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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第十四話 殺人鬼
56/69

14-3

 一匹の時は言葉が話せないと思っていたが、尾裂狐は獣の身体でも人語を操るらしい。

彼女は「これが千博クンの部屋かー」などと言いながら、ベットの上をフェレットのように動き回っていた。

ベットの下を探ろうとし始めたので、千博は彼女の尻尾を掴む。


「家探しはやめてくださいよ部長」

「ごめーん。イケメンの部屋にテンション上がっちゃってつい。あともう部活やめたんだから、部長はやめて。ヤオっちって呼んで」

「……尾崎先輩」


 さすがに呼び捨てにはできないし、したくもない。

彼女はふてくされていたが、千博はかまわず本題を切り出した。


「尾崎先輩が言う面白い事件って、ひょっとして今起きてる連続殺人事件のことですか?」

「そうだよ。他になにがあるの?」


 尾崎が小さな首をきょとんとかしげる。

少し不快に思ったが、人外である彼女に人間の倫理観を押し付けても仕方なかった。


「それで、どうして俺の部屋に?」

「だってみんな苦戦してると思ってたしねぇ。情報もほとんど手に入ってないでしょ?」

「……おっしゃるとおりです」

「ただの連続殺人だったら放っておいたんだけどさ。それがどうも違ってきたみたいで」


 若干困った顔をすると、尾崎はそう思った理由を語り始めた。

最初は彼女も今回の事件が単なる人間の仕業だと思っていたらしい。

しかし五件目の殺人について調べているうちに、考え方を変えたそうだ。

なぜなら事件現場になったマンションのドアノブが、何者かによって引きちぎられていたからである。


「確かに四件目まではね、普通の殺しだったの。家にいる被害者を滅多刺しだから、完璧人間の仕業だよ。だけどドアノブを引きちぎられちゃねー。こりゃもう化け物の仕業でしょ」

「道具を使ったわけではないんですか?」

「現場のドアノブはねじ切ってあったんだけど、どんな道具ならそんなことできる?」


 千博は押し黙った。

おそらくそれを可能にする重機はあるだろうが、被害者の家はマンションだ。

電源も広さもない、おまけにエレベータに乗らなければたどり着けない場所に、重機を持ち込むなど不可能であった。


「もしかしたら五件目だと思ってるだけで、無関係の化け物が殺したのかもしれませんよ」


 自分で言いながら、千博は違うと思った。

なぜなら五件目の被害者宅には例のタワシがあり、次の犯罪を予告する洗剤も残されていたからだ。

四件目までは人間の手口そのものだったのに、どうして急に化け物じみた犯行になったのだろうか。

単に化け物が犯人なのだとしたら、最初からドアノブをちぎるなり扉を破るなりしているはずだった。


 悩む千博へ尾崎が鼻先を近づける。


「千博クンが分かんないのも無理ないと思うよ。だってまだ常識的だからね」

「尾崎先輩は分かるんですか」

「確証はないけど、おそらく犯人は人間から化け物になりつつあるんだと思う」


 「そんなバカな」と言いそうになって、千博は口を閉ざした。

以前鳴郎から、人間が化け物になるという話を聞いたことがあったからだ。

聞いたのは、たしか「ひきこさん」事件の最中だったと思う。

「ひきこさん」の正体、森妃姫子も、イジメと虐待にあい、憂さ晴らしで子供を殺すうちに化け物になった人間だった。


 鳴郎曰く、人間が化け物になる条件は二つあるという。

まず生まれながらにして「素質」があること。

もう一つは「精神が人間の範疇を越える」こと。


 もし犯人が素質のある人間で、人を殺すうちに精神が人間を越えつつあるのだとしたら――。


「ね? 怪奇探究部の出番でしょ」


 尾崎が大きな目で器用にウインクする。


「早く鳴郎たちに伝えないと!」

「大丈夫だって。もう連絡してあるから」


 さすが元部長は手際が良く、千博は彼女に案内されるままいつものファミレスへ向かった。

常夜、花山と、それから少し遅れて鬼灯兄弟がやって来る。

全員尾崎から同じ話を聞いているらしい。

メンバーが揃うと鳴郎から切り出した。


「オレもキクコも、尾崎が言ってることは正しいと思う。四件目の事件現場に寄ってみたら、『気配』がしたからな」


 気配とは化け物の気配ということだろうか。

「ひきこさん」の時も彼は同じようなことを言っていた。

化け物退治の経験がそうさせるのか、鬼灯兄弟は現場に残った妖怪の気配を嗅ぎ取ることができるらしい。

相変わらず人間離れしているなと、千博は思った。


「ということは、犯人は四件目の時点で化け物になる片鱗を見せてたってことか」

「いや、多分その前から予兆はあった。ただ三件目の現場にも行ってみたが、時間がたちすぎてだいぶ薄くなっててよぉ。自信を持って言えるのは、四件目からだな」

「最初から化け物っていう可能性はゼロか?」

「ゼロだな。一日しか差がない四件目に気配が残ってるのは、犯人が殺す度に化け物に近づいて、気配が濃くなっているからだ。最初から妖怪なら気配は一定だろ」


 鳴郎のいうことは的を得ていた。

となると、犯人が人間から化け物に移行しているという事実はもはや確定らしい。

厄介なことになったと千博は頭を抱えた。

現場に残された犯行予告や出てこない目撃者から考えるに、「ひきこさん」と違って、今回の犯人は、高い知能を持ったまま身体能力だけ上がっているようである。

だとするとはなから手が出ない怪奇探究部はもちろん、頼みの綱である警察すらお手上げになってしまうかもしれない。


「このままじゃ、誰も止められなくなるぞ……」


 千博は絶望のまま呟いたが、それを聞いた常夜は首を横に振った。


「大丈夫よ千博くん。むしろ化け物になってくれた方が、こっちは捕まえやすくなるわ」

「それはどうしてですか? 今でさえ難しいのに」

「だって化け物に近くなれば近くなるほど、気配が強くなるのよ。今の状態だって鳴郎なら、顔をみれば分かるでしょうね」


 鳴郎が腕を組みながらうなずいた。


「『なりかけ』の気配は特徴的だ。近くに来ればすぐに分かる。そのうちかなり遠くからの距離でも特定できるようになるぜ」

「じゃあお前の勘と合わせれば……」

「犯人を捕まえることができるってわけだ」


 千博は暗闇の中でようやく光を見出したような心地だった。

しかし部員たちの表情はあまり明るくないままである。


「あの、でも、喜んでばかりじゃいられませんよね……」


 今まで黙っていた花山が少し青ざめながら言った。


「だって犯人は、どんどん強くなってるんですよね……? もしかしたら、そのうち虐殺とか始めるかも……。それに、もし完全になりきってしまったら――。」

「……どうなるんだ?」


 千博はまだ化け物に「なりきった」人間がどうなるかを知らなかった。

前から気になっていたが、聞くタイミングを逃してしまったというのもある。

しかしそれよりも、真実を知るのが怖くて質問を先送りにしていたといったほうが正しかった。

出会った化け物の中でもトップクラスの強さを誇る「ひきこさん」でさえ、「なりそこない」だったのである。

きっと化け物に「なりきった」人間は、想像を絶する手ごわさだろう。

今でも答えを聞くのは怖かったが、これ以上引き伸ばしてはいられなかった。


 花山が口を閉ざしてしまったので、千博は覚悟を決めて鳴郎へ尋ねる。


「なぁ、教えてくれ。化け物になりきってしまった人間は、一体どうなるんだ?」


 テーブルの空気が一瞬のうちにこわばった。

キクコ以外は皆、鳴郎がどう出るかを窺っているようである。

やはり気軽に口に出せるようなことではないらしい。


「化け物になりきっちまった人間がどうなるかって?」


 鳴郎は周囲の視線にうっとうしそうな顔をしてから、ゆっくりと口を開いた。


「――簡単さ。人間をやめた人間は、鬼になるんだよ」


(鬼――?)


 それは日本人なら誰もが知っている怪物の名前だった。

赤や青をした巨大な体に、牛の角。

虎柄の腰巻をして、金棒を持っている――あの鬼になるということだろうか。


「テメェ、オレの言うこと信じてねぇだろ」

「違う。ただ、あまりにも驚いてな」

「驚くもなにも、あれが妖怪になった人間の姿だよ。絵本みたいカラフルで、虎のパンツをはいてるワケじゃないがな」

「本当に、人間が鬼になるのか?」

「テメェ、やっぱり信じてないじゃねーか」


 信じてないというより、信じられないというべきだろうか。

鳴郎の言っていることを疑っているわけではないが、人が鬼に変わるという衝撃的な事実を、脳はなかなか受け入れてくれなかった。

古来から説話やおとぎ話に出てくる、恐怖と強さの象徴である鬼。

それがまさか人間の変じた姿だとは。


 千博は動揺が静まるのを待ってから言う。


「人間が鬼に変わると、何か変化するのか? 見た目が変わるだけか? それとも――」

「見た目も変わるし、能力も変わる。というより、存在そのものが変化する。鬼は体こそあるが、生き物とは違うと思っていい。肉体と人だった頃の人格を持った霊体とでも言えばいいのか」

「霊体って、鬼になるには死ぬ必要があるのか?」

「死ぬ必要はない。生死を超越すればいいってだけだ」

「それってとんでもないことなんじゃ……」

「それが『精神が人間の範疇を超える』ってことなんだよ」


 あっさり言ってのけるが、絶対に不可能なことだと千博は思った。

人間がが生死を超越するなんて、仮にできても人生をかけて修業を積まなければ無理だろう。


「今までに鬼になった奴なんているのか?」

「いるから伝説に残ってるんじゃねーか。もちろん、ほんのわずかな数だがな」


 鳴郎曰く、素質を持った人間自体は意外と数がいるらしい。

しかしそのほとんどが普通に人として一生を終えるそうだ。


「『なりかけ』になるヤツですら、素質のある人間のなかでほんのごく僅かだ。その中で『なりそこない』になるやつが、これまたごく僅か。鬼になれる奴なんて、百年に一人二人いればいい方か」

「鬼はある意味スーパーエリートだな」

「面白いこと言うじゃねーか。そうだよ。そのとおりだ。鬼になれるのは、素質のある奴で最高に不運・・なヤツなんだ」


 鳴郎が皮肉のこもった声で言った。

誰に対して皮肉を言っているのかは分からない。

尋ねるのもはばかられて、千博は少し話を横道にそらした。


「今まで鬼になった奴は、どうやって『精神が人間の範疇を超えた』んだ?」

「オレが知ってる限りだと、復讐心を極限まで極めたヤツ。芸術にのめり込み過ぎて、人外の境地までたどり着いたヤツ。この世の誰よりも強く純粋に生きたいと思ったヤツ。最後に、世界で最も暴力らしい暴力を行使したヤツ――そんなところだ」

「……ほとんど狂人だな」

「狂人を越えた狂人さ。誰かが鬼のことを『狂気の向こう側へ行った存在』と呼んだが、なかなかいい表現だとオレは思ってるぜ」


 鳴郎の話を聞くと、確かに鬼になった人間は狂気の向こう側へ行ってしまったように感じられた。

例に出されたのはどれも、常人ではできないことを成し遂げ、または常人では考えないことを考えた者たちだ。

逆に言うと、彼ら未満の精神ではなりそこないになってしまうのだろう。

果たして、いま人を殺して回っている犯人は、鬼になれるのだろうか。


 「無理だろうな」と、千博は考える前に呟いていた。

奴がやっていることは、残忍極まりないが、所詮単なる犯罪者の域を出ない。


「じゃあ、今回の犯人は鬼にはならないな」

「そのとおりだ千博。この街で調子に乗ってる殺人犯は、鬼になんかなれない。やってることはよくある連続殺人だ」


 心配していた花山も、安心した様子である。


「ところで、もし犯人が鬼になるような人間だったら大変だったか?」

「たりめーだ。鬼をそこらの妖怪と一緒にするんじゃねぇぞ。まず身体能力からして違う。個体にもよるが一撃でビル壊すなんて当たり前だし、通常兵器はほとんど効かないと言っていい」

「通常兵器って、銃や爆弾でもダメなのか?」

「鉄みたいに体が丈夫で、仮に木端微塵になっても再生するんだよ。鬼を殺すには霊刀みたいな特殊な武器じゃないと無理だ」


 まさしく伝説やおとぎ話に出てくる怪物そのものである。

数がごくわずかとはいえ、そんな化け物が存在するという事実だけで恐ろしい。

たとえ有効な武器を持っていても、攻撃を加える前に殺されてしまいそうだ。


「昔の人間は、どうやって鬼を退治したんだろう……」

「退治してねーよ」

「えっ!?」

「鬼の本体は霊体だから、たとえ体を破壊しても退治したことにはならねーんだ。そもそも『退治』って概念が通じるような存在じゃない。だから昔の奴らは、お願いだから大人しくして下さいって頼んで、神社建てて、供え物でご機嫌とって、そうやって鬼を鎮めたんだよ」


 千博は思わず眉間を押さえた。

絵本などの印象で、鬼はとても強くて恐ろしいが、必ず倒される存在だと思っていたのに。

そもそも退治不可能な妖怪がいるだなんて考えてもいなかった。

そんなとんでもない化け物と出会うかもしれないのに、よく鬼灯兄妹は妖怪退治なんぞやってられるものである。


「それに鬼がヤバいのは身体能力だけじゃねぇ。鬼は個体ごとに能力を持ってるから、それがまた厄介でな。まぁ説明しづらいから、そのうちおいおい教えてやるよ」

「そんな恐ろしい存在が、今も日本にいるんだよな……」


 いくら超常的な存在に慣れてきたとはいえ、千博は信じられない気持であった。

人間に対処不可能な存在がいながらも、今まで無事に生きてこられたのは、ひとえに自分が幸運だったからだろうか。


「鳴郎の話を聞いてると、よく日本が平和でいられるなと思うよ」

「別に鬼だっていつも荒ぶってるワケじゃねーよ。怖いのはその気になった時だけで、普段はそんなでもないってぇの」

「でも……」

「形だって半分ないようなもんだから、いつもは人間だった頃と変わらない外見だし、飯も食うし、仕事や学校にだって行くんだよ」


 人知を超えた存在が、普段は人と変わらぬ生活を送っているなんて、滑稽にも感じられた。

だがすぐに千博は思う。

もし人間が絶大な力を手にいれたら、果たしてどうなるだろうかと。

きっと力を利用しようとして振り回されて、破滅するのが関の山だ。

それを鬼たちは、持っている力など意にも介さず、ごく普通に暮らしているという。

やはり彼らは「向こう側」へ行ってしまった存在なのだと思った。


「いつもは大人しいとしても、やっぱり俺は鬼が怖いよ。力もそうだけど、人間をやめたその精神が怖い。」

「そりゃ怖いだろうな。だから鬼は鬼なんだ。鬼ってのはな、恐ろしくて強いものなんだよ」

「そういうものなのか」

「そうものなんだよ。納得したなら、話を先に進めるぜ」


 あまりに衝撃的な話を聞いたせいで、連続殺人事件ついて話している最中だということを、すっかり忘れていた。

部員たちに謝って、千博は話を本題に戻す。


「先程の話をまとめると、事件の犯人は化け物になりつつあって、そのせいで逆に気配が掴みやすくなってるということですよね?」


 千博が確認の意味を込めて尋ねると、常夜がうなずいた。


「そのとおりよ。ただ一子ちゃんの言うとおり、化け物になりかけてる犯人がどう出るかが心配よね」

「『なりかけ』の状態でも強いんですか」

「進行具合なんかにもよるけど、並の妖怪より強いことがほとんどだわ。途中で人格が失われても厄介だけど、人格を持ったままでも困るわね。手に入れた力に浮かれて、滅茶苦茶なことをするときがあるから」


 「それこそ大虐殺とか」――彼女は軽い口ぶりで、とんでもないことを言った。

しかし犯人がそれをしないとも言い切れないのが、恐ろしいところである。

いま化け物になりかけているのは、すでに五人殺している殺人犯だ。

一人一人こっそり殺しているのは、おそらく警察に捕まるのが怖いからで、そんな奴が力を手に入れたらどうなることだろう。

警察の手が及ばなくなったと思い、一気に人を殺しまくるかもしれない。

ドアノブを引きちぎったという話を聞くに、少なくとも犯行が大胆になってきているのは確かである。

思っているよりずっと、街に迫る危機は大きいのかもしれなかった。


「いくら次の犯行場所が分かっても、この間みたいに見逃したら意味ないわ。できるだけ犯人像を明らかにして、特に行きそうな所や身なりを割り出しておかないと」

「ただ見て回るより、少しでも手掛かりがあった方が見つけやすいですからね」

「そういうこと。というわけで、みんな知っている情報を出し合ってくれないかしら」


 常夜の呼びかけに部員たちがうなずく。

卒業したばかりのOGも加え、怪奇探究部員による「連続殺人犯退治」は本格的に開始された。


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