11-2
誰かが思いついた、下らない都市伝説。
それが現実になるなんて。
千博は鳴郎の発言に、苦笑を漏らすしかなかった。
人の噂が現実化するなんて話、きょうび三流ホラーだってやらないだろう。
千博は笑い飛ばそうとしたが、鳴郎に睨まれて笑い声を引っ込めた。
「まさか、本気で言ってるのか?」
「オレが怪奇がらみで冗談言ったことあるのかよ?」
そう返されると、黙るほかなかった。
どうやら彼は、本気で噂が現実になると思っているらしい。
普通なら頭の具合を疑って、精神病院に連れて行くところである。
しかし鳴郎の発言となると、話は別だった。
数多の化け物と対峙し、蹂躙してきた彼の言葉には否応なしに説得力がある。
「だけどなぁ、いくらなんでも噂が現実になるなんて……」
だが千博の脳みそは、まだ納得することを拒絶していた。
転校してきてから四か月ほど。
多くの怪異と遭遇してきたが、まだ常識的に受け入れられないことだってある。
「鳴郎が言いたいのはつまり、噂の化け物――カワハギさんだっけか――が具現化するってことだろ? 現実世界に」
「早い話が、まぁそうだな」
「ならいったいどういう仕組みで、噂が具現化するっていうんだ?」
「それはだな――」そう鳴郎は言ったきり、黙りこくってしまった。
説明するのが難しいのか、それとも存在しないものを説明できないのか。
千博はもういいと言おうとしたが、それより早くキクコが口を開いた。
「このせかいにはね、見えないけど、ワルいものがたくさんあるんだよ。そのワルいものは、いつも冷たくて、暗くて、ずっと人間や、生き物のことを見てるの」
「それと今回の話、どう関係があるんだ?」
まるでつながりのない話を始めた彼女に、戸惑いを隠せなかった。
とはいえ、いつも突拍子もないことを言い始めるキクコである。
千博は黙って続きを聞くことにした。
「……それで?」
「でねでねー、そのワルいものは、いつも思ってるんだ。人間や生き物を、壊したい殺したい病気にしたい不幸にしたいって。そのワルいものをね、人間は厄とか災いって呼んでたりするけど」
そこでキクコはにこりと笑った。
なぜこのタイミングで笑うのか分からなかったが、幼児のように無邪気な笑みだった。
「でもね、そのワルいものはガスみたいにたくさん漂ってるのに、とっても弱いんだよ。たまになにかするけど、ほとんど望みどおりのことはできないの。いつも人を不幸にしたいと思ってるのにね」
「――そうなんだ」
「だけどね、人が形をくれた時は別。人間が形を用意してくれれば、ワルいものは直接人を不幸にできるんだよ。『カワハギさん』みたいに、人間が化け物の形を作ってくれれば、ワルいものはその形をかりて、この世に出てくることができるの。だから『カワハギさん』はもうすぐ現実になるんだよー」
キクコは心から嬉しそうにほほ笑んだ。
――この少女。
普段は人間に仇なす化け物を狩っているが、一体どちらの方を向いているのだろうか。
一言皮肉でもぶつけてやろうかと思ったが、部長の言葉が千博の思考を遮る。
「で、千博クン。キクコちゃんが言ってること理解できた?」
「感覚的にですが、なんとなくは」
「ま、人が考え出した化け物を器にして、この世の負のエネルギーが悪さするってこと。形と性質、そっくりそのままでね」
「じゃあ『カワハギさん』が現実化したら、人の皮を剥ぎにくる化け物になると?」
「まぁそういうこったね」
随分あっさり言ってくれるが、大変な化け物が世に出てきてしまうのではなかろうか。
ことの大変さを、千博はいまさらになって実感し始めた。
「『カワハギさん』は、確実に具現化するんでしょうか……」
絶望感が混じった千博の問いに、常夜がタブレットPCを指さしながら答える。
「残念だけど、この動画の再生回数を見てちょうだい。三百万回よ」
「スゴイ数ですね」
「仮に一人二回再生してたとしても、百五十万人が見たことになるわ。テレビの放映と、ネットで噂を知っている人の数も含めたら、もっとすごいことになる……」
常夜は若干青ざめた顔で首を横に振った。
大勢の人間が「カワハギさん」を知ると、やはり噂の具現化に影響があるのだろうか。
常夜が再び口を開く。
「都市伝説が現実になるのに、皆がその話を信じ込んでいる必要はないわ。ただ、ぼんやりと思い描いてるだけでいいの。どんな化け物が、どんな手段でこちらにアプローチをかけてくるか……。イメージする人間が多ければ多いほど、都市伝説は現実化しやすくなるわ」
「じゃあ最低百五十万人にイメージされた『カワハギさん』は……」
「おそらく……ね。それにやはりイメージするだけでなく、噂は信じられれば信じられるほど現実化しやすくなる。子どもってね、何でも信じやすいのよ」
勘のいい千博は、そこでピンときた。
まさかと思い、大声で常夜に尋ねる。
「先輩! この番組は何時に放送されたんですか!? 深夜? それとも――」
「……夜七時よ。子どもが一番観てる時間帯ね」
部屋の中に沈黙が訪れた。
いま聞いたことを勘案すると、「カワハギさん」が現実に現れる可能性はかなり高い。
ヤツはゲーム内で自分の姿を見た人間に、無差別で襲い掛かる化け物だ。
「カワハギさん」が現実になったとして、次どこにでるか分からないモノを、どうやって倒せというのだろうか。
千博はますます絶望的な気分になって、頭を抱える。
それは他の部員たちも同じらしく、部室内は重苦しい空気で包まれた。
「でもさ、いくら広まっても現実にならない噂も多いし? なんか『厄』が満足しない器だと、具現化しないみたいでさ。カワハギさんだってそうかもよ」
一同を元気づけようと、部長が無理やり明るい声で言った。
千博も彼女と同じことを願ってやまなかったが、厄はカワハギさんという器をいたく気に入ったらしい。
数日後、都市伝説通りの事件が世間をにぎわせることとなった。
――小学生が自室で全身の皮をはがされて殺されたのだ。
おぞましいその犯行にマスコミは色めき立ち、そろって異常者の仕業だと書き立てた。
だが千博はその事件の本当の犯人を知っている。
そう、ついに「カワハギさん」が現実化してしまったのだ。
事件が起こった翌日、部活が始まるなり鳴郎が言う。
「おいどーすんだよ部長。これヤバいんじゃねーの?」
ニュースを見れば、殺された小学生は偶然にも夢見の森住人だったらしい。
いや、偶然ではないのかもしれないが、とにかく今日の議題は決まったようなものだった。
しかしよりにもよって、まだ年端のいかぬ小学生が殺されるなんて。
そんな趣旨のことを千博が呟くと、花山が悲しそうな目でこちらを見た。
「……氷野君、悲しいけど、よりにもよってじゃなくて、その、小学生だからこそ、その子は殺されたんです……」
「カワハギさんは、子供から狙うのか?」
「なんと言うかその、現実化したといっても、まだ生まれたてのカワハギさんは存在が不安定なんです……。だからその、まだ自分をイメージしてない人や、あまり信じてない人の前には姿が保てなくて――」
「逆に言うと、信じている人間の前では姿を保てると?」
「そ、そういうとこですね。それであの、子供は――」
花山に皆まで言われるより先に、千博は悟った。
常夜も言っていたが、未熟な子供は何でもすぐ信じやすい。
推測になるが、殺された小学生はカワハギさんを本気で信じていたのではないだろうか。
だからこそ、まだ存在が確定していないカワハギさんは、自分を信じ込んでいるその小学生を襲ったのだ。
「じゃあ待てよ!? その理屈なら、子供から殺されていくことになるんじゃ――!!」
「だ、だからみんな困ってるんです。口裂け女も、テケテケもそうでしたから。厄が器をかりて現実になった化け物は、たいてい子供を襲うんです……。その、自分の存在を信じ込んでいる子供を……。自分の存在が確定したものになるまで……」
千博は言葉を失った。
早くあの化け物を止めないと、子供が次々無残な死をとげることになる。
カワハギさんが登場するゲームは、子供も多くプレイするレーシングゲームだ。
その上空前の売り上げを誇っているソフトだから、奴の姿を目撃した子供は大勢いるだろう。
「おい鳴郎! 早くヤツを倒さないと、大変なことになるぞ!」
「オレに怒鳴ってもどうしようもねーだろ! だからオレだって部長にヤバいんじゃねーか聞いたんだし」
千博と鳴郎はそろって部長の方へ顔を向ける。
彼女は二人に見つめられ、焦ったように両手を上げた。
「ちょっ、二人ともっ。そんなに見られてもいいモン出ないから!」
「で、どうすんだ部長。どうしたらヤツをぶっ殺せる?」
「そ、それがさぁ……」
部長は頭をかくと、片目をつぶりながらペロリと舌を出した。
「それがさ、さっぱり思い浮かばないんだわ。どーやって倒すのか」
「テメェ! その舌引っこ抜くぞ!!」
「そんなこと言われたって~。だって、カワハギさんはゲームで自分の姿を見た人に現れるんでしょ? 売れてるゲームなんだし、そんな人いくらでもいるじゃない。子供が襲われるってったって、見た子供なんて大勢いるだろうし」
「それは……」
「次にどこへ出るかも分かんない。そもそも夢見の森に出るかさえ分かんない。そんなのいくら八百の尾裂き狐でも、対策立てようがないモン」
部長の言っていることはもっともだった。
自分の姿を見た人の所へ現れるといっても、見た人全員の所へ奴が現れるわけではない。
千博が以前感じた危惧は、カワハギさんと同じく現実のものとなってしまったのだ。
何の対策も思い浮かばぬまま部活が終わり、千博が自宅へ帰ると、リビングでTVがニュース番組を映している。
またもや子供が全身の皮をはがされて、殺されたそうだった。
ただ、場所は夢見の森ではなく、遠く離れた西日本である。
これはいよいよ作戦の立てようがなくなったと、千博は悲嘆にくれた。
それでも何とか知恵を絞ってみるが、思いつかないものは思いつかない。
対抗策を考えているうちに数日が過ぎ、その間にも犠牲者は増えて行った。
そのうちマスコミも、事件とよく似た都市伝説に目をつけたらしい。
犯人はこの都市伝説を模倣して事件を起こしているのだと、カワハギさんの話を取り上げるようになった。
最悪である。
所かまわずマスコミが取り上げるようになったおかげで、カワハギさんの存在はますます確固たるものになった。
だが無責任にうわさを広めるマスコミよりも、もっと最悪なものがひとつあった。
それはカワハギさんを現実化させるきっかけとなった、トム織原である。
今回の事件に対する、マスコミと世間の見解はこうだ。
頭のおかしい異常者が、カワハギさんの都市伝説を模倣して殺人を行っている――。
そのためTVでカワハギさんを紹介したトム織原は、伝説の第一人者として、マスコミからひっぱりだこになっていた。
気をよくした彼は様々な番組で「カワハギさん」を語りまくり、それだけならいいものの、話に悪趣味なアレンジまで加えるようになっていた。
カワハギさんは皮を剥ぐため、巨大なカミソリを持っている。
剥いだ皮は、コレクションとしてカワハギさんの部屋に飾られる。
気に入った皮は、カワハギさんが着て歩く。
そんな与太話をトム織原がTVで語っているのを見て、千博はリモコンを床に叩きつけそうになった。
彼は自分が何をしているのか分かっているのだろうか。
新たに流した噂でカワハギさんが凶悪化してしまうのは、厄介だが仕方ない。
トム織原が知るわけないことだからだ。
しかしそれを差っ引いても千博は彼が許せなかった。
この事件で、もう十人近い子供が殺されている。
遺族の気持ちも考えず、無責任により過激な噂を流すなんて、無配慮にもほどがあった。
それにトム織原だって、犯人が噂を模倣していることくらい認識しているだろう。
付け加えた噂をさらに犯人が真似するとは、思わなかったのだろうか。
怒りのやり場がなく千博は悶々としたが、同じ思いを抱いたのは自分だけではなかったらしい。
ネットでトム織原のブログをのぞいてみると、そこは怒りの書き込みで大炎上していた。
当たり前である。
遺族の気持ちを考えるどころか、被害者の死すら利用して金を稼ごうとしたのだ。
だが、非難の集中砲火をあびたのがかえって良かったのだろう。
トム織原への注目度はさらに高くなり、彼の書いた都市伝説本はベストセラーとして書店をにぎわすようになった。
世も末だと千博は苦虫をかみつぶした気持ちになる。
最初の殺人があってからもう二週間。
何の対策も見つからないまま、犠牲者だけが増え続けていた。
相変わらずトム織原は噂をまき散らし、カワハギさんは時が経つごとに凶悪化していく。
千博にはこの状態が永遠に続くように感じられたが、そんなある日。
救いの手は思いもよらぬところから差しのべられた。
「なんかシロのヤツが、対策方法知ってるって言うんだよ」――部活が始まろうとした時、鳴郎がこう述べたのである。
部員一同は思わず声を上げた。
どうして社が対策を知っているのか、それがどんな方法によるのかはまったくわからない。
しかし追い詰められた部員たちは、その話に乗るしかなかった。
「クロちゃん、それマジ?」
「おう、だから部活始まったら、すぐにウチへ来いってよ」
もちろん一同はすぐさま部室を飛び出した。




