14-1
「なぁ、この街で起きてる事件のこと、氷野はどう思う?」
秋原が人懐こそうな目を眼鏡の奥で細めながら言った。
「怪奇探究部の一人として答えてくれよ」と間髪入れずに続けてくる。
こちらが登校してくるなり、何を言うんだと千博は眉根を寄せた。
とはいえ、彼が何を言いたいのかは大体のところ察しがついている。
「事件って、連続猟奇殺人事件のことか?」
「そうそう。ここ一週間で起きてるヤツ」
やっぱりかと、千博は思った。
いま夢見の森タウンでは、世間を震撼させる連続殺人事件が起きている。
たった一週間の間に、同様の手口で二十代後半の女性が二人殺されたのだ。
一人目は七日前に。
二人目は三日前に。
どちらも現場には、次の犯行を示唆する証拠品が残されていたという。
事件が起きたのは二件とも夢見の森第二中学の近くで、秋原が関心を持つのも無理なかった。
「そんなこと俺に聞いてどうするんだよ」
「いやぁ、氷野はいろんな事件を見てきてるんだろ? 斬新な見解はないのかと思って」
「俺が遭遇してる事件は化け物がらみだから、そういう普通の事件は分からないよ」
「普通の事件っていうけど、今回の事件も充分怪奇じみてると思うぜ?」
千博が理由を聞くより先に、秋原が口を開く。
「テレビとネットで得た情報だけど、一件目の死体の横には、台所洗剤が置かれてたらしいんだ」
「それがどうかしたのか?」
「でな、二件目の被害者の家には、その台所洗剤とまったく同じものが置いてあったんだよ。つまり――」
「つまり犯人は一人目を殺す前に、もう二人目の目星をつけていて、二人目の自宅にあった洗剤と同じものをわざと一件目の事件現場に残したと。そういうことか?」
「……そういうことだよ」
「二件目の犯行現場にも、同じように何か置いてあったのか?」
「……ああ。包装したままのスポンジがあったって」
「じゃあこういうことだな。犯人は少なくとも三人の女性宅を訪れたことがあるんだ。台所用品なんて、入らなきゃ分からないからな。殺された二人の友人関係はとっくに調べられてるだろうから……。犯人は、水回りの修理業者辺りの可能性が一番高いだろうってトコか」
秋原はしばらく唖然としたあと、なぜか目を輝かせて千博に詰め寄ってきた。
「なぁ氷野、探偵やる気はないか?」
「はぁ? なに言ってんだ秋原」
「今の名推理を聞いてオレは思った。お前ならできると」
「できないよ。あんなこと誰だって考えつくって」
「わずか三十秒でできるヤツはなかなかいない。なぁ、探偵やろうぜ? とりあえずこの事件なんてどうだよ」
「迷宮入りなんだ」と彼が手にしていた本を開いて見せてくる。
歴史に残る猟奇事件を解説してある書籍のようだが、扇情的な見出しを見るにあまり学術性は高くないようだった。
わざわざこんな本を持って来るなんて、事件マニアなのだろうか。
千博はそれとなく興味のないそぶりを見せるが、彼はそれを察してくれない。
「この事件、たった十数年前に起きた事件なんだよ。陸の孤島の集落で、二百人近く惨殺されたらしいんだ」
「……ああ」
「二百人だぜ? それもたった一人でやったらしい。で生き残ったのも一人だけなんだって」
「噂に尾ひれがついたんじゃないのか?」
「いやいや、オレが調べた情報によると――」
秋原の話はまったく止まらず、だんだん千博はうんざりし始めた。
いい加減話を打ち切ろうかと考えていると、ホームルーム開始のチャイムが鳴る。
これ幸いと千博は自分の席へ逃げ帰り、事なきを得た。
春休み目前の今日は午前中までしか授業がないため、昼休みに捕まることもない。
正午までにすべてのカリキュラムを終えた千博は、とくに用事もなかったので、すぐに校舎を後にした。
三月も後半になると、昼間の日差しは春のように暖かい。
平日の昼時だと人通りも少なく、住宅街にある通学路は鳥のさえずりが聞こえるばかりだった。
特に今日は一人で帰っているため、ことさら静かである。
こうしてみると夢見の森も普通の街にしかみえないのだが――しかしそう思った途端、すぐ近くの道路を、パトカーのサイレンが通り過ぎる。
向かった先は、千博の自宅方面のようだった。
また何か起きたらしいと、自然に足が早まる。
自宅へ近づくにつれて人の数と話し声が増していき、やがて野次馬たちが集まる場所へ行きついた。
彼らはなんの変哲もない一軒家を囲んでおり、人込みの隙間から黄色いテープが見え隠れしている。
テープには警視庁の名で立ち入りを禁じる旨が印刷されており、警官が近づくなとこちらへ向けて叫んでいた。
直感的に、人が殺されたのだと思った。
人垣を割るようにして、青いビニールシートをかけられた担架が、近くの警察車両へと運ばれていく。
千博は今朝秋原と話した事件のことを思い出した。
ひょっとしたら第三の犠牲者が出てしまったのかもしれない。
予想は正しかったらしく、夕方のニュースでは件の事件に三人目の被害者が出たことを報じていた。
事件現場はもちろん、昼間に通りかかったあの一軒屋である。
殺されたのは先の二件と同じ二十代後半の若い女性で、体を滅多刺しにされて死んだらしかった。
これ以上のことは報じられなかったので、千博がネットで調べてみると、被害者の自宅には、二件目の事件現場にあったスポンジと同じものがあったという。
また今回の犠牲者の隣にも、次の犯行を示唆する漂白剤が置かれていたそうだった。
完全なる連続犯である。
これで殺されたのは三人。
犯人は人間だろうが、事件の悲惨さも犠牲者の数も、もはや化け物によるそれと大差なくなってきている。
これは怪奇探究部の出番ではないだろうかと、千博は思った。
やっているのが人間といえど、この街で好き勝手人を殺しているのに変わりはない。
たとえ千博たちのやっていることが「遊び」であったとしても、敵は世間を騒がす連続殺人犯。
相手に取って不足はないはずだった。
尾崎八百が卒業し、新しく怪奇探究部の部長になった常夜も、千博と同じことを考えていたらしい。
夕食後にケータイをみると、明日部室に集まるよう彼女からメールが来ていた。
明日学校で予定されているのは、終業式のみである。
翌日、退屈な式典を終え、通知表をもらった千博は、すぐに怪奇探究部の部室へと向かった。
普通の生徒だったら通知表のことで一喜一憂するのだろうが、常にオール5の千博にとって成績など大した関心ごとではない。
部室へつくと、すでに常夜が部員たちを待っていた。
「三年の教室はここから渡り廊下ですぐなのよ」と彼女が言う。
「で、千博君。成績はどうだったのかしら?」
「いつも変わらないんで少ししか見てません」
「あら、いつもオール5なのね」
「なんで分かるんですか? ――あっ」
成績のことは極力他人に言わないよう気をつけていたのだが。
「……引っかかったわね」
「酷いですよ。常夜部長」
「いいじゃない。これでオール1だったら可哀想だけど」
常夜が少し意地の悪い笑みを浮かべる。
「そういうお前も余裕しゃくしゃくじゃねーか」と突っ込んだのは、部室へやって来た鳴郎だった。
途中で出会ったのか、キクコと花山も彼に続いて入室する。
花山の表情が暗いのは、風邪を引いたのか、それとも。
キクコは平常通りのニコニコ顔だった。
「みんな揃ったみたいね。なら本題に入りましょうか」
「ったく、余裕ぶった態度取りやがって」
「普段の努力のたまものよ」
「泣きそうな顔の花山見てもソレ言うのかよ?」
花山は「体育が1でしたぁ」と半べそをかいている。
体が弱いし、運動神経もよくなさそうだから、仕方ないのだろう。
室内にやや気まずい雰囲気が漂った。
「べつに運動なんてできなくていいのよ。できすぎると鳴郎みたいになるわ」
「おい常夜テメェ」
「本題に入りましょう」
有無を言わさぬ常夜の態度に、鳴郎もそれ以上はあきらめたようである。
「みんな、最近この街で連続殺人事件が起きていることは知っているわよね?」
先程とは打って変わり、真剣な表情になった新部長が言った。
一同は当然とばかりにうなずく。
やはり千博以外の部員たちも今回の事件は問題視していたらしい。
「明らかに人間の仕業だし、警察がなんとかすると思っていたんだけど。三人も殺されたら待っていられないわ」
常夜が少し呆れたようにため息をついた。
「やっぱり、人間の仕業なんですよね」
「でしょうね。凶器は刃物みたいだし。それに化け物だったらもっとあけっぴろげにやるわよ」
千博がニュースで得た情報によると、死体はどれも自宅内で発見されたという。
推定される犯行時刻前後に物音を聞いた者はおらず、目撃者もいないとのことだった。
今まであった妖怪がらみの事件を考えると、たしかに少し地味かもしれない。
化け物はわざわざ発覚しにくいよう自宅内で殺したりしないし、死体をそのままにもしないからだ。
殺し方が単なる滅多刺しというのも、残酷だが没個性的である。
「常夜部長がいうとおり、人間で間違いなさそうですね……」
「残念だけど、たまにあることなのよ」
「ということは、以前にも?」
常夜は返事をするかわりにうつむいた。
他の部員も気まずそうにしているし、前回はなにか「やらかした」らしい。
話を変えるように、花山が声を上げる。
「あの……。昨日の事件でも、犯行予告らしき証拠が残されてたんですよね……?」
「ああ、台所用の漂白剤があったって」
「て、ことは、また誰か殺されるってことですよね……?」
花山の言うとおりだった。
残された漂白剤が今までのメッセージと同じ意味を持つのだとしたら、次の犠牲者は既に決まっているということになる。
これまでの傾向だと犯行は三、四日おきに行われているため、残された時間もあまりなさそうだった。
「まったく警察は何をやっているのかしら。なんだったら、その漂白剤を持っている家がないかどうか、この辺りを片っ端から調べて、警護すればいいのよ」
「そう簡単にいったら苦労はねーだろ。オレは事件について詳しく知らねーから、はっきりとは言えねぇけどよ。その残された漂白剤って、多分スーパーでいくらでも売ってるヤツなんだろ?」
「はい……。そう、みたいです……」
花山がスマートフォンを見ながら答えた。
「じゃあ無理だ。適当に押し入った家にその漂白剤がある可能性は博打だが、シラミつぶしに調べるには候補が多すぎる。ここは住宅密集地だからな。台所の数は腐るほどあるだろ。若い女がいる家に絞ってもかなりの数だ。いくら人員を割いても守りきれねーよ」
「それに――」と彼は少し顔を曇らせる。
「それに、次の事件がこの近くで起きるとも限らないじゃねーか。もう三件めだぜ? そろそろ場所かえるだろ」
「夢見の森の外にか?」
「いや、それはないと思う。ここは盗みや殺しを『したくなる』場所なんだ。そう簡単に別の街に行きゃしねぇ」
だがいくら夢見の森タウン内といえど、この街も広い。
もし彼の言うとおり犯人の行動範囲が変わるとしたら、こちらはお手上げになる可能性が高かった。
他の者たちも同じことを考えたのだろう。
部室内に重苦しい空気が垂れ込める。
前部長がいたら打開策もあったかもしれないが、今や彼女は卒業した身だ。
自分たちだけの力で、犯人を捕まえなければならない。
「……他の場所に移ると思うか?」
「オレはそう思う。あくまでも予想だがな」
本当に犯人が地域を変えるかどうかは分からないが、可能性はゼロではない。
千博は頭を抱えた。
とある市販された漂白剤を使う家庭が、夢見ノ森全域でどれだけあるだろうか。
部長の常夜もしばらくしかめ面をしていたが、そのうち思い立ったように鳴郎へ尋ねる。
「ねぇ鳴郎、次に事件が起こる場所、見当はつかないかしら?」
なぜ彼にそんなことを聞くのか、千博は訳が分からなかった。
刑事でも探偵でもない鳴郎に、次の犯行場所など予想できるはずがない。
「常夜部長、どうして鳴郎にそんなこと聞くんですか?」
「それはね、この事件が『人殺し』だからよ」
もう一度意味を尋ねる前に、千博は強烈な殺気を感じて振り向いた。
振り返った先では鳴郎が、今にも殺しそうな目つきで常夜を睨んでいる。
対する彼女は平然とした顔つきで鳴郎を見返していたが、抱えている「妹」は鬼の形相になって彼を威嚇していた。
押し殺した声で、ゆっくりと鳴郎が言う。
「おい、テメェに話した覚えはねぇぞ常夜」
「言われなくても、あなたが何をしてそうなったかくらい分かってるわよ」
「テメェの予想よりもっと酷いかもしれないぜ?」
「だとしても、人数が多くなるだけでしょう?」
常夜の答えを聞いて、鳴郎はあっけに取られた顔をすると、すぐに「ハッ」と笑い声を上げた。
「お嬢様ぶってるくせに、極道の妻もびっくりな肝っ玉じゃねーか。そんな返しは初めてだぜ」
「私だって伊達にこの部活をやってるわけじゃないのよ」
「まぁそうでもなけりゃ、オレやキクコと一緒になんかいられねーよな。――いいぜ、次にどこで事件が起こるか教えてやる」
まさか鳴郎に次の犯行場所の見当がつくとは思っていなかったので、千博は目を剥いた。
しかも彼はたいそう自信がありそうな口ぶりである。
「次の場所はそうだな、夢見ノ森の西――五丁目の辺りだ。一点までには絞れないが、集合住宅ではやらないだろ。一軒屋が密集してるところを当たれ」
「そう……。分かったわ」
「あと、犯人に対する固定観念は捨てろ。以上だ」
鳴郎の予想は、予想を通り越してもはや予言に近かった。
でなければ事件についてロクに知りもしないのに、こう具体的な言葉がでるはずがない。
どんな根拠があるのか聞きたかったが、常夜も花山も彼が言ったことは正しいと信じているようである。
まだ鳴郎は怖い顔をしているし、キクコは相変わらずだし、とても千博が口を差し挟める雰囲気ではなかった。
しばらく考え込んだ後、常夜が部長の顔になって言う。
「なら今日からその辺りを、みんなで見回ることにしましょう」
人間の犯人に対し、怪奇探究部のできることはあまりにも少ない。
だからせめて、見回りで次の犯行を予防しようではないか――それが新部長の出した答えだった。
被害者が殺されたのはいずれも夕方から夜にかけて。
なのでその時間、鳴郎が予想した地域を二手に分かれて見回ろうと彼女は言った。
「……確かに、わたしたちなら、犯人返り討ちにできますからね……」
一番頼りなげに見える花山でも、怨霊の力で脅威からガードされている。
犯人を見つけたら実力で対抗すればいいし、千博も部長の意見に異論はなかった。
鬼灯兄弟も常夜に異を唱えず、さっそく今日の夕方から見回りが始まることになる。
時間まで部室内ですごした怪奇探究部員一同は、日暮れとともに赤く染まる街へと繰り出した。




