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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第十二話 恋文に生きる
43/69

12-1

 川崎美緒は、恋に落ちていた。

彼のことを考えると鼓動が躍り出し、姿をチラリと見かければ、心臓が破裂しそうになる。

クラスが違うのが残念だが、もし同級生だったら自分は恋の病で早々に死んでいただろう。

そう確信を持って言えるぐらい、美緒は彼――氷野千博に強く恋していた。


 あれは冬休み前の十二月中旬。

日直だった美緒は、一人で資料を運んでいた。

美緒のクラスでは、授業で使う資料を運ぶことも日直の仕事になっているからだ。

ただでさえ面倒くさい仕事で憂鬱なのに、今日は特に運が悪かった。

社会でたまに使用される分厚い資料集――それを人数分運ぶハメになってしまったのである。

日直は男女で一人ずついるのだが、男子は資料を受け取るなり、こう言った。


「オレ、便所行ってくっから、ちょっと持ってて」


 それきり、彼は戻ってこなかった。

休み時間は残り少なく、友だちも近くにいない。

なので美緒は一人で資料を運ぶしかなかった。

三十四人分の資料は思ったよりも重く、おまけによりによって今日は「アノ日」である。

平均よりも「アノ日」が重い美緒は、下腹部の鈍痛に耐えながら資料を抱えて歩いた。

しかし痛みは次第に強くなり、額に脂汗がにじみ出てくる。

貧血なのか、視界も歩くごとに白さを増していった。


 一年生の教室は、西館の三階にある。

頑張って二階まで上ったが、そろそろ耐え切れそうになかった。

少し、座って休もうかと、美緒は鈍くなった思考で考える。

しかしいきなり資料の重さがなくなったのを感じ、美緒は驚いて顔を上げた。


「キミ、大丈夫か!? 顔色真っ白だぞ!!」


 そこには鳶色の瞳をした王子様がいた。

鼻筋がすっと高く、彫りの深い顔立ちをしている。

眉はきりりと力強く、鳶色が宿る双眸は何とも涼しげだ。

彼の灰色がかった艶やかな髪は、その精悍な西洋風の顔立ちにこれ以上ないほどふさわしかった。


 美緒は思わず彼の姿に見惚れながら思い出す。

たしか彼の名前は氷野千博。

二学期から転校してきた生徒で、その優れた容姿から校内の噂になっていたはずだ。

しかも良いのは顔だけでなく、頭脳明晰、運動神経抜群。

性格も真面目で、なおかつ紳士的だという。


 その王子様が、どうしてこんな所に。

美緒が戸惑っていると、彼が心配そうな顔で言う。


「なんかフラフラしてるから気になって――。ずいぶん具合悪そうだし、こんな資料一人じゃ持っていけないだろ?」

「資料……あっ!」


 そこで初めて、美緒は氷野千博が資料を手にしていることに気付いた。

彼は具合の悪いこちらを気遣って、資料を丸ごと持ってくれているらしい。


「ご、ごめんなさい。もう大丈夫ですから……」

「大丈夫なわけないだろ、そんな青い顔して。保健室行こうか?」

「大丈夫です、慣れてるから……。でも資料重いのに……」

「こんくらい、俺ならワケないよ。教室どこ? 持って行ってあげるから」

「す、すみません!」


 こちらに気を使わせないためだろうか。

彼はなんともないという風に、微笑んで見せた。

まるで俳優並みのさわやかな笑顔である。

望むなら、彼は今すぐ芸能界デビューできるだろうと美緒は思った。


(まわりにいる男子たちとまるで違う……)


 もはや同じ生き物とは思えないほど、氷野千博とクラスの男どもはちがった。

校内の女子がこぞって噂するはずだと納得する。


「で、キミ、どこのクラスだっけ?」

「すみません! 1-Dです! ありがとうございます!」

「分かった。それにしても、こんなたくさんの資料を一人で運ばせるなんて、先生もヒドイな」

「あ、それは違うんです、実は……」


 今までの経緯を話すうちに、美緒と氷野千博は目的地に到着した。

いきなり入ってきた部外者に男子どもが驚き、女子はしばし沈黙した後黄色い声を上げる。


「すみません、ここまで本当にありがとうございました!」

「全然かまわないよ。ところで川崎さんだっけ?」

「……はい?」

「キミを置いて行ったヤツの席、教えてくれないか?」


 疑問を感じつつも、美緒はその席を指さす。

資料運びをさぼった男子は、席に座って他の男子と歓談に興じていた。

氷野千博がなぜか資料を持ったまま、彼の席へと歩み寄る。


「お前か? 川崎さんを騙して一人で資料運ばせたのは」

「な、なんだよお前……」


 男子はたじろいでいたが、氷野千博は無言のまま持っていた資料を置いた。

――勢いよく、机の上にあったその男子の手を挟む形で。


「イテエエエエェェェッ! イテェよ! なにすんだよっ!」

「病人に重たい物持たせてサボるんじゃないっ!!」


 氷野千博はガツンと怒鳴ると、かすかに美緒に笑いかけて、教室を出て行った。

美緒は顔が真っ赤になるのを感じる。

自分が恋に落ちたと自覚するのに、そう時間はかからなかった。


 氷野千博――彼はなんて素敵な男性なのだろう。

見ず知らずの相手にも優しく紳士的で、同時に勇ましくもある。


 美緒は熱烈な思いを氷野千博に対して抱いたが、悲しいかな、それから彼と会話することは今日まで一回もなかった。

氷野千博の外見と性格が素晴らしいからこそ、見かけても話しかけられなかったのだ。

彼は芸能人張りの外見をした完璧超人。

かたや美緒はクラスでも地味な部類に入る少女である。

成績はそれなりだがトップクラスではないし、運動も中の下。

氷野千博を狙えるようなレヴェルの女ではないと、美緒は痛烈に自覚していた。


 しかし自覚はしていても、芽生えた恋心をこのまま押し殺すのは辛すぎる。

耐え切れなくなった美緒は冬休み明け、とうとうこの思いを打ち明けることにした。

とはいっても氷野千博にではなく、同じ家政科部の友人にである。

今まで一人で悶々としていたが、人の意見を聞いてみようと思ったのだ。


「う~ん、あの氷野千博君かぁ……。」


 打ち明けると、友人も困った顔をしていた。

分かってはいても、美緒は多少のダメージを受けてしまう。


「美緒ちゃん、そんな顔しないで」

「……やっぱりダメかなぁ」

「そんなことないよ。思い切って告白してみたらダメ?」

「そんな自信あったら相談してないよ……」


 しばらく二人の間に沈黙が落ちる。

しかしそのうち、友人がポンと手を叩いた。


「そうだ、もうすぐバレンタインデーだから、手作りクッキーでも送ってみたら?」

「えっ、でも……」

「いきなり告白するんじゃなくて、友だちになって下さいって、手紙をつけて渡すの。どう? 美緒はお菓子作り上手なんだから、きっと上手くいくよ」


 いきなり告白ではなく、まずは友達から。

友達になる申し出なら断られないだろうし、なかなかいいアイデアかもしれなかった。

友達になったら、あとは徐々に距離を詰めていけばいいだろう。


「でも、話しかけるの恥ずかしいよ」

「大丈夫。なんなら私が渡しといてあげる」

「ホントに!?」


 美緒は思わず友人――小野沢美伊奈おのざわみいなの手を取った。

彼女は、美緒の大切な友人だ。

誰もが認める美少女なのに、地味で目立たない美緒にも優しくしてくれる。

クラスの人気者でもある美伊奈は、美緒の自慢だった。


「ホントに美伊奈ちゃん渡してくれるの?」

「もちろんだよ」


 美伊奈がその大きな瞳を細めて笑いかけてくる。

彼女と友達になってよかったと、美緒は心から思った。










 冷え切った朝、登校してきた千博が靴箱を開けると、見覚えのない物体が入っていた。

可愛らしい包装紙に包まれ、リボンでラッピングされた箱が三つほど。

不可解に思いながらそれを取り出したところで、千博は今日が何の日だか思い出した。


 女性が気になる男性にチョコレートをプレゼントする日。

お世話になった男性にもあげたり、最近では友達同士でも送り合ったりする。

そう、今日は二月十四日――バレンタインデーだった。


 そういえば、周りの男子たちが靴箱を開けてため息をついている気がする。

千博も彼らにならって、箱を抱えながらため息をついた。

こっそり靴箱に入っていたところを察するに、これらは「本命」のチョコレートたちだろう。

気持ちはうれしいが、断る時のことを考えると気が重くなってくるのを感じた。


(去年なんて、一人泣き出しちゃったもんなぁ……)


 過去を振り返りながら、千博は苦い気持ちになった。

きっと周りで肩を落とす男子諸君も、同じ思いでいるに違いない。

人に聞かれたら殴られるような考えだったが、千博は自身の思考へまったく疑問を持っていなかった。

チョコをカバンに隠すと、何事もなかったように教室へ向かう。


 見つかってからかわれたりしないといいが。


 しかしそんな思いも、教室へ入ると同時に吹っ飛ぶこととなった。

なぜならすでに登校していた鳴郎が、座席ですさまじい殺気を放っていたからである。


「お、おはよう……」


 機嫌を損ねないよう、細心の注意を払いながら座席へ座る。

くるり、と鬼の形相をした鳴郎がこちらを向いた。


「おい千博。テメェ今日チョコ何個もらったよ?」

「えっ? なんだいきなり……」

「いいから答えろ」


 はぐらかしたら殺されそうだったので、素直に三つと答えた。

すさまじい音を立てて、彼が踵を机の天板に叩きつける。


「い、一体どうしたんだ鳴郎……?」

「五つだよ」

「は?」

「オレに五つもチョコ寄越したバカがいるって言ってんだよ」


 彼はそう言うとカバンからチョコを取り出し、千博の机へ向かって放り投げた。

机を滑る、カラフルな五つの箱たち。

そのどれにも、箱と同じくらいカラフルな便せんがついていた。

中には箱と同じ模様をした封筒もある。

ひょっとして、セットで売っているのだろうか。


 落とさないよう受け止めた千博は、思わず鳴郎へ抗議する。


「おい、いくらなんでもひどいじゃないか! これ、全部本命チョコだろ? 人の気持ちがこもったものをお前――」

「あのな、気持ちっつーけどよぉ、オレ、このチョコくれたヤツらの顔と名前知らないんだわ」

「はぁ?」

「つまりコイツらは、ろくに話したこともないオレに本命チョコ寄越したってことなんだよ」


 いきなり彼の声のトーンが下がった。

面識のない人間に惚れる条件くらい、千博も分かっている。

鳴郎にチョコを渡した少女らは、彼の容姿に惹かれたのだろう。

彼は類まれな美貌を持つがゆえに、外見で判断されることを非常に嫌う人間だ。

千博はなぜ彼が不機嫌だったのか悟った。


「そんなに気にするなよ、よくあることだって」

「よくあることだから気にすんだよ。自分勝手な想像ばっか手紙に書きやがって」

「中学生だろ? 年ごろの女の子は夢見がちなもんじゃないか」

「そんなこと言ったらオレだって――。いや、なんでもねぇ。とにかく、この行事考えたヤツを殺してやりてぇ」


 結局、鳴郎の機嫌は放課後になるまで悪かった。

いや、正確に表現するなら、機嫌のよくなるひまがなかったというべきだろうか。

なんせ休み時間になるたびに、顔も知らぬ少女から告白されるのだ。

面食いを嫌う鳴郎の機嫌が、悪くならないはずがなかった。

機嫌が悪い時の鳴郎は、刺すような殺気を漂わせるからかなり怖い。

千博は帰りのHRが終わるまで、生きた心地がしなかった。

腹が立つのは理解できるが、隣で寿命をすり減らすこちらの身にもなってほしいものである。


「それで、結局何個もらったんだよ?」


 HRが終わった直後。

帰りの支度をしていた千博は、いきなり鳴郎に尋ねられた。

主語が抜けているが、今日もらったチョコレートの数を聞いていることは間違いなさそうだ。

嘘をついても仕方ないので、正直に答えておく。


「えっと、だいたい七個くらいかな?」

「ずいぶんもらってんじゃねーか。昼休みなんて三人まとめてきやがったもんな」

「鳴郎ほどじゃないよ。一体いくつもらったんだ?」

「……十五個」

「なっ、スゴイじゃないか!」

「……別に女にもらってもうれしかねーよ」


 頭をかきながら言った鳴郎はしばらく間を置くと、再び口を開いた。


「で、お前はどうするんだよ」

「どうするって、何が?」

「チョコもらった相手と付き合うかどうかだよ。見たところ、その場じゃ返事してなかったけどよぉ」

「……ああ、それか」


 千博は腕を組むと、少し顔をしかめた。


「……そうだなぁ。別に誰かと付き合うつもりはないよ。顔も知らない相手といきなりつき合ったりできないし」

「断るのか?」

「まぁ、そういうことになるよな。友だちになるくらいならいいけど、向こうが満足しない場合が多いし。正直気が重いよ……」


 千博は肩を落としたが、それとは対照的に鳴郎が唇をつり上げた。

女難にあえぐ千博が面白いのか、それとも同士が見つかって嬉しいのか。

とにかく鳴郎は笑っていた。


「ま、がんばれよ女殺し。刺されたら仇は討ってやるぜ」

「他人事みたいに言いやがって……」

「オレが女に刺されるほどトロいと思うか?」


 彼の返事に、ぐうの音が出なかった。

にわかに機嫌がよくなった鳴郎は、「さっさと帰ろう」と、千博を昇降口へ引っ張っていく。

帰りを急ぐのは、これ以上チョコをもらいたくないせいだろうか。

今日は部活もないし、また彼の機嫌が悪くなるのもごめんだったので、千博は素直に階段を下りた。

下駄箱を開けても、もうチョコの包みは見当たらない。

長かった千博のバレンタインデーも、これで終わりのようだった。


 しかしそう思ったのも束の間。

上履きを履きかえていると、ふいに見知らぬ女生徒がこちらへ進み寄ってきた。

黒い髪をツインテールに結った、目の大きな少女である。

怪奇探究部の部員たちには劣るが、彼女も十分美少女と言っていい容姿だった。


「あの、キミ、氷野千博クンだよね?」


 鼻にかかった声で、女子生徒が言う。


「あ、そうだけど……」

「良かったら、コレ、受け取ってほしいんだけど、ダメかな……?」


 突き返すわけにもいかなかったので、千博は彼女が差し出してきた包みを受け取った。

かすかに甘い匂いのする、ピンク色の小花模様がちりばめられた小さな包みである。

とりあえず礼を言おうと思った。


「これ、どうもありがとう」

「あのね、ワタシ、氷野クンに食べてもらいたくてコレ作ったの。いっぱい練習したんだよっ」

「そうなんだ、家でもらうよ」

「それでね、氷野クン、ワタシとお友達になってくれたらうれしいなー」


 ぐいと少女が身を乗り出してきたので、少したじろぐ。

唇はなにか塗っているのか、妙にテラテラしていた。

今日は何個もチョコを受け取ってきたが、こんなに積極的な娘は初めてだ。


「ちょっ、待って。まだ俺、君の名前を聞いてないんだけど」

「あ、ワタシ? ワタシの名前はぁ――」


「小野沢美伊奈ってゆーの。よろしくねっ?」――少女、小野沢美伊奈は、大きな瞳を上目づかいにしながら微笑んだ。

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