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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
【第一部】第一話 はじまりはじまり
4/69

1-4

 座る席の両脇をに鬼灯兄妹がいるのを見た千博は、思わず「げっ」と口に出した。

どちらかと同じクラスになる可能性は考慮していたが、まさか二人とも、そして二人ともと隣の席になろうとは。


(こんな偶然、あり得ないだろ……)


 思えばこの街に来てから、ずっとついてないような気がした。


「わーい。千博だー」


 重苦しい空気の中、キクコの明るい声がむなしく響く。

転校初日に類まれな美少女と知り合い、おまけに席は偶然にも隣同士。

誰もが憧れる漫画のようなシチュエーションだったが、千博はなぜかこれっぽっちも嬉しくなかった。

もし左に鳴郎がいなければ、少しは嬉しかったのかもしれないが。


「ど、どうも……」


 千博はどちらに言うでもなく挨拶をした。

キクコはニコニコ顔でうなずき、鳴郎は鋭い視線でこちらを一瞥しただけである。


(これからどう接していけばいいんだろうな……)


 そんなことを考えながら、千博はこの中学で初めてのホームルームを終えた。

帰る前にクラスメートに話しかけたり学校のことを聞いたりしたかったが、とてもそんなことできる空気ではないので、大人しく帰ることにする。

しかし千博が席を立とうとすると、意外にも鳴郎が声をかけてきた。


「お前、今から帰るのか?」

「ああ、そうだけど……」

「じゃあとりあえず警告しとくが、夕方からは絶対に外を歩くなよ」


 顔つきは厳しかったが、鳴郎はこちらを気にかけてくれているらしかった。

案外悪い奴じゃないのかもと、千博は頬を緩ませる。


「ありがとう。その、クラスメイトのことはなんというか、気の毒だったな。その件がハッキリするまでは、遅くに出るのは控えるよ」

「……そうじゃねぇよ」

「は?」

「この街はな、ヤバいんだよ。昼もヤバいが、日暮れからはもっとだ。油断してると死ぬ。そう、原西みたいにな」


 千博はあっけにとられて、しばし鳴郎の顔を眺めた。

クラスメイト達も、心なしか自分たちの会話に耳をそば立たせている感じがする。


「ちょっ、待ってくれよ。ヤバいってどういうことだ? この街には殺人鬼でもいるのか?」

「殺人鬼が『いることもある』」

「えっ?」

「今はいないみたいだが、そのうちまた来るかもな。まぁ殺人鬼つったって所詮は人間だし大したことない。問題は化け物だ」

「は? 化け物? 化け物ってモンスターのことか?」

「テメェ馬鹿じゃねーのか。ここは日本だぞ、妖怪に決まってんだろ」

「じゃあこの街には妖怪が出るっていうのか?」


 うなずく鳴郎に千博は突っ込む気も起きず、絶句するばかりだった。

妖怪なんていもしないものが出るだなんて、馬鹿らしいにもほどがある。

しかもそれを大真面目に言うとは、コイツ別の意味で危険なんじゃないかと思えてならなかった。

それとも転校生である千博をからかって遊んでいるのだろうか。


「おい、冗談はやめてくれよ。妖怪なんて出るわけないだろ」

「テメェがそう思うんならそうでもいい。説得するほどオレは親切じゃねぇ。ただ一つ言っておくが、原西もそう言って殺された」

「殺された!?」

「ああ、最近うろついてる『口裂け女』にな」


 千博はまたもや絶句し、そして軽い怒りさえ覚えた。

本気で言っているにしろイタズラにしろ、死んだばかりのクラスメートの名をそういう風に使うのはあまりに不謹慎じゃないだろうか。

千博は同意を求めるようにクラスメイト達を見たが、彼らの顔は何かに怯えるように青白かった。

そのうちセルフレームのメガネをかけた、明るそうな男子が鳴郎に尋ねる。


「な、鳴郎サン。原西が口裂け女に殺されたって本当かよ!?」

「本当だ。『部長』によれば、アイツの死体は口が刃物で裂かれていたらしい」

「あ、あの人が言うならマジか……。」

「お前らも今日はすぐ帰って家にいろ。原西の二の舞になりたくなければな」


 鳴郎の一声で、生徒たちは一斉に帰り支度をし始めた。

まさか彼らは、鳴郎の言うことを信じているのだろうか。

千博は先ほどのメガネの少年に聞く。


「いきなりで悪いが、キミはその、鳴郎の言うことを信じてるのか?」

「あ、お前転入生か。信じられないのは無理もないけど、アイツの言うことは本当だよ」

「化け物が出るって?」

「出るなんてもんじゃない。そこら辺にいるんだ。オレはここで生まれたけど、この街はとにかくヤバい。信じなくてもいいから、日暮れからの外出は絶対やめとけ」


 メガネの少年は本気で言っている様子だった。

他の生徒もほとんどが荷物をまとめて今にも帰ろうとしている。

鳴郎の言うことを鼻で笑う奴は、教室のどこにもいなかった。


(みんな頭がおかしいんじゃないのか?)


 それとも全員ぐるになって千博を騙そうとしているのか。

どちらにしても気分は良くなかった。

おかしなクラスに入ってしまったと、千博は先行きに不安を覚えながら家へ帰る。


「化け物だの口裂け女だの、バカバカしい」


 鳴郎が言ったことも少年が言ったことも全く信じていなかったので、夕方、千博はお使いを頼まれても二つ返事で外に出た。


 ヒグラシの声が物悲しく響く、夏の終わりの夕暮れである。

家も道も電柱も何もかもが赤く、自身も茜色に染まりながらス千博はーパ―へ向かった

だが道に迷ったのか、歩けども一向に目的地が見えてこない。

引っ越してきたばかりのせいで、道をどこかで間違えたのだろうか。


「参ったな……」


 困っていると、向こう側から人が歩いて来るのが見えた。

白いコートを着た、髪の長い女性である。


(悪いけど、あの人に道を教えてもらおう)


 しかし近づこうとしたところで、妙なことに気付いた。

彼女の服装が、あまりにも厚着なのである。

まだ半袖でも暑いくらいなのに、コートを着て外に出るなんてありえない。

冷え性なんだろうかと思っていると、女性は自分から千博の方へ近づいてきた。

逆光なので分かていなかったが、よく見ると彼女は大きなマスクで口元を覆っている。


(……まさか)


 口裂け女と言えば、マスクで裂けた口を覆っているというのが定番だ。

しかしそんなことあり得ないという常識が、千博の行動を遅らせる。


「私、キレイ?」


 目前まで近づいてきた女性が、千博に尋ねた。

笑っているのだろうか。

元々細いのだろう目はさらに吊り上り、まるで狐の様相である。


「え、あ……」


 千博の頭は真っ白になった。

口裂け女は出会った人物に「私キレイ?」ときいてくるという。

ひょっとしてこれは、「本物」なのだろうか。

いや、そんなはずはないと千博はすぐに思い直す。

しかしどっちみち危ない相手であるのは確かなため、千博は「急いでるんで」と言うと、女の横を通り過ぎようとした。

しかし女はまるで喉を潰したような声で叫ぶ。


「答えろぉぉっ!!」


 大声に驚いて降り向くと、女は光るものをこちらに向かって振り下ろしてきた。

とっさによけたそれは、血の付いた草刈鎌である。

慄然とした千博が女の顔を見ると、そこには口が耳まで裂けた化け物がいた。


「口、裂け、女……?」


 思考が現状についていかず、呆けたように化け物を眺める。

耳まで裂けた口にはズラリと牙が生えており、よだれが顎までつたっていた。


「答えろぉぉっ!」


 叫び声で我に返り、千博は後ろに飛びのく。

草刈鎌は千博の腹部をかすり、青いTシャツは無残にも切り裂かれた。

腹も少し切られたらしく、ピリピリとした痛みを感じる。

しかしその痛みこそが、この光景が夢ではないんだとはっきり千博に教えてくれた。

口裂け女はもう答えろとは言わず、無言で襲いかかってくる。

多分こちらを殺す気なんだろう。

体格は千博の方が上だが、相手は鎌を持った化け物だ。

武器もないのに勝てるわけはないと、千博は全速力で逃げ出した。


 千博の足は、日々練習に勤しむ陸上部よりも速い。

しかし最悪なことに口裂け女の足はそれ以上に速く、瞬く間に追いつかれてしまった。

今度は首に狙いをつけて、口裂け女が鎌を横に払う。


 風を切る音。


 寸でのところで後ろにかわしたが、体を傾けたせいでバランスを崩し、千博は地面に尻もちをついてしまった。


(ヤバい――!)


 だがこの街に来て、最初の幸運が千博を訪れた。

何と倒れた真横に、ポリバケツが置いてあったのである。

逃げるのに必死で気が付かなかったが、どうやらここはゴミ捨て場らしい。

千博はポリバケツを掴みとると、思い切り口裂け女に向かって投げつけた。

相手がひるんだ先に、何とか起き上がる。

逃げられないことは分かったので覚悟を決めると、粗大ごみ置き場にあった棒状の木材を手に取った。


「――こいよ!」


 突っ込んできた化け物を横にかわし、千博はその脇腹へ思い切り角材を叩きこむ。

剣道は三か月ほど小学校の時に習っただけだったが、動きの切れは有段者並みであった。

間髪おかず、千博は口裂け女の頭部を殴打する。

どれくらいで気絶するのか、そもそもダメージを食らうのかも分からない。

それでも攻撃しないわけにはいかなかった。

殴られた化け物は唸り声を上げると、瞬時に千博の懐に踏み込んで鎌を振るおうとする。


(マズイ――!)


 千博は十分間を取らなかった自分を責めた。

この距離では避けても腹を斬られるのは確実である。

千博はとっさに目をつぶったが、切り裂かれる痛みの代わりに鈍い音がし、恐る恐る瞼を開けた。


 辺りに飛び散る大量の血。

すぐそばには、頭からおびただしい量の血を流した口裂け女が倒れている。


「ったく、あれほど忠告したのに出歩きやがって」


 目の前には、返り血を浴びた鳴郎が仁王立ちしていた。


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