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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第十二話 恋文に生きる
44/69

12-2

 昨日は神経をすり減らす散々な日だったが、バレンタインデーはもう終わった。

もう靴箱にチョコは入っていないだろうし、鳴郎の機嫌が悪くなることもないだろう。


 しかし二月十五日の朝。

登校した千博が靴箱を開けると、見覚えのない物体が入っていた。

薄暗せいでよくは見えないが、丸くてピンク色をしているということは分かる。

バレンタインデーは昨日で終わったはずなのに、今日もチョコレートだろうか。

正直「またか」という気分になっていると、もぞり、とその物体が動いた。


「うわっ」


 思わず、腰が抜けそうになる。

すんでのところで踏みとどまった千博は、動悸を押さえようと自分の胸に手を当てた。

ひょっとしたら、ネズミでも入り込んだのかもしれない。

確かめるのは嫌だったが、いつまでも下駄箱にいるわけにもいかないので、千博はもう一度中をのぞき込んだ。

ピンク色の物体が、上履きのそばでもぞもぞ動いている。

暗がりに目が慣れていくうちに、次第にその物体はハッキリと形を取り始めた。

丸だと思ったのはうずくまっていたかららしく、しばらく見ていると、それが人型をしていることに気付く。

人の形をした物体は長い髪をはやしており、まるで平安貴族のような桃色の十二単を着込んでいた。


(おひなさま――?)


 身なりも大きさも、下駄箱の中にいる物体はひな祭りの人形そっくりだった。

一瞬幻覚かとも思ったが、確かにひな人形は千博の靴箱の中で動いている。

ひな祭りには、少々早すぎるだろう――そんなマヌケな考えが脳内をよぎった。


(おもちゃ――? いや、それにしては自然に動きすぎてるよな……)


 上履きの周りをウロウロ歩くひな人形を見て、人工物であるという線は捨てた。

と、なると、やはり化け物の類だろうか。

種類は分からないが、とにかく超常的な代物であることは間違いなさそうだった。

自然に中から出て行かないか、しばらく様子を見てみる。

しかしいくら待っても出ていく様子がないので、千博は途方に暮れた。

このままずっとここで立ち往生しているわけにもいくまい。

幸い害はなさそうなので、千博は覚悟を決めると、下駄箱の中に手を突っ込んで、動くひな人形をつかんだ。

意外と柔らかな感触が手の中に広がる。

引きずり出すと、動くひな人形は眩しそうに外の世界に目を細めた。


(……かわいい)


 興味深そうに周囲を見回すひな人形を見て、不覚にもそう思ってしまった。

桃色の十二単には小花の模様が入っており、それがいっそう彼女の可愛らしさを引き立てている。

しばらく見とれてしまったが、千博は我に返り、ひな人形を地面に置いた。


「さっさとどこかへ行くんだぞ」


 多分妖怪の一種だから、放っておけば自然にどこかへ行くだろう。

だが予想に反して、千博がその場を立ち去ろうとすると、ひな人形は引き止めるようにズボンのすそをつかんだ。

首を横に振るその様子は、「行っちゃやだ」と言っているようにも見える。


(まいったな……)


 引きはがそうとしても、目をぎゅっとつむり、首を振るばかりである。

可哀想だが、千博も下駄箱にい続けるわけにもいかない。


「俺、これから学校あるんだ。だからずっとここにいるわけにもいかないんだよ」


 すると、こちらの言葉が分かるのだろうか。

ひな人形は千博の足を器用によじ登ると、コアラのように腰へ抱きついた。


「ひょっとして、一緒に行きたいのか?」


 こくりと人形がうなずく。


(しょうがないな……)


 襲ってくる様子もないから、連れて行っても大丈夫だろう。

そう思った千博は、とりあえず教室まで彼女を連れて行くことにした。

教室に行けば鳴郎がいるし、対処法も分かるはずである。

しかし腰にしがみつけておくのも不安なので、彼女を両手に包んで運ぶことに決めた。

多分ないと思うが、人に見られることも考え、手のひらですっぽり覆い隠しておく。

幸いひな人形は触られても嫌がらず、千博は彼女を抱えて教室まで急いだ。

このまま教室まで連れて行って、早く鳴郎の指示を仰ぎたい。

だが目的地まであと一歩というところで、千博は後ろから誰かに呼び止められた。


「氷野くーん! おはよー!」


 聞き覚えのない声に振り替えると、そこには昨日チョコを渡された小野沢美伊奈がいた。

返事をする間もなく、彼女は子犬のようにこちらへ駆け寄ってくる。


「氷野くんっ、ワタシが作ったチョコ、おいしかった?」


 大きな瞳を上目づかいにしながら、小野沢が小首をかしげた。


(まいったな……。早く教室に行きたいのに)


 しかし無視するわけにもいかず、千博はうなずいた。


「ああ、おいしかったよ」

「うふふっ、ミイナうれしい! ワタシお菓子作るの大好きで、よく作るの。みんなおいしいって言ってくれるんだよ?」

「そうなんだ……」


 千博は半分上の空で返事をした。


「それでワタシね、実は家政科部に入ってるの。いっぱいお菓子とお洋服作るんだよっ。」

「ふ、ふーん」

「氷野くんは何の部活入ってるのー?」

「怪奇探究部だけど……」

「そうなんだ! ミイナ占いとかタロットカードとか大好きっ」


 こちらとしては早く話を切り上げたかったが、小野沢はいつまでたっても喋るのをやめなかった。

待っているうちに、手の中でひな人形が動き出す。


 狭くて暗い中に閉じ込められているのだ。

当然逃げ出したくもなるだろう。


 離してやってもいいが、あいにくここは生徒が大勢行き来している廊下だった。

床に降りた途端、誰かに踏みつぶされてしまう可能性もある。

考えあぐねた挙句、千博は小野沢に言った。


「小野沢さんゴメン。俺そろそろ教室いかないと」

「えー、ミイナまだおしゃべりしたいのにぃ」


 小野沢が渋ったが、その時タイミングよく予鈴が廊下に響いた。


「じゃ、俺行くから!」


 彼女が何か言う前に、千博はその場を立ち去った。

大急ぎで教室まで行くと、挨拶より先に、すでに着席していた鳴郎へひな人形を見せる。


「鳴郎、コレ、なにか分かるか?」


 妖怪退治のプロである彼なら、彼女の正体が分かると思った。

しかし彼はポカンと口を開けて硬直している。


「なにって、ひな人形だろ……? お前アタマ大丈夫か?」

「そういうことじゃなくてだ!」

「じゃあなんなんだよ……」


 鳴郎が不審そうな目つきでひな人形に視線をやる。

すると今まで動かなかった人形が、ひとつ身を震わせた。

再び動き出した彼女は、千博の腕をつたって机の上まで降りていく。

鳴郎は目を皿のようにしたまま、人形の動きへ釘付けになっていた。


「コイツ……動くぞ!」

「あのな、はじめてコックピット入ったような反応するなよ」

「スゲェ! 新しいおもちゃかコレ!?」

「そうだったらわざわざ見せたりしないって……」


 驚く鳴郎の様子を見て、彼も彼女の正体を知らないのだと悟った。

鳴郎さえ種類が分からないのだから、新種の妖怪なのだろうか。

念のためキクコにも見せてみたが、彼女は眠いのか、無言のまま何も答えなかった。

厄介なものを拾ってしまったと、千博はため息を吐く。



「コイツ、これからどうしよう……」

「捨ててきたらいいだろうが」

「でも、なんか俺から離れるのが嫌みたいだし、踏まれたりしたら後味悪いしな」

「ふーん……」


 ひな人形はとくに変わった様子もなく、机の上で筆箱に乗ったりしながら遊んでいた。

活発な性格なのか、十二単にもかかわらず、消しゴムでサッカーをしたりもする。

今のところ害はなさそうだが、あくまでも妖怪の一種だと考えると、豹変する可能性がないともいえなかった。


 やはり、心を鬼にしてどこかに捨てるべきだろうか。


 千博が考えあぐねていると、鳴郎が思いもよらぬ一言を告げる。


「面倒なら、オレが引き取ってやってもいいぞ」

「本当か!?」

「ああ。オレなら万が一の時対処もできるし、ちょうどいいだろ」


 そういう彼の声音は冷静だったが、目はキラキラと輝いていた。


(そうだ、コイツ可愛いモノ大好きだった……)


 部屋をぬいぐるみでいっぱいにしている彼が、彼女を放っておくはずがない。

ひな人形は頭上でかわされている会話に、つぶらな目をきょとんとさせていた。


「じゃあ、コイツはオレがもらっていくからな」


 半ば強引に鳴郎が遊んでいるひな人形をすくい上げる。

するとどういうことだろう。

今まで大人しかった彼女が、いきなり彼の手に噛みついた。


「おいコラ! お前なにすんだよ!」

「おい、やめろひな人形!」


 しかし人形は手にかぶりついたまま離さなかった。

鳴郎が腕を上げても、噛みついた状態で宙ぶらりんになる始末である。

凶暴そうには見えなかったのに、一体なにが気にくわなかったのだろうか。

あわてて千博がぶら下がるひな人形に手を差し出すと、やっと彼女は鳴郎の手から離れた。

千博の手の平で見る間に落ち着いた彼女は、千博の親指にほおずりをしている。


「おいっ、やめろくすぐったい」

「はっ、とんだイケメン好きだぜ、そのひな人形」

「これじゃ鳴郎が引き取るのは無理そうだな……」


 ひな人形はすっかり千博に懐いてしまったらしい。

それから彼女は千博の周りから離れず、頭の上にしがみついて一緒に授業を受けることもあった。

トイレに行こうとすると悲しそうに追いすがるし、もはやどこかに置いてくるのは無理そうである。

仕方がないので、彼女が飽きるまで近くに置いてやろうと千博は覚悟を決めた。


 しかしそうはいっても、やはりひな人形の正体が気になる。

鳴郎とキクコは無理だったが、怪奇探究部の先輩方なら彼女の正体も分かるかもしれない――そう思った千博は、その日の部活でひな人形のことを皆に相談した。

だが部長も常夜も花山も、首を横に振るだけである。


「みなさんでも分かりませんか……」

「私の妹が何も言わないから、少なくとも人形関係の怪異ではないと思うわ」

「そうですか……」

「なんかカワイーし、悪い妖怪じゃなさそうだし? 千博クンが引き取ってあげればいいんじゃないの」


 部長の言葉に、花山もうなずいている。

部長が言うなら、恐らくひな人形に目立った危険はないのだろう。

やはり覚悟を決めるしかないと思った。


「分かりました。そうします」


 千博が答えると、机の上で彼女がうれしそうに笑った。











 一日たっても、氷野千博からの返事はなかった。

自分なりに一生懸命お菓子を作って、手紙も書いたというのに、何がまずかったのだろうか。

噂だと彼は十個以上本命チョコをもらったというし、適当に捨てられてしまったのかもしれない。

悪い考えばかりが脳裏に浮かび、川崎美緒は涙が出そうになった。


「わたしのチョコ、ちゃんと受け取ってもらえたのかな……?」


 家政科部の活動中、美緒が小野沢美伊奈に尋ねると、彼女は心外だと言わんばかりの表情になった。


「チョコなら昨日、ワタシがちゃんと渡したけど?」

「そ、そういう意味じゃなくて……」

「前から思ってたけど、美緒ちゃん、そういう無神経なところがあるから直した方がいいと思う」


 美緒は言葉に詰まった。

美伊菜は普段とは違うキツイ顔で、クッキーの生地をこねまわしている。

しかしふいに優しそうな、そして憐れむような表情に変わった。


「ごめんね美緒ちゃん、ワタシきついこと言っちゃって」

「ううん、いいの。わたしも悪かったし……」


 しかし美緒が言っても、美伊奈はうつむいたままだった。


「どうしたのミイナちゃん?」

「あのね、実はワタシ……本当は美緒ちゃんに謝らなきゃいけないことがあるの……」


 美伊奈は顔を上げると、大きな瞳を潤ませながら美緒の顔をのぞき込んだ。

捨てられた子犬のような表情に、何も言われないうちから、同情心のようなものを抱いてしまう。


「な、なにかあったの……?」

「あのね、実は氷野くんのことで、ずっと言おうか迷ってたんだけど……」

「う、うん」

「ホントはね、昨日チョコ渡したとき、氷野くんに言われてたの。美緒ちゃんとは友だちになれないけど、ワタシとは友だちになりたいって……」

「えっ」


 美緒は絶句した。

どうして美伊奈はよくて、自分は友だちになったらダメなのだろうか。

反射的に疑問に思ったが、すぐ自分で答えが分かった。

誰から見ても可愛い美伊奈と、地味で平凡な美緒。

いくら完璧な氷野千博だって、地味な子より可愛い子の方がいいに決まっていた。


「そっか、そうなんだ……」

「あの、氷野くんね、寄ってくる女の子がすごく多いんだって。だから友達にする子は選びたいって」

「そっか」

「それでね、美緒にはすごく悪いんだけど、ワタシ、氷野くんとお友達になったらダメかな……?」


 今にも涙をこぼしそうな目で、美伊奈が小首をかしげる。

美緒はしばらく黙った後、笑いながら「いいよ」と答えた。


「そんなの、いいに決まってるよ。だって氷野くんはわたしのものじゃないから、許可なんていらないもん」

「ありがとう美緒! ワタシ美緒大好き!」

「うん、わたしも。――あっ、ゴメン! ちょっとトイレ行ってもいい? 今日ジュース飲みすぎちゃってさぁ……」


 本当に美緒はトイレに行くつもりだった。

トイレに行って、それから泣くつもりだった。

しかし思っているより自分の心は弱かったらしく、廊下に出て扉を閉めた途端に涙があふれ出した。


 どうして、もっと可愛く生まれてこなかったのだろう。

そうしたら氷野千博ともお友達になれたのに。

美伊奈のように可愛くて、誰からも愛される女の子に生まれてきたかった。


(泣くな……まだ泣いちゃダメだ……!)


 だがいくら自分に言い聞かせても涙が止まらない。

とりあえず美緒は、誰にも見られないうちにトイレへ駆け込もうと思った。

しかし今日はとことん不幸で不運な運勢らしい。

トイレのある方向からは、クラスメイトの男子が歩いてきていたのである。

野球部のユニフォームのままこちらへ向かってくるのは、美緒が氷野千博と出会ったあの日、資料を運ぶのをさぼった大馬鹿者――山田健一であった。


「やべー、ウンコ間に合ってよかった。ウンコ」


 大声で独り言まで言っている。

氷野千博と比べると、美緒には彼が救いようのないほど愚かで、汚らしい生き物に見えた。

あんな奴に、泣いているところをみられたらたまらない。

美緒は涙が見えぬよううつむき、全速力で奴の前を走り去った。

しかし必死の努力も、毎日白球を追いかけている野球少年の動体視力には無意味だったようである。


「あれ? 川崎? 川崎お前泣いてね!?」


 最悪な展開になってしまったと、美緒は別の意味で泣けてきた。

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