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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
【第一部】第一話 はじまりはじまり
5/69

1-5

 鳴郎の全身は口裂け女の血と夕日で真っ赤に染まっていた。

彼の手には野球のバットより一回りほど大きい、鉄製の棍棒が握られている。

それはいつか見た絵本で、鬼が持っていた金棒とよく似ていた。

血が滴っているから、それで口裂け女を殴ったのだろう。


「……鬼灯鳴郎だよな?」

「テメェ、まだオレの名前覚えてないのか」


 そういう意味で言ったのではなかったが、訂正する前に口裂け女が起き上がり始めた。

頭部は陥没していたが、さすが化け物。

その程度の怪我では死なないらしい。


「まだヤル気かよ」


 恐怖ですくむ千博をよそに軽く舌打ちすると、鳴郎は向こうが動くより早く金棒を振り下した。

彼の攻撃は容赦のかけらもなく、口裂け女は地面に叩きつけられ、辺りに血と脳漿が舞う。

さらにもう一度、鳴郎は頭部へ鉄の棍棒を叩きつけた。

ザクロのように飛び散る化け物の頭部。

耳まで裂けた口どころか、口裂け女の頭は跡形もなく砕け散った。


「これくらいやれば、もう死んだだろ」


 そう言う鳴郎の顔は、べっとりと赤に染まっている。

彼に助けられたのは分かっていたが、千博は硬直して動けなかった。

どうして鳴郎はこんなにも冷静に化け物と対峙し、そして殺せるのか。

考えても答えは見えてこない。


「おいテメェ。ハンカチ持ってるか?」


 なんとなく朝のことを思い出しながら、千博はハンカチを鳴郎に手渡した。

彼が顔をぬぐうたび、ハンカチは血で染まっていく。


「……今の、口裂け女だよな?」

「言っただろうが。最近口裂け女がうろついてるって。原西を殺したのはコイツだよ」


 あの草刈鎌についていた血は、原西のものだったのかもしれない。

てっきり鳴郎がおかしいのか、それとも冗談なのかと千博は思っていたが、まさか本当に口裂け女が存在していたとは。

信じたくなくても、目の前の死体を見ると信じざるを得なかった。


「まさかこんなことが現実にあるとは……」

「しかしよくテメェは持ちこたえたな。オレが来るまでしばらく時間があったんじゃねーか?」

「……ああ。逃げたり、立ち向かったりした。お前がいなかったら死んでただろうが」

「立ち向かったぁ?」


 鳴郎はあからさまに疑っていたが、切り裂かれたシャツや転がるゴミ箱を見て納得したらしい。


「ふぅん。テメェも意外にやるな。原西は即死だったって話だよ」

「……可哀想にな」

「アイツも中学上がるときに引っ越してきたよそ者で、そのせいか街に化け物がいるっつっても信じなくてなぁ。結局、夕方出かけて口裂け女に頸動脈をばっさりだ」


 千博は無言のまま下を向いた。

鳴郎が来るのがあと一歩遅かったら、自分も原西と同じ運命をたどっていただろう。


「なぁ、鬼灯。この街は一体何なんだ?」


 例え答えが返って来なくとも 千博は尋ねずにいられなかった。

自分が無知なだけかもしれないが、化け物に人が殺されるなんて話、今まで聞いたことがない。

そもそもそんなことがよくあるなら、化け物の存在は人々に認知されているはずだ。


 尋ねられた鳴郎は、一瞬険しい顔をするとゆっくりと口を開く。


「この夢見の森タウンはな、呪われた街なんだよ」


 「呪い」なんて非科学的なことを言われても、もう馬鹿にする気にはなれなかった。

千博はうなずいて話の先を促す。


「ここは別に人が大量死したとかそういう事情はないんだが、土地が凄まじい邪気を放っててな。どうも風水とか自然的な要因とか、色々重なってそうなってるらしい」

「邪気って、悪い気とかの意味だよな? 邪気が強いと、やっぱりいろいろまずいのか?」

「あたりめーだ。邪気は悪霊・死霊・魑魅魍魎。それに妖怪と、ヤバいもんをいろいろ引き寄せる。だから普通はめったにいない化け物の類が、この街ではウヨウヨしてやがるんだ」


 土地から発せられる邪気と、それにつられて来る化け物。

普通なら鼻で笑い飛ばすような話だったが、千博は鳴郎の言うことを飲み込むしかなかった。

この街が妙にくすんで見えるのも、土地が出す邪気のせいではないかと思う。

とんでもない所に越してきてしまったと、千博は額を押さえた。


「この口裂け女みたいにヤバい化け物は、しょっちゅう出てくるのか?」

「あぁ。残念なことに人を襲う化け物は毎日のように出てくる」

「それじゃ住人は襲われ放題じゃないか!」

「だからこの街は危険だっつってんだろ? 妖怪の類に襲われて人が死ぬなんざ、この街は日常茶飯事だ」

「でも、不動産屋は一言もそんなこと――」


 そこまで言ったところで、千博は自分の発言の可笑しさに気付いた。

「化け物が出るからこの街は危ないですよ」なんて、不動産屋が言うはずがないし、言ったとしても誰も信じない。

千博の家がそうだったように、みんな何も知らないでこの街に引っ越してくるのだ。


「追い打ち掛けるようで悪いが、この街でヤバいのは妖怪だけじゃないぜ。強すぎる邪気は、人間の体も心も狂わせる。だからここじゃ事故・他殺・自殺・変死・行方不明と、いなくなる人間が人口に比べて異常に多い。あと発狂する人間もな」

「だけどそんなんじゃ、町の人間がすぐいなくなるじゃないか」

「いなくなったら代わりの人間が来んだよ。この街は犠牲者を呼ぶ。事実、この街に来る人間は、思い立ったようにここに越してくる奴がほとんどだ」


 鳴郎の言葉に、千博は目を見開いた。

夢見の森タウンへ引っ越してくる経緯に、思い当たる節があったからである。

今思えばいくらお買い得物件を見つけたとはいえ、父の決断は不自然なほど突然だった。

そもそもいくら祖母がすがりついても泣きわめいても、頑として切り捨てた時点でおかしかったのだ。

きっとアレが、この街に呼ばれるということなのだろう。


 千博は強烈なめまいを覚え、思わず足元をぐらつかせた。

家族をかき乱す祖母から解放され、やっと新生活を手に入れたと思ったのに、これからこの街で怯えて暮らさなければならないのか。

千博の口から、乾いた笑いがこぼれそうになる。


「この街に来た時点で、俺はもう終わりじゃないか……」

「ここがヤバいことを自覚してうかつな時間に外出しなきゃ、まぁ大丈夫だ。あと心に隙を作んなよ。そこからほころびが生まれちまう」

「俺の家族は――?」

「そこまで知るか。テメェが上手く説明するなり説得しろ」


 突き放すような言い方だが、助けてもらったうえに聞きたいことに答えてくれただけでも有難かった。

鳴郎がいなければ、今頃千博ははらわたを出して死んでいたのである。

思えば、今日彼に助けられたのはこれで二度目だ。

多少怖いところはあるが、鳴郎を危ない奴と決めつけていた自分を千博は恥じた。


「今さらだが、助けてくれてありがとうな。お前がいなかったら俺は本気で死んでた」


 千博が鳴郎に向かって頭を下げると、彼はハトが豆鉄砲を食らったような顔になる。


「ハァ? テメェ頭沸いてんのか? オレはただ化け物ぶっ殺しに来ただけで、テメェを助けたのは単なる偶然だっつーの」

「偶然でも助けてくれたことには変わりないじゃないか。鬼灯は俺の命の恩人だ。何かできることがあったら何でも言ってくれ。できることはなんでもする」

「じゃあとっとと家に帰れ。テメェにしてもらうことなんざ――」


 鳴郎がそう言いかけたところだった。

彼の背後に、鎌を掲げた口裂け女が現れたのは。

最初見間違いかと千博は思ったが、口裂け女は鳴郎に向かって鎌を振り上げる。


「鳴郎! 危ない!」


 千博が叫んだ瞬間、赤い人影が口裂け女に膝蹴りを食らわせた。

化け物はバウンドする勢いで地面に叩きつけられる。

絶妙のタイミングで口裂け女に一撃を食らわせたのは、赤い髪を風になびかせる鬼灯キクコであった。

夕陽がそうさせるのか、彼女の髪はさらに赤く、瞳は夜が迫った空のように暗い青色をしている。


「クソッ! 口裂け女は二匹いやがったのか」


 地面で呻く化け物を見ながら、鳴郎が苦々しげに言った。

ひょっとして鳴郎が倒した口裂け女が復活したのかと思ったが、幸いそうではなかったらしい。


「クロ―。ワタシちゃんと獲物見つけたよ。だからアイスおごってね」

「ウルセー。オレだって見つけてんだよ」


 凶器を持った化け物を前にしても、二人は余裕で軽口を叩き合っている。

この兄妹、一体何者なのだろう――そう思う千博をよそに、キクコは起き上がった口裂け女へ飛び掛かった。

丸腰なのに無謀だと千博は青ざめるが、彼女は片手で相手の凶器を押さえると、もう片方の手で化け物のの眼球に指を突き立てる。

女の絶叫とともに、キクコの白い顔へ血がほとばしった。


「あんまりうるさいと近所メーワクでしょ?」


 キクコは子供に注意するような口ぶりで言うと、押さえていた手を放し、同時に眼球へ突っ込んだ指を引き抜く。

途端口裂け女は割れたような声で絶叫し、両手で顔を覆った。

主を失った草刈鎌が地面に転がる

キクコはそれを拾い上げると、喚く口裂け女に向かって振り上げた。


「ちょっ、お前――!」


 千博の声と同時に、口裂け女の手の甲へ赤い亀裂が走った。

相手が痛みで手を顔から離した瞬間、鋭い切っ先が顔面を何度も往復する。

どんな力で鎌を振るっているのか、口裂け女の顔には深い裂け目が幾重にも入り、耳まである口は縦にも裂かれていた。

もがいても、両目のない化け物に相手を捕らえることはできない。

さらにキクコはもだえる口裂け女を蹴飛ばすと、倒れたところを馬乗りになり、一層激しく鎌を振るい始めた。


 彼女の右手が動くたびに、白いコンクリートの壁へ血しぶきが飛び散る。

今度は切り裂くのではなく、鎌の先端で化け物を滅多刺しにしているのだ。

返り血でぐしょ濡れになりながらも執拗に鎌を振るうキクコの姿は、もはや異常者の様相を呈していた。

やたらと固い音がするのは、鎌の切っ先が骨まで達しているのだろう。

最初は激しくあがいていた口裂け女は段々と静かになり、最後にはぴくりともしなくなった。


「おしまい」


 顎の先端から返り血をしたたらせ、キクコが立ち上がる。

口裂け女の顔面は、まるで焼く前のハンバーグのように潰されていた。

一体何度突き刺せば、草刈鎌の切っ先で人の顔をミンチにできるのだろうか。


 口裂け女の骸を見下ろしながら、キクコはまるで宿題でも終わらせた時のような口ぶりで言う。


「よしっ、ちゃんと死んでるね。二匹も殺したから『部長』もいっぱい喜んでくれるよ」

「暑いし、アイスでもおごってもらおうじゃねーか」


 彼女に答えたのは、もちろん千博ではなく鳴郎である。


「ワタシは肉まんがいいなー」

「はぁっ? テメェおかしいんじゃねーか?」


 二人は雑談さえしながら、死体をよそにその場を立ち去ろうとしていた。

凶器すら丸裸のまま歩き出す兄妹を、思わず千博は呼びとめる。


「ちょっおい、待ってくれ」

「なぁに?」

「し、死体は、どうするんだ?」


 他に言うべきことがあるだろうと千博は自分で思ったが、口をついて出たのはその一言であった。

キクコは隣にいた鳴郎と顔を見合わせると、目をぱちくりさせながら答える。


「死体はね、ちみっこが食べてくれるから大丈夫」

「ちみっこ?」

「千博にも本当は見えてるはずだよ。一回目ぇつぶって。深呼吸してから開いて」


 とりあえず千博がキクコの言うとおりにすると、一瞬にして世界が変わっていた。


 空気中を漂う、節の多い蟲のようなもの。

電柱の陰には無数の目玉を持つ毛むくじゃらの子犬が隠れ、道の端にはこれまた足の多い蟲が集団で這いずり回っている。


「何だこれは!!」


 千博は思わず声を上げた。

突然現れた得体のしれない蟲や小動物は、口裂け女の死体へ群がり始める。


「今見えるようになったのがちみっこだよ。直接害はないから安心安心」

「な、なんでこんなのが急に……」

「本当はずっと前から見えてたけど、そんなのいるはずないって思ってたから見えなかったの。でも口裂け女と出会って、千博が『そういう存在』を受け入れられるようになったから、見えるようになったんだよ。人間はね、本当にある物もないと信じれば見えなくなるの」


 「常識がかえってテメェの目を曇らせてたってことだ」と、鳴郎が付け加えた。

言いたいことはなんとなく分かるが、色々ありすぎたせいで心の方が追い付かない。


 口裂け女に、呪われた町に、そこら辺でうようよしている「ちみっこ」。

今まで全く信じていなかったものが、いま突然現実のものとして現れた。

そして人を殺す化け物を平気で叩き潰す鬼灯兄弟。

助けられたのは分かっているが、千博は彼らに対する恐怖心をどうしても押さえきれないでいた。


「……なぁ、お前たちは一体何者なんだ?」


 相当重量があるはずの金棒を平気で振り回す鳴郎と、草刈鎌一つで口裂け女をミンチにできるキクコ。

二人とも普通の人間であるはずがない。


 千博に尋ねられた兄弟は、しばらく黙った後同時に答える。


「恐ろしくて、強いもの」


 意味深な言葉を残し、二人は千博の前から去って行った。


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