ち合わせた鳴郎が人外だなんて信じたくなかった。
千博は彼と学校で過ごした日々を思い返す。
始めは凶暴で恐ろしいヤツだと思ったが、意外に面倒見がよく、何度も自分を助けてくれた。
だが思い返せば思い返すほど、彼がどれだけ人間離れした行動をとっていたか、くっきり浮き上がってくるのも事実であった。
印象に残っている化け物との戦いはもちろん、普段鳴郎が持っている金棒さえ、今思えばおかしいのである。
野球用バットを一回り大きくし、中身がぎっしり詰まった鉄製の棒、重さは軽く見積もっても大人一人分の体重を超えるだろう。
それを彼はまるで子供が丸めた新聞紙でチャンバラするように振り回していた。
鍛えぬいた軍人でも不可能なことを、しなやかな細身の彼ができる道理はない。
「なんだ、初めから分かっていたんじゃないか」
千博は自嘲気味につぶやいた。
なんのことはない。
鳴郎が、鬼灯兄弟が人間でないことは、出会ったその日から気付くことができたのである。
しかし何度ヒントが示されても、最初は常識に囚われるゆえに、最後は彼らへ情を抱くがゆえに、千博はそれを無視し続けてきた。
鳴郎が自分の頭を拳銃で撃ちぬくという、決定的な出来事を目の当たりにするまで。
「人間は、自分の見たい事実しか見ない」――何度か鳴郎から言われたセリフを思い出す。
今まで千博は、危険に背を向け、夢見ノ森タウンに住み続ける住民を心のどこかで馬鹿にしてきた。
だがかくいう千博も、結局は彼らと同じだったのである。
「鬼灯兄弟は人間だ」という願望混じりの思い込みを正当化するために、彼らが人外である証拠を見て見ぬふりし続けたのだ。
鬼灯鳴郎と、鬼灯キクコは人間ではない。
その事実を、千博はやっと自分の中で認めた。
ずいぶん時間がかかったな、と自身に対して苦笑が漏れる。
まだあの二人が「鬼」なんだという実感はないが、彼らが人間でないということは、嫌と言うほど理解できていた。
鬼灯鳴郎と、鬼灯キクコは人間ではない。
彼らは自らのことを鬼と言う。
それも角が生えた鬼とは違う鬼だと言う。
春休み中たくさんの書籍を読んでみたが、彼らの言う「鬼」について、千博はまだ実体をつかめずにいた。
彼らの言う鬼とは一体なんなのか、全貌がなかなか見えてこないのである。
分かっていることといえば、他ならぬ鳴郎自身が言った、肉体や形に大した意味を持たないことや、人間ではかなわぬ絶大な力を持っていることくらいだ。
鬼灯兄弟は一体「なんなのか」、千博は頭を悩ませる。
彼らは鬼は人間が変じた者だと言った。
魂の範疇が人間を超え、狂気の向こう側に行った者だと言った。
ならばあの二人は生まれながらの化け物ではなく、途中から化け物に変じたということになる。
二人はどうして「鬼」になどなったのだろう。
普通に生きていたら精神が人間の範疇を超えることなどあり得ない。
一体二人の身になにが起こったのだろうか――考えれば考えるほど、分からないことが増えていくばかりであった。
キクコが別れ際自分に言った「なりかけさん」という言葉も気にかかる。
文脈から察するに、「なりかけさん」とは、鬼になる素質を持ち精神が鬼へと変質しつつある人間のことだ。
まさか自分が「なりかけ」で鬼になるとは思えないが、キクコは嘘をついたりするタイプではないし、彼女の言葉を全く無視できるほど千博は楽観的ではなかった。
答えが出ない問題ばかりが自分の中で雪のように積もっていく。
行き詰った千博は両手で顔を覆ってため息をつくと、ケータイ電話を手に取った。
多少ためらいはあったが、一人で考えていても仕方がない。
千博は電話帳機能から、怪奇探究部の新部長、常夜鈴へと電話をかけた。
「あら千博君、デートのお誘いかしら?」
開口一番に彼女が言った。
「いえあの、実は少し聞きたいことがあって。どこかで会って話せないですか?」
「……別に期待してなんかしてなかったわよ? ちょっとからかっただけ」
「はぁ……」
「キクコちゃんたちのことでしょう? そろそろ来ると思ってたのよ」
どうやら先輩には千博が悩んでいることなどお見通しだったらしい。
今から自分の家に来るといいと言われ、千博はお言葉に甘えることにした。
常夜家は千博の家と学校を挟んでちょうど対角線上にあるという。
実際に足を運んでみると、周囲は敷地をゆったり取った邸宅ばかりで、そこが高級住宅街であることは自然に見て取れた。
「私の家は日本家屋だから、すぐ分かるわよ」との言葉どおり、周りは洋風の建物ばかりである。
おかげで純和風の家づくりをした常夜の家は遠くからでもよく目立ち、すぐに見つかった。
垣根越しからでも見える広大な庭と古式ゆかしい平屋建ての日本家屋は、不動産に疎い千博でも莫大な費用をかけて建てられのだと分かる。
どことなく周囲から視線を感じるのは、監視カメラでもついているせいだろうか。
千博がおそるおそるインターホンに手を伸ばすと、スイッチを押す前に門についた引き扉が開けられた
「千博君いらっしゃい。待っていたわ」
お嬢様らしいスミレ色のワンピースに身を包んだ常夜が「妹」抱きながらをうっすらと微笑む。
艶やかな黒髪をまっすぐに伸ばし、和風の顔立ちをした彼女が屋敷の前で立っていると、そこだけ大正時代にでもタイムスリップしたような錯覚を覚えた。
「お邪魔します。急な話なのに押しかけちゃってすみません」
「かまわないわ。私も暇だったし、他ならぬ可愛い部員のことだもの。さぁ入って」
軽く会釈をしながら門をくぐる。
だが門から一歩踏み出したところで、千博は歩みを止めた。
門から屋敷の玄関まで続く細い小道の両脇に、ずらりと人形が並んでいたからである。
人形は和洋新旧問わず、日本人形もあればフランス人形もあり、もちろんぬいぐるみもあった。
大きさも大小さまざまで、門の左右にはまるで衛兵のように、大人の背丈ほどの高さがあるテディイベアが直立不動で立っていた。
人形は皆一様に首を千博の方へ向けている。
ガラス、プラスチック、ボタン――様々な材質で作られた人形の目玉は気のせいではなく、確実に千博を凝視していた。
額に冷や汗が伝うのを感じながら千博は尋ねる。
「あの、そこに並んでいる人形たちは一体……」
「ああ、あれはみんな妹の友だちよ。千博君が来たから歓迎してくれているのね」
(歓迎? これが……?)
もしこの屋敷が部活仲間の家でなければ、脱兎のごとく逃げ帰っていただろうと思う。
さすが人形の「妹」がいるだけあって、常夜の家は、室内にもそこかしこに人形が散在していた。
人形たちは庭にいた仲間たちと同じく、種類を問わず皆千博のことを見詰めている。
屋敷に入った途端、無人の門扉と玄関扉が閉められたれたのは、きっと自動ドアだったからだろう。
廊下の片隅やふすまの隙間から覗く人形たちに監視されながら、千博は奥にある客間へと通された。
透かし彫りの欄間が見事な、書院造の客間である。
「すみません、こんな立派なところへ通してもらって」
「あら、なら私の部屋の方が良かったかしら?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「冗談よ。それで聞きたいことって? まぁだいたいは予想がついているけど……」
千博はなんとなく口に出すのがためらわれて、つばを飲み込んでから口を開く。
「常夜部長、『鬼』とは一体なんなんでしょうか……?」
千博の問いに常夜とその腕の中の妹は、一瞬目を見開いた。
マズイことを聞いたかと思ったが、すぐに彼女らは納得したように視線を落とした。
「直球だけど、千博君にとっては当然の疑問ね」
「教えていただけますか……?」
「いいわ、と言いたいところだけど、それはちょっと難しいわね」
困ったように彼女は笑うと「かくいう私も、昔鳴郎に同じこと聞いたことがあるの」と言った。
鬼とは何か、鬼を名乗る本人に尋ねるなんて、ずいぶん大胆な真似をしたものだと思う。
彼女が尋ねたのは約一年前、怪奇探究部が結成され、鳴郎と出会った時だそうだ。
単刀直入すぎる彼女の疑問に鳴郎は何と答えたかというと――。
「アレはね、ニヤリと牙を見せて笑って『鬼とは何かと尋ねることは、人間とは何かと尋ねるのと同じようなものだ』と答えたの。『だから自分で答えをだせ』ともね」
「教えてくれなかったんですか」
「教えてはくれなかったけど、今考えれば鬼とは何か云々の下りが大きなヒントだった思うわ。『人間とは何か』という問いの答えが人によって違うように、『鬼とは何か』という答えも人それぞれ違うのよ」
わけが分からなくなってきた。
鬼とは今まで見てきた妖怪のように、どういう種族でどういう特徴があってと、解説できるようなものではないのだろうか。
「――常夜部長は、答えを出せたんですか?」
「かろうじて。ほんの少し答えの形のようなものが見えてきただけよ。でも鳴郎が言った言葉の意味は、なんとなく分かったような気がするわ。あくまでも、気がするだけだけど」
「それはどういう――」
「分かったような気がするから言えるけど、その答えも、鬼とは何かという答えも、千博君自身が出さないといけないと思うわ。これは意地悪じゃなくて、私が答えることで貴方の答えを奪ってしまうことになるからよ」
常夜が眉根を寄せ、真剣な顔になる。
鬼とは何かという問いは、そこまで深刻な物なのだろうか。
まったく答えが見えない上に先輩からも突き放されて、千博は途方に暮れた。
だが常夜はふと双眸を和らげて言う。
「そんな顔しないで。いくらなんでも、ヒントも何も与えないまま放っておいたりなんかしないわよ。それこそ私は鬼じゃないし。私は小さいころからそういうことに近いから、鬼についての前提知識もあったもの。まったくノーヒントじゃ、いくら千博君でも辛いものね」
「本当ですか」
「ええ。だからとりあえず、いま貴方が鬼についてどんなふうに考えているか教えて欲しいのだけど」
どんな風に考えているかといっても、現時点では自信を持って人に話せるような考えを抱くには至っていない。
しかしまったく分からないとも言えないので、千博は鬼について今日までに調べたこととかりそめの結論めいたものを話すことにした。
図書館の文献で調べて分かったことは、「鬼」に対する日本人の、ひいては人間の抱いているイメージは時代によって変わっているということだ。
虎柄の腰巻をし、角をはやした鬼の姿が生まれたのは、少なくとも平安時代から。
諸外国から流入してきた仏教や陰陽思想などの影響を受け入れながら、だんだんと現在の鬼の姿は出来上がっていったらしい。
また中央の政権に反逆する者たちを鬼と見なしたりもしたらしく、一言「鬼」と言っても、様々な要素を内包しているのだというのが、だいたいどの文献でも共通して見られた結論だった。
「いわゆる虎柄の腰巻をして牛の角をはやした鬼は、だいたい平安時代にイメージが生まれたそうです。文献は鬼を架空の生物として記していますが、あの殺人鬼も似たような姿をしていました。これは私見ですが、きっとそれくらいにいわゆる角をはやした鬼の姿が周知されるようになったんだと思います。でも鳴郎は、いわゆる鬼の姿をした鬼原のことをなりそこないと言った。調べると他にも美男美女の姿をした鬼や、目がひとつの鬼なんかも出てきましたが、恐らく彼らに言わせると『決まった形』がある時点でどれも同じなりそこないなんじゃないかと思います」
「鬼に決まった形なんてないようなものだって、この間言っていたものね」
「そうなんです。それで鳴郎の言う『鬼』に近いものがないか探していったんですが――」
そこまで言って千博は口ごもった。
鳴郎の言う鬼像を調べるために時代をさかのぼって言った結果、辿り着いたのは言葉にするのをはばかられる単語だったからだ。
常夜に聞こうと決意したのも、その単語に行きあたり、まさかそんなはずはないと、自分の予想とはかけ離れた答えをもらおうと思ったのが大きい。
聡明で、なおかつ比較的常識的な彼女ならば、千博の問いに的確に答えてくれると思ったのだが。
しっとりと濡れた彼女の常夜の瞳がこちらに向けられているのを感じながら、千博は言葉を継ぐ。
「彼らの言う鬼に一番近かったのは、仏教も陰陽道などの影響がなかった、遥か古代の鬼でした。いわば古代種の鬼にはまさに決まった姿がなく、得体のしれぬモノで何か恐ろしい力を持つ存在。『鬼』という漢字すらない頃、「オニ」と呼ばれていたそれは、今まで俺たちが倒してきた妖怪やら化け物と言うより、霊いや、むしろ――」
千博は喉の奥がギュッとすぼまるのを感じながら、かろうじて声を出す。
「それは霊と言うよりむしろ――。むしろ『神』に近いものでした。鳴郎たちの言うことが本当なら、あの二人は化け物というより、『神』に近い存在なのではないかと」
常夜は黙っていた。
しばらく黙っていた後、彼女は凛と透き通った声で言う。
「千博君がイメージする神がどんななのかは分からないけど、きっとその答えは間違いではないと思うわ」
「あの二人はやはり――」
「千博君が今までの部活動で出会った妖怪とは別格の存在よ。彼女たちは単なる怪物やモンスターとは違うもの」
鬼灯兄弟の強さは前々から知っていたが、彼らの実力は千博の予想をはるかに上回るものらしい。
鳴郎が殺人鬼を葬った時垣間見えた、彼の背後にある絶大な力の影。
あの時感じた恐怖と怖気を思い出せば、常夜の言葉も心の中にすんなり落ちるような気がした。
だがそれでも千博は常識人であるがゆえに、彼女へ反論せざるを負えない。
「ですが、彼らはもともと人間なんでしょう? 人間が神になるなんてありえるんですか?」
「千博君、貴方は『神』と言うけど、その『神』という単語に惑わされては駄目よ」
「どういうことです?」
「一口に神といっても、唯一神からその辺にいる道祖神までいろいろあるでしょう? それにある時代や地域では神と言われていたモノが、そのうち悪魔と呼ばれることもある。特に日本では顕著ね。この国では妖怪と神の境がすごくあいまいなの。――だから千博君、『神』や『鬼』という単語が持っている既存のイメージに惑わされちゃダメ。自分でアレらが一体どんな存在なのか考えないと」
「なんか聞いておいてなんですが、すごく難しい話ですね」
「そうね。これはヒントというか個人的見解というか、今の貴方に言っていいものか分からないんだけど、多分鳴郎はここが日本だから自分を『鬼』だと言ったのよ。国や宗教が違えば、また別の言葉で自分たちを表現したでしょうね」
――たとえば「悪魔」とか。
彼女がポツリと言ったセリフで、辺りの気温が急に下がった気がした。
(鬼灯兄弟が悪魔? そんなはずは……)
キクコはともかく、鳴郎が人間から忌み嫌われる存在だとは思えないが。
ますます彼らがなんなのか分からなくなってきて千博が押し黙ると、それを見た常夜が苦笑をもらした。
「別に今すぐ結論を出さなくたっていいのよ。なんか余計に混乱させてしまったみたいだし、とりあえず実際の鬼がどんな性質を持っているのか教えてあげるわね」
お願いしますと千博はうなずく。
「まず大前提として、彼らに人間のような寿命はないわ。ほぼ不老不死だと思っていいわね」
「不老不死!? 年も取らないし、死にもしないと!?」
「完全な不老不死ではないみたいだけど、ほぼそうみたいね。羨ましいようで怖い話だわ。あと不老不死だから当然退治なんてすることはできないの。特別な方法で物質的な肉体を滅しても、身体や形に意味がないからたぶん力が弱まることはないし、しようと思えば何らかの方法で復活するでしょうね。今まで出会った化け物と比べたら別格でしょ?」
「別格というか、もはや別次元というか……。」
常夜の言うとおりの性質があるとしたら、個人の性格はともかく、悪魔と言われても無理はないなと思った。
しかし明確に不老不死退治不可能といわれると、いくら鬼灯兄弟の力の片鱗を見たとはいえ、信じられない気持ちになる。
「あとアレらは鬼になった時の精神状態に応じた性質を持ち、その性質に由来する能力を持っていると言われているわ。どの鬼も人間を遥かに凌駕する身体能力を持っているけど、性質によってはさらにとんでもない力を持ってたりするの」
「とんでもない力って例えば?」
「私も具体的には知らなかったから、直接鳴郎に聞いてみたのよ。貴方の持つ性質と能力はなにかって」
「さっきも思ったんですけど、常夜部長けっこう大胆ですね」
「そうしたら鳴郎は『暴力を振るうことができる』って答えたの」
「……はぁ」
「その答えを聞いた時、さすがの私も三日間寝込んだわ」
「え、どうして?」
答えにもなっていないような答えだし、寝込むような要素は微塵もないと思うのだが。
「だって恐ろしかったんだもの。貴方も鬼が、いえアレらがどんな存在なのか分かったら、きっとその答えの恐ろしさに気付くはずよ」
「そ、そうですか……」
「あ、念のため言っておくけど、あの二人は現時点でほとんど無害よ。それどころか有益と言っていいわね。少なくとも私たちにとっては」
それは今まで通りのつき合い方をしていても大丈夫という意味だろうか。
たしかに有害な存在だったらとっくに殺されていてもおかしくないだろうし、彼女の言葉に信ぴょう性があるといえばある。
何度か鳴郎を怒らせているが未だ無事な点をかんがみると、彼に限って言えばむしろ我慢強い性質なのかもしれなかった。
「だから安心して部活に参加してちょうだい」
「あの、そういう問題では。というか、あの二人はともかく、鬼が暴れたら一体どうするんですか? 退治できないなら好きにさせておくしかないと?」
「退治できなくてもなだめる方法はあるから大丈夫よ。――落ち着くまでに多大な犠牲は出るかもしれないけど」
(やっぱりあの二人も危ないんじゃないか?)
今は大人しいからいいものの、いったん機嫌を損ねたら大変なことになりそうである。
千博は特大の金棒を持って暴れまわる鳴郎と、周りの人間にところ構わず噛みつきまくるキクコの姿を思い浮かべた。
己の貧弱な想像力に若干絶望するが、今は気にしている場合ではない。
腫れ物に触るように彼らと接してもそれはそれで機嫌を損ねそうだし、やはり今までどおり接するのが一番いいのだろうか。
(急にそっけなくしたら可哀想だしなぁ……)
自分が彼らを友人だと思っていることを改めて自覚しながら、千博は唸る。
「あの二人、そんなとんでもない奴には見えないのにどうして鬼になんかなったんだろう……」
「さすがに私もそれは聞いてないわね。そのうち分かるかもしれないし、付き合っていけば段々察しがついてくるんじゃないかしら。でも割と普通に見えるのは、それは千博君が彼女たちのごく一面しか見てないからよ」
「つまり、俺はあの二人について何もわかっていないと……?」
「だけどあの二人に限らず、他人との付き合いなんてそんなものじゃないかしら? 長年連れ添った夫婦でさえ、互いのことを全て知り合うのは難しいもの。少しずつ知っていけばいいわ。鬼のことも、あの二人のことも。それを千博君が望むのならね」
うっすらと常夜が微笑む。
いい先輩に恵まれたと千博は思った。
散々恐ろしい目に遭ったが、怪奇探究部に入ったことは間違いではなかったと思う。
「それでね千博君、お互いのことを知らないのは私達も同じだと思うのよ。だから場所を変えて私の部屋でお互いのことを話し合いましょ?」
「あの、常夜先輩?」
「別に変な意味で言ってるんじゃないのよ? だって私部員としての千博君は知ってるけど、男の人としての千博君はまだあまり知らないというか――」
「あの常夜先輩、実はまだ聞きたいことがあって」
「あら、そうなの」と常夜は露骨につまらない顔をした。
さすがに腕の中で妹が、姉に対して呆れたような視線を送っている。
自分に興味を抱いてくれることはありがたいが、千博にはこれを聞かなければ帰れないということが、まだ一つだけあった。
白けた雰囲気を振り払うように眉間にしわを寄せると、堅い声で常夜へ尋ねる。
「実は――『なりかけ』について教えていただきたいんです」
『なりかけさん』と言った時のキクコの声が頭の中で反響している。
彼女の言葉を素直に解するなら、千博は鬼になりかけている人間ということになるのだ。
「実はあの殺人鬼を倒した時、俺はキクコに『なりかけさん』と言われました。いえ、最初に出会った時にも。――ひょっとして俺は、鬼になるんでしょうか」
言いながら、正座をした膝の上で握りしめた拳に、じっとりと汗がにじんでくる。
期待を込めた予想では常夜がすぐ笑い飛ばして「そんなはずはない」と言ってくれると思っていた。
だが彼女は大きく息を吸って吐くと、静止した水面のように落ち着いた口調で言う。
「――なるほどね」
千博の期待と予想は、大きく裏切られた。




