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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第十三話 家の中の怪物
52/69

13-5

 あるべき上半身を失った尾崎八百の下半分は、しばらく棒立ちになった後、バランスを崩して地面へ転がった。

転倒の衝撃で、彼女の履いていたローファーが辺りに散らばる。

あってはならない事態を目の当たりにした千博は、叫ぶことすらかなわず、倒れた部長の半身を眺めるしかできなかった。

他の部員たちも、目の前の光景に言葉を失っている。

いったい誰が、あの尾崎八百が殺されると予想しただろう。

好奇心に満ち溢れ、いつも元気いっぱいの彼女が。


「ママのピンチに登場とは、ずいぶんな孝行息子じゃねーか」


 鳴郎が嘲りの入り混じった声で呟く。

それは、仲間を助けられなかった己に向けられたものだろうか。

千博の目の前で、巨大な犬の化け物は尾崎八百を咀嚼していた。

小山を思わせる体躯は薄汚れた灰色の毛皮に包まれ、肩までの高さは成人男性の身長を上回る。

トラバサミのような顎に挟まれた部長は、多分即死だっただろうと思った。

部長をみながら、山犬が唸り声ともつかない声で言う。


「母さ……、殺した、オ……の仲間、殺……た。……二の仲間殺……たよぉ」


 獣の姿のため、上手く話せないようだ。

しかしヤツが部長を殺したことを喜んでいるのだけはよく分かる。

時折目を細めているのは、笑っているのだろうか。


「へへ……。大したことねぇ……。……大したことねぇ……」


 はっきりと、化け物が笑い声を上げた。

仲間たちは何も言わないでその様子を見ている。

鳴郎さえも何も言わず、ただ黙って部長を嚥下する山犬を見詰めていた。


「……次、そこ……デカいの……お前……」


 山犬の視線が、千博の方へと向けられる。

街灯の光を反射した金色の目が、まるで満月のように見えた。

足元で、化け物のよだれが滴る音がする。


(喰われるのか……)


 千博は拳を握りしめた。

山犬の化生が、こちらを飲み込まんばかりに巨大な口を開く。

しかしその鋭い牙を余すところなくのぞかせたところで、化け物はその動きを止めた。

ヤツの目玉が、戸惑いの気配を見せ始める。

化け物の視線は、いつの間にか千博から己の腹部へと行く先が変わっていた。


「……あ、ハラ、……い……」


 部長を飲み込んだばかりの腹が、異変を告げているらしい。

ロクに噛まずに食べたからだろうか――そんな冗談ともつかないことを考えていると、ヤツの腹から、腹の虫ともつかぬ異様な音がし始めた。

気のせいか、音は人の声のようにも聞こえる。

音のトーンが高いため、まるで若い女性が何か話しているようだった。

腹の音は次第にはっきりしていき、やがて否定のしようがないほど鮮明な声で言う。


「――ねぇ、アタシ、美味しかった?」


 それはたった今死んだはずの、尾崎八百の声に他ならなかった。

化け物の目が見開かれる。

と、同時にうなり声を上げながら、その場で悶え始めた。


「痛い……母ちゃ……ハラ……痛……」


 その場に崩れ落ちた山犬の腹部を見て、千博は思わず声を上げた。

分厚い毛皮の内側を、なにか細長いものが複数這い回っていたからだ。

細長い何かは次々と数を増し、その数に比例して、山犬の悲鳴は大きくなっていく。


「母ちゃ……助け……母――」


 息子のただならぬ様子を目の当たりにし、女に化けた山犬がたまらず駆けだした。

しかし鳴郎がその後ろ髪をひっつかむ。


「ここで見てろ。テメェの息子が死ぬところをな」


 仰向けになって悶えていた山犬が、大きく鳴いた。

得体のしれぬものが這い回る腹部は風船のように膨らみ、もはや起き上がることすらできない。

中に「何か」がぎっしりつまっているのだろうか。

はち切れんばかりに膨張した腹は、不穏な微動を絶えず続けていた。

山犬の腹部は時間とともに肥大し続け、やがて灰色の毛皮に赤い亀裂が走る。

膨張に耐えきれず裂けた化け物の腹からは、血に濡れた尾裂き狐が蜘蛛の子のごとく一斉に這い出してきた。

一体何匹いるのか、とても目視では分からない。

無数の尾裂狐は、悲鳴ともつかぬ悲鳴を上げる犬を、まるで鱗のように覆い尽くした。

最初、山犬の化生はそれらを払いのけようとしていたが、腹を裂かれた状態で、群がる血に飢えた獣を振り払えるはずがなかった。


 無数の毛皮に埋め尽くされた山犬の動きが、次第に小さくなっていく。

山犬が完全に動作を停止しても、尾裂狐が獲物から離れることはなかった。

小さな獣に覆われた巨大な体は、まるで砂山を崩すかのように小さくなっていく。

尾裂狐が密集しすぎているせいではっきり見えないが、なにが起きているのかは判断できた。


 あの尾裂狐たちは、山犬の死体を貪っている。

それも骨ひとかけら残さぬ勢いで。


 さほど時間のたたないうちに、尾裂狐たちは昆虫の死骸に群がるアリのごとく、山犬を食らい尽くした。

山犬がいた場所には、わずかな血痕が残っているだけばかりである。


(部長が……やったのか……?)


 上半身という主をなくした部長の下半身は、いまだ地面に転がったままである。

彼女が尾裂狐を操れるはずがなかった。

尾崎八百は山犬に食われて死んだのだ。


 しかし獲物を平らげた尾裂狐たちは、まるで主人を悼むように彼女のまわりへ集まった。

身をすり合わせながら寄り集まって、一分の隙もないほど密集していく。

何をしているのかと千博は様子を見守っていたが、すぐに絶句するハメになった。

密集した尾裂狐の塊が、人間の上半身のような形を作り始めたからだ。

ある者は腕の一部になり、また、あるものは腹の一部になる。

まるでひとつの生き物のように、尾裂狐たちは一切の迷いなく、人間の正確な輪郭を形作っていった。


 くびれた腰と、大きく張り出した胸部。

なだらかな首回り。


 たとえ獣の寄せ集めでも、千博はその形に見覚えがある。


 ――尾崎八百だ。


 尾裂狐たちはその体を用い、尾崎八百そっくりの形状を作り出していた。

無数の獣たちはすべて上半身を形作る素材の一部となり、余ったものは一匹たりとていない。

大した時間も要さず、死んだ主人の上半身を精巧に模したそれは出来上がった。

やがてそれは腕に当たる部分を使って、残された下半身の方へ這いずっていく。

目的地へ辿り着いた毛皮の上半身は、最初からそうするつもりだったと言わんばかりに、自身の蠢く断面を、下半身の切断面にぴったりとくっつけた。


 動かないはずの白い脚が動き始める。

下半身はしばらくバタ足のように脚を動かすと、関節を曲げ、立ち上がろうとする体勢を取った。

獣の集まりでできた上半身が、助けるように腕を地面に着く。

まもなく、尾裂狐の集合体とちぎれた下半身でできた尾崎八百は、完全に地面から起き上がった。

靴の脱げた二本足は、しっかりとアスファルトを踏みしめている。


「ぶ、部長……」


 おぞましい光景に、千博は呟くことしかできない。

二色に分かれたいびつな彼女の体は、ゆっくりとこちらへ向き直った。

小さい獣でできた上半身の様子が、徐々に変わっていく。

体の輪郭が滑らかになって、茶色い毛皮が肌色に変わり、毛皮はまるで人間の皮膚のようへと――。


 信じられないことに、千博の目の前で、尾裂狐によってできた尾崎八百の上半身は、本物の尾崎八百へと変化していった。

金に近い茶色の髪が夜風に揺れ、まつ毛の長いぱっちりとした瞳がこちらの姿を映している。

艶やかな唇を持つ大きな口は、いつもと変わらぬ明るい笑顔を浮かべていた。

衣服こそつけていないが、いま千博の鼻先に立っているのは間違いなく、部活動を共にしてきた部長、尾崎八百である。


「部長……なんですか……?」

「え、ちょっと千博クンひどくない? アタシの顔もう忘れちゃったの?」


 部長が大きな胸を揺らしながら憤る。

動作も見た目の質感も不自然さはなく、まるで最初からそうだと言わんばかりだった。

少なくとも今まで毛皮の塊だったようには見えない。


「部長、あなたは一体何者なんですか……?」


 部長はその豊かな胸部を惜しげもなくこちらへ開陳している。

しかしたわわに実ったそれを見ても、千博は疑問の言葉を絞り出すのがやっとだった。







 尾裂狐は細長い体躯をした獣だ。

イタチと大して変わらぬ大きさだが、そのかわり尾が胴体と同じくらいの長さをしている。

顔もイタチ科の生き物とよく似ていて、鼻先がとがっていて口が大きい。

一見ペットショップに並んでいても顕色無いように見えるが、可愛くても尾裂狐は立派な妖怪だ。

使役すれば他家から財物を持ってこさせたり、また誰かに憑りつかせることができる。

そう、尾裂狐の手にかかれば、莫大な富を得ることや、仇を憑り殺すことだって可能なのだ。

愛玩動物のようだが、実際は決して油断ならぬ妖怪――これが千博が尾裂狐に対して抱いているイメージだった。


 千博は部室でオレンジジュースをすすっている部長を見詰める。

鼻筋の通った欠点のない卵型の輪郭と、滑らかな素肌。

まつ毛の長い大きな目に、整っているが大きな口。

片手でチョコレートをつまむ彼女は、まるでモデルのように華やかな美少女だった。

しかし千博は知っている。

部長の身体が無数の尾裂狐によって形作られているということを。


「部長、あなたは何者なんですか」


 あの夜はぐらかされた問いを、千博はもう一度訪ねた。

彼女がジュースに口をつけたまま、大きな瞳をこちらへ向ける。


「なにって、アタシは尾裂狐だけど?」

「あの、もうちょっと分かりやすく……」

「べつにいーじゃん。犬コロは死んだし、バカ親は山に逃げ帰ったし」

「こっちがよくありません!」


 千博が声を荒げると、部長は目をぱちくりさせた。

驚いたと言わんばかりの様子だが、むしろこのままスルーしてくれると思っていたのだろうか。

部長の上半身修復の様子に、疑問を抱くなという方がムチャであった。

机に勢いよく両腕を突っ張り、前のめりになりながら千博は言う。


「部長、あの時確かに胴体が真っ二つになりましたよね? それをあなたの尾裂狐が寄り集まって復活して――どうなってるんですか部長の体は!!」

「どうなってるもなにも、ああなってるんだけど」

「ああなってるって……」

「だからアタシは尾裂狐なんだって」


 らちの開かない返答に、千博は頭を抱えた。

部長はあっけらかんとした顔で、頬いっぱいにおやつをむさぼっている。

意識せずともため息が出た。


「自分が尾裂狐っていいますけど、尾裂狐ってあの妖怪でしょう? 部長は少なくとも人間の形してるじゃないですか」

「そりゃあ人間に化けてるからね」

「化けてるって部長――」

「だーかーらー、アタシは尾裂狐なの! 正確に言うと尾裂狐の集合体コロニー


 「コロニー!?」と千博は素っ頓狂な声を上げた。

彼女は先ほどと変わらぬペースで菓子をつまんでいる。


「コロニーって、あのコロニーですか?」

「他になにがあるの?」

「いやそう言われても……」

「ひょっとして千博クン、尾裂狐って個体ごとに意識があると思ってる?」

「え? 普通そうでしょう?」

「フツーはね、でも尾裂狐は違うの」


 また部長はオレンジジュースに手を伸ばした。


「あんまり知られてないけどね、尾裂狐に個体の意識はないの。みんなそれぞれ共通の人格があって、知識、記憶、経験を共有してる」

「それは、どれくらいの数が……?」

「この世に存在するすべての尾裂狐が。つまりどんなにたくさんに見えても、尾裂狐は世界で一匹ってこと。すべての個体が王にして下僕。それがアタシ、尾裂狐」


 にんまりと部長が口角をつり上げた。

普段見せる明るい笑顔とはまた違ったそれに、千博は言葉を飲み込む。

元気に満ち溢れ、なんだかんだで頼りになり、接しやすいと思っていた彼女が、急に恐ろしく見え始めた。


「つまり『部長』は――部長の身体は――人格やその他を共有する尾裂狐が寄り集まって作っている、集合体だと……」

「そーゆーこと。正確に言うと数ある集合体の一つ、かな?」

「じゃあ、部長は人間じゃない……」

「あったりまえじゃん!」


 そんな軽く言われても、困惑するしかなかった。

つい先日まで人間だと信じ込んでいた仲間が、まさか化け物、しかも無数の獣が寄り集まってできた存在だったなんて。

もし千博のメンタルが平均より少しでも弱かったら、この瞬間に発狂していてもおかしくなかった。

なにせ目の前にいる美少女は化け物で、そもそもその実体すらなかったのだ。

その事実を知ってもなお平常心でいられる方が余程狂っているといっても過言ではなかった。


 手が震えてくるのを感じながら、千博はかろうじて声を出す。


「そんな化けも……いや人外の部長が、どうしてまた化け物退治なんかを」

「だって楽しいじゃん? みんなで集まって話し合って、悪い妖怪をやっつけるの。漫画みたいで楽しいでしょ?」


 先日部長はこの部活動を遊びだと断言していた。

あの時千博は不謹慎だと思ったが、なるほど、彼女が人間でないというのならまだ納得がいく。

人外である尾崎八百に、人間を助ける義理なんてこれっぽっちもないからだ。


「この街はホントにいい所だよね。空気はおいしいし、退屈しないし」

「部長はいつも楽しそうですね」

「そりゃそうでしょ? だってこの街イベントだらけだもん」


 瘴気に満ちた町の空気を美味しがり、化け物によって引き起こされる惨劇を楽しいと思う。

なんて鬼畜生だと言いそうになったが、言葉をぐっと飲み込んだ。

妖怪が一部を除き、人に害をなす存在だということは、この数か月でよく分かっている。

だからこそ無害で、それどころか人間の助けになる彼女は、むしろ化け物の中では善玉かもしれなかった。

たとえ動機が不純だとしても、彼女によって多くの人間が救われているのである。

それに部長が根っからの鬼畜だったら、あの時千博はそのまま山犬に喰われていただろう。


「分かりました。部長、ありがとうございました」


 千博は自分を納得させるように言うと、目の前の皿から煎餅を取ってかじった。

すると隣でクッキーをかじっていた鳴郎が呟く。


「ったく、今日は部長の送別会なんだからよぉ。そういう話はほどほどにしようぜ」


 鳴郎の言うとおり、いま怪奇探究部は、卒業する部長を送り出すため、送別会の真っ最中であった。

余りに部長の正体が気にかかりすぎて、千博は自分が何をしているのかをすっかり忘れていたらしい。

他の部員たちに動揺の色が見えないのは、すでに彼女の正体を知っていたからであろう。


「なんだ、みんな知ってたんだな」

「そりゃ、四月に部活結成した時、部長が皆に話してたし」

「……」


 気軽に正体をばらす部長も部長だし、そんな部活から逃げ出さない部員も部員である。

やっぱりこいつらはおかしいと確信していると、部長がふと真剣な面持ちに変わった。

めずらしい彼女の真面目な顔に、室内が静まり返る。

人形を抱えた常夜が口を開いた。


「どうしたのよ、いきなりそんな顔して……」

「バーバー、アタシさぁ、いま大変なことに気付いたんだけど……」


 どんな時もおチャラけている部長が、顔に影を作るなんて。

きっと余程のことだろうと、一同は彼女が次の言葉を発するのを、固唾を飲んで見守った。

少し戸惑った素振りを見せた後、尾裂狐の化身が呟く。


「実を言うと、アタシ、次の部長誰にするか決めてなかった……」


 「二年の常夜でいいじゃねーか!!」――鳴郎が机に拳を叩きつけながら叫んだ。


「でもぉ、こういうのって前々から決めとくべきかと……」

「そういうことは自分がいつ卒業するのか覚えといてから言えよ! もったいぶりやがって!!」


 まだ不満げにぶつくさ言っている部長の頭へ、鳴郎の鉄拳が炸裂する。

妖怪だし、別に止めなくても死にはしないだろう――千博はいまだショックの抜けきらない頭でそう思った。



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