11-4
カワハギさんは、人を殺してその皮を剥ぎ取りたい。
しかしそれは今やかなわぬ願いとなった。
「カワハギさんは、鏡を見せると逃げていく」――そんな噂を怪奇探究部が世間に流したからだ。
カワハギさんは人の噂に依存する存在である。
だから噂が変われば、それに対応して彼も性質を変えざるを得ない。
今のカワハギさんは、鏡が致命的な弱点となっていた。
彼への対処法は知れわたり、もはや子どもでさえろくに襲えないだろう。
「オレたちのこと、相当恨んでるだろうぜ」
鳴郎が意地の悪い笑みを浮かべた。
怪奇探究部のせいで、カワハギさんはろくに欲望を果たせなくなったのである。
そりゃあ恨み骨髄だろうなと千博は思った。
「で、カワハギさんは俺たちへ復讐に来ると?」
「ああ。それとこれ以上余計なことをさせないためにな」
「でも、どうやって?」
「忘れたのかよ? オレたちはすでにカワハギさんの姿を見てるんだぜ?」
千博は約一か月前のことを思い出した。
そう、部員一同は、鬼灯家でゲーム内にいるカワハギさんを目撃していたのだ。
「いつ来るかまではオレも分からねぇ。だからいつでも鏡を見せられるよう準備しとけ」
千博は鳴郎の忠告を胸に刻んだ。
これまでの報道で得た情報だと、被害者が襲われたのはたいてい自室。
それか自分以外誰もいない部屋だ。
だから自分の部屋にいるときが一番危ないだろうと千博は予測した。
部活が終わって家に帰ると、千博はすぐさま手鏡を胸ポケットにしまいこむ。
「これでよし」
一息つくが、その時、室内の気温が急低下した。
窓でも開いているのかと思ったが、すぐに不自然なほど物音がしないと気づく。
車の音も階下の音もしない、完全な静寂である。
しかし静まり返った部屋の中、どこからか足音が近づいてきた。
母のものとも兄のものとも違う足音は、千博の部屋の前で止まる。
(くる――!)
千博は手鏡を取り出したが、足音はそのまま去って行った。
どうやら向こうの気が変わったらしい。
翌日、千博が鬼灯兄弟へその話をすると、キクコが言った。
「それは、千博が一人だけだったからだよ」
意味が分からず首をかしげていると、彼女が続ける。
「カワハギさんの邪魔をするとき、千博とアタシとクロと部長と鈴とイッコちゃんは、いつもいっしょだったでしょ? だからカワハギさんはね、全員まとめて一個だと思ってるの」
「それって、個別に認識してないってことか?」
「ワルいものから生まれた妖怪はおバカさんなんだよー。だから全員いっしょにいないと分かんないのね」
「なるほど」とうなずく千博の横で、鳴郎が片方の口角をつりあげた。
「もう千博には目をつけたんだ。ってことは、近いうちにカワハギさんがご到着だぜ。こりゃあ楽しみじゃねーか」
「戦うのか?」
「たりめーだろーが。誰が鏡みせて逃がすなんざするかよ。よし、今日も部員全員集合だ」
彼の漆黒の瞳が好戦的な光を宿している。
よほど奴と戦うのが楽しみで仕方ないのだろう。
本来なら今日は部活がない予定だったが、鳴郎の提案で急遽部員たちは部室に集まった。
部室の中央で、鳴郎が金棒を担ぎながら言う。
「みんなメールで知ってると思うが、全員でここに集まってれば、ヤツが襲いにくる可能性は高い。――一気に狩るぞ」
彼の宣言に室内の空気は引き締まるように見えた。
しかし部長が雰囲気に水を差す。
「ねー、クロちゃーん。どうせなら明日にしなーい? 今日みたいドラマの再放送があるんだけど」
「あきらめてレンタルビデオ屋に行って来い!」
「えー、でも借りられてるかもしれないよ?」
「だったらネットで借りろ馬鹿野郎」
「え、あれってクレジットカード持ってないと借りれない――」
延々と文句を垂れ流す部長にしびれを切らし、鳴郎が彼女を殴りつけようとする。
しかし金棒を振りかぶったところで、彼は動きを止めた。
不自然な冷気が、室内を満たし始めたからだ。
この寒さに覚えがあったちひろは、仲間たちに向かって叫ぶ。
「コレです! ヤツはもうすぐそばにいます!!」
辺りは異様なほど静かだった。
放課後の中学校で物音一つしないなどありえない。
無音の空間はいつまでも続くように思われたが、やがて静寂の中にひとつだけ足音が現れた。
鳴郎が金棒を構える。
足音は次第に大きくなっていき、ついに扉のすりガラスに、黄色い人影がうつりこんだ。
「来たぞ! カワハギさんだ――!!」
鳴郎が叫んだのと同じタイミングで、引き戸が開け放たれる。
立っていたのは、ゲーム中に見たのと全く同じ姿をしたカワハギさんだった。
全身は主に黄色で覆われ、緑がつぎはぎのように混じっている。
目も鼻も口もない彼は、まるで人間を黄色と緑のビニールでコーティングしたようにも見えた。
トム織原がまいた噂のせいか、手には人の腕ほどもあるカミソリ――いや、もはや鉈だろうか――を握っている。
口のを持たないカワハギさんは、無言でこちらへ向かってきた。
「……トロいな」
速さは、普通の人間を少し上回る程度だろうか。
子どもには厳しい速度だろうが、鳴郎には止まってるも同然だったらしい。
彼は瞬時に敵の背後へ回り込むと、金棒を振りかぶった。
「テメェら窓の前あけろ!!」
怒鳴った瞬間に、カワハギさんへ金棒が炸裂した。
野球ボールさながらに吹っ飛ばされた彼は、腹から部室の窓枠に叩きつけられる。
しかしさすが化け物。
すぐ体をひるがえして、鳴郎と対峙する体勢を取った。
消費した時間は、おそらく一秒に満たないだろう。
だが化け物殺しのプロである鳴郎にとって、それは十分すぎる時間だった。
カワハギさんが正面を向いたとき、彼はすでに敵の頭部めがけて得物を突き出していたのである。
その勢いは、攻撃を食らった相手が窓枠とガラスを突き破るほどだった。
人間なら破裂する威力だろうが、一応カワハギさんは原形を保っている。
それでも相当のダメージは受けたのだろう。
彼は窓を突き破ったあと大きくのけ反り、そのまま下へ落ちて行った。
(おわったか……)
しかし千博のそばにいたキクコはそう思わなかったようだ。
「クロ、まだ死んでないよ」
そう言って彼女は止める間もなく、部室のある四階から身を投げのである。
あわてて下をのぞき込んだが、キクコはけろりとした顔で着地していた。
「鬼灯! 一体なにする気なんだ!?」
「とどめ」
キクコは倒れたカワハギさんからカミソリを奪い取ると、思い切り彼へ叩きつけた。
凶器は腹を直撃し、カワハギさんの黄色い体は真っ二つになる。
しかし化け物である彼はそれだけでは死ねないらしく、手足を痙攣させながらもがいていた。
「あっ、手足が動いてるっ」
血で染まったカミソリが四回閃き、両手足が校庭に舞う。
カワハギさんは、抵抗の術を完全に失った。
勝負はついたように見えたが、キクコはまだカミソリを振るうのをやめない。
もしかして、これで勝ったとはいえない理由でもあるのだろうか。
相手は噂から生まれた化け物である。
たとえ真っ二つにして手足を奪っても、復活しないとは言い切れなかった。
キクコが四階にいる仲間たちに向かって叫ぶ。
「みんなー、このカミソリよく切れるよー!」
叫びながら、彼女はカワハギさんをみじん切りにしていた。
まさか切れ味が楽しくて、相手を切り刻んでいるのだろうか。
愕然とする千博に、隣で鳴郎が「察しのとおりだよ」と呟く。
キクコは切る場所がなくなるまで凶器を振るうと、窓から部室へ戻ってきた。
下を見れば、そこには山盛りになったひき肉があるばかりである。
黄色と緑の皮膚はおろか、もはやカワハギさんは人の形もとどめていなかった。
惨い光景だが、とりあえず彼を倒すのには成功したらしい。
「これで終わったんだよな……」
もう、これ以上の展開はないだろう。
そう思って千博が呟くと、なぜかほくそ笑みながら鳴郎が答える。
「まぁ、な」
「なんだよ、その意味ありげな笑みは。……皆さん、もう終わったんですよね?」
千博は救いを求めるように、他の部員へ問いかけた。
「まぁねー」
「まぁ、そうじゃないかしら」
「えぇ、たぶん……」
「楽しかった」
まだ、何か起こるのだろうか。
キクコをのぞいた部員たちは、なぜか一様に煮え切らない笑顔を浮かべていた。
*
部員たちの態度こそ気にかかったものの、その後千博の周りで、カワハギさんがらみの騒動は起こらなかった。
流した噂が定着したせいで、新たな事件が生まれないせいだろう。
カワハギさんがらみの報道も、いつの間にか下火になっていた。
流行が去ったのか、ネットでもカワハギさん伝説に以前のような勢いはない。
千博は事件が収束に向かっているのを肌で感じていた。
あれだけ特番で大騒ぎだったのに、世間はすっかりいつも通りの生活である。
殺人事件でピリピリしていた世の中の緊張感も消え、完全に以前の日常が戻ってきていた。
だが社会が元に戻っても、ひとつだけ元通りになっていないものがあった。
それはオカルト芸人トム織原である。
今回の事件で発言力を強めた彼は、今やテレビの大スターだった。
どんなに非難と罵声を浴びてもカエルの面に水。
最近のテレビで彼の顔を見ない日はなかった。
今日も偶然つけた番組にトム織原が出ており、千博は苦虫をかみつぶした表情になる。
事件の最中、彼は恐怖心につけ込んで噂を煽り、被害者をだしに散々金儲けをした。
部長も言っていたが、千博はカワハギさんより、むしろ彼の方が許せないと強く思う。
だいたい、こんな下劣な人間を平気で出すTV局もTV局だ。
TV局が起用する限り、トム織原は永遠にTVに、いや、マスコミに登場し続けるだろう。
千博はそう思っていた。
トム織原が殺されたと、ニュースで報道されるまでは。
彼の死体はあろうことか、全身の皮がキレイに剥かれていたという。
誰が犯人なのかは、考えてみるまでもなかった。
(でも一体どういうことなんだ――?)
カワハギさんは、キクコと鳴郎が退治したはずである。
ひょっとして、カワハギさんが復活したのだろうか。
ニュースを見た翌日、千博が鳴郎に疑問をぶつけてみると、彼は鼻で笑いながら答えた。
「千博おまえ、カワハギさんが一体だけだと思ってたのか?」
違うのかと逆に聞いてみると、彼は額を手で押さえる。
「あのなー、アレは噂が具現化したもんなんだぞ。一体だけ現れる理由がねーよ」
「じゃあ鳴郎たちが倒したのは……」
「何体か、何十体か――とにかく、複数いるうちの一匹だな」
「そんな……」
千博は絶望的な気持ちに陥った。
しかし鳴郎はこちらを見ながらくつくつと笑っている。
「なに打ちひしがれてんだよ。アレを退治しきることはできないが、対抗神話は成功したんだ。アイツらはもうロクに人間を襲えない」
「なら、もう事件は解決したと思っていいのか?」
「ああ、そうだな。カワハギさんは新しい妖怪として馴染んだが、それはもう脅威じゃない。口裂け女と似たようなもんさ」
ならよかったと千博は胸をなでおろしたが、そこである不可解な点に気付いた。
トム織原は十中八九、カワハギさんによって殺されたのだろう。
しかし彼は多分、カワハギさんを信じていなかったはずだ。
カワハギさんはどうやって信じてない人間を襲ったのだろうか。
「それはカワハギさんの存在が、完全に確定したからだろうな」
千博が尋ねると、彼は席で足を組みながら言った。
「じゃあ、もう新しい噂でどうにもできないってことか……」
「だろうな。とにかく間に合ってよかったぜ」
「トム織原も弱点を知ってるなら、鏡を見せてやればよかったのに」
「信じてないからこそパニくって、そんなことも忘れちまったんだろうさ」
「でも、どうしてカワハギさんはトム織原を襲ったんだろうな……」
カワハギさんの出現条件を満たす人間は数多くいる。
なのにヤツがトム織原を襲ったのは、単なる偶然だろうか。
鳴郎が口を開こうとしたが、千博はその前に自分で答えに気付いた。
「ああそうか。トム織原は、テレビでさんざんカワハギさんの新しい噂を流した。だからヤツにとって、アイツも俺たちと同じ邪魔者だったんだ。違うか?」
「正解だぜ、名探偵君」
「無責任に噂を流しまくったツケが、こんな形で返ってくるとは……」
一時の金と注目のために、高すぎる代償を払ったなと千博は思う。
トム織原が殺された事件は、再び世間を大きく騒がせた。
しかし世の中というのは気まぐれで、そして忘れやすい生き物である。
一か月もすると、彼の事件もほとんど人様の記憶から薄れていった。
ただ、完全に忘れ去られたわけではないらしい。
千博はある日インターネットで、こんな噂を目にした。
死んだはずのトム織原を、街で見かけた人がいるという。
最初は単なるそっくりさんか、見間違いか、はたまた単なるデマかと思った。
だが時がたつごとにトム織原の目撃情報は増え、やがて花山までもが夢見ノ森で見かけたと言い出した。
そこで、千博は思い出す。
事件の最中、トム織原がこんな噂を流していたことを。
カワハギさんは皮を剥ぐため、巨大なカミソリを持っている。
剥いだ皮は、コレクションとしてカワハギさんの部屋に飾られる。
気に入った皮は、カワハギさんが着て歩く。
そう、気に入った皮は、カワハギさんが着て歩く――。
だからきっと、そういうことなのだろうと千博は思った。




