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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
十話と十一話のあいだ 聖夜の影に
38/69

10.5

 千博はメモをコートのポケットに入れ、駅前のスーパーを目指していた。

クリスマスイブには一日早いが、今年のイブはあいにく平日である。

そのため、世間では休日の今日がクリスマスイブの扱いになっていた。

千博がスーパーへ向かっているのも、クリスマスディナー用の食材を調達するためである。

一から手作りするため、必要な材料の種類はかなり多かった。

しかし買うのは千博と母の分だけだから、大した量にはならないはずだ。

千博は料理の手順を頭の中で思い描きながら、北風に顔をしかめた。


 寒波が訪れたせいか、今年のクリスマスはえらく冷え込んでいる。

今日デートするカップルは大変だろうなと、他人事ひとごとながら気の毒に思った。

駅前のスーパーまではまだ遠い。

うんざりするが、近くのスーパーは品ぞろえが悪いので仕方なかった。

鼻先がかじかんでくるのを感じながら、千博は一つ目の曲がり角を曲がる。

するとその角の影で、女性が座り込んでいるのが目に入った。

黒髪をまっすぐ伸ばした、二十代くらいの女性である。

彼女はキャラメル色のコートに黒のブーツという、今時の女性らしい格好をしていた。

一瞬ギョッとしたものの、さいわい幽霊や妖怪の類ではないようである。


「あの、ひょっとしてお加減でも悪いんですか?」


 根が親切である千博は、恐る恐る女性へ声をかけた。

彼女がゆっくりと顔を上げる。

流行りの化粧で覆われてはいたが、女性の顔色は一目でわかるほど悪かった。


「……すみません。ちょっと道に迷ってしまって」

「そうだったんですか」

「ちょっと体を痛めてて、寒いし……。それで座り込んでしまったんです」


 女性はかすれるような声だった。

具合も悪いようだし、このまま放っておいては可哀想だと千博は思う。


「道に迷ったんですよね? どこへ行こうと思ってたんですか? 俺に分かる場所なら案内しますよ」

「駅前の広場に……」


 駅前の広場は駅を利用する時、必ず横切る場所だった。

それに目的のスーパーともすぐ近くである。


「そこなら案内できますよ。着いて来てください」


 女性の顔にほのかな微笑が広がった。

多少ふらつきながら立ち上がると、彼女は千博のすぐ隣に立つ。

どこか痛いのか、体が少し傾いていた。


「大丈夫ですか? 具合が悪いなら帰った方が……」

「平気です。案内してください」


 今度ははっきりとした力強い声だった。

無理を押してまで広場に行きたがるとは、デートの待ち合わせでもしているのだろうか。

千博が理由を気にしていると、彼女の方がぼそりと口を開く。


「デートの待ち合わせをしてたんです」

「あ、そうだったんですか」


 やっぱりな、と千博は思った。

だから彼女は具合が悪くとも、約束の場所まで行こうとしたのだ。

愛って偉大だよなと、柄にもないことを考えてみる。

体調が悪いのにデートを楽しめるのか疑問だが、そんなこと女性には関係ないのだろう。

千博と彼女の話はそれから途切れた。

人気のない寒空の下を、二人は黙々と歩く。

クリスマスなのだからもうちょっと人出があっていいだろうに、周囲には人っ子一人いなかった。

寒すぎて、とてもそんな気になれないのだろうか。


「寒いですね」


 千博が呟くと同時に、二人は駅のすぐそばにある踏切へ差し掛かった。

人身事故、というか自殺が多発し、呪いの踏切と呼ばれている場所である。

ここの踏切で自殺すると、なぜか必ず死体の一部が見つからないらしい――そんな噂を千博は秋原から聞いたことがあった。

しかし不穏な噂があるこの場所も、何もない時にはただの踏切である。

千博たちは踏切を横切り、そのすぐそばにある駅前の商店街へさしかかった。

クリスマスセールの見出しが貼り出され、クリスマスグッズが所狭しと並ぶ店先。

なのにそこには客どころか、店員の姿さえ見えなかった。


(――おかしい)


 そう千博は思った。

いくら寒いとはいえ、商店街から人間が一人残らず消えることなどありえない。

嫌な予感がした。

無人の住宅街で気づくべきだったが、どうやら千博たちはおかしな所に迷い込んでしまったらしい。


「とにかく広場まで行きましょう!」


 もしかしたら、人がいないのはただの偶然かもしれない。

そんな一縷の望みにかけて、千博は女性の手を引きながら広場まで急いだ。

彼女の具合が悪いのは知っていたが、のんびりしていて良さそうな状況ではない。

商店街を抜けると、そのすぐ先が駅前広場だった。

なんとか目的地までたどり着いた千博は、警戒しながら辺りを見回す。


 人は、いた。


 しかし何かがおかしかった。

彼らはごく普通の、その辺りの通行人と変わらない格好をしていたが、その全身は黒い影のようなものに覆われていた。

周りが昼の明るさなのに、彼らだけ夜の中に立っているようなのだ。

よく見ると彼らの表情に生気はなく、中には体の一部がない物や、手足がおかしな方向に曲がっている者もいた。


(――コイツら、生きてる人間じゃない!!)


 千博は直感した。


「逃げましょう!」


 そう言って、再び女性の腕をコート越しに握りしめる。

そこで、ふと違和感を覚えた。

どうして今まで気付かなかったのだろうか。

彼女のコートの中には中身が――つまりは腕が入ってなかった。


 何らかの理由で腕を無くしてしまったのか。

それともただ単に、腕を袖へ通してないだけなのか。


 驚いて千博が女性の顔を見ると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

大きく開いた口からは血が流れ、折れて砕けた歯がのぞいている。


「デートの約束だったの」


 愕然とする千博へ静かに女性が言った。

反射的に身を引こうとするが、彼女はもう片方の手でこちらの肩を掴み、離そうとしない。


「デートの約束だったの。でも昨日いきなり別れようって言われて」

「はっ離してください!!」

「彼とは結婚してもいいと思ってたのに、思ってたのにぃ」


 女性の声が、喉を潰したようなそれへ変わった。

千博が逃げようとしても、耳に耐えない声を張り上げながら女は続ける。


「結婚しようと思ってたのにぃ。思ってたのにいぃぃ。捨てられたぁぁ。捨てられたああぁぁ。私電車にぃっ、電車にいいぃぃいい。電車っ電車っ」

「おい離せ! 離せ!!」

「私電車にぃ電車に轢かれて死んだっ。死んだっ。死んだ電車、私電車死んだああああ。踏切踏切踏切踏みきりふみきりふみきりふみきりああああああああああああああああああ」


 振り払おうとしても、女の力はものすごかった。

片腕で、どうして千博を食い止めるだけの力が出るのだろうか。


「わたし広場いかなきゃ。いかなきゃ待ち合わせ待ち合わせ待ちあわせでも一人いや一人ひとりいやひとりはいやあああああああああなたいっしょにいてあなたいっしょわたしといっしょ」

「やめろ! 誰がお前なんかと一緒にいるか!!」

「いっしょいっしょいっしょいっしょいっしょいっしょ。あなたいっしょいっしょいっしょ。ああああぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁっぁああああいっしょに地獄へ行こうじいいいごおおおぉぉくうううううぅぅぅあああぁぁぁぁああああ」


(連れて行かれる――!!)


 全身の毛穴から冷や汗がふき出した。

命の危険を千博の本能が大声で告げている。

しかし全力で身をよじっても、女の手は決して離れなかった。

なんとしてでもこの女は、千博をあの世への道連れにしたいらしい。

親切に声をかけてあげたのに、こんな仕打ちをされるなんて。

「人の好意につけ込む輩なんざ腐るほどいる」という鳴郎の台詞が、脳裏に蘇った。


 ここまでなのだろうか。


 女の手が千博の喉元を掴む。

この握力で喉を潰されたら、一瞬であの世行きになるだろう。

千博は覚悟を決めたが、その時だった。


 女の頭部がいきなり破裂したのは。


 突然のことに何が起きたのかさっぱり分からなかったが、倒れた女の後ろに、見覚えのある人物が立っていた。

夕焼けと同じ色の髪を持ち、暮れかけの空のように昏い瞳をしたその少女は、鬼灯キクコであった。


「ほお、ずき……」


 彼女の右手からは、大量の血とピンク色のフワフワしたものがこぼれている。

女の頭がいきなり破裂したのは、彼女がその手で握りつぶしたからなのだろう。


「ちーひろっ! どーしてこんなところにいるの?」


 血と脳漿にまみれた手を気にもせず、彼女は幼子のように首をかしげた。

めまいを覚えながら、千博はかろうじて答える。


「そこの倒れてる女の人が道に迷ってたから、連れてきたんだ」

「このヒト、ちひろのこと殺そうとしてたね」

「連れて来たらいきなりだよ。というかここ、一体何なんだ?」

「生きてる人間がきちゃいけないトコロ」


 キクコはにこりと笑うと、「ちょっと待ててね」と言って、目の前からいなくなった。

どこに行ったかと思えば、周囲にいる影のような人間たちへ襲いかかっている。


 それは圧倒的な強さだった。

造作もなく相手の手足を引きちぎり、頭部を叩き潰し、腹を裂いて腸を引きずり出す。

そこらにいた影より、千博にはよっぽどキクコが化け物に見えた。

しかしいくら血を浴びても、彼女の体が赤に染まることはない。

影たちの血は皮膚や衣類にとどまることなく、キレイに流れ落ちてしまっていた。

実際に生きている人間ではないから、血がこびりつかないのだろうか。

やがてキクコが最後に残った影の首をねじ切ると、いきなり広場に賑やかさが戻った。


 楽しそうに歩く家族連れ。

寄り添い合うカップル。


 最後の影が死んだ瞬間、広場はあるべき日常の光景に戻っていた。

クリスマスの休日にふさわしく、広場から駅前にかけて人があふれている。

いきいきとした彼らの姿を見て、千博今ここにいるのが本物の人間なのだと確信した。

同時に「戻ってきた」のだと、心から安どのため息を漏らす。


「一体あの女と影は何者だったんだろう」


 呟き混じりに尋ねると、キクコが答えた。


「あれはね、イキリョウと、あの世とこの世のあいだにいるヒトのタマシイだったんだよ」

「それって、幽霊とは違うのか?」

「うん。イキリョウはね、まだ生きてるからね。あの世とこの世のあいだにいるヒトも、まだ完全に死んでないからユーレイとはちがうの。」


 だからあの女を最初に見たとき、千博は幽霊だと思わなかったのだ。

広場にいた影も霊と違う印象だったのは、まだこの世に接点を残していたからなのだろう。


「あの女は生霊だったのか? それとも――」

「あれはね、もうすぐ死んじゃう死にかけさんだったんだよ。体はほとんど死んじゃってて、なんとかタマシイがくっついてたの。でも一人で死ぬのはこわくてさみしくて、だからちひろのこと連れて行こうとしたんだと思うよ」

「危ない所だったな、俺……」

「今日のあの広場はね、うらみつらみを持ってる人の怨念や、この世をはなれたくない死にかけさんでいっぱいだったんだから。人間がきたらコワいコワいだよー」


 千博は改めて辺りを見回した。

広場の木々はクリスマスらしく電飾がつけられ、昼間から光を振りまいている。

歩いている人間は笑顔にあふれ、皆幸せそうだ。

ここが夢見ノ森だということを忘れてしまうくらい、今日の街は暖かな気配で満ち溢れていた。


「でもどうしてこんな日に限って。今日はクリスマスなんだぞ」

「だからだよ。光がつよければつよいほど、影も濃く深くなるの。大事なことだから、おぼえておいてね」


 キクコがにこりとこちらへ笑いかけた。

たった今まで影を惨殺していたとは思えない、愛らしい笑みだ。

そこでようやく、千博は彼女が両手いっぱいに買い物袋を持っていることに気が付く。


「それ、全部クリスマスのごちそうか?」

「そうだよー」


 千博が尋ねると、キクコが嬉しそうな顔で答えた。


「全部でなにが入ってるんだ?」

「えっとね、ニワトリ一羽とニンニク四コと料理用ワインとオリーブオイルとローズマリーとタイムとセージとローリエとパセリとレタスと岩塩と黒コショウとタマゴとお砂糖一キロと左腕と薄力粉と粉砂糖とバニラエッセンスとイチゴと黄桃と無塩バターと牛乳と生クリームとフランスパンとトマトとキャベツとベーコンと玉ねぎとニンジンとブイヨンとマカロニとタバスコ」

「ご、丁寧にどうもありがとう……。これ全部食べるのか?」

「うん!」


(これ全部、あの三人で……)


 食べる量も問題だが、よくこれだけの食糧を一度に持ち歩けたものである。

おまけに買い物袋を引っ提げて敵を惨殺したというのだから、やはり彼女は只者ではない。


「よくこれで動けるな鬼灯……」

「そーいえば、ちひろはなんでお外に出たの?」

「あっ、そうだ! 俺もクリスマスの食材を買いに来たんだ! すっかり忘れてた!」


 本来の目的を思い出した千博は、キクコに礼を言うとスーパーへ向かった。

クリスマスなだけあって、スーパーの食料品コーナーは人でいっぱいである。

メモを見ながらなんとか必要な食材全て買い揃えたが、その帰り道。

買い物袋を提げた千博は、駅近くの踏切で足止めを食らった。

行きにも通った、呪われていることで有名なあの踏切である。

さすが「呪われた踏切」。

噂は伊達じゃないらしく、クリスマスの今日も人身事故があったらしい。

周囲は警察車両とやじ馬でごった返しており、踏切はいくらたっても開く気配がなかった。


(なにがそんなに立て込んでるんだろう……)


 ほんのわずかな好奇心と猜疑心から、千博は野次馬の間から現場を覗き込む。

そして現場を見た千博は愕然とし、すぐに見たことを後悔した。


 広がっていたのは血の海と、散らばった手足。

黒く長い髪が散乱しているところから、被害者は女性だと分かった。

しかし千博が見たことを後悔したのは、悲惨な遺体を見たからではない。

遺体の身に着けている衣服に、見覚えがあったからだ。

胴体から脱げかけているキャラメル色のコートと、足に収まったままの黒いブーツ。

それは千博をあの世へ連れて行こうとした女が着ていたものであった。


(そういえばあの女踏切踏切って……)


 千博は全てを悟った。

いま線路に転がっている遺体が誰なのかも。

なぜ踏切が閉まっているのかも。


 千博が出会ったのは、電車にはねられて死ぬ、そのごくわずかな間の、生と死の狭間にいる魂だったのだろうか。

野次馬から漏れ聞こえてきた話によると、女が投身自殺を図ったのはもう一時間以上も前だという。

時計を見てみると、千博が最初にこの踏切を通ってからまだ三十分しか経っていなかった。

行きの時点ですでに事故が起こっている計算になるが、あの時踏切は閉鎖どころか、まったくの無人だった。

やはり自分はこの世ではない別の世界に行っていたのかもしれない――そう千博は思った。


 人込みの中で突っ立っていると、野次馬の声が嫌でも耳に入ってくる。


「なかなか開かないわねぇ」

「まだね、遺体が一部見つかってないらしいのよ」

「やあねぇ、またなの? こないだもそうだったじゃない」

「何かあるのかもしれないわねぇ」

「どこがみつからないの。まさかこないだみたいに首とか?」

「ちがうわ。今度は左腕が見つからないんだって」


 千博は女の腕をつかんだ時のことを思い出す。

あの時つかんだのは確か左腕だった。


(あぁ、だからあの時腕がなかったのか……)


 千博は妙に腑に落ちた気分だった。


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