14-2
森を開いて造成された夢見ノ森タウンは広く、鳴郎が予想した五丁目まではバスに乗って移動しなければならなかった。
扉が開き、ステップを降りると、肌寒い風が襟元をすり抜ける。
いくら昼間温かいといえど、三月の夕暮れ時はまだコートが手放せなかった。
あらかじめ持っていた上着を着込む千博の横で、常夜が部員たちに言う。
「ここから二手に分かれて行動するわ。一班は私と千博君とキクコちゃん。二班は鳴郎と一子ちゃんよ。私たちは五丁目の東半分を回るから、貴女たちはもう半分をおねがいね」
ネットで調べたところによると、一連の犯行はすべて午後五時から午後七時の間に起きているという。
現在の時刻は四時五十五分。
見回りは七時まで行われる予定となっていた。
同じところを延々歩き回るのは辛いが、これも街の平和のためだ。
「しかし人間相手に戦うことになるとはなぁ……」
常夜たちと出発した千博は、暮れかけた空を見上げながら呟いた。
二学期の初めから今まで数々の事件に遭遇してきたが、霊や妖怪のまったく絡まない人間と――しかも殺人犯と対決するのはこれが初めてである。
夢見の森では犯罪が多いが、連続殺人犯は流石に滅多に出ないという。
殺人もままあるが、せいぜい怨恨によるもので、連続して人が殺されるのは珍しいと言ってよかった。
「まったくない」ではなく、「珍しい」という表現になるのが、この街の恐ろしいところではあるが。
(まったく、最近空き巣が相次いだと思えば、今度は殺人鬼だなんて――)
空き巣が氷野家の近所を騒がせたのは、つい先日のことである。
自宅へ警察が聞き込みに来たときは驚いたが、今思えば空き巣なんて可愛いものだ。
空き巣も捕まらないうちに、まさか連続殺人事件が起きるとは。
「早く、捕まえないと……」
千博が呟くと、常夜とその妹がこちらへ視線を向けた。
「ずいぶん真剣ね、千博君」
「そりゃあまぁ、近所で起きてる事件ですから。それに相手が人間だとなんていうか――。余計許せなくて」
「どうして?」
「だって妖怪が人間を殺すのは、ある意味災害みたいなものですし、悪気もあまりないじゃないですか。少なくとも人が人を殺すよりは」
「そうね。確かにそうだわ。妖怪なんて考えようによっては、単なる害獣だもの」
よく怖い話のオチで「本当に怖いのは人間だ」という言葉が出てくるが、それは本当だと思う。
化け物と違い、倫理も理性もあるはずの人間が、化け物と同じように人を殺すなんて。
殺人の罪に上下があるなら、今まで退治してきた化け物たちより、件の殺人鬼の方がよっぽど罪が重いに違いなかった。
「きっとヤツはまたやりますよ。だから俺たちが真剣にならないと」
「私だってそのつもりよ。人外が遊びで始めた部活だけど、私はたとえ部活の範囲内でも真面目にやるつもり。だって私は人間だから」
「人間、ですか」
「そうよ人間よ。私も貴方も」
常夜の薄紅色をした唇が、美しい弧を描く。
飯田が死んだ直後は彼女のことをおかしいと思ったが、認識を改めなければならなかった。
自身も妖怪である尾崎八百や、人間離れした鬼灯兄弟と渡り合うには、きっと「まとも」ではいられないのだろう。
先程鳴郎と睨み合った彼女を思い出して、千博はそう結論付けた。
花山も一見臆病そうに見えるが、一般人と比べたらはるかに肝が据わっているに違いない。
(なら俺は……?)
そこまで考えたところで、常夜に声をかけられた千博はふと我に返った。
「キクコちゃん、行っちゃうわよ?」
「あっ、すみません」
見るとキクコが道路の先でゴマ粒のようになっていた。
こちらが追いかけていく間にも、彼女は一軒家が立ち並ぶ住宅密集地をどんどん進んでいく。
前にも似たようなことがあった気がした。
「鬼灯、少しは待ってくれ!」
「はやくいこ。はやくいこ」
キクコは立ち止まると、その場をグルグル回りだした。
もう中学二年生になろうというのに、彼女のふるまいは幼児そのものである。
追いついてもさっさと先へ進んでしまうキクコを追いかけながら、二人は逢魔が時の住宅街を回った。
幸い不審者らしき人物は今のところ見当たらず、いるのは帰宅途中の学生とサラリーマンばかりである。
戸建が詰まった町のど真ん中だから、人通りが多くても、不審者がいたらすぐ分かりそうだ。
何度か同じところを見回っているうちに、空は夕暮れから夜へとすっかり移り変わっていた。
時計は午後六時三十分を指している。
鳴郎たちから特に連絡はないし、今日の所は無事に済みそうだった。
「あと三十分、何もないといいですね」
日が落ちた住宅街は、街灯が少ないせいか若干見通しが効きづらい。
先程より人通りも落ち着いてきており、犯人にとって一番動きやすい時間帯かもしれなかった。
慎重に見て回りたいので、常夜にキクコの袖を捕まえてもらう。
しばらく彼女はこちらの動きに従っていたが、それも束の間だった。
今度はある程度歩いたところで、突然その場から動かなくなってしまったのである。
こちらがなだめてもすかしても、彼女は無表情のままそこから微動だにしない。
その様子が余程怪しかったのか、千博たちは向こうから来た人影に怒鳴りつけられた。
「君たち、こんなところで何をやっているんだ!」
早足でこちらへ来るのはスーツを着た男性である。
まだ若者の面影が残る顔立ちで、背は百八十を超す千博よりも大きかった。
彼のすぐ後ろから、婦人警官の制服を着た若い女性が追いかけてくる。
おかげですぐにこの男が刑事なのだと察することができた。
男が千博たちの前で腕を組みながら言う。
「見たところ高校生が、暗いのにこんなところで何をやっているんだ?」
千博はとっさに「部活動の帰りです」と嘘をついた。
見回りなんて言ったら、厄介なことになりかねないからだ。
しかし千博の機転は、一瞬でキクコにぶち壊された。
「ちがうよ。ワタシたちね、見回りに来たの」
思わず睨みつけたが、彼女はカエルの面に水である。
「見回り? 一体なんの見回りだ」
「殺人鬼が来ないか見はってるの」
「お前たちが?」
「けーさつはたよりにならないからね」
千博と常夜は顔を手のひらで覆った。
いくら空気の読めないキクコといえど、身内以外にはもう少し気を回してほしい。
刑事はあからさまに不快そうな顔をしたが、彼が何か言うより早く、隣にいる婦人警官があいだに入った。
「たしかに警察は頼りなく感じるかもしれないけど、これでも私たち頑張ってるんだよ」
「ほんとに? だからここ歩いてるの?」
「え、ええ……。そういうことよ」
「ふーん。そうなんだー。……うそつき」
千博はとっさにキクコを羽交い絞めにした。
口元を手で覆い、二人に向かって頭を下げる。
「すいません! コイツ普段からちょっとおかしいんです。気にしないでください!」
「い、いいのよ。他にもいろいろ言われることあるから……」
「ほんとにすみません! お仕事がんばってください!」
羽交い絞めにしたままキクコを引きずり、千博たちは来た方へとあわてて引き返す。
だがキクコに腕力でかなうはずもなく、少し進んだところであっけなくふり払われてしまった。
晴れて自由の身になった彼女は、立ち止まると、刑事たちの方へ振り返る。
「期待してるからね? 刑事さん」
キクコの赤い髪が、夕闇の空へうねった。
何気ない一言のはずなのに、底冷えするような彼女の声が千博の肝を凍てつかせる。
つり上がった唇からは、獣のような犬歯がのぞいていた。
姿かたちは愛くるしいのに、嗤う彼女を見ていると、万力で締め付けられるような恐怖を感じてしまう。
だがそれはたった一瞬のことで、気が付くとキクコはいつものキクコに戻っていた。
「いこーいこー。七時だし帰ろー」
大げさに手足を動かしながら、彼女は帰りのバス停がある方へ走っていく。
行きと同じく、千博と常夜は彼女を追いかける羽目になってしまった。
*
七時ちょうどに仕掛けた目覚まし時計の音で、千博は眠りから覚めた。
寝ぼけた頭で今日から春休みだということを思い出すが、二度寝しないでそのまま一階へ降りる。
休みの日はほとんどの家事を千博が負担していた。
誰もいないリビングに入ると、まずリモコンを探してテレビの電源をつける。
ニュースをBGM代わりに朝食の支度をする予定だったが、画面に映った景色を見て、千博はその場から動けなくなった。
昨日千博たちが見回った夢見の森五丁目が、テロップ付きで大写しになっていたからである。
どうしてニュースに取り上げられているのかは、考えてみなくても分かった。
ついに四件目の事件が起きてしまったのだろう。
千博の直感はただしく、ナレーションが昨夜夢見の森五丁目で殺人事件があったことを告げた。
犯行があったとされる時刻は昨日の午後六時半ごろだという。
「俺たちがいた時間帯じゃないか!」
千博は気が付くと大声を上げていた。
犯行を防げなかった悔しさとやるせなさが腹の底からこみあげてくる。
不審者はいなかったはずなのに、行き違ってしまったのだろうか。
それとも犯人はあらかじめ被害者の自宅に潜んでいたのだろうか――考えても、結論が出ることはなかった。
思わず常夜へ電話すると、彼女も同じ番組を見ていたらしい。
「私達が人間を捕まえるのは難しいのかもしれないわね……」
彼女の声は暗く沈んでいた。
励ましたいが、正直千博も同じ気持ちなのでかける言葉が見つからない。
「妖怪なら正体さえ分かればどうにでもなるんだけど……。人間だとそうはいかないもの」
「妖怪は種類ごとに行動が決まってますからね」
「結局警察に頼るしかないんだわ。情けない」
警察もパトロールしながら防げなかったところをみるに、相当苦戦しているようではある。
だが殺人犯に対するノウハウも捜査力も、怪奇探究部よりあることは確かだ。
「また鳴郎に聞いてみますか?」
千博たちに取れる手は、もはや鳴郎しか残っていない。
実を言うと今朝のニュースを見るまで、彼の予想については半信半疑であった。
しかし次の犯行場所をピタリと当てたのを見て、理屈は分からなくとも、信用のおける意見だと思うようになってはいる。
「アイツなら、次の場所も分かるかもしれません」
「そう思って聞いたみたのよ。そしたら次は四丁目だって」
「四丁目って確か……」
千博は四丁目に広がる巨大なマンション群を思い描いた。
まさかと思う前に常夜が言う。
「最悪なことに、次はあの大規模マンションで事件が起こるっていうのよ。そんなのもうどうしようもないわ」
「ひょっとしたら、違うかもしれないじゃないですか」
「悪いけど、殺人に関する鳴郎の勘は本物よ。それにあの子の勘が外れてたら、それこそ完全にお手上げだわ」
常夜の言うとおりだった。
鳴郎の意見が正解でも、怪奇探究部四人で戸数二千を超えるマンションを調べつくすことはできない。
外れていたら、そもそも調べる場所すら分からないということになる。
数多の恐ろしい化け物を屠ってきた怪奇探究部は、たった一人の殺人犯を前に、身動きが取れなくなっていた。
「あきらめるしかないんですかね……」
「そうね……。今回は見送らずを得ないけど、ネットでもいいから情報は集めておいてくれないかしら」
最初よりもますます元気をなくした口調で、常夜が電話を切った。
既に次の番組が始まっているテレビを前にして、千博は頭を掻き毟る。
こんな時尾崎八百がいてくれれば――たとえ目的は遊びだったとしても、尾裂狐の群体である彼女の実力は本物だった。
だが今はいない人物のことを考えていても仕方がない。
千博は朝の家事が終わると部屋にこもり、パソコンで事件についての情報を漁った。
いくつかのニュースサイトをハシゴするうちに、テレビでは報じられなかった細かい情報が手に入ってくる。
昨夜殺された被害者の家には、やはり三件目の現場で見つかったのと同じ漂白剤が常備されていたそうだった。
そして死んだ被害者の隣には、新たな犯行を予告するタワシが置いてあったらしい。
(犯人は、まだ殺すつもりなのか……)
一体いつになったら犯人は殺しに満足するのだろうか。
動機は未だわからず、世間では殺人そのものが目的だとささやかれている。
現場に置かれていた日用品はすべて同じメーカーだといい、そのメーカーに恨みがある人物ではないかという意見もあった。
ネットには真偽の分からぬ情報や各々の勝手な推理が山ほどあって、見ていると何が真実なのか分からなくなっている。
しかし新聞社のサイトでも掲示板でも、警察が手掛かりを見つけていないという情報だけは一致していた。
あらかたネットの情報を調べ終わった千博は、次に自分の目で事件現場を見に行く。
現場は昨日利用したバス停の近くで、バスを降りるとそこはマスコミと野次馬と警察で、不謹慎だがお祭りのようだった。
ニュースで聞いた情報によると、被害者は二十七歳。
ごく普通の一軒家で、父母と暮らしていたらしい。
婚約者もいたといい、野次馬も近所の人間が多いのか、辺りは悲壮感に包まれていた。
もう少し現場に近寄ってみたかったが、人込みと警察の規制でなかなかそばに行くことができない。
人垣のあいだからは、昨日刑事と一緒にいた婦警の顔が見えた。
(この辺りの担当なのか……)
夢見の森タウン一帯は夢見の森署の管轄だから、おそらくそこに属しているのだろう。
彼女の顔は青ざめ、遠目にも疲れているのがよく分かった。
無理もない。
ただでさえ先の事件で疲れているのに、日もおかず四件目の殺人が起こったのだ。
周囲の野次馬たちも、好奇心というより不安感から集まっているように見える。
「いったいどうしちゃったのかしら? この街は」
「もう四人目でしょ? それも女の子ばっかりだって」
「女の子ねぇ……。最近この辺空き巣もあったじゃない」
「そうそう、警察まで聞き込みに来て――」
思わず千博は会話する野次馬主婦の方を振り向いた。
千博の近所だけでなく、この辺りでも空き巣があったらしい。
警察が聞き込みに来たというのだから、きっと一件以上起こったのだろう。
空き巣という、連続殺人が起こった場所の共通点。
空き巣なら当然室内を物色するだろうし、盗まなくても下見として家に忍び込むこともある。
ひょっとしたら犯人は空き巣として家々を物色しながら、殺人のターゲットを決めているのかもしれなかった。
これなら被害者宅の台所用品を知っているのも納得がいく。
(なるほど……そういうことか……)
警察に言うことも考えたが、当然向こうも気付いているだろうと思い、やめることにした。
世間へ発表しないのは、おそらく犯人に知られたくないからだろう。
やはりいま千博にできることは何もなかった。
警察が一刻も早く事件を解決してくれることを祈りながら、春休みを過ごすしかない。
しかし第四の事件から二日後。
警察は次の犯行までに犯人を逮捕することができず、五人目の犠牲者が出てしまった。
場所は鳴郎が予想したとおり、夢見ノ森四丁目にあるマンションの一室である。
被害者宅には例のタワシがあり、また死体の横には台所洗剤が置いてあったそうだ。
殺人鬼はもうすでに次の殺人を犯すつもりでいる。
ひょっとしたらこのまま殺人が止まらないのではないかと、千博は不安になった。
かといって自分が何をできるわけでもない。
「こんな時部長がいてくれれば……」
千博がベッドの上で呟くのと、部屋の換気扇から何かが出てくるのはほぼ同時であった。
人の拳足らずの小さな穴から滑り出てきたのは細長い獣――そう、尾裂狐である。
すべての個体が同一の人格と知識を共有する尾裂狐だ。
一匹尾裂狐がやって来たということは、それはもう部長が部屋に来たのと同意義だった。
驚いた千博は慌ててベットから状態を起こす。
「え!? 部長!? 何しに来たんですか!?」
「面白い事件が起きてるからちょっとねー」
元部長にして妖怪、尾崎八百(一匹)はベットに飛び乗ると、長い尻尾をふりふり動かした。




