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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第十話 形
34/69

10-1

 怪奇探究クラブが後崎邸を訪れてから数日後。

千博は母から後崎美奈子が自殺したと聞かされた。

第一発見者は回覧板を届けに来たご近所だという。

玄関扉が半開きなのを不審に思いドアを開けたところ、ドアノブで美奈子が首をくくっているのを見つけたそうだ。

その形相は苦悶に歪み、発見者はショックで今も寝込んでいるらしい。


 朝から悲惨な話を聞かされた千博は、学校へ行くと真っ先にそのことを鳴郎へ伝えた。

しかし彼は動揺するどころか、バカにしたように鼻で笑って言う。


「つまりあのババァは、逃げたってことかよ。たいした卑怯者だな」

「おい鳴郎!」

「だってそうだろ? あのババァは自分の罪からも警察からも逃げたんだ。バカにされて当然だろ」

「だけど――人が死んだんだぞ」

「死んだら生前ソイツがやったこと全部許さなきゃなんねーのか? そりゃ日本に自殺がはびこるわけだ」


 乾いた笑い声を上げる彼を、千博は殴り飛ばしてやりたくなった。

人一人が自殺し、なおかつそれを自分の手で止めることができたかもしれないのだ。

お悔やみの一つも言わず、ましてや死者をバカにするなんて許せるはずがなかった。

千博が拳を握りしめて震えていると、その様子に気づいた彼が言う。


「おいおい、怒ってんのかよ千博」

「……当たり前だろ」

「前々から思ってたけど、テメェはホント甘いのな。そんなんじゃこれから食い物にされるだけだぜ?」

「その年でやさぐれてるお前も、これから幸せになれるとは思えないけどな」


 二人の間に、一触即発の空気が流れた。

鳴郎の全身から、皮膚を切り裂くような鋭い殺気が発せられる。

命の危険があると本能が警告してきたが、千博は前言を撤回しなかった。

暴力で鳴郎に勝てる可能性は万に一つもないと分かっている。

しかし鼻血まみれになろうとも、最低一発は殴ってやろうと心に決めた。

物々しい雰囲気を察して、クラスメイトたちが千博たちから距離を置き始めた。

皆不安そうにこちらの様子をうかがっている。

コテンパンにされて醜態をさらすハメになりそうだが、ここで引くわけにはいかなかった。


「かかってこいよ優等生さんよぉ。ハンデで一発殴られてやってもいいぜ?」

「――後悔するなよ?」


 教室内の緊張が、ピークに達した。

だが挑発に乗った千博が鳴郎へ殴り掛かる前に、能天気な声が室内の空気をガラリと変えた。


「グッモーニーン! 今日は風強いなー」


 声の主は、おしゃれメガネをかけた生徒――秋原俊あきはらしゅんだった。

以前ヒダル神に憑かれ、危うく死にかけた男子生徒である。

彼はいつもと違うクラスの様子に戸惑いながらも、睨み合う千博たちの間へ真っ直ぐやってきた。


「よっ、氷野どうしたんだ? いつにも増して顔が怖くなってんぞ」

「いや、俺はあのな……」

「あっ、鳴郎さんおはようございます。今日も相変わらずお美しい!」


 二人の間に流れる空気を、察することができないのだろうか。

疑問を抱いてから、千博は彼が空気を読むのが苦手だったと思い出す。


 いつも明るく空気の読めない秋原は、千博たちに助けられてから、こちらへしょっちゅう割り込んでくるようになっていた。

特に鳴郎への懐きぶりは顕著で、邪険にされても懲りずに挑んで負けていく。

今日も例にもれず、彼は鳴郎に鋭い舌打ちをかまされた。


「ったく、秋原か。人が取り込んでるのに邪魔すんじゃねーよ」

「あれ? なんか氷野と大事な話してました?」

「もういい。そんな気もなくなった」

「ちょっ、鳴郎さーん」


 鳴郎は秋原と千博に背を向けて、それ以上何もは喋らなかった。

完全に機嫌を損ねたのだろう。

千博としては助かったのかもしれないが、秋原が少し気の毒に思えた。

せっかく好意を抱いてくれているのだから、もっと愛想をよくしてもバチは当たらないだろう。

結局、秋原がおだててもなだめても、鳴郎は放課後になるまで一言も話さなかった。

そんなにこちらへ対して腹が立ったのだろうか。

今日は部活のない日なので、ついに千博は彼の声を聞かないまま学校を後にした。

嫌なら一生黙っていればいいのだと、ムカつきながら思う。

しかし段々時間がたってくると、次第に自分も悪かったような気がしてきた。


 鳴郎の台詞が、自殺者に対してあまりに厳しいのは確かである。

しかし今までの彼をふり返ると、意味もなく死者へ暴言を吐くとは考えにくかった。

粗暴なところはあれど、彼は人助けのできる優しい少年だ。

あのセリフは、彼なりに考えるところがあって言ったのだろう。


(アイツは後崎さんが逃げたって言ってたな……)


 後崎美奈子は自殺したことにより、警察に捕まることも、自分の罪と向き合うこともなくなった。

鳴郎の言うとおり、彼女は自殺して自分のしたことから逃げたのかもしれなかった。

一人の人間が自ら命を絶つということは、とても痛ましいことである。

しかし被害者とって、加害者の自殺は自分のしたことから逃げる行為にすぎない。

そう、鳴郎は被害者の立場に立ってあのセリフを言ったのだ。


 実の母にひき殺された挙句、その母が自首もしないまま自殺した後崎愛美。

被害者である彼女の視点から見れば、たしかに後崎美奈子は卑怯者だろう。

千博個人としては、たとえ生前がどうであれ、死者に鞭打つのは良くないと思う。

しかし鳴郎の考えもまた間違っているとは言えなかった。


(一応謝っておいたほうがいいかもな)


 いろいろ言ってきたのは鳴郎の方だが、彼が自分から謝ってくる性質だとは思えない。

このままだと一生けんか別れになりそうなので、千博はこちらから謝ると決めた。

若干鼓動が早くなるのを感じながら、ケータイを手に取る。

だが鳴郎へ電話をかけるより先に、彼の方から電話がかかってきた。


「おい、千博か?」

「そうだけど、なにか……?」


 怒鳴られるんじゃないかと思い、電話口から耳を離した。

しかし驚いたことに、彼は消え入りそうな声で言う。


「今朝はその、なんつーか、悪かった……な」

「は?」


 まさか向こうから謝られるとは思わなかったので、つい声が出てしまった。


「おい今『は?』って言ったろ! ふざけんなボケ!」

「いや、悪い。鳴郎から謝られるとは思わなかった」

「オレのことなんだと思ってんだよ。朝はガキみたいな態度とったから謝っただけじゃねーか」

「いや、俺も食って掛かって悪かったと思ってた。ゴメンな」

「そうだよ、ったく。世の中、人の優しさや好意につけ込む輩なんざ腐るほどいるんだぜ? オレの忠告をテメーは――」

「だから悪かったって。てっきりケンカ売られてるのかと思ったんだよ」


 あの言い方で忠告だと気づく人間がいるのだろうか。。

鳴郎はこの粗暴な言動のせいで、だいぶ損しているのではないかと千博は思った。

もう少し丸くなれと言いたくなったが、それこそブチ切れそうなのでやめておく。

彼は電話口でぶちぶち文句を言った後、少し間を置いてから言った。


「ところで千博よぉ、今週の日曜の午後空いてるか?」

「空いてるけど、どうした?」

「いや、ヒマならゲーセン行かねーかと思ってさ」


 意外なことに、なんと鳴郎から遊びのお誘いだった。

自分から謝ってきたし、明日は槍が降るのではないかと不安になる。


「おい、なに黙ってんだよ。イヤなのか?」

「あっ、スマン。考え事してた。俺は全然かまわないよ。なんなら部活の仲間も誘うか?」

「なんでそこで部活の奴らが出んだよ……」

「あ、そうだな。たまには二人きりで話したいよな」


 怪奇探究部は千博と鳴郎以外全員女子である。

彼女たちとの部活は楽しいが、やはり気を使わないと言えば嘘になった。

たまには男同士で話がしたいと彼が思っても無理はない。


「なら、出かけることは二人の秘密にしておこうか。部長とか絶対行くって言いそうだし」

「え、あ、おう、そうだな。二人の秘密だな……」

「じゃ、日曜日楽しみにしてるから。遅刻するなよ?」

「う、うん、おやすみ千博……」


 切る直前、鳴郎の声が妙に可愛かったのは気のせいだろうか。

電話を切った千博は、つい顔がにやけてしまった。

我ながら気持ち悪いと思うが、友達と出掛けるのは人生はじめてだから仕方ない。

しばらくベッドの上でニヤニヤしていると、またもやケータイが鳴り響いた。


「ん? 鳴郎か? まだなにか――」

「ちがうよ! オレだよ!」


 声は秋原のものであった。

千博は彼とケータイ番号を交換していたことを思い出す。

続けて電話が来たので、つい鳴郎かと早とちりしてしまった。


「秋原が電話なんて、珍しいなぁ。なんか用か?」

「いやぁ、ちょっと嬉しいことがあってさぁー」


 彼は浮ついた声で「鳴郎さんと二人で遊びに行くことになった」と告げた。

千博は驚いてつい聞き返す。


「鳴郎と――!?」

「そうなんだよー。さっきメールが来ててさ、一緒に出掛けようって」

「よ、良かったな……」


 下がりきった眼尻が想像できるほど、秋原の声はニヤついていた。

彼が鳴郎を慕っていることは知っていたので、素直におめでとうと言ってやる。

しかしあんなに秋原を邪険にしていた鳴郎が彼を誘うなんて。

正直驚きを隠せなかった。


「鳴郎さん、一緒に雑貨屋を巡ろうって言ってきてさー。デートだよデート」

「ちょっ、デートじゃないんじゃないか?」

「いーや、これはデートだろ。だって二人きりだぜ」

「そうかな……」

「そうに決まってるだろ。羨ましいからってやきもち焼くなよー」


(二人きりでも、男同士じゃデートじゃないよな? 最近はそうなのか? まさかそんなはずは――)


 千博はしばらく頭を抱えた。

口ぶりからして秋原は冗談ではなく、本気でデートだと思っているらしい。

鳴郎は心身ともに強く、そして美しい少年だ。

だから秋原が彼に心酔し、懐くのも無理はない――そう思っていたのだが。

彼の言葉の端々に「そうでない」気配を感じて、おそるおそる尋ねてみる。


「まさか秋原、鳴郎のこと男として好きってわけじゃないよな? あ、変なこと聞いて悪い、そんな深い意味はない――」

「いやぁ、まいったなー。分かっちゃった?」


 重大なカミングアウトのはずなのに、軽すぎる返答だった。

千博は絶句し、「嘘だよ」という彼の言葉を待つ。

しかしいくら時がたっても、秋原が前言を翻すことはなかった。


「どうして鳴郎を……」


 必死に絞り出した言葉がそれだった。


「だって鳴郎さんスゲー美人じゃん? スタイルいいし。若干おっかないところあるけど、オレ、Sな好きなんだよねー」

「そうか、Sなが好きなのか……」

「おい、なんか元気ないぞ? ひょっとして氷野も鳴郎さんを……」

「断じて違う! あとこのこと、絶対、絶対、他のヤツに言うなよ! どうなっても知らないからなっ!!」

「お、おう」


 (まったく、聞いたのが俺だったから良かったものの……)


 同性愛などに偏見のない千博が相手で、秋原は命拾いしたというべきだった。

もちろん千博も彼の性志向についてショックを受けなかったわけではない。

ただ街で起こる怪事件に比べれば、同性愛など些細な問題だった。


「良かったな秋原、鳴郎とデートできて……」


 九九パーセント実らない恋だが、せめて今だけは喜んだっていいだろう。


「ありがとな氷野! お前のおかげだよ!」

「いやいや、別に俺はなにもしてないから」

「ん? 鳴郎さんにオレのメルアド教えたのお前だろ?」

「いいや、教えてないぞ」

「あれ? じゃあなんで鳴郎さん、オレのメルアド知ってたんだろ? オレ教えてないのに」


 話がかみ合わないので、千博は詳しく鳴郎からのメールについて尋ねてみた。

秋原曰く、たった今鳴郎から、今度の日曜遊ばないかというメールが来たそうだ。


「ちょっと待ってくれ。今度の日曜って、何時からだ?」

「昼過ぎって書いてあるけど」

「それおかしいぞ。俺もさっき鳴郎から、その時間に遊ばないか誘われたんだ」

「一体それどういうことだよ?」


 こっちが聞きたいくらいである。

鳴郎が日付を勘違いして、二人に連絡してしまったのだろうか。

しかし人を誘ってすぐ、同じ日付でまた別の人を誘うなんて、勘違いにしても妙だと思った。


「なぁ、秋原はメールで誘われたんだよな?」

「そうだけど。どうかしたか?」

「俺は電話で誘われたんだよ。その鳴郎のメール、なんてアドレスで来てる?」


 秋原から鳴郎のアドレスを聞いた千博は、自分が登録している鳴郎のソレと比較してみる。

うすうす予想はしていたが、秋原から聞いたアドレスは千博が登録しているものとまったく違っていた。

千博は鳴郎と直接メルアドを交換しているから、間違っているのは秋原の方である。

思わずうめき声を漏らしてしまった。


「あのさ秋原……。なんかものすごく言いづらいんだけど……。その、なんというか、お前に来たメールはイタズラだと思う」

「ええっ!? どういうことだよソレ!!」

「俺は直接鳴郎とメルアド交換したんだ。けど、それと秋原に来たメールのアドレス、全然違う」


 電話の向こうで秋原は絶句していた。

無理もない。

せっかく思い人からデート(?)の誘いが来たと思いきや、それが偽物だったのだ。

いったい誰がこんなことをしたのかと、千博は眉間にしわを寄せる。

電話口から彼が鼻をすする音が聞こえてきた。


「秋原が鳴郎を好きなこと、俺の他に知ってる奴はいるのか?」

「はっきり教えたのは氷野が初めてだけど……。態度でバレてたかも……」


 秋原の気持ちを知った誰かが、からかい目的でやったのだろうか。

彼の恋愛の特殊性から見て、そういう輩が出てきても無理はなかった。

しかしいくら傍目から特異に見えても、人の気持ちを傷つけていいはずがない。


 千博がいくら慰めても、秋原の傷が癒えることはなかった。


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