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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第九話 あのとき逃げなければ
32/69

9-2

 驚くべきことに、鳴郎が描いた犯人の車はプロ顔負けの上手さだった。

何も見なかったにもかかわらず、車は正確に模写されており、事故での損傷も的確に描写されている。

一度対象を見ただけで写真のような絵をかき上げるとは。

彼には天賦の才があるとみて間違いなかった。


「鳴郎スゴイな! お前天才じゃないか!?」

「うっせーな。それほどじゃねーよ」

「でもちょっと見ただけなんだろ? それでこんな正確に描いたりできないぞ」

「よくシロのトコでアシスタントしてんから慣れてんだよ。それより今はオレの絵より車のこと気にしろ」


 彼の才能に舞い上がってしまったが、たしかにその通りである。

しかし紙上の車体を注視しても、これといって車に特徴があるわけではなかった。

車種に詳しくない千博からすると、よくその辺りで見かけるような自家車としか分からない。

男子の千博ですらこの有様なのだから、女性陣はなおさらさっぱりだろう――。

しかしその予想は最も大きな形で裏切られた。


「あ、あの、コレ、たぶんマツビシのアクアフォックスですね」


 今日は雪でも降るのだろうか。

またもやまっさきに花山が発言したのである。

それも霊のことならともかく、まったく縁がないだろう自動車の話題でだ。


「は、花山さんそう言うのくわしいの?」

「あっ、その、わたし一時期自動車にはまってたことがあって……。いやっ、今は違うんですよ? 今はあの、子供らしくFPSを……」


 彼女は顔を赤らめながら両手をもじもじともて遊んだ。


「それでこのアクアフォックス? のことなんだけど」

「あ、アクアフォックスですね。あの、この車はいわゆるファミリー向けのセダンで、特徴がないのが特徴というか……。まぁどこにでもよくある平凡な車なんですよ」

「えっと、どれぐらい売れたの?」

「あっ、はい、かなり売れましたね。それはもう百万単位で。まだ販売中ですから、そこらじゅうにあると思います」


 よくその辺りで見かける自動車という千博の見立ては、あながち間違いではなかったようだ。

しかし百万単位で売れ、未だ現役の車種となると、警察といえども事故車を特定するのは難しいだろう。


「こりゃあ車の情報じゃ犯人は捕まらないな」


 しかし千博の呟きに、鳴郎が絵を取り上げながら言う。


「あのな、絵はまだ未完成なんだよ。文句なら完成させてから言え」

「まだ出来上がってないのか?」

「たりめーだろ。色塗ってねーじゃねーか。――おい! だれか絵具持ってるヤツいるか?」


 ちょうど常夜が授業で使っているというので、絵具は彼女が教室から取ってきたものを使うことになった。

絵具チューブとパレットを受け取ると、鳴郎は大胆にもどぎついピンクで車体を塗り始める。

完成した時、紙面には毒々しいピンクの車が鎮座していた。


「本当にこんな色してたのか?」


 千博が思わず尋ねると、鳴郎の鋭い視線が突き刺さった。


「テメー、オレが趣味でこんな色塗るわけないだろ」

「でもさすがになぁ……。というか、こんな色の車が存在するのか……」


 よくこんなカラーを販路に乗せたものだと感心していると、花山が言う。


「この色、たしか通常カラーになかったと思いますよ」

「じゃあ鳴郎の見間違いか?」

「いえ、その、たぶん特注か、限定カラーじゃないでしょうか? こんな色、さすがに見間違えないだろうし……」


 町中にあふれている車種とはいえ、特別色の、それも夢見の森近郊となれば、かなり特定しやすくなるだろう。

千博はむしろ、なぜまだ警察が犯人を捕まえられないのか不思議なくらいだった。

とにかく、これだけ事故車に特徴があれば、随分と部長の尾裂狐も動きやすくなるだろう。

それに、と千博はさらなる手がかりを思い出す。


「そういえば鳴郎、車に変わったキーホルダーが付いてたって言ってたよな?」


 千博が尋ねると、鳴郎は素早くそのキーホルダーを描き上げてみせた。

いびつな円に、バランスの取れていない目鼻がついている。

まるで幼児の落書きなような代物が仕上がったが、それが鳴郎の画力のせいでないことはすぐに分かった。


「これ、ひょっとして手作りのマスコットか?」

「多分な。おおかたガキのプレゼントってところじゃないか? ったく、ガキがいるくせにひき逃げとはとんでもないババァだぜ」


 全くの同感である。

しかし今は怒りより、手がかりが増えたことが嬉しかった。


「そういえば犯人の顔も見てたんだよな? 描けるか?」


 随分情報が出そろったが、手掛かりは多ければ多い方がいいだろう。

これだけ絵の上手い鳴郎なら、さぞかし正確な似顔絵を描いてくれるはずだと千博は思った。

しかし鳴郎は目をそらし、なぜか一向に似顔絵を描きだそうとしない。

不思議に思って尋ねようとした他の部員たちも、気まずそうに視線を床へ落としていた。


「クロはね、人の絵がとーってもカワイイんだよ!」


 沈黙の中で明るい声を上げたのは、誰であろう彼の義姉である。

なんのことかと鳴郎の方を見ると、彼は真っ赤な顔をして震えていた。


「クロの絵ね、ようちえんみたいでとってもカワイイの。おめめグリグリってね。お口はきったスイカみたい。シロがね、こういう絵はきっと天才って――」

「うるせえぇぇっ!! いいだろ人間描けなくってもよおぉぉっ!!」

「クロどうしておこるのー?」


 可愛いとキクコは言っているが、おそらく鳴郎の人物画は幼稚園児並なのであろう。

にわかに信じられなかったが、鳴郎の反応と気まずそうな部員たちを見ると、本当だと思わざるを得なかった。

理屈は分からないが、とにかく鳴郎は人物画が苦手らしい。


「な、鳴郎、ムリ言って悪かった。これだけ手掛かりがあれば、似顔絵なんていらないから。な?」

「ウルセー。気ぃつかってんじゃねーよクソッ」

「とにかくこの手掛かりで、尾裂狐に探してもらおう。なに、きっとすぐ見つかるさ」


「そうですよね? 部長」――そう千博は部長へ向き直ったが、なぜか彼女は恥ずかしそうに頭をかくばかりであった。

どうしたのか聞く前に、彼女は視線をそらしながら言う。


「あ、あのさぁ……。さっきは大見得切っちゃったけど、やっぱりアタシの狐だけで探すのは難しいかな~って……。あははは」


 この夢見の森タウンの人口は十万人を超えている。

冷静に考えてみれば、いくらたくさんの尾裂狐がいるとしても、この街を探しきるなんて端から無理な話だった。

そもそも、犯人がこの街に住んでいるという確証すらないのである。

薄々予想はしていたので落胆こそしなかったが、ひき逃げ犯を探し出すのは困難を極めると判断せざるを得なかった。


「やっぱり、警察に任せましょうよ」


 しかし部長は待ってくれとあわてだす。


「た、たしかにアタシの狐だけで探すのはムリだけど、全部ムリって言ってるわけじゃないからっ。街の全範囲はカバーしきれないってだけで」

「どのくらいの範囲なら平気なんです?」

「うーんと、アタシの棲家から半径十二キロメートルくらいかなぁ……」

「十分広いですよソレ!!」


 この尾崎八百という少女、どれだけ化け物を使役する力が強いのだろうか。

それだけカバーできるなら問題ない気がするが、あいにく夢見の森は東西に広い形だった。

半径十二キロ程度だと、彼女の言うとおりカバーできないポイントが生まれてしまう。

とはいえ、東と西に数キロずつといった範囲ではあったが。


「じゃあカバーできない所は、私たちが埋めていけばいいのね?」


 数キロずつくらいなら、こちらは元気いっぱいの中学生が六人。

数日で探しきれるだろうと千博は思った。


「犯人が夢見の森タウンに住んでいるかは分かりませんが、もしそうなら見つかりそうですね」

「じゃあ二組に分けて探そっか。アタシはキツネに集中するから歩きはパスで。グループは適当にクジとかで決めてくれるー?」


 結局グループはあみだくじで決められ、千博は花山、そしてキクコと組むことになった。

キクコのような並外れた美少女と一緒なんて、本当なら喜ぶべきなのだろう。

しかし千博は自分のくじ運の悪さを嘆かずにはいられなかった。

いくら見目形みめかたちがよくても、あの少女と少人数で近くにいたくない。

探索は次回へ持ち越されたが、正直次の部活へ出るのが憂鬱でたまらなかった。


 とはいえ、根がクソ真面目な千博である。

もちろんサボることなんてせず、千博はちゃんと花山、キクコとともに犯人捜索の旅へ参加した。

担当になったのは街の東端。

歩いては遠すぎる距離のため、バスを使って移動する。

目的のバス停で降りると、周囲はどれもそっくりな住宅で埋め尽くされていた。

不便な場所のためどの家も自家用車が置いてあり、一軒一軒調べるのかと思うと気が滅入ってくる。


「こ、こんなに家がたくさんあるんですかぁ……」


 花山も住宅の大群を見て途方に暮れているようである。

キクコはというと、家の数を気にも留めず、一番近くにある戸建を覗き込んでいた。


「ちひろ、いっこ、この家じゃないよ」

「あ、ああ。そうだな」


 返事をしている間にも、彼女は次の家にあるガレージへ首を伸ばしている。


「この家じゃなーい。つぎー」


 相変わらずエキセントリックな少女であった。


「俺、花山さんが一緒でよかったよ」

「えっ!? いやっ!? そのあのえーっと……」


 なぜか真っ赤になってしまった花山を連れて、千博はもうずいぶん遠くへいるキクコを追った。

季節が深まったせいで、すぐ学校を出たはずなのに影が長く伸びている。

グズグズしていたら、捜査が進まないまま日が暮れてしまいそうだった。


 晩秋。


 夕陽を思わせる色をした柿が、民家の庭先でぶら下がっている。

西の空は刻々と赤味を帯びていき、反対に東は冷たい濃紺が迫っていた。

夕暮れ時の中にいると、昔から千博は得も言われぬ恐怖と不安に襲われてしまう。


「なんか夕暮れ時って不気味だよな」


 どんどん先に行ってしまうキクコを追いながら、千博は横にいる花山へ話しかけた。

彼女は珍しく微笑みを浮かべながら答える。


「あの、それは当たり前ですよ。夕暮れ時は逢魔が時っていうくらいですから……」

「悪い事が起きたり、化け物が出る時間ってことだよな」

「はい。昔から夜と昼が移るこの時間は、恐怖と不安の象徴だったんです」

「さすが、詳しいな花山さんは」


 向こうから、キクコが呼ぶ声がする。

なかなか来ない二人へ、いいかげんしびれを切らしたのだろう。

千博は返事をしようと声の方へ視線を向けたが、そのとき痺れるような戦慄が走りぬけた。

遠くで手を振るキクコの姿が、あまりにも「逢魔が時そのもの」だったからである。


 肌寒い秋風に泳ぐ髪は、夕陽が滲む空そのものの赤。

普段は愛らしい二つの瞳も、単なる青ではなく、夜が訪れつつある空の昏さが宿っている。

そしてこちらに笑いかける口からは、獲物を引き裂く肉食獣の牙が――。


(――ヤバイ!!)


 千博は本能的にキクコから目を離した。

アレは見てはいけない、直視してはいけない何かだと、千博の原始的な部分が警告している。

だが数秒ののち、おそるおそる視線を戻してみると、普段の彼女が夕陽の中で手を振っていた。


「ちひろーいっこー早く―」


 先ほど見た、夕闇の化身のような彼女は一体なんだったのだろう。

千博は気のせいだと自分に言い聞かせたが、彼女に覚える恐怖と不安を否定することはできなかった。

そもそも、キクコにはこちらが恐怖を抱いても仕方ない理由がたくさんあるのだ。

千博の身に起きることを予言したり、電源を切っているケータイに電話をかけてきたり。

最近では小槻親子が妹に殺されるのを予期していた節もあった。

身体能力だって人間を遥かに超えているし、むしろ今まで深く考えてこなかったのが不思議なくらいである。


「……花山さん、一体鬼灯って何者なんだ?」


 千博が聞くと、彼女は音を立ててこちらへ振り向いた。

こぼれ落ちそうなほど大きな目をさらに見開き、じっとこちらを凝視する。


「やめましょう氷野君。そんなこと、別にいいじゃないですか」

「でも――」

「キクコさんは同じ怪奇探究部の部員です。部長も、鳴郎さんも、同じ部活の仲間です。みんなお友達じゃないですか……」


 最後の方は消え入りそうな声になっていた。

しかし花山には悪いが、むしろ今の台詞のせいで千博は気が付いてしまう。

キクコだけではなく、鳴郎も部長も、正体に触れるのがタブーな存在であるいうことを。

しかし同時に、彼女の言うとおりだと思ったのも事実である。

元々千博は友だちを求めて怪奇探究部へ入ったのだ。

楽しい仲間たちと騒ぎながら、毎日を過ごす生活。

あの三人の正体が何であれ、入部の目的は十二分に果たせていた。


(べつに何者でもかまわないか……)


 楽しいクラブ生活が送れるのなら、たとえあの三人が怪物でもいいかもしれない。

そんなことを考える自分に、千博は随分この街へ毒されたものだと苦笑した。


「変なこと聞いて悪かった」


 いい加減キクコが怒りだしたので、二人は急いで彼女の元へ向かった。

プリプリ怒るキクコの文句を聞きながら、千博たちは改めて犯行に使われた車の捜索へあたる。

家一つまで描かれた地図に、チェックの印をつけること数十回。

辺りはすっかり夜になり、三人は捜査を切り上げて学校まで戻ることにした。

予想してはいたものの、そう簡単に犯人は見つからないものである。

帰りのバスの中で、少しは発見がないものかと、千博は鳴郎から聞いた目撃証言を思い返した。


 ひき逃げ事故があったのは、だいたい夜の十二時前後。

犯人は中年女性で、ショッキングピンクの車に乗っていた。

手作りのキーホルダーを見るに、子供がいる可能性が高い。


 証言を整理した千博は、そこで証言が持つ新たな意味に気付いた。

夜の十二時前後に住宅街を走る車。

ひょっとして、犯人は通勤に車を使っていたのではないだろうか。

もしそうだとすると、夕方部員たちが車を探しても、まだ帰宅していない可能性が高い。

中年女性ということで主婦だと思い込んでしまったのは失敗だった。


 捜索を終えた部員は順次校門前で集まることになっている。

そこで千博は鳴郎へ尋ねた。


「おい鳴郎、お前犯人の顔見たんだよな? その時犯人がどんな服着てたか分からないか?」


 絵のレベルから察するに、物のことはよく覚えていても、人に関しては上手く記憶できないのだろう。

彼はしばらく考え込んだ後、「たしかスーツだった」と返答した。


「やっぱりか……」

「どうしたんだよ」

「たぶんその犯人は、通勤にその車を使っている。事故った時が偶然残業だったとしても、だいたい会社って五時以降に終わるだろ? 夕方が捜索時間だと、まだ車が戻ってない可能性が高い」

「じゃあ家の車庫を探すのは、無駄足だってことかよ?」

「残念なことにな……」


 部長の尾裂き狐が何時に動いているか知らないが、少なくとも部員たちの調査は無駄だろう。

行き詰った事態に、怪奇探究部へ重苦しい沈黙が訪れた。

だが花山がおそるおそる言う。


「あの、だったら、直接被害者の霊に話を聞いてみたらどうでしょうか? 霊は自由ですし、犯人が今どこにいるか分かるかも……」


 一同は驚いて彼女の方へ顔を向けた。


「でも氷野君の話だと、被害者は完全に悪霊になってしまってるんでしょ? 話なんて聞けるからしら?」


 常夜の意見ももっともである。

千博が見たとき、被害者の愛美はとても話ができるような状態ではなかった。

しかし花山は首を横に振る。


「えっと、でも、単体じゃ話が聞けなくても、わたしに憑依させればなんとかなるかもしれません……」

「一子ちゃん、降霊する気!?」

「は、はい。でも大丈夫ですよ……? 何度かやったことありますし……」

「いくら霊媒体質でも、憑依されるのは大変じゃない! ただでさえ貴女体が弱いのに、どうしてそこまで」

「だって、可哀想じゃないですか……」


 花山が俯くと、心配そうに霊が辺りを飛び回った。

聞き取りづらい小さな声だが、それでも彼女はしっかりとした口調で続ける。


「わたし、こんなですから、小さいころからずっと色々な霊を見てるんです。中には、どう頑張っても楽になれない霊もいました……。だから、助けられそうな霊はできるだけ助けてあげたいんです……」


(花山さん……)


 臆病で大人しい少女だと思っていたが、彼女はそれだけではないようだ。

教頭に謝罪を迫られても動じなかったように、花山はこう見えて堅い意思を持っているらしい。

千博は痩せぎすの彼女ばかりに負担をかけ、何もできない自分が少し情けなかった。


「おねがいしてもいいか? 花山さん」


 千博は花山に向かって頭を下げた。


「えっ、ちょっ、頭なんて下げないでください! あのっそのっ、その娘さんが憑りついてるお母さん、どこに住んでるんですか……?」

「俺んちの三つ隣だよ。後崎さんて言うんだ。ウチの母さんが言うには、娘さんが小さいころに旦那さん亡くして、ずっと一人で育ててたって……」


 一同は、一瞬おいて表情を無くす。

愛美の母の気持ちを考えるだけで、自然と無言にならざるを得なかった。

花山が愛美の成仏を成功させても、彼女の苦しみは取り除かれないだろう。

だが憑かれたままにしておけば、いずれ愛美の母は命を落としてしまう。


 翌日の放課後、怪奇探究部は全員で後崎家を訪れた。


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