13.5
雲が重く垂れこめた木曜日。
晴れた日は暖かくとも、曇天に三月の風は冷たく、東田俊は襟元のマフラーをきつくしめた。
一緒に帰る友達もいない、一人きりの放課後である。
高校一年めももうすぐ終わりを告げるというのに、未だ友人の一人もできずじまいとは。
俊は己の情けなさと染み入る寒風に、唇をかみしめた。
俊は生来非社交的な性格をした少年だ。
運動も得意ではないし、容姿だって特別いいわけでもない。
成績は決して悪くなく、性格も問題があるわけではないのだが、大人しく運動が苦手な性分というのは、それだけで損である。
中学の時、同級生から軽いいじめに遭い、その影響が一年たった今でも彼の中で尾を引いていた。
楽しそうに前を歩く男子高校生の集団を軽く睨む。
ああいうヤツらは、きっと毎日が楽しいのだろう。
俊は教室内でいつも笑い声を上げている同級生の顔を思い浮かべた。
彼らのことを考えていると、ますます俊の中でみじめさが広がっていく。
一人で登校し、一人で休み時間を過ごし、一人で家に帰る。
誰かと放課後や休日に遊びに行くこともない。
こんな生活真っ平だった。
毎日生きていても、楽しくもないしうれしくもないし、むしろ緩慢な苦痛を感じるばかりである。
頭上でどこまでも広がる暗雲のように、俊はこの辛い生活が、いつまでも続いていくように感じていた。
いっそ消えてしまえればいいのに――冗談ではなく、本気でそう思う。
今夜床について、そのまま永遠に目覚めなかったらどんなに素晴らしいだろうか。
自殺する勇気はないけれど、知らぬ間に死ぬのは大歓迎だった。
脳内で自らの死を思い描きながら、俊は駅に向かって通学路を進んでゆく。
高校のある住宅街を抜け、住宅地と商業地区のさかいにある踏切へと差し掛かった。
数多の商業施設へ続く道にある踏切は、いつも人でごった返している。
しかし今日はいつにも増して、周囲に人垣が多かった。
踏切で停止したままの電車を見て、俊は何が起こったかを察する。
この大きな踏切は、周辺住民に「呪われた踏みきり」と呼ばれていた。
異様なほど飛び込む人間がおおく、おまけにここで自殺すると、遺体の一部が見つからないからだ。
遺体の一部云々は単なる噂だという話も聞くが、自殺がよく起こるのは紛れもない事実である。
俊はまたかと思いつつも、ここを抜けなければ駅へ行けないので、大人しく待つことにした。
遺体の回収作業や確認作業が難航しているらしく、踏切はなかなか開かない。
体が滅茶苦茶になるし、なにより周囲に迷惑をかけるのに、よく飛び込みなんてやれるものだと思った。
だが死にたいのに自殺する勇気もない自分より、いま死んだ彼の方が幾分「マシ」なのかもしれない。
漠然と死を望むだけの俊は、いま死んだばかりの勇気ある自殺者へ劣等感を抱いた。
飛び込むために踏切へ向かう時、恐くなかったのだろうか。
電車に飛び込む瞬間、どんな気持ちだったのだろうか。
俊は気になって、つい自殺現場をのぞき込む。
現場を見たって何が分かるわけでもないのだが、見れば何かが変わるような気がした。
線路には血のりがべったり広がっている。
遺体は既に回収されていたらしく、肉片や人体の一部は散らばっていない。
しかしそれでも見ていて気分のいいものではなく、俊はすぐ視線を現場から踏切への向こうへとそらした。
あれだけ血が飛び散っているのだから、きっと自殺者は即死したのだろう。
死体は悲惨でも、楽に死ねるなら飛び込みもいいのかもしれなかった。
俊は踏切の対岸を眺めながら、ぼんやりと自分が飛び込み自殺する光景を思い浮かべてみる。
家を出て、通学定期を使って電車に乗り、夢見ノ森駅で降りる。
きっと遺書は残さないだろう。
わざわざ前もって用意するより、気分が向いた時にふらっと死にたい。
電車を降りたら、駅前の広場を通り抜けて、踏切へと続く道がある商店街に向かう。
道を抜けて踏切の前へきたら、遮断機がおりて、ベルが鳴って、そして――。
電車の前に躍り出るところまで妄想した俊は、そこで現実世界へ舞い戻った。
自分の空想に恐れをなしたわけではない。
踏みきりの向かいにいる群衆の一人と、目線がぶつかったからだ。
こちらを真っ直ぐ見つめ、微笑む青い瞳。
踏切を挟んだ斜め向かいで、少女が俊を見ながら笑っていた。
俊はこちらへ笑いかける少女に、視線が釘付けになる。
異性に微笑まれたことがないというのも理由の一つだったが、それだけではなかった。
彼女が今まで見てきた女性の誰よりも――そう、テレビの液晶越しに見たアイドルよりも――可愛らしい容姿をしていたからだ。
サファイアの瞳が宿る目は猫のように大きく、鼻筋は控えめだが人形のように整っている。
タマゴ型の輪郭が嘘のように小さい。
少女のハーフアップにした赤い髪は、人込みの中でひときわ目立っていた。
スタイルもまるでモデルのように良いし、おそらく外国の血が入っているのだろう。
彼女の愛らしい容姿は、ひょっとしたら次元の壁を越えて、二次元の美少女キャラクターにも匹敵するかもしれなかった。
少女はまだ、俊のことを見て笑っている。
最初は思い過ごしかと思ったが、確かに彼女は俊を見て笑みを浮かべていた。
ずば抜けた美少女が、なぜ自分なんかに笑いかけるのだろうか。
理由を考えているうちに、少女は人込みに紛れて姿を消した。
追いかけたい衝動に駆られるが、まだ遮断機が上がらないため、それもかなわない。
結局、彼女がいなくなってから踏切が開くまで、三十分も待たされてしまった。
どうも遺体の一部が見つからず、事件の処理に時間がかかってしまったらしい。
いくら探しても見つからないから仕方なく踏切を開けたんだと、野次馬が話している声が耳に入った。
この踏切が呪われているという噂は、本当なのだろうか。
気になるが、噂の真相より、あの美少女のことを知りたいと思うのも事実である。
あんなに可愛い娘は、今まで見たことがなかった。
彼女くらい可愛ければ噂になってもおかしくないのに、思い当たる話は今まで聞いてことがない。
おそらく中高生くらいだとおもうが、この辺の子ではないのだろうか。
翌日、俊は少女の姿を期待して帰り道を急いだが、踏切に彼女の姿は見当たらなかった。
次の日も、また次の日も、彼女は姿を現さない。
何回か踏切のそばで待ってみたが、いくらたっても少女が来ることはなかった。
ひょっとしたら、少女は遠い所に住んでいて、あの日偶然夢見ノ森にいただけかもしれない。
もう会えないのではないかといつしか俊は思うようになっていたが、彼女にあった日から三週間後。
再び俊は少女と出会うことになった。
少女は前回の時と同じように、踏みきりの向こう側から俊に微笑を浮かべている。
しかし遮断機は開かない。
たった今この踏切で飛び込み自殺が発生し、警察が現場検証をしている最中だったからだ。
またもや遺体の一部が見つからないらしく、作業は難航しているようだった。
少女はしばらく俊へ笑顔を向けると、最初に会った時のように、群衆の中へ消えていく。
よほど追いかけようと思ったが、俊は彼女の後姿を探すうちに、ふと我に返った。
追いかけてそれからどうするのだと。
呼び止めるのだって勇気がいるし、仮に呼び止めたって、一体なにを言えばいいのか分からない。
俊にナンパする度胸はなく、相手が並外れた美少女ならなおさらだった。
芸能人より可愛いのだから、彼の一人や二人いるだろうし、きっと自分みたいな冴えない男なんて、ゴミクズのように思っているだろう。
根暗で不細工で、友だちのいない自分なんて、彼女に声をかける資格もない。
俊は今さらながら、少女とすむ世界が違うことに気付き、絶望した。
可愛い娘にふさわしいのは、いつだって明るくて顔が良くて、友だちが多い奴なのだ。
俊の自己嫌悪と消滅願望は、この日を境に悪化した。
学校を遅刻しがちになり、休み時間は本を読む元気もなく、放課後になれば下を向いて帰る。
もう少女に会いたいとも思わなくなっていた。
息苦しい日々を繰り返し繰り返しすごすうちに、ぼんやりとした自殺への思いが、次第に具体的な形を取り始める。
はっきりと自殺したいと思うようになって、どれくらいたっただろうか。
また呪われた踏切で、飛び込み自殺が起こった。
遮断機の外に転がった靴を見て俊は思う。
自分もここで電車に飛び込んで死のうと。
決意して顔を上げると、見知った顔が視界に入る。
赤い髪の少女が、線路の向こう側で笑っていた。
(なんで俺なんかに笑いかけるんだよ――!)
俊は心の中で少女に叫んだ。
恵まれた容姿で、きっと毎日面白おかしく暮らしているだろうに、どうしてこちらに笑いかける必要があるのか。
俊は彼女の笑みが、みじめな自分を哀れんでいるように感じた。
一言なにか言ってやりたくなるが、いかんせん、こちらは根暗なオタク男子である。
絡んでも一笑に付されるだろうし、下手すれば周りから通報されかねない。
どうすれば、少なくとも話を聞いてもらえるようになるのだろうか。
女の子とロクに話したことのない俊は、いくら考えても分からなかった。
*
「はぁ? 女の子に話しかける方法を教えてくれぇ?」
決死の覚悟で俊が話しかけると、斉藤樹は怪訝な顔をした。
斉藤はいつも髪にワックスを欠かさない、『リア充』グループのリーダー格である。
いつも女子と盛り上がっている彼ならば、きっと妙案を知っているに違いなかった。
そう、少女と話す方法が思いつかなかった俊は、血迷った挙句、クラスメイトに聞こうと思い立ったである。
「方法もなにも、フツーに話しかけりゃいいだろーがよぉ」
「そ、それができないんだ」
「なんで?」
「すごく、可愛い娘だから……」
斉藤は面食らった顔をすると、ゲラゲラと耳障りな声を上げた。
彼の笑い声は心底不愉快だが、いまは我慢する他ない。
なにを勘違いしたのが、からかうような口調で斉藤が言う。
「つまりオメー、気になるコがいるってことなんだろぉ? 誰だよ。クラスの女子か? それとも――」
「こ、この学校の子じゃなくて、誰かも分からないんだ……」
「そんなに可愛いコなのかよ」
「……うん」
「へぇ、ならオレも会ってみてー。どこ行きゃ会えんのよ?」
どこから話していいのか分からなかったので、俊は事のあらましを全て話した。
閉まった踏切で彼女と出会ったことも、彼女が微笑んでくれることも。
あんまり斉藤が大きなリアクションをするものだから、途中でリア充仲間が集まってきて、いつしかまわりには人だかりができてしまった。
「へぇー、ずいぶん不思議な出会いだなぁ、ソレ」
話を聞き終わった斉藤が、椅子の背もたれにのけ反りながら言った。
「人身事故でっていうのが、ちょっと怖えーけどな」
「普段は、多分、タイミングが合わないんだと……」
「ふーん。別にフツーに話せばいいと思うけどよ」
彼の言うとおり、臆せず話しかけてみればいいのだろうか。
彼女を責める気持ちはもうなくなっていたが、どうして笑っているのかという理由だけはまだ知りたかった。
勇気を出すべきか俊が考えていると、横で話を聞いていた下澤美優子が声を上げる。
「ちょっとぉ、イツキぃ、アンタデリカシーなさすぎー」
「なんだよ美優子」
「だってそのコめちゃ可愛いんでしょ? そういうコって、警戒心高いんだよ。痴漢とかストーカーとかよくあったりしてさ。話しかけたら逃げちゃうかもよ?」
「あー、たしかに。東田って不審者っぽいし」
何気ない斉藤の一言に、俊の心がえぐられた。
自分が人気者なのをいいことに好き勝手言い放題――これだからリア充は嫌いなのだ。
「俺……不審者……」
「だってオマエ表情変わんねーし、声ちいせーし。何考えてるか分かんないんだよ」
「そっか……」
「もっとハッキリしろよなー。いいのか悪いのか分かんねーと、こっちもどうすりゃいいか迷うよ」
「ちょっと、イツキ言い過ぎ!」
下澤が斉藤の肩を叩いた。
仲がいいなと思っていると、彼女がカラーコンタクト入りの目をこちらへ向ける。
「東田クンさぁ、そのコに話しかけたいんだよねぇ?」
「あ……そう、だけど」
「ハッキリ言ってよ」
「そうです」
「じゃあ、堂々と話しかけられるようになってみたら?」
「……え?」
「まずはちゃんと話せるようにならないとダメだよね。あ、伸びっぱな前髪もどうにかしないと」
下澤は俊の話にえらく興味をそそられたようだった。
俊が赤毛の美少女に恋していると勘違いしたらしく、応援してあげようと周囲に呼びかける始末である。
「あ、俺はべつにそういうワケじゃ……」
「じゃあそのコにつき合って下さいって言われたらどうする?」
「……うれしい」
「でしょ!? やっぱ惚れてんじゃん! 一回ぐらいは話しかけないと!」
それから俊の生活は一変した。
下澤主導で、勝手に俊の会話トレーニングが開始したからである。
朝の挨拶が小さければリア充集団に「もっと大きな声で!」
ライトノベルを読んでいると、「どんな話なのか説明して」
放課後はおすすめのマンガを教えろと連れ出されたこともあった。
内向的な俊にとって、彼らの仕打ちは拷問にも等しかったが、いじめられないよう必死になっているうちに、少しずつそんな生活にも慣れてきた。
派手で性格の悪い奴らだと思っていたリア充集団も、付き合ってみればただの騒ぎ好きな奴らだし、ことさら俊を貶めるようなことはしてこない。
会話をしていくうちに彼ら以外とも交流が広がって、趣味の合う友人もちらほらできてきた。
多少外交的になったせいか、見た目も以前のような陰気さはなくなった気がする。
気が付けばあの少女と最初に出会ってから、半年が過ぎていた。
彼女とは笑顔を見て憤った時を最後に、全然顔を合わせていない。
踏切では相変わらず自殺が多発し、遺体の一部もなくなるらしいが、俊の下校と事故のタイミングがぶつからないでいた。
ただ彼女はいまでもあそこへ現れるらしく、「呪われた踏切で事故処理が終わるのを待っていたら、赤毛の女の子を見た」と、たまに友人たちから聞かされている。
しかし彼らが目撃した時、少女は微笑むどころか、暗い顔をしていたそうだった。
彼女の身に、何かあったのだろうか。
俊はもう、少女と会った時のように死にたいとは思っていなかった。
彼女と出会ったのがきっかけで生活が好転し、それなりに人生を楽しめるようになったからだ。
だから間接的にせよ自らを救ってくれた少女の助けになりたい――名前も知らないのに傲慢かもしれないが、俊はそう強く願うようになった。
だが毎日朝夕踏切を渡っても、彼女とすれ違うことはない。
少女と会うチャンスを少しでも多くしたかった俊は、いつかそうしたように、長い時間踏切で待つようになった。
もしもう一度彼女と会えたら、こんどこそ声をかけよう。
踏切へ向かうたび決意して、何日が過ぎただろうか。
その日俊が例の場所へ差し掛かると、遮断機の前で人だかりができていた。
考えなくても、人身事故が起きたのだと分かる。
不謹慎だが、俊は再び彼女と会えるのではないかと思った。
人波をかき分けて遮断機のすぐ手前まで移動すると、一心不乱に彼女の姿を探す。
まさかと思っていたが、少女は線路を挟んだ向かい側に立っていた。
彼女も人込みの最前列にいたため、服装も持ち物もすべてよく見えた。
紺のブレザーを着た彼女は、黒い大きな買い物袋を持って佇んでいる。
俊は思わず歓声を上げそうになったが、噂どおり彼女は沈んだ顔をしていた。
「右腕がないんだってね」――そんな野次馬の会話を小耳にはさみながら、俊は少女の様子をうかがう。
彼女は眉根を寄せ、唇をかみしめており、悲さよりも、悔さが表情に出ていた。
少女はやがて背を向け、踏切から立ち去ろうとする。
「待って――!!」
気が付いたら、俊は彼女を呼び止めていた。
まるで狙っていたかのように、降りていた遮断機が開く。
向こう岸へ急ぐ群衆を強引に押しのけながら、俊は足を止めた少女の所まで走った。
「なぁに?」
少女が見た目にたがわぬ鈴のような声をだした。
呼び止めたはいいもののかける言葉が見当たらず、俊は視線を彷徨わせる。
せっかく斉藤たちにトレーニングをしてもらったのに、これでは水の泡だ。
自分を叱咤激励し、俊は体の底から絞り上げるように声を出す。
「あの、俺は――」
恥ずかしさのあまり目線を下にやっていた俊は、そこで彼女の買い物袋が目に入った。
気になる物でもないのに、なぜか目がそちらへ行ってしまう。
緊張のせいで少女の身体すら見れなかったせいか。
それとも彼女が一体どんなものを買ったのか、気になったせいか。
失礼だと思いつつも、気が付くと俊は黒い袋の中身を注視していた。
袋の口からは、熊手に似た形の何かがのぞいている。
鉤の数は全部で五本あり、まるで人間の指先そっくりに見えた。
肌色をした熊手の先端で、ピンクのコーティングが光る。
それがマニュキュアの塗られた人間の爪だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
最初見間違いだと思ったが、形も大きさも、確かに人間の爪そのものである。
鉤に見えた部分は人間の指で、目を細めれば青い静脈まで分かった。
そう、少女の買い物袋に押し込められているのは、お菓子でも夕飯の材料でもなく――切断された人間の『腕』であった。
嘘だと思い何度確かめてみても、袋から見える手のひらは変わらない。
俊は悲鳴すら上げられず、袋の方を向いたまま硬直した。
いつの間にか踏切から通行人が消え、音は己の激しい心拍が聞こえるばかりである。
不自然な静寂の中、俊はぎこちない動作で少女の顔に目線をやった。
少女が一切感情を見せない能面のような顔つきで、こちらを凝視している。
かつて輝くサファイアだと思った瞳は、闇に侵されていく空のような色をしていた。
完全な闇よりも昏さを感じさせるそれに見つめられ、俊は逃げ出すことはおろか動くことすらできない。
やがて少女は心底悔しそうな口ぶりで言う。
「死のうと思ってたくせに、なんで?」
次の瞬間、俊は全速力で駆け出していた。
人目も気にせず大声でわめきながら、一目散に駅へと向かう。
運動の苦手な俊だったが、この時ばかりは陸上部のエースよりも速く走った。
後ろから少女が追いかけてくる気がして、気管が鳴っても速度を緩められなかった。
走りながら俊は思う。
彼女の異常性に、もっと早く気付くべきだったのかもしれないと。
だって普段はいくら探してもいないのに、自殺があった時だけ現れるのだ。
それも人が死んだ場所のすぐ横で、嬉しそうに微笑を浮かべながら。
俊は黒い袋に入っていた、血の気の引いた腕を思い出す。
彼女が持っていたあの腕は、ひょっとして、自殺した人間のものなのではないか――そんな考えが頭に浮かんだ。
自殺すると必ず死体の一部がどこかへ消えてしまうという、呪いの踏切。
今まで噂に半信半疑だったが、なぜそうなるのか、なんとなく分かった気がする。
飛び込みでちぎれた死体が揃わなくなるのは、きっとあの少女が持って行ってしまうからだ。
なぜ彼女がそんなことをするのかは分からない。
だが、怪異の正体が彼女だということは俊の直感が告げていた。
おそらく少女はあの踏切で、誰かが自殺するのをずっと待っているのだろう。
自分に向かって微笑んでいた理由が、今なら教えられなくても理解できる。
彼女は、俊が呪われた踏切に飛び込むのを楽しみに待っていたのだ――。
*
夢見ノ森タウンには商店街を抜けた先に、大きな踏切がある。
飛び込み自殺が異様に多いそこは、町の住民たちに「呪われた踏切」と呼ばれていた。
この呪われた踏切には数多の噂話があるが、最近また新たな噂が語られるようになったらしい。
「呪われた踏切で自殺すると、赤い髪の少女に死体の一部を持ち去られてしまう」――と。




