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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第十二話 恋文に生きる
45/69

12-3

「一体お前はなんの妖怪なんだろうな」


 千博は勉強机の上にいるひな人形を見ながら呟いた。

見るものすべてが珍しいのか、彼女は盛んに千博の部屋を見回している。

いきなり駆け出したりするので、机から落ちないよう注意するのが大変だった。

まるで小動物の世話をしているかのような気分である。


 あの後部活では、もう一度ひな人形の正体について考えることになった。

だが結局答えは見つからず、とりあえず千博がひな人形を自宅へ持ち帰って現在に至る。

ひな人形の正体は部長たちが調べてくれるらしいが、果たして、彼女の正体が分かる日がくるのだろうか。


(まぁ、気長に待つことにしよう)


 千博はひな人形に注意しながら、机の上に教科書を広げた。

塾に通っていないし、そもそも勉強が嫌いではないので、毎日自習をするのが千博の習慣となっている。

ひな人形が開いた数学の教科書を面白そうにのぞき込んだ。


「面白いか?」


 最初は興味深そうだったものの、数学の問題が彼女に分かるはずもない。

すぐにつまらなそうな顔になって、大の字に寝転んだ。


「あはは、そりゃつまらないよな」


 バカにされたと思ったのだろうか。

ひな人形はむくりと起き上がると、千博の手に抱きついて持っている鉛筆を奪おうとしてきた。


「おいおい、なにするんだよ」


 止めても聞かないので、しかたなく持っていた鉛筆をくれてやる。

すると彼女は自分の身長より大きなそれを抱え、机に何か書き始めた。

千博がメモ用紙を敷いてやると、ご機嫌な様子でさらに筆を走らせる。


(まるで小さい子と一緒だな)


 しばらくして鉛筆を置いたひな人形は、得意げにメモ用紙の前でふんぞり返った。

「見ろ」とでも言ってるのだろうか。

メモをのぞいてみると、一応文字らしきものがのたくっている。

驚いたことに、かなり下手くそではあったが、それは平仮名になっていた。


「お前、字がかけるのか!?」


 えっへんといわんばかりに彼女がうなずく。


『かく と だにえや はい ぶ きの さし も ぐささ しもしら  じな もゆ   るおも いも』


 ミミズのような字を解読してみると、メモにはこう書かれていた。

知っている仮名を適当に書いてみたのだろうか。

しかし千博は、繰り返し読むうちに、それが知っている一文だということに気付く。


「かくとだに、えやはいぶきの、さしもぐさ、さしもしらじな、もゆるおもいも……。――これ、百人一首じゃないか!?」


 驚きあまり、千博はひな人形を両手で抱き上げた。


「スゴイじゃないか! 百人一首が分かるなんて! 他にも何か知っているのか?」


 もう一枚メモ用紙を机に敷くと、再びひな人形が文字を書き始めた。


『しのぶ れどい ろ にでに けりわ がこ い わも のやおもふ とひと のとう ま で』


「しのぶれど、色に出にけり、わが恋は、ものや思ふと、人の問ふまで。……平兼盛の歌か。スゴイな、こんなに頭がいいなんて」


 口を利かないので今まで分からなかったが、彼女はかなり知能が高い妖怪なのだろう。

千博がメモを与えるそばから、ひな人形は和歌を記していった。

しかし五、六首書いたところで、気絶するように彼女は眠ってしまう。


(遊びすぎて疲れたんだな……)


 千博は眠るひな人形を優しく抱き上げると、そっと部屋の片隅にあるクッションの上に寝かせた。

これなら、うっかり踏んでしまうこともないはずである。

しばらくひな人形が寝ている様子を観察した千博は、それから極力物音を立てないように過ごした。


(夜中トイレに行くとき、踏んづけないようにしないといけないな……)


 幸い床に着いてから夜中起きることもなく、目が覚めると、ちょうど目覚ましが鳴る一分前だった。

起きるなり、千博はひな人形が寝ているクッションへ目をやる。

しかし彼女の姿はそこになかった。


「どこいった!?」


 慌てて飛び起きようとするが、ふと自分の横で、ピンク色の塊が寝息を立てていることに気付く。

どうもこのひな人形。

夜中起き出して、千博の布団へ勝手にもぐり込んだらしい。


「この馬鹿! もしつぶされたらどうするんだ!」


 千博は呑気に眠っているひな人形に向かって怒鳴りつけた。

飛び起きた彼女は悲しそうな顔をしたが、叱らないわけにはいかない。


「俺はお前の何倍も大きいんだぞ。俺の寝返りに巻き込まれたら、お前はぺしゃんこなんだ。分かったか?」


 ひな人形がしゅんとした様子でうなずく。


「分かったならいいんだ。それで俺はこれから学校に行かなきゃならないんだけど――」


 人形がしがみついてきたので、千博は彼女を学校へ連れて行くことに決めた。

学生かばんにちょうどいいサイズのポケットがついていたので、そこに彼女を入れて学校へ向かう。

教室へ入ると、目ざとくひな人形を見つけた鳴郎が言った。


「おいおい、お前わざわざコイツ連れてきたのかよ?」


 彼は明らかに呆れている様子である。

しかし千博は悪びれずにうなずいた。


「ああ、そうだけど。それがどうかしたか?」

「あのなお前、失くしたってって知らねーからな」

「なくすって、彼女は物じゃないんだぞ」


 ポケットから出てきたひな人形も、ふくれ面をして抗議する。

千博はこの嫌味な奴に彼女の賢さを教えてやらねばならんと思った。


「鳴郎、お前は知らないだろうがな、コイツには立派な知能があるんだぞ」

「どーせ人の顔が分かるとかだろ?」

「ちがう。このひな人形はな、なんと百人一首を知ってるんだ。おまけに平仮名だけど、字も書ける」

「ほーお、ソイツは立派なことで」

「信じてないだろお前」


 鳴郎の心無い言葉に、ひな人形がショックを受けたような顔をした。

教養があって字も書けるのに、小動物程度の頭脳と見積もられたら、そりゃあ傷つきもするだろう。

千博は下を向く彼女の頭を、人差し指で撫でてやった。


「気にするな、コイツはいつもそうなんだ。すぐにキレるへそ曲がりだから気にするんじゃない」

「誰がすぐキレるへそ曲がりだって?」

「ほらまた怒った。だから気にしなくていいぞ、ひな人形」


 鳴郎は二人のやり取りを心底馬鹿らしそうに眺めていた。

しかしそのうち思いついたように言う。


「そういえば千博、この人形のこと『ひな人形』って呼んでるのか?」

「そうだけど」

「お前なぁ、知能があるとか言っといてその呼び方はねーだろ。可哀想とは思わねぇのか?」

「……なにが?」

「人形、お前だって『ひな人形』より、もっと可愛い名前が欲しいだろ?」


 ひな人形はしばらく考え込むようなそぶりを見せた後、ゆっくりうなずいた。

名前など全く気に留めてなかったが、彼女が言うならそうなのだろう。

ひな人形はつぶらな目を輝かせながらこちらを見詰めている。

まるで「わたしに素敵な名前をつけて!」と言っているようであった。


(名前か……。難しいな)


 千博は少し考えてから呟く。


「……あんこ」

「はっ?」

「コイツの名前だよ。百人一首が好きだから、小倉百人一首で小倉。小倉といったらあんこしかないだろ?」

「お前……もうちょっと他に……」

「いい名前だよなぁ? な、あん――」


 しかし言いかけた途中で、千博は絶句した。

あんこが、その大きな瞳を涙でいっぱいにしていたからだ。

少しでもうつむいたら、今にも涙がこぼれてしまいそうな具合である。


「ほら見ろ! ひな人形も嫌がってんだよ!! 小倉百人一首なら、素直に小倉でいいじゃねーか!」

「でも、それだと可愛くないし……」

「あんこなんて名前よりゃマシだよ!」


「本当に小倉でいいのか?」という千博の問いに、彼女がうなずいたので、めでたくひな人形の名前は「小倉」と決まった。


「あらためてよろしくな、小倉」


 千博が差し出した指を、小倉が小さな手のひらで握る。

それから一日の授業が終わるまで、小倉は片時も千博のそばから離れなかった。

授業中は頭の上が彼女の指定席になり、手洗いに行く時と、体育の時間以外は常に一緒。

休み時間に小野沢が襲来しても、小倉は怯えることなく千博にくっついていた。

四六時中一緒にいても、彼女は普通の人間の目に見えないため、世間的には無問題である。


 学校を終え自宅へ戻ると、千博は小倉を勉強机の上に乗せた。


「学校は楽しかったか?」


 千博の問いに、彼女が微笑みながらうなずく。


「それならよかった。でもお前が鳴郎の弁当を勝手に食べた時は驚いたぞ?」


 鳴郎が弁当箱を開けた途端、入っていたから揚げにかぶりついたのだから、あの時は焦った。

そもそも千博は小倉が物を食べるとも知らなかったのだ。

鳴郎は怒ったが、幸いその矛先は小倉ではなく飯をやっていなかった千博に向き、彼女は無傷で事なきを得た。


「ご飯やらなかったのは悪かったな、今日からちゃんと食べさせるから」


 小倉がうれしそうに小刻みに飛び跳ねる。

千博が居間から持ってきたチョコチップクッキーを三枚平らげると、彼女は昨日と同じく、ことりと寝てしまった。


(歯磨きしなくていいのかな……?)


 それも明日鳴郎に聞いてみることにしよう。

また布団にもぐりこまれたら危ないので、千博はクッションを乗せた椅子をベットの脇に置くと、その上に小倉を寝かせることにした。

それでも少し不安はあったが、次の朝、彼女がそのまま寝ていたので、満足してくれたのだと思うことにする。


「今日も一緒に学校いくか?」


 小倉がバンザイをしながら小さく飛びはねる。

千博は昨日と同じようにして彼女と登校した。


「まーた連れてきたのかよ」


 千博のカバンに収まる小倉を見て、鳴郎は呆れた顔をしていたが、それ以上何も言わなかった。

もはや文句をつける気力も失せたのだろうか。

しかし昼休み、小倉のエサを持ってきてやったという彼を見て、アイツはこういうヤツだったと苦笑した。


「なに笑ってんだこの野郎。社にから揚げ作ってもらったんだから、ありがたく食えよな!」

「って、言ってるぞ。小倉、ありがとうは?」


 小倉が、ぺこりと頭を下げた。

なぜか顔を赤らめる鳴郎を横目に、千博はつまんだ唐揚げを小倉に差し出す。

しかし彼女はすぐにそれを頬張ることができなかった。

なぜなら小野沢が黄色い声を出して教室に入り込んできたからだ。


「小野沢さん!? どうしたのいきなり?」

「今日はぁ、氷野くんにお弁当作ったの。だから食べてもらおうと思って! ミイナ、早起きして作ったんだよ?」


 彼女が目を見開きながら小首をかしげる。

しかし弁当ならすでに母お手製のものがあった。


「ゴメン、小野沢さん。悪いけど、弁当ならもうあるんだ」

「え~! そうなのぉ!? ショック―」

「うん、ゴメン。だからその弁当は――」

「うぅー、せっかく早起きして作ったのに……。昨日スーパーに行って材料買ったのに……。でも、しょうがないよねっ? お腹壊したら大変だもん!」


 小野沢はムリに明るく笑うと、弁当を持ったまま教室を出て行こうとした。

その悲しそうな背中に、千博はつい声をかけてしまう。


「待って! 小野沢さん! それくらい食べられるから!」

「でも……、具合悪くなっちゃうよ?」

「平気だってそれぐらい」


 力強くうなずくと、小野沢は満開の花のような笑顔になった。


「ホント? ホントに!? うれしいっ! やさしい千博くん大好き!」

「ど、どうも……」


 弁当を受け取って席へ戻ると、鳴郎が白けた顔をしていた。

その眼には軽蔑と言ってもいい色が滲んでいる。

千博の何が悪かったというのだろうか。


「おい、言いたいことがあるなら言えよ」

「別に、騙されるのも経験だからな」

「……はぁ?」

「失敗するのは、誰にでも初めてがあるから仕方ねぇ。ただ失敗に気付いた時に、それを改めるか、そんなはずはないと盲信するかで、男の――いや、人間の器量が問われるんだ」

「なに言ってるのか、まったく分からないぞ」

「楽しみに見学させてもらうぜ。純情少年くん」


 戸惑ったが、時間がないことに気付き、千博は急いで母の作った弁当を平らげた。

二個目の弁当箱のふたを開け、まずはおかずに箸をつける。

味自体は、おいしいと表現して遜色なかった。

しかし塩気が強く、どこかで食べたような味付けである。

市販の調味料を使って調理したのだろうか――そんなことを考えながら箸を進めたが、思った以上に量が多く、千博は重たい胃を抱えながら午後の授業を過ごすハメになってしまった。

中学生が胃もたれとは情けない話である。

胃をさすりながら部活に参加すると、すぐに他の部員たちに気付かれた。


「あれ? 千博クン、ひょっとして飲み過ぎ?」

「なに言ってるのよ。でも、本当に具合が悪そうね」

「だ、大丈夫ですか……? なんかに憑りつかれてません?」


 千博は事情を説明しようとしたが、その前にキクコが口を開く。


「千博はね、お母さんのお弁当と、女の子が作ってくれたお弁当、ふたつ食べたからぐあい悪いの」


 部長と常夜の顔色が変わった。


「ちょっ、キッコタンそれどういうこと!?」

「その女狐の名前を教えなさい!!」

「んー、名前わかんない」


 部長と常夜の鋭い視線がこちらへ飛んでくる。

千博は降参するように両手を上げた。


「あ、あの、皆さん落ち着いてください!」

「これが落ち着いていられるかーっ!」

「千博くん、さっさと名前を教えるのよ!」


 教えたら、小野沢の身に危険が及びそうだ。

千博はのらりくらり追及をかわす作戦に出ようとしたが、横から鳴郎が呟く。


「小野沢って女だよ。クラスは違う。黒い髪をツインテールにしてる小柄なヤツだ」


 千博は余計なことをした鳴郎を少し恨んだ。

名前を聞いた二人の先輩は、とりあえず小康状態に落ち着いたようである。

しかし大人しくなった先輩たちとは逆に、「小野沢?」と花山が顔をしかめた。


「ひょっとして、花山さん知ってる人?」

「えー、あー、そのー」


 明らかに答えに窮している様子である。

部長が意地の悪い顔になって、彼女の脇をつついた。


「ほらほら言っちゃいなよー。何か知ってるでしょー?」

「えっ、で、でも、本人がいないところで……」

「ちょーっとだけでいいからさぁ」

「え、え、じゃあ、『人の物が好きなタイプ』とだけ……」


 千博には訳の分からない一言だったが、他の部員はキクコ以外――そう、鳴郎でさえも――納得したようだった。

ひょっとして、一般人は知らないような特殊な符号なんだろうか。

千博は手に乗せた小倉と顔を見合わせる。


「あ、でも、人から聞いた噂ですから、本気にしないでください……」

「はいはい分かったって。――とりあえず本題に入ろうぜ」


 鳴郎は小倉を指さすと、先輩二人に「分かったか?」と尋ねる。

二人は首を横に振った。

部長も常夜も分からないのだから、小倉はきっと相当珍しい妖怪なのだろう。

部長が小倉の顔をのぞき込みながら言う。


「ごめんねー、お人形ちゃん。キミが何者か、尾裂狐でも分かんないんだよー」

「あ、この子、小倉っていうんです」

「へぇー、この子に名前つけたんだ。可愛がってるねぇ」

「そ、それほどでも……」


 周りがニヤついた笑顔で千博と小倉を眺めてくる。

恥ずかしがる千博とは違って小倉はきょとんとしており、それがまた周囲の笑いをさそった。

妖怪とは恐ろしいものばかりなんだと思っていたが、彼女のように大人しくて可愛い種類もいるらしい。

千博は妖怪への認識を改めるとともに、もっと小倉について知りたいと思った。


「ねぇみんな、今日は特にすることないし、小倉ちゃんと遊ぶことにしない?」


 部長の意見に、一同が賛成する。

千博は部室の真ん中にあるテーブルへ、そっと小倉を乗せた。


「小倉、今日はこの人たちと遊ぼう。みんないい人たちだから安心していいぞ」


 小倉がうれしそうに笑いながら、首を縦に振る。

だが顔を上げたところで一回大きく震えると、そのまま動かなくなってしまった。

顔は驚いたように目を見開いたままである。

硬直した彼女を抱き上げると、千博は何度も名前を読んだ。


「小倉! どうしたんだ小倉!」


 大勢の前にいきなり出したのが悪かったのだろうか。

千博が後悔しながら自問していると、気が付いたように小倉が再び動き出す。


「小倉! 大丈夫か!?」


 しかし彼女が千博の問いかけに答えることはなかった。

焦ったように手のひらから飛び降りると、ネズミのように素早く床を走り出す。

捕まえる暇さえなく、小倉は扉の隙間から廊下へ飛び出して行ってしまった。


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