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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第十三話 家の中の怪物
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13-2

今回は特に残酷な描写がありますので、ご注意ください。

「それじゃあ、飯田が休んだ理由はまったく分からないんですか?」


 千博の問いに、担任の三上がうなずいた。

三上曰く、何度飯田の家へ電話しても、一向に受話器を取らないという。

千博は嫌な予感がした。

単なる無断欠席なら、こう心配したりしない。

しかし昨日のことを考えると、なにか悪いことが起こったのではないかと思えてならなかった。


 千博は教壇の三上に礼を言って席へ戻る。


「で、三上のヤツはなんだってよ?」


 千博が席へ座ると同時に鳴郎が言った。


「まったく理由は分からないらしい。電話をかけてもでないって話だ」

「ふーん。ま、まだ朝だしな。これからひょっこり来るかも知れないぜ?」

「だけどなぁ……」

「そんなに心配なのかよ?」

「昨日のことがあるだろ? 両親が変だっていう……」


 自然と千博の眉にしわが寄ったが、それを鳴郎が鼻で笑った。


「心配性だなテメーは。動物霊に憑かれた両親の世話でてんやわんやなんだろ。多分」

「お前なぁ」

「おい、キクコはどう思う」


 鳴郎が尋ねると、今まで鼻歌を歌っていたキクコは「ワタシもおニク大スキ」と答えた。

意味が分からないが、彼女はいつもこんな具合なので気にするのはよしておくことにする。

ひょっとしたら異様に『勘』の鋭い彼女だから、なにか分かるかと思ったのだが。

どうにも煮え切らない状態に、千博はますます飯田のことが気がかりになった。

いっそ、帰り道のついでに彼の家へ寄ってみようかとも考えてみる。


「よかったら、鳴郎も一緒に来てくれないか?」

「おいおい、今日は部活あるだろーが」

「あれ? 水曜は部活ないんじゃ……」

「あのバカ、千博にメール送るの忘れてんな。――もう卒業まで日にちがないし、昨日の事件について今日も集まることになってんだよ」


 普段だったら、千博は二つ返事で行くと答えただろう、

しかしせっかく自分たちを頼ってくれた飯田を放っておくのは心苦しいところがあった。


「悪いけど、今日は休ませてもらうよ」


 しばし考え込んだ後、千博は言った。

思えば部活を欠席するのは、これが初めてである。

行きたいのは山々だが、責任感の強い千博はクラスメイトのことを優先した。


 放課後、飯田と仲の良い生徒から彼の自宅を聞いてそこへ向かう。

幸いなことに、飯田の家は自宅の方向の延長線上にあった。

わざわざ訪ねておいてなんだが、恐らくたいしたことなく終わるだろう――若干楽観視しながら、千博は彼の家の呼び鈴を押した。

しかし何度押しても、インターホンから家人の声は聞こえない。


(家にいないのかな? それとも……)


 すこし不安になってきた。

ここは人が簡単に死んでいく夢見の森タウンである。

ただでさえ部活で惨劇を目の当たりにしている千博は、つい最悪の事態を想定した。

しかしそれもどうやら杞憂に終わったらしい。

インターホンはつながらなかったが、鍵の開く音がして、玄関の扉から飯田が顔を出した。


「こんにちは」

「飯田! なんだ無事だったのか」

「無事だった。家の中に来てほしい」


 安心した千博は、手招きする飯田に誘われて彼の自宅へお邪魔した。

しかし玄関が閉まったところで、いくつかおかしな点に気付く。

最初頭に浮かんだのは、彼の声への違和感だった。


 いま千博たちは十三歳。

千博はとっくに声変わりをして男性の声だが、やや小柄な飯田はまだ甲高い声をしていたはずである。

なのに先ほど彼の声は妙に低かった。


 次に気づいたのは、飯田の服装である。

いま彼は制服のズボンをはきながら、上に母のものと思しきフリルがついたシャツを身に着けていた。

外にいるときは顔しか見えなかったため分からなかったが、どう考えても異様な格好である。


 いや、ひょっとしたら、声は風邪を引いたせいで、服装はもともと自宅だとこんな具合なのかもしれない。

だが声よりも服装よりも、千博が一番違和感を覚えるのは、他ならる彼の「存在そのもの」であった。


 まず目つきがおかしい。

妙に剣呑な光を帯びて、始終せわしなく眼球を動かしている。

かといって焦点があっていないわけではなく、彼は「何らかの意図」をもって不自然に視線を動かしていた。

視線につられるのか、動きもぎこちない。

上手く表現するのは難しいが、動きの緩急がおかしく、まるでコマ送りのようだ。


 「ここで、少し、待ってろ」


 千博を居間まで案内した彼は、不必要に歯を剥きながら呟く。

その口元は威嚇する犬を連想させるに十分だった。


(飯田のヤツ、一体どうしたんだ?)


 飯田の様子が不自然なのは気のせいではなく、れっきとした事実である。

昨日までは普通だったのに、一体なにが彼をそうさせてしまったのだろうか。

千博はそこまで考えたところで、自分が昨日の飯田と同じ疑問を抱いていることに気付く。

そう、彼は両親の様子がおかしくなったと言っていた。

目がギラギラギョロギョロして、口もなんか変で、歯がむき出しになっていると言っていた。

あれはこういうことだったのかと、今さらになって彼の言葉が腑に落ちる。

もしや飯田も、両親と同じく低級動物霊に憑かれてしまったのだろうか。

しかし千博は二回ほど霊に憑りつかれた人間を見たことがあるが、彼から霊の気配は感じなかった。

なら、飯田が変貌した理由はなんだろう。


 千博はさらに深く思索の海へ潜り込もうとしたが、水滴の跳ねる音が、彼を海中から引きずり出した。

台所の蛇口から、水でも滴っているのだろうか。

飯田家の台所はカウンター式のため、ソファーに座っていてもキッチンがよく見える。

しかし千博がシンクの蛇口を注視してみても、水は滴り落ちていなかった。


(どこかで水漏れでもしてるんだろうか……)


 水はまだ断続的にしたたっている。

気にかかった千博は、ソファーから立ち上がると、ぐるりとキッチン中をみまわした。

シンク以外に水道がある様子はない。

しかし水がはじける音は、自分がいるすぐ近くから聞こえてくる。

しばらく辺りをウロウロしてみて、やがて千博は冷蔵庫の前へ行きあたった。

どうも水は、冷蔵庫の中で滴り落ちているようなのだ。

他人の家の冷蔵庫を無許可で開けるのは不作法だが、ひょっとしたら紙パックでも液漏れしているかもしれない。


(牛乳とかだったら大惨事になるよなぁ……)


 礼を欠く行為ではあるが、この場合は放っておくほうがいけない気がした。

親切な千博が冷蔵庫を開けると、中にいた飯田と目が合う。

千博は、冷蔵庫の中にいた、飯田と目があった。


「飯田、なんでそんな所に」


 言ってから千博は気が付く。

いま、彼は、首から下がないと。


 水が跳ねる音は、彼の首からしたたり落ちる血潮によって生まれたものだった。

真っ先に飯田の頭部が目に入ったが、その後ろには乱雑に押し込められた彼の白い手足がある。

切断面はどれも鮮やかでなく、むしろ獣に食いちぎられたようにも見えた。


 一体いつの間に、飯田はこんなのことになったのか――千博は呆然としながら考えた。

自分はたった今、生きている飯田と会話したはずだ。

ほんの数分の間に彼が死んで解体されて冷蔵庫の中に入れられたとしても、冷蔵庫は千博が座っているソファーから見える。

いくら考え事をしていたからといって、人間の死体が運び込まれるのに気付かないわけがなかった。

ならば、自然と導き出される結論は一つ。

飯田は、千博が家を訪れる前に死んでいたのだ。


 では、玄関から顔を出し、千博を家内に引き込んだ飯田はなんだったのだろうか。

常識で考えれば先程の結論と矛盾が生じる事実であるが、ここは夢見の森である。

あれは飯田に化けた「何か」だったのではないかと、千博は判断をくだした。

直接的な証拠はないが、間接的な証拠は多々ある。

不自然な声、衣服、目つき、挙動――それらを総合して考えれば、「アレ」が飯田本人でないと推定するに十分だ。


 最後に、どうして飯田に化けた「何か」は千博を家の中に誘い込んだのか。

その答えは小学生の計算問題を解くより簡単に分かった。

というよりも、千博の直感が疑問を感じると同時に答えを導き出した。


 ニセモノの飯田は、千博を殺すために家の中へ案内したのだ。


 千博の全身が冷たくなる。

室内は血の滴る音以外、まったくの無音だった。

誰かが近寄ってくる気配もない。


 千博は冷蔵庫を静かにしめると、ソファーに置いていた鞄を取り、息を止め、滑るように居間から玄関まで移動した。

なるべく音を立てず玄関扉をあけ、家から抜け出す。

そして扉が閉まる音を合図に、全速力を出した。


 「何か」が追ってくるのではないかと気が気ではなかったが、幸いまだ外は明るい。

さすがに人食いの化け物も、日の下で堂々と姿を現すことはできないらしい。

千博は無事、自宅の中へ転がり込むと、玄関のカギとチェーンをしめた。


 息を切らして天井仰ぐ息子に母が怪訝な顔をしているが、今は喋る余裕もない。

しばらく呼吸を整えた後、千博は自室へ戻ってベットの上に寝っころがった。

目をつむれば、首一つとなった飯田の姿が浮かんでくる。

あの時は表情まで気が回らなかったが、記憶の中の頭部はひどく苦悶に歪んだ顔をしていた。

よほどむごい最期を遂げたのだろう。

胴体が見当たらなかったのは、すでに化け物が食ってしまったからか。

きっと彼の両親も、飯田と同じような最期を迎えたに違いなかった。

助かったと安堵するとともに、千博は飯田を助けられなかったという自責の念に苛まれる。


 動く気も起きずベットの上でじっとしていると、ポケットにいれたケータイが振動し始めた。

よりによってこんな時に誰かから電話らしい。

出る気力もないのでそのままにしておいたが、いつまでも響くため、仕方なくソレを耳に当てた。


「千博っ!! 生きてんのか!?」


 耳元で怒鳴る声は鳴郎のものだったが、後ろで部員たちがざわめく声も聞こえる。


「なんとかな……」


 千博はかろうじて口を開いた。


「いまどこにいる? 家か?」

「一体どうしたんだ……?」

「昨日食い荒らされた死体が見つかったって話、あっただろ? あれ、飯田の両親だった」


 両者の間で、電話越しに沈黙が落ちる。

やがて千博は、「だろうな」と答えた。


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