11-3
鬼灯家を訪れると、ピンクのエプロンをつけた社が優しげに微笑んでいた。
ところどころエプロンにインクが付いているのは、先ほどまでマンガを描いていたからだろうか。
部員たちをリビングまで招くと、彼女はのんびりした口調で言う。
「お正月終わってからずっとカンヅメ状態で分からなかったけど、大変なことになってたんだねぇ」
聞けば彼女は正月休みの後、アニメの原案や映画版のシナリオ、その他もろもろの仕事で大忙しだったという。
TVを見るどころかロクに部屋から出ない生活を送っていたらしく、世情に疎くなっていたそうだ。
現実化した都市伝説による事件も、知ったのはつい昨日のことらしい。
「まったく編集さんったらひどいんだよ。いくら私が寝なくてヘーキなの知ってるからって、三話同時掲載はムチャだもん。鬼より鬼畜だよ、あの人」
「で、シロ、肝心の対抗策のことなんだけどよぉ……」
「あ、そうだった。ごめんね、つい恨み節が……」
彼女は頭をかいた後、胸の前で手を合わせる。
「で、そのカワハギさんっていう化け物のことなんだけど。ソレって、都市伝説が現実化したものなんだよね?」
一同は無言でうなずいた。
どんな都市伝説なのか詳細を聞かれたので、千博が上手くまとめて説明する。
話していくうちに絶望的な状況を再認識したが、それに対する社の答えは実に頼もしいものであった。
「大丈夫。それならまだなんとかなるよ」
リビングがどよめきの声で埋まった。
部員全員で策を練ってもらちが明かなかったのに、社はもう解決策を導き出したらしい。
はやる気持ちを押さえながら、千博は彼女に向かって尋ねる。
「それって、ヤツをどうにかする方法があるってことでしょうか」
「うん、まぁね。このカワハギさんってヤツ、まだ生まれたばかりなんでしょう? 存在が確定してないんだったら、対策の取りようがあると思う」
「い、一体どんな――?」
「要はカワハギさんに、弱点を作り出せばいいんだよ」
千博は頭の中が疑問符でいっぱいになった。
弱点を「見つける」ならともかく、「作り出す」とは、一体どういう意味なのだろうか。
分からないのは他のメンバーたちも同じようで、皆首をかしげて固まっている。
しびれを切らした鳴郎が「どういうことだよソレ」と、彼女へつっこんだ。
「どういうことも何も、そのまんまだよ。カワハギさんに弱点を作り出すの。あ、ううん、弱点というより、対抗策かな?」
「ますます意味わかんねーぞ」
「だってカワハギさんは噂から生まれた存在なんでしょう? だったらその噂を変えてやればいいの。噂が彼の器になっているなら、噂を変えれば器の方も変わるはずだよ」
「じゃ、意図的に改変した噂を流してやればいいってことか?」
「そういうこと。まだカワハギさんの存在が確定されていないなら、これでいけると思う。一般人でも倒せるような弱点を作って、その噂を広めるの。そうすれば一般人でも怪物を倒せるようになるからね」
社の言うとおり、カワハギさんは噂から形を取っている化け物だ。
奴の存在は、噂という人が用意した器に依存することによって成り立っている。
だから器に改変をくわえれば、奴はその影響をダイレクトに受けるはずだ。
一般人でも倒せるようなカワハギさんの弱点。
それを改変した噂話によって流し、例えカワハギさんに襲われても撃退できるようにする――。
発想の転換ともいえる彼女の提案に、千博は思わず目を見張った。
「――なるほど! その発想はありませんでした!!」
「別に私が考え付いたわけじゃなくて、昔からある方法なんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん。一度生まれた怪物を、完全に消滅させることは不可能だからね。その性質を逆手に取って、後から弱点をくっつけるの。最初の噂に対抗する噂――こっちの業界では『対抗神話』って呼ばれてる」
そう言う彼女の赤い目は、上質のルビーのように輝いていた。
千博は胸の高鳴りを覚えるとともに、社の過去について興味を抱く。
ひょっとしたら昔、彼女も鳴郎たちのように妖怪退治をしていたのだろうか。
しかし残念なことに、今は彼女の過去を聞いている場合ではなかった。
「で、社さん。その相手の弱点についての噂、どうやって流行らせたらいいんでしょうか」
「んー、昔口裂け女にやったんだけど、その時は協力者がたくさんいたからね。その人たちに日本各地へ散らばってもらって噂を流したよ」
「どれくらいかかりましたか?」
「半年?」
千博は硬直した。
犠牲者が増え続けているこの状況で、半年は長すぎる。
それに昔は噂の伝播するスピード自体が遅かったからいいものの、ネットワークが発達した今、このやり方では間に合わないだろう。
噂が回りきるよりも先に、カワハギさんの存在が確定してしまったら。
その時は、もはや打つ手なしだった。
重苦しい沈黙がリビングを支配する。
せっかく対抗策が見つかったかと思ったのに、やはりダメなのだろうか。
しかし皆がうなだれる中、一人の部員が勢いよく立ち上がった。
皆を叱咤激励するかのごとく大声を張り上げたのは、他ならぬ霊感少女の花山一子である。
「みなさん! 何を沈んでいるんですか!!」
精一杯の声を上げた花山に、一同はあっけに取られて彼女を見詰めた。
しかし花山は、驚く仲間たちにかまわず続ける。
「噂をすぐに広める方法、あるじゃないですか! 部長、アナタが持っているタブレットPCは飾りですか!?」
「ど、どうしたのイッコちゃん?」
「インターネットですよ! ネットで噂を広めるんです! 今はツウィッターにメクシー、ヘイトブックにぬチャンネル! 手段ならいくらでもあるじゃないですか!!」
「そ、そういえば……」
「それを利用して噂を広めるんです! だいたいネットの主流層なんて情弱のバカばっかなんだから、すぐに乗っかりますよ! さぁ部長、今すぐカワハギ厨にネットの力を見せつけてやりましょう!」
大声でしゃべりすぎたのか、終わると彼女は激しく咳込んでいた。
千博は花山の隠れた一面を見た気がしたが、提案自体はとても素晴らしいものだと思う。
今の世の中で、ネットの情報拡散力はあなどれない。
その力は、特に都市伝説のような軽薄な情報に対して効果を発揮する。
いける、と千博は確信した。
「花山さん、一体どんな風にすればいいのかアドバイスしてくれないか?」
「え、えっとですね……。」
言いかけてから、花山は再び咳き込む。
「あ、ゆっくりでいいから!」
「すみません……。で、あの、新しい噂はですね、掲示板にちらほら書いていけばいいと思います……。でも、コピペ爆撃したらだめですよ? 読んでくれなくなっちゃいますから」
「そ、そうなんだ」
「で、ある程度書いたら、今度はそれを読んだ人のふりして書き込むんです。数は最初のより多めに。詳しく書いた感想と、簡潔な感想を……。一対二くらいの比率がいいかもしれません」
「う、うん。花山さんくわしいな……」
「あ、あの、ちゃんと根拠があって言ってますからね……? 以前、同じ方法で架空の萌えマンガでっち上げたら、ぬチャンを震撼させる釣り事件に発展しましたから。五人だけで」
そう言う花山の顔は、妙に誇らしげだった。
(花山さん、いつも何して遊んでんだろう……)
いまにも消えてしまいそうに見える華奢な美少女なのに、やってる遊びはえげつない。
いきなりそんな大事件を起こすとは思えないから、他にも大なり小なりやらかしているのだろう。
千博はそんな気がしたが、今は話を先へ進めることにした。
「それで、そのコピペの内容はどうしますか?」
皆に意見を窺うと、社が腕を組んで唸る。
「うーん。こういう噂って、考えるのけっこう難しいんだよね。化け物の弱点は、誰もが対応できて、なおかつ説得力のあるものじゃないといけない。説得力があっても、簡単な弱点じゃないと意味ないし、逆に簡単でも説得力がないと流行らないからね」
「なるほど、確かに」
「でも安心して! ここにいるのは超売れっ子漫画家なんだから。読者を惹きつけるお話なんてチョチョイのチョイだよっ」
社が目を輝かせながらガッツポーズをする。
自分で言うだけあって、彼女は即興でコピペの元になる噂を作ってみせた。
カワハギさんは自分の姿をひどく嫌っている。
なぜなら緑と黄色だけで覆われた、醜い姿だからだ。
人を襲って皮を剥いでいくのは、立派な皮を持つ人間への嫉妬と、剥いだ皮をかぶって醜い姿を隠すため。
だからカワハギさんに襲われそうになったら、鏡を見せてやるといい。
うつった己の姿に耐えきれず、悲鳴を上げて逃げていくだろう。
「――って、考えてみたんだけど、この話はどう?」
「完璧です!」
千博は即座にそう答えた。
それは他の部員たちも同じだったらしく、口々に賞賛の言葉を述べている。
このストーリーなら説得力もあるし、撃退に必要な行為も鏡を見せるだけ。
カワハギさんへの対応策として、これ以上のものはなかった。
「よし、それじゃさっそくパソコンで噂を書きこむからね! 名付けてステマ大作戦!!」
部長が大きく腕を振り上げる。
「別に何か売るわけじゃないから、ステマじゃないと思うわ」
「バーバー、気分を盛り下げないの!」
かくして、怪奇探究部によるステマ?大作戦は始まった。
やることは簡単、社が考えた噂話をパソコン、ケータイでひたすら書きこむだけ。
作戦が始まったその日から、怪奇探究部の活動内容はパソコン部と大差なくなった。
社会平和のためとはいえ、ひたすら同じような書き込みをするのは、若干の空しさを感じてしまう。
しかし必死の工作の甲斐あってか、作戦開始から一週間後には、はっきりとした効果がみられるようになっていた。
千博たちが書きこまなくても、ネットの住人達が勝手に噂をするようになったのである。
そうなってから、爆発的に話が広まるまで時間はかからなかった。
おそらく、社の作った話が秀逸だったせいもあるのだろう。
SNSでは毎日のようにその噂が語られるようになり、しまいには大手ポータルサイトで取り上げられるまでにもなった。
と、同時に、カワハギさんによる犠牲者も数を減らしていった。
新たに作った噂話によってカワハギさんに弱点が生まれ、撃退できるようになったのだ。
「よっしゃーっ! 作戦大成功! 怪奇探究部に敵なーしっ!」
「今回はほとんど社さんに頼りきりだったじゃない」
「豊富な人脈も実力のウチなんですー」
常夜の言うとおりだったが、部長が調子にのるのも分かるほど、今回の作戦は上手くいっていた。
ネットではもはや常識の類となったカワハギさんの新しい噂は、とうとうあのトム織原の耳にまで届いたらしい。
作戦が始まってから二週間後。
トム織原が新たな噂を得意げに喋っていると、部長が教えてくれた。
もちろんタブレットPCで、その動画を見せながらである。
「ったく何なのコイツ! 前々から思ってたけどさ、コイツの話してることってネットのパクリばっかじゃん! 芸人なら自分でネタ考えろっつーの!」
部長は頭から湯気を出さんばかりに怒っていた。
常夜も渋い顔をしながら彼女に同意する。
「まったくだわ。殺人事件の被害者までネタにして稼いでるみたいだし。非難殺到してるのに、よく平気な顔してられるわね。コイツを出すマスコミもマスコミだけど」
「アタシある意味カワハギさんより、コイツの方が許せないわ」
「本当ね。でも今だけは大目に見ましょ。新しい噂を広げてくれるなら、むしろ助かるわ。今の時代でも、やっぱりテレビの力は大きいでしょうし」
癪だが、トム織原の影響もあったのだろう。、
やがて新しい噂は、まるで最初からそうだったかのように、カワハギさん伝説の一部として定着した。
今や都市伝説に興味のある人間ほとんどが対処法を知っている状態である。
こうなったら、奴は手も足も出せない。
カワハギさんによる殺人事件は、完全になりをひそめた。
「一時はどうなることかと思いましたけど、何とかなってよかったですね」
すっかりパソコンを使うこともなくなった部室で、千博は安堵のため息をもらしながら言った。
新しい犠牲者も出なくなったし、これで事件は解決したのだろう。
しかし一件落着したというのに、部員たちの表情は一様に険しいままだった。
そのうち鳴郎が呆れたように呟く。
「お前、まさかこれで終わったとか思ってんじゃねーだろうな?」
「え? そうじゃないのか?」
「たりめーだろ。いいようにされて、カワハギさんのヤローが黙ってるとでも思うか?」
思ってもみないことを言われて、千博は眉間にしわを寄せた。
奴の脅威はまだ過ぎ去っていなかったらしい。
「カワハギさんの都市伝説が広まって、もう一か月くらいになる。奴の存在も現実に確定されて、そろそろ自我のようなものが芽生えてくるはずだ」
「自我!? そんなもの芽生えるのか!」
「そうだよ。ただ用意された器のとおりに振る舞うんじゃない。望んで人を殺し、皮を剥ぎとるようになる」
「それで――?」
「たくさん人を殺して皮を剥ぎ取りたいのに、邪魔する奴がいたら消したくなるだろ?」
「カワハギさんは、オレたちを殺しにくるぜ」――鳴郎はニヤリと笑いながら言った。




