10-3
部長とデートしていた少年は、今日の午後三時ごろ死体で発見されたらしい。
千博たちがファーストフード店へ入ったのも、ちょうど三時ごろだった。
千博は無意識のうちに部長たちを見た時間を逆算する。
二人を見てから二階に上がって、プリクラを取って、ゲーセンを出て――デートを目撃したのは、だいたい午後二時半くらいという計算になった。
千博は青ざめた。
なんど見積もっても、デートを目撃してから死体発見まで三十分しかない。
千博は自分でも気づかぬうちに、顔を覆っていた。
死体が発見された時刻と、部長たちを目撃した時刻が近すぎる。
ニュースは、まだ犯人が捕まっていないと報じていた。
常識的に考えれば、被害者を目撃したことを警察へ通報すべきなのだろう。
しかし被害者の隣にいたのが部長であるがゆえに、千博はためらった。
いつも底抜けに明るい、華やかな美少女。
尾裂き狐という得体のしれない妖怪を、体内に忍ばせている――。
彼女がやったと思いたくなかった。
(ひょっとしたらあの後すぐ二人は別れて、それから殺されたのかもしれない)
なかばすがるようにして、千博は自分の思い付きを信じ込んだ。
あの部長が人を殺したりするはずがない。
だが翌日、いざ部活で部長本人を目の前にすると、千博は彼女を正視することができなかった。
「みんなー、今週も楽しい部活動がはっじまっるよーっ!」
部長は普段と何一つ変わらぬテンションだった。
「さっそくなんだけどー、昨日の夕方、この辺で殺人事件があったの知ってる?」
千博の全身が固くなった。
「知ってるわ」と向かいに座っていた常夜が答える。
「たしか被害者はこの学校の三年生だったわよね。部長の知り合い?」
「それがさっぱりなんだよねー。顔は見たことあるんだけどさ」
「あら残念。何か手がかりがつかめたかと思ったのに」
(さっぱりって、そんなはずないだろう――!)
千博は思わず叫びそうになった。
休日にデートまでしておいて、顔しか知らないわけがない。
疑念がますます強くなっていくのを感じた。
いつも通りの言動でさえ、怪しい振る舞いに見えてしまう。
同学年の生徒が死んだのに、平気な顔をしているなんておかしい。
自分が殺したから平然としてられるのではないか。
自然と彼女が犯人だという方向に、思考回路が組み立てられていった。
部長は千博がデートを目撃していたとは夢にも思っていないのだろう。
平然とした態度で、事件の詳細について部員たちへ喋っている。
「アタシが手に入れた情報だとさ、死体スゴイことになってたみたいなんだけど」
「ちょっ、ぶ、部長。グロい話はやめて下さいよぉ……」
「なに言ってんのイッコちゃん。いっつも首がない霊つれてるくせにー」
「それとこれは別ですよ……」
「んでね、その被害者――菅森健一っていうんだけど。その死体、骨と皮だけだったんだって」
「骨と皮だけ?」と、千博を含む部員全員が聞き返した。
皆の反応へ満足げに部長がうなずく。
「そ、残ってたのは骨と皮だけ。あとは内蔵も筋肉も血も眼球もみーんな無くなってたらしいよ」
「そりゃぁもう決まったようなもんだろ。吸引力の変わらないただ一つのアレが犯人だろ」
「それはそれで面白そうなんだけどねー。でもアタシの見込みだと、菅森健一の『中身』は食べられたんじゃないかなって」
「食べられたぁ?」
「そ、あくまでもカンだけどね。人間の『中身』が好きな妖怪なんていくらでもいるじゃん。ね、キッコタン?」
「ワタシはぜんぶ好きだよ」
「おー、キッコタンえらい! お残しはダメだもんねっ」
(冗談だか本気なんだか分からない会話はやめてほしい……)
千博はキクコが頭から人をかじっている姿を想像して、気分が悪くなった。
とにかく部長が言ったことが本当なら、菅森健一は悲惨な姿で発見されたことになる。
食べられたのかどうかは分からないが、ただの殺人事件でないことは間違いなかった。
一体誰が彼を殺したのだろう。
千博はどうしても部長の姿を思い浮かべてしまい、眉間を押さえた。
彼女と同じ部屋にいることが、こんなにも苦痛に感じるとは。
「鳴郎、ちょっと一緒に来てくれないか」
耐え切れなくなった千博は、席を立ちながら彼を呼んだ。
「ひょっとして告白ぅ?」と、部長が黄色い声を上げる。
「なんだよ千博。まさかテメー、ホントに告白する気じゃねーだろうな?」
「なに言ってんだ。とにかくオレと一緒に来てくれ」
「用ならここで言えよ」
「ここで言えることならわざわざ呼びつけるか。いいから来てくれ」
強引に彼の肩をひっつかむと、千博は彼を部室から引きずり出した。
普段見せない千博のふるまいに、鳴郎は目を白黒させている。
「おいテメーマジでどうした? なんか変なモンでも食ったかよ」
「ちがうんだ。ほら俺、昨日言っただろ」
「なにを」
「部長がデートしてるところ見たって。その、あんまりイケメンじゃない生徒と」
「ああ、そーいやそんなこと……。それがどうしたんだよ」
「菅森健一だったんだよ! その部長と一緒にいた男子ってのは。部長は彼が殺される直前、一緒にデートしてたんだ!」
鳴郎の顔色が変わった。
くわしく聞かせろと言うので、覚えていることを全て話してやった。
聞き終えた鳴郎は、眉間にしわを寄せながら顎に手を当てる。
「……けどよぉ、オレには部長がやったとは思えねーな」
「俺だって思いたくないさ。けど状況からすると、どうしても部長が犯人としか考えられないんだ」
「どうしてそう思う?」
「だって殺される直前に部長は被害者と一緒にいたんだぞ! ひょっとしたらあの後すぐ別れたのかもしれないけど……」
「あのなぁ。一緒にいたヤツの外見が『部長』だったとしても、それが本当に部長だったとは限らないんだぜ?」
千博は「なに言ってるんだコイツ」と、怪訝な表情になった。
鳴郎は鳴郎で同じ顔をしていたが、そのうち呆れたように言う。
「お前なぁ、本当に妖怪について勉強したのかよ。姿を変えられるヤツなんざ腐るほどいるんだぜ?」
「そういうヤツがいるのは知ってるが、そんなこと現実にあり得るのか?」
「あるに決まってんだろ。だいたいオレやキクコだってそうじゃねーか」
「え」
「ったく、これだから頭の固いヤツは……。とにかく部長に報告するぞ」
千博の疑問をほったらかして、鳴郎はガラリと部室の扉を開ける。
「おい部長! 昨日千博がお前と菅森健一がデートしてるの見たってよ」
「ちょっ、鳴郎!」
あわてて止めようとしたが、時すでに遅し。
鳴郎はためらいなく部長へ尋ねる。
「まさかお前、とち狂ってソイツ殺したんじゃねーだろうな。お前なら体内食い荒らして骨と皮だけにできるだろ」
「ちょっ、そんなことしてないし! だいたい昨日寝床から一歩もでてないから!」
「ホントかぁ? お腹がすいたから食ったんじゃねーの?」
「あのね、どうせ食べるなら千博くんみたいなイケメン食べるんですけど! あ、千博くんなら食べるより食べられたい……?」
「だってよ、千博」――そう鳴郎が白けた顔で言った。
部長はブツブツ口に出しながら、食べたいのか食べられたいのか悩んでいる。
そのバカバカしくも真剣な姿は、彼女が犯人でないと証明するのに十分であった。
考えてみれば、部長が人を殺したりするはずがないのだ。
千博は疑ってかかっていた自分が恥ずかしくなった。
「部長、すみません」
「ちょっと待って! 今抱くのか抱かれるのか考えてる最中だから! 千博くんに」
「何考えてるんですか!!」
「押し倒すのか押し倒されるのか、それが問題だ!」
部長は鳴郎に蹴り倒された。
真っ赤な顔をする花山と、きょとんとしているキクコ。
常夜がひとつ咳ばらいをした。
「――で、肝心なのは菅森健一を殺したのが何者なのかよ。犯人は人間? それとも化け物?」
常夜の問いに、間髪入れず鳴郎が答える。
「そりゃ化け物だろ。千博は昨日、部長の姿をした『何か』が菅森健一とデートしてるのを見たって言ってる。それも殺される直前にな」
「そう。部長が本当に殺したんなら、わざわざここで話題に出すのは変ね。鳴郎の言うとおり『何か』が部長に化けてたんだわ」
「どうして部長に化けたのかは分からないが、とにかくその『何か』は部長になって菅森健一を誘い出した。そして骨と皮だけにして殺した」
「部長のカンが正しいなら、『何か』は食べるために被害者を誘い出したことになるのかしら。そして菅森健一は食い殺された」
花山が小さく悲鳴を上げて身震いした。
二人の言うとおり、菅森健一は部長のフリをした何かに誘い出され、食い殺されたのだろう。
しかし千博は二人の会話にはどこか不自然な点があると思った。
具体的にはまだ分からないが、漠然と引っ掛かりを感じるのである。
「なあ、鳴郎。菅森健一は本当にニセの部長に誘い出されて殺されたのかな?」
「あ? まだ部長のこと疑ってるのかよ?」
「そうじゃないんだ。でもなにかおかしな所がある」
「はぁ? 部長に化けた妖怪が、菅森健一を誘い出して食ったんじゃねーのかよ」
「たしか部長は、菅森健一の顔しか知らないんじゃなかったか?」
千博はつい先ほどの会話を思い返していた。
あの時部長は菅森健一のことを知り合いではなく、顔しか見たことがないと言っていたはずである。
「顔しか知らない間柄の相手を誘い出せると思うか?」
名前も知らないような相手から誘われて、ホイホイついていく奴はいない。
千博がそう言うと、鳴郎が確かにとうなずいた。
一体どうして化け物は、大して相手と親しくもない部長に化けたのだろう。
千博たちが首をひねっていると、そのうち花山がおそるおそる手を上げた。
「あのぉ~、も、申し訳ないんですけど、わたし、顔しか知らない間柄でも、相手を誘い出せると思います……」
意外な意見に、千博は聞き返す。
「どうして?」
「その、もし化けてたのが、わたしみたいな、その、可愛くない女の子なら無理ですけど……。部長みたいな美人だったら、男の子なら舞い上がってOKしちゃうと思います。たとえ名前すら知らない相手でも……」
鳴郎が呆れたように大きく息を吐いた。
花山がビクリと震えるが、それは彼女に対してのものではなかったらしい。
「あ~、たしかに一理あるぜ花山」
常夜も首を縦に振った。
「そうね。中身はともかく、部長は美人だもの。直接かメールか……。とにかく誘われたらホイホイついてっちゃうと思うわ」
「そんなもんなんですか?」
「さすが氷野君。他のオスザルとは違うわね。貴方のようなハイレベルな男性はともかく、中学生男子なんてそんなものなのよ」
「……はぁ」
「なんで化け物が部長に化けたか今分かったわ。獲物が釣りやすいからよ。男が涎を垂らすグラビア体系の美少女。おまけに尻軽なキャラだから、いきなり誘っても相手に警戒されにくい――。格好の擬態対象だわ」
部長には失礼だが、千博は常夜の意見に納得した。
もし常夜が大して親しくもない異性を誘ったら、相手は当然警戒するだろう。
それは常夜が真面目で、親しくない相手をデートに誘うような人間ではないと思われているからだ。
しかし部長はどうだろうか。
常日頃はしゃぎまわり、誰彼かまわずイケメン好きを公言する性格。
外見も、いかにも遊んでそうな雰囲気である。
人を食らう化け物が、獲物をおびき出すため誰かに化けるのなら。
頭も尻も軽そうな美少女――つまり部長は、絶好の成りすまし対象であった。
「ちょっとバーバー! アタシのどこが尻軽なワケ? ちょーヒドいんだけど!」
「食べるか食べられるかなんて考えちゃう所よ。――とにかく、その『何か』は部長の外見で獲物をおびき寄せ、殺してることになるわ。食べるためか単に殺したかっただけかは分からないけど」
「一体誰がそんなことしてんの? マジ迷惑なんですけど」
「誰かに変化できて、人の中身を吸い尽くす妖怪ね……」
一同は腕を組んで思考をめぐらす。
やがて鳴郎が「肉吸い」と呟いた。
肉吸いはたしか、美女に化けて男の前へ現れる妖怪だ。
その体に少しでも触れると、体の肉を全て吸い取られてしまうという。
「単に美女に化けるだけじゃなく、他の誰かにも化けられるなら――そうかもしれないな」
「普通は山道に出るんだが、ここは夢見ノ森だ。そこら辺ウロウロしててもおかしくねぇ」
「早くしないとまた犠牲者が出るぞ」
すると部長が勢いよく席から立ち上がった。
「アタシの姿勝手に使って悪さするなんてマジ許せない! このままじゃアタシ猟奇殺人犯にされるんですけど!」
「それはそれで面白そうだけど、これ以上犠牲者が出るのは困るわ。他にも成りすましてる人間はいるのかしら?」
常夜の疑問を聞いた途端、千博の脳内で火花がはじける感覚がした。
「肉吸い」は獲物をおびき寄せるために美女に化ける。
だが別に、必ずしも美女に化ける必要はないのだろう。
要は効率よく獲物をおびき出せればいいのだ。
千博は隣に座っている鳴郎の横顔を見る。
同性さえも惹きつけてやまないこの美貌。
彼に成りすましても肉吸いはその目的を果たせるはずだ。
「ひょっとしたら、肉吸いは鳴郎にも化けているかもしれません」
千博が言うと、一同の視線がこちらへ集まった。
千博は先日あった秋原の悲劇を――もちろん彼の思いは伏せて――部員たちに伝える。
あのニセメール。
ずっと悪質ないたずらだと思っていたが、ひょっとしたら肉吸いの罠だったのかもしれない。
話を聞いた常夜の目つきが鋭くなった。
「つまり鳴郎は抜け駆けで氷野君とデートしたってことね?」
「ちょっ、常夜先輩! そんなこと言ってる場合じゃ……」
「冗談よ。じゃあ千博くんが指摘しなかったら、そのクラスメイトは今ごろミイラになってたかもしれないのね」
「タイミングが合っただけで、単なるイタズラだったのかもしれませんが」
「でも最悪、肉吸いはここの部員全員に化けてるかもしれないわ。この部活、周りには美男美女しかが入れないサークルだと思われてるらしいから。その噂を聞きつけて相手は利用してるのかもしれない」
美男美女しか入れないサークルのメンバーからデートに誘われたら。
大して面識はなくとも、舞い上がってオッケーしてしまう生徒もいるかもしれない。
千博が美男子かどうかは置いておいて、怪奇探究部にそういう噂が出回っているのは事実であった。
「注意を呼びかけないと大変なことになりますよ」
「意匠権侵害の肉吸いを探すのは別にやるとして、ビラでも撒いた方がいいかもしれないわね」
「ビラってどんな……」
話し合いの結果生まれたのは、「親しくない相手からメールで誘われても無視するように!」という、バカバカしいキャッチコピーが書かれたチラシであった。




