13-4
部員たちの食事が終わるのを待ってからファミレスを出ると、辺りはすっかり夜になっていた。
レストランの周囲こそ煌々と明るいが、一歩住宅街へ入れば、明かりはか細い街灯のそれだけになる。
頼りなげな蛍光灯が照らすアスファルトの上を、怪奇探究部一同は飯田の家に向かって歩いていた。
目的はもちろん、飯田家に潜む化け物を始末するためだ。
だが、これから同窓生の敵討ちが待っているはずなのに、彼女たちの口はまるで遊び帰りのように軽い。
緊張感も痛ましさも足りない仲間の声が煩わしくて、千博はむっつりと黙ったまま道を進んでいた。
こいつらは一体どういう精神構造をしているのだろう。
肩越しに彼女たちを睨みつけると、一番後ろを歩いていた鳴郎と目が合う。
「ずいぶん不満そうな顔してるじゃねーか」
「まぁな」
「別にそんな顔しなくたって、飯田の仇はオレがきっちり取ってやるから心配するな」
「本当か?」
疑わしげに眉根を寄せる千博へ、鳴郎が苦笑する。
「本当だよ。オレに二言はねぇ」
「頼むぞ鳴郎」
当たり前だと言わんばかりに、鳴郎が金棒入りのバットケースを掲げる。
ファミレスから飯田邸まで大した距離はなく、すぐに一同は目的地へとたどり着いた。
飯田の家は、夜にもかかわらず明かりひとつついていない。
中に誰もいないのか、それとも単に電気をつけていないだけなのか。
千博には判別不能だったが、鬼灯兄弟は互いに顔を見合わせてうなずいていた。
彼らは「いる」と判断したのだろう。
他の部員たちを門扉の外へ残し、二人は飯田家の庭先へと飛び込む。
「邪魔するぜ犬コロ!!」
「こんばんはーっ!!」
てっきり呼び鈴を押すかと思いきや、キクコが膝蹴りで金属製の扉をぶち破った。
くの時に折れ曲がった扉は、蝶番をまき散らしながら室内へと叩きこまれる。
「ワンワン出ておいでー」
「早く出てきた方が身のためだぜ。楽に死にたければな!」
借金取りもびっくりな強引さである。
相手が逆上して襲い掛かって来ても不思議ではなかったが、予想に反して、飯田家は静まり返ったままだった。
鬼灯兄弟に恐れをなして、身を隠しているのだろうか。
それとも本当に誰もいないのか。
しかし鳴郎には、確実に相手がいると分かるらしい。
「隠れても無駄だからな。三分以内に出てこなかったら、オレとキクコでこの家をぶっ壊す!」
威嚇攻撃とばかりに彼が近くの壁を殴ると、コンクリート製のそれに蜘蛛の巣のような亀裂が走った。
鳴郎とキクコにかかれば、この家を瓦礫に変えるくらいできそうだ。
脅しが効いたのか、家内で物音すると同時に、廊下の奥からゆらりと人影が現れた。
影は近づくにつれて徐々に形を明らかにし、やがて中肉中背の中年女性が一同の前に姿を見せる。
だが暗い視界越しに見ても、彼女の様子がおかしいことはすぐに分かった。
ハイエナのように背を丸め、瞳はわずかな光を爛々と反射させている。
獣のように裂けた口元からは、むき出しになった歯茎と牙が並んでいた。
大まかな形こそ人間だが、彼女が「人でない」ことは千博にだって分かる。
「テメェか? 飯田一家を食い殺したのは?」
意外にも、化け物は鳴郎の問いへ静かにうなずいた。
「……はい。そのとおりで、ございます」
化け物は千博に会った時と同じように、始終せわしなく眼球を動かしていた。
隙をうかがっているようにも見えるが、どうも違うようである。
少なくとも彼女の眼球に攻撃の色はなかった。
犬のように口で荒く呼吸する化け物を見ながら、鳴郎が続ける。
「どうして人を襲った?」
「それは、おなかが減って、つい……」
「で、公園にいた飯田の両親をガブリか?」
「……はい」
「……見たところ、テメーそこまで本能に忠実じゃなさそうだけどな。言葉も通じるしよぉ」
化け物の眼球の動きが、さらに加速する。
呼吸もますます荒くなっていくのを見て、千博はなんとなく思った。
ひょっとして目の前にいる化け物は今、怯えているのではないかと。
暗くてはっきりとは分からないが、身を絶えず震わせているような気配もする。
「ほんとうにテメーがやったのか?」
「はい、腹が減ると、見境がなくなるのです……」
「この街でやらかしたら、どんな恐ろしいヤツが来るかは分かってただろうが」
「それは……」
化け物は大きく身を震わせると、鳴郎から目をそらした。
「まぁ、普段は大人しくても、本能にあらがえないヤツもいるからな」
「冷蔵庫のおニクちょうだい」
「キクコは黙ってろ。――とにかく、この落とし前はつけさせてもらうぜ」
鳴郎が化け物の頭めがけて金棒を振り上げる。
しかし彼女は身動き一つしなかった。
抵抗しても無駄だと思っているのだろうか。
だが、それにしても妙だと千博は思う。
「鳴郎、ちょっと待ってくれ。なにかおかしい」
「それはオレも思うが、コイツが関係してるのは間違いねぇだろ」
「俺にはとても、この化け物が三人食い殺したとは思えないんだが……」
そこまで言ったところで、千博は思い出す。
飯田と最後に会ったあの日、彼はこう言っていたはずだ。
『両親』の様子がおかしい――と。
千博は脳内で結論を出すと同時に叫ぶ。
「鳴郎! 飯田は両親がおかしいと言っていた。――つまり化け物は二体いるんだ。一体で二人に化けられない限りは!」
鳴郎とキクコが後ろに飛びのいて目の前の一体と距離を取る。
一体を囮にし、もう一体が奇襲をかける作戦か。
一同に緊張感が走るが、数拍おいても残りの一体が襲ってくる気配はない。
かわりに、玄関にいる中年女性の姿をした化け物が、うめき声を上げながら泣き崩れた。
「申し訳ありません! 私の! 私の息子が! とんでもないことを」
ただならぬ彼女の様子に、部長が門扉越しに声をあげる。
「ちょっとアンタどういうこと? 泣いてないで説明してくれない?」
「私の息子は、群れの中でもひどい暴れん坊で……。おまけに体が大きくて周りも手が付けられず……」
泣きながら話す化け物曰く、彼女の正体は山犬が変じたものだという。
山奥でひっそりと群れを作り暮らしていたが、彼女の息子というのがとんでもない乱暴者で、おまけに体も大きく、力も強いというのだから手に負えない。
群れの中で散々乱暴狼藉を働き、とうとう先日、親子ともども群れから追放されてしまったそうだ。
まるで御伽草子のような話に、千博は信じられず、つい部長へ向かって尋ねる。
「本当にあるんですか? こんなこと」
「だいぶ減ったけど、日本は山が多いからね~。ぼちぼちいるよ。昔ながらに暮らしてる妖怪」
「なるほど。――で、群れを追い出されたアンタらは、この街に行きついたと」
千博の問いへ、女に化けた山犬がうなずいた。
「妖怪の生きやすいこの街なら、なんとか暮らせるだろうと。しかし――」
彼女としては、犬のふりをしてゴミあさりをしながら暮らすつもりだったらしい。
しかし彼女の息子は、そんな暮らしに納得しなかった。
ゴミあさりなんてみじめな暮らしはごめんだと、どうせなら人間に化けて面白おかしく暮らしたいと、そう言ったそうだ。
「それが何で飯田家惨殺につながるんだよ?」
「それは……人間を食べれば力が増して、より上手く人に化けられるようになるし、一家皆殺しにすれば、家も立場も乗っ取れると」
「バッカじゃねーのか?」
鳴郎の言うとおりだった。
人間を食べると上手く化けられるようになるのかは知らないが、仮になったとしても、元いた人間になり変わるのは容易ではない。
ましてや短絡的で暴力的な彼女の息子である。
たとえ瓜二つに化けても、早晩正体がばれてしまったことだろう。
「で、テメーは息子が人を襲うのをそばで眺めてたってわけか」
「それは……。ゴミあさりを終えたら、もう死体が転がってて……」
「殺した夫婦の息子の時はどうした?」
「息子は力が強いから、私なんかではとても……」
さめざめと泣く化け物を一瞥すると、鳴郎は千博に向かって振り向いた。
その眼は「殺すか?」と聞いているようにも見える。
普通なら彼女の罪の重さをみて、殺すべきかどうか考える場面だろう。
しかし千博は目の前の化け犬が死に値するか考える前に、首を横に振った。
「コイツを殺すべきかどうかは正直まだ考えてない。だが殺すべきだとしても、それは今じゃなくて、コイツの息子がどこにいるか聞いてからだ」
人間に準ずる知能を持ち、言葉を話す化け物と対峙したのは、今回が初めてだ。
だからたとえ旧友の仇だとしても、鳴郎に彼女を殺せと頼むのは、はっきり言ってかなり抵抗がある。
そのため千博は彼女に対する「裁き」は一時保留にし、「今どうすべきか」に対してまず結論を下した。
彼女の息子は生みの親が認めるほど短気で乱暴者だ。
少なくとも三人人間を喰い殺しているという前科もある。
単体では大人しい目の前の化け犬より、その乱暴者への対処が先決なのは間違いなかった。
そしてその乱暴者について知っているのは目の前の化け犬ただ一人。
だから少なくとも彼女をいま殺すべきではないと思った。
千博はいまだ地面にへたり込んだままの化け物に向かって尋ねる。
「お前の息子はどこに行ったんだ? 家に隠れてるのか? それともどこかへ逃げたのか?」
山犬の化生は黙りこくったままである。
最初はすべて自分がやったと言って息子をかばっていたくらいだ。
そう簡単には話さないと思っていたが、いざ沈黙されるとなかなか厄介である。
自分も息子のせいで群れを追い出されたというのに、大した親子愛だった。
「自分たちがとんでもないことしたって自覚くらいあるんだろ? だったら素直に話してくれないか?」
「……分かりません」
「分からないって……」
「ただ逃げろと言ったので、どこにいるかは分かりません」
「じゃあどこか行きそうなとこは……」
山犬は再び沈黙した。
千博は頭を抱える。
さんざん乱暴狼藉を働いて群れを追い出された挙句、考えなしに三人もの人間を食い殺した息子。
人間社会に置き換えるなら、素行不良の上に凶悪犯罪者となった社会不適合者といったところだろうか。
そんなゴロツキを、この期に及んでも庇い続けるなんて。
親ばか極まった化け物の胸ぐらを、鳴郎がつかみ上げた。
「もういい千博。コイツに聞いても意味がない。ならぶち殺すだけだ」
「おい待て鳴郎!」
「きっちり仇は取ると約束しただだろ? オレの考えじゃコイツは立派な飯田の仇だ。だから殺す」
彼は乱暴に山犬の化生を突き飛ばすと、金棒を振りかぶった。
その勢いは風を切る音を生じ、千博の耳を貫く。
しかし鳴郎はそれを振り下ろす前に、凍りついたように動きを止めた。
彼の隣では同じくキクコが硬直している。
二人はまったく同じタイミングで、勢いよく真後ろへ振り向いた。
めずらしく鳴郎が切羽詰った声で叫ぶ。
「お前ら逃げろ!!」
なぜそんなことを言われたのか理由が分からず、千博の一瞬動作が一瞬遅れた。
頭上で、なにかが弾む音がする。
天を仰ぐと、自動車ほどの大きさをした犬が、こちら目がけて降ってくる真っ最中だった。
逆立ちのように地面へ向けて両腕を突っ張り、口をこれでもかといわんばかりに開いている。
人の指より大きな牙が並ぶその口は、夜にもかかわらず真っ赤で、また、千博を飲み込むのに十分な大きさだった。
(――喰われる!)
そう思った。
しかし何者かに突き飛ばされて我に返る。
「千博クン危ないっ!!」――その言葉とともに千博を救ったのは、一番近くにいた怪奇探究部の部長、尾崎八百だった。
よほどの力を込めたのだろう。
彼女の細い腕によって後ろへ倒された千博の体は、その勢いのまましりもちをつく。
「部長――!」
あわてて名前を呼んだが、もう遅かった。
部員を守るためその身を挺した尾崎八百の肩には、化け物の丸太のように太い両腕がかかり、巨大な顎は彼女の体をいまにも飲み込まんとしていた。
次の瞬間、部長の上半身は巨大な山犬の頭部に消える。
太いベルトを切断したかのような、ぶつんという音が響いた。
後に残ったのは、口のあいだから血をしたたらせて笑う化け物。
そして腰から上を失った、尾崎八百の細い下半身であった。




