9-1
夫が死んでから、美奈子はずっと女手一つで娘を育ててきた。
夫の保険金でまかなえない部分を補うため、出産と同時にやめた会社の営業職へ復帰。
必死になって生活しているうちに、娘もいつの間にか高校生になっていた。
がむしゃらになっている時は気づかなかったが、よく働いてこれたなと美奈子は思う。
夫と死別した子持ちの女が働く苦労は、並大抵のものではなかった。
朝は五時頃起きて娘の弁当を作り、出勤前に保育園へ送る。
会社に行ったらいったで、営業先を回っては頭を下げるの繰り返し。
仕事が終われば一息つく間もなく娘を迎えに行き、帰宅してからはもちろん夕飯の支度だった。
自分でもよくここまでもったなと感心するくらいである。
だがこれもすべて可愛い娘のためだと言い聞かせ、今日までやってきた。
どんなに忙しくても授業参観には必ず行き、誕生日には顔を見ておめでとうと言ってやる。
世間から過保護な母親だと噂されたこともあるが、美奈子にとっては、そんなものただの雑音だった。
美奈子はたとえ周囲からなんと言われようとも、娘を愛しぬくと心に誓っていたのである。
だから美奈子は娘のためにならなんでもやってきた。
生活費と娘の学費を得るために、仕事で人の道から外れかけたこともやった。
後輩が取ってきた営業先を奪ったことなんてしょっちゅうである。
ライバルのミスは容赦なく責めて追い込み、上司にも所構わず媚びたおかげで、美奈子は今やいち営業所の所長だ。
胸を張って言えないことをやって来た自覚はあるが、それもこれもすべて娘のため。
美奈子に後悔はなかった。
今日も仕事を終えた彼女は、いつものようにくたくたになって可愛い娘の待つ我が家へ向かう。
いつも車で通勤している美奈子は、今少しばかり酒に酔っていた。
得意先との接待で、飲まざるを得ない状況になったのである。
しかし接待に使った料亭へは車で来てしまっていた。
本来なら代行運転を頼むべきなのだろうが、美奈子は生来酒に酔わない性質で、今も酔っているという自覚はほとんどなかった。
(これくらい大丈夫だろう)
一瞬の逡巡の後、美奈子は車に乗り込んでエンジンをかける。
料亭から自宅がある夢見の森までは一時間半。
着くころには十二時を過ぎてしまいそうだった。
なるべく早く帰りたいと、美奈子はラジオをかけながら車を急がせる。
彼女を乗せた自動車は町中を抜け、民家がどこまでも続く住宅街へと差し掛かった。
そのうち「ここから夢見の森タウン」と書かれた看板の横を通り過ぎる。
ここまでくればあと少し。
娘はまだ起きているだろうかと考えながら、美奈子は自宅のそばにある交差点へ差し掛かった。
だが、人気のない横断歩道を突っ切ろうとしたその時。
ふいに人影が現れ、美奈子が乗った車に不穏な衝撃が走った。
横断歩道には誰もいなかったはずなのに。
美奈子は体に大きな穴が開いて、血が全部流れ出ていく錯覚に襲われた。
被害者の様子を確かめなければいけないと思うが、体が座席から動こうとしない。
はねられた人間は、車体の脇でごろりと横たわっていた。
かろうじて女性だとは判別できるものの、暗いせいで顔や年齢までは分からない。
そこで美奈子は初めて、交差点の電灯が切れていることに気付いた。
「……どうしよう。どうしようどうしようどうしよう」
ハンドルを握った手をガタガタ震わせていると、元々近くにいたのだろう、少年らしき叫び声が聞こえてきた。
「おいキクコ! 人が倒れてんぞ!!」
「わーいっ! 血がいっぱいいっぱい!」
「これ、早く病院いかねーとヤベーぞ」
美奈子は心臓を握りつぶされた心地になった。
被害者はどうやら相当重度の怪我を負っているらしい。
すぐに警察へ連絡すれば、微罪ですむだろうか。
いや、あいにく今美奈子は酒を飲んだばかりだった。
いくら酒に強い体質とはいえ、飲んでから一時間と少しでは基準値以上のアルコールが出るだろう。
「ああっ、どうして――!」
美奈子はハンドルの上に突っ伏した。
まるで走馬灯のように、娘と引き離され、仕事をクビになる自分の姿が浮かんでくる。
そんな未来、許すわけにはいかなかった。
無意識か、それとも意識的にか、美奈子の足がアクセルへと伸びる。
「おいババァ! 轢いたのテメーだろ! コイツ病院に連れてくぞ!!」
少年が何か叫んでいるが、美奈子の耳には届かない。
だがいざアクセルを踏もうとすると、いつのまにか窓のすぐ横で赤い人影が立っているのに気付いた。
驚いて息を詰まらせるていると、赤い人影が言う。
「本当にいいの?」
赤い人影の正体は、赤い髪をした中高生くらいの少女だった。
外国人なのか瞳は青く、真っ白な肌をしている。
「本当にこれでいいの?」
もう一度少女が聞いた。
著しい混乱状態に陥っているせいか、彼女の言っている意味がまったく分からない。
少女はアイドルのように愛くるしい顔立ちをしていたが、今の美奈子の目には彼女が化け物のように映っていた。
「本当にこれでいいの? 本当に後悔しない?」
またもや少女がワケの分からないことを言う。
ひょっとしたら錯乱しているせいで、幻聴を聞いているのかもしれなかった。
「後悔? しないわよ!!」
美奈子は幻聴ともつかない少女の言葉を振り切るように叫ぶと、思い切りアクセルを踏み抜いた。
はねられた人間と赤い人影が一瞬で遠のいていく。
「これで、これでよかったんだ……」
もし被害者を病院に連れて行ったら、確実に美奈子は警察に捕まるだろう。
ただでさえ飲酒運転で、その上被害者が死んだら、実刑は免れない。
そうしたら仕事はクビになり、今まで気づいたものは全てパー。
美奈子の収入がなくなったら、娘は私学の高校へ通えなくなるどころか生活にも事欠くようになってしまう。
「これは娘のため。娘のためなのよ」
美奈子は家にたどり着くまで、念仏のように同じことを呟いていた。
*
朝、千博が居間へ降りると、母の里美が洋服ダンスの中身を片っ端から漁っていた。
こんな早くから何事かと尋ねれば、喪服を探しているという。
「喪服? 葬式でもあるの?」
千博が言うと、里美は眉をしかめながら答えた。
「三軒隣の後崎さんって知ってる?」
「ああ、何度か挨拶したことがあるけど」
「そこの娘さんね、昨日の夜ひき逃げにあって亡くなったの。自治会長から電話がきてね……」
千博は言葉を失った。
後崎家の娘とは、顔見知り程度だが面識があったからだ。
近所にある高校の制服に身を包んだ彼女を見て、大人しそうな人だなと思った記憶がある。
最近高校へ行く姿を見けたばかりなのに、こうもあっさり亡くなるとは。
(まぁここは夢見の森だからな……)
そう自分に言い聞かせても、やはり見知った人間が死んだショックが薄まるものではなかった。
まだ十代半ばだろうに、ひき逃げで死ぬとはひどい話だと千博は怒りとやるせなさがわいてくる。
「それでね、今日の夜お通夜があるんだけど、喪服がどこにあるかわからないのよ」
一方、母は少女が轢き殺されたことよりも、いつまでも見つからない喪服に怒りを抱いているようだった。
ただでさえ喪服なんて普段使わないのに、引っ越してきたばかりだから余計に所在が分からないのだろう。
とりあえず千博が「どこにしまったかだいたいでいいから思い出してみなよ」と言ってみても、首を横に振るばかりだった。
「全くわからないの? じゃあ寝室の方は?」
「見たわよ。でも全然見当たらないの。千博一緒に手伝ってくれない?」
「そうしたいのは山々だけど、今日は学校が……」
「いやなの?」
里美の眼力が強くなる。
彼女の手はいつの間にか千博の制服の裾を握っていた。
先程よりもグッと眉間にしわがより、今にも泣きだしそうなそぶりである。
「どうしても今夜までに喪服が必要なの。引っ越してきたばかりなのに失敗したら、私近所からなんて言われるか……」
「夜までには見つかるよ」
「でも、手伝いにはもっと早くから行かないといけないし。それにもし見つからなかったらどうするの?」
「私のことよりそんなに学校が大事?」――里美が震える声で言った。
こうなったら仕方ないと千博は腹をくくる。
なるべく早く見つけようと後片付けは考えずタンスを漁った結果、何とか間に合う時間に喪服を発見することができた。
母の礼も聞き終わらぬうちに家を飛び出し、ギリギリで教室へ滑り込む。
千博は安どのため息とともに鬼灯義兄弟へ挨拶しようとしたが、そこでまだ二人が来ていないことに気付いた。
いつもは余裕を持って登校してくるのに、二人そろって休みだろうか。
(まさか化け物に殺されたとかじゃないだろうな……)
そんな縁起でもないことを考えていると、予鈴がなる直前、二人が教室へ入ってきた。
キクコはいつも通りニコニコ顔だが、鳴郎はなぜかうんざりした顔をしている。
「どうしたんだよ?」
千博が聞くと、席に着いた鳴郎は目線だけをこちらへ動かした。
「警察にいたんだよ。一晩中事情聴取されてうんざりだぜ」
「なにやらかしたんだ!?」
「ちげーよバーカ。事故の目撃者になったんだよ。それもひき逃げの」
話を聞くと、昨日遅く、鬼灯義兄弟は社に頼まれてコンビニへでかけたらしい。
そしてその帰り道、少女が車にはねられ、加害者の車が逃げていく所を目撃したそうだ。
「ったく犯人の野郎、しばらく止まったと思ったらアクセルふかして逃げやがった」
「……その女の子はどうなったんだ?」
「死んだよ。出血がヤバくてな。オレたちケータイ持ってなかったから、近くの民家まで駆け込んで救急車呼んでさ。最初からはねたやつの車で病院行けば多分助かったと思うんだが」
「……ひどいな」
「まったくだよ。で、被害者は死んだわ、オレたちは犯人の顔を見てるわで、ケーサツが帰してくれなかったってわけだ」
鳴郎が話し終わっても、千博はしばらく無言のままだった。
動揺してたのか何なのかは知らないが、被害者を見捨てて逃げた犯人に激しい怒りがわいてくる。
すぐさま病院へ運べば助かったのだろうに、コレでは殺したも同然だ。
一体犯人は何を考えてひき逃げなんてし真似をしたのだろう――そこまで考えたところで、千博はあることに気付く。
「ひょっとしてその被害者の女の子って、高校生じゃなかったか?」
「どうして分かるんだよ?」
「いや、俺の近所に住んでる女子高生が昨夜ひき逃げで亡くなったんだ」
「あー、じゃあ多分ソレだな」
驚いたことに、鬼灯義兄弟は後崎家の娘がひき逃げされるところを目撃していたらしい。
がぜん昨夜の事故へ関心を抱いた千博は、さらに鳴郎へたずねた。
「そういえばお前さっき犯人の顔見たって言ってたよな? どんな顔だった?」
「どんな顔も何も、普通のババァだったよ。ちょっと顔が赤かったから、酒飲んでたのかもな」
「――飲酒運転か?」
「まだわかんねぇけどな」
「あとナンバーは?」
「それ、ケーサツにも聞かれたんだけどよぉ」
そこまで言ったところで、鳴郎はいきなり席を立ってキクコの頭をはたいた。
キクコは「きゃん」と鳴き、頭をさすりながら彼を軽く睨む。
「もーっ、クロったらなにするのー!」
「テメーが悪いんだろ! 狙ったかのようにナンバーの前に立ちやがってコラ。おかげで見えなかったじゃねーか!」
「むー」
「しかも千博、コイツナンバー見てなかったんだぜ」
ずいぶん要領の悪い真似をしたものである。
警察でもなぜナンバーを確認しなかったのか責められらしく、鳴郎はキクコを恨んでいるようだった。
しかし彼はすぐに楽天的な表情になって言う。
「ま、あの時間帯なら犯人もこの近くに住んでる奴だろうし、ケーサツが本気になりゃすぐ見つかると思うぜ」
「だといいけどな」
「それにナンバーは分かんなかったけど、結構変わった色した車でよぉ。珍しいキーホルダーもついてたし、なおさら見つかりやすいだろうな」
しかし世の中そううまくは行かないらしい。
鳴郎の予想とは裏腹に、事故から数週間たっても千博がひき逃げ犯逮捕のニュースを聞くことはなかった。
やはりナンバーが分からないと車を特定するのは相当難しいのだろう。
ひょっとしたら迷宮入りかと縁起でもないことを考え始めたころ。
千博は登校途中、ある女性を見かけた。
ひき逃げされて死んだ、後崎家の娘――たしか愛美といった――の母親である。
以前見たときはスーツをピシリと着こなす女性だったが、今目の前にいる彼女にその面影はまったくなかった。
几帳面にまとめていた髪はボロボロにほつれ、スーツはしわだらけ。
緊張感を保っていた頬も緩み、ここ数週間で十も二十も年を取ったかのように感じられた。
千博はすっかりやつれてしまった彼女に言葉を無くしたが、驚いたのはそれだけではなかった。
信じられないことに、彼女の背後には、死んだ娘の愛美がべったりとくっついていたのある。
愛美は、母の背中で赤い陽炎のような光の帯をまき散らしながら、耳を覆うばかりの絶叫を上げていた。
姿は事故の時そのままなのだろう、全身血でずぶぬれで、右腕はねじれ折れている。
にもかかわらず、彼女は残りの手足でセミのように母親の背中へへばりついていた。
いつかみた悪霊そっくりになってしまった愛美に、千博は思わず目をそらす。
(悪霊になると、人間ああなるのか?)
断末魔に似た声を上げ続ける愛美が、最後に見た大人しそうな彼女と同一人物とは思いたくなかった。
愛美の母親は後ろにいる娘に全く気付いてないらしく、青ざめた顔で会社へと向かっていく。
(でもどうして愛美さんは、母親に憑りついてるんだろう? 普通ならひき逃げ犯に憑りついてもいいもんじゃないか?)
その日はちょうど部活のある日だったので、千博は一同の前でその疑問を口にした。
普段なら部長が真っ先に答えるのだが、やはり霊は花山の専門なのだろう。
珍しく花山がどもりながら言う。
「あ、あのですね、霊って憎い人の所だけじゃなくてその、生前大好きだった人の所にも出るんですよ」
「そうなのか?」
「は、はい。霊は強い思いを抱いている場所や人に現れますから」
「たしかに、憎しみも好意も強い感情だもんな」
「憎しみも愛も強すぎると執着になって、霊は悪霊になっちゃうんですよ……。きっとその人、お母さんのことが大好きだったんです……」
背後霊をぎっしり背負った花山が、しんみりとうつむいた。
彼女の言うことが本当なら、突然命を奪われてしまった愛美が、愛しい母へ憑りついてしまうのもあり得る話なのかもしれない。
だが鳴郎が花山に冷めた声でつっこむ。
「お前いま霊は強い思いを抱いてる所に出るって言ったけど、オメーの後ろにいるヤツらはなんなんだよ? そんなに花山は憎まれて愛されてんのか?」
「あ、あの、わたしの後ろにいる背後霊はほとんどが浮遊霊なので。浮遊霊はなんとなく思い残しとかがあるせいでこの世に残っているだけですから……。ちょっと興味があればすぐ引っ付くんですよ」
それでも何十人もの霊に憑かれているという事実が特異なことに変わりはない。
よく大丈夫だなと千博が半ば感心していると、彼女の顔がぐっとけわしくなった。
「でも、その、わたしは超霊媒体質だから特別ですけど……。普通の人が霊に憑かれるのはすごく負担なんです。それが悪霊ならなおさら……」
「じゃああのお母さんはヤバいんじゃないのか?」
「は、はい。ただでさえ娘さんが亡くなって弱っているのに、悪霊にまで憑りつかれたら……。最悪衰弱して死んじゃうかもしれません」
花山の言葉に、部員一同は顔を見合わせた。
今朝見た愛美の母の代わりぶりは、娘が死んだせいだけではないのかもしれないと千博は思う。
現段階ではまだやつれるだけですんでいるが、一刻の猶予もないのは彼女の様子で明らかであった。
「じゃあ早く愛美さんの霊を引き離さないと。花山さん、何か方法は分かるか?」
「えっと、やっぱり一番いいのはその、成仏ですね。無理やり引きはがすと、憑かれている方にもダメージになりますし……」
「成仏、か。できるのかな……?」
相手はひき逃げにより突然命を奪われた女子高生だ。
そう簡単にこの世と母親への執着を無くさせることはできないだろう。
粘り強く説得するにせよ、愛美が憑いているのは何も知らない彼女の母親である。
説明しても信じてくれるわけがないし、成仏させる方法は一向に思い浮かばなかった。
しかし千博が頭を抱えていると、霊の専門家である花山が言う。
「……その愛美さんて人、ひき逃げで死んじゃったんですよね? あの、霊って、なんか節目というか、きっかけがあると成仏することがあるんです。だからその、彼女の場合、ひき逃げ犯が捕まればいいかもしれません……」
「でも、彼女が執着してるのは母親なんだろ?」
「そ、それはそうなんですけど……。だけど犯人が警察に捕まって、皆の前に引きずり出されて裁かれるってなれば――霊にも多かれ少なかれ心の区切りが付きますから。氷野君だって、もし自分をひき殺した人間がずっと捕まらないでいたら嫌ですよね……」
「たしかに。花山さんの言うとおりだな」
「だから犯人が捕まって、そのことを愛美さんに伝えれば、少なくとも彼女を成仏させやすくなると思います」
千博は花山の言葉に納得したが、犯人の逮捕は警察に任せるしかないことである。
どうあがいても今の時点でこちらができることはなにもなさそうだった。
しかし部長は何か言いたげにチラチラ千博へ視線を送っている。
「言いたいことがあったら言いなさいよ」
露骨なアピールをする部長へ、常夜が冷たく言った。
部長はタコのように口をとがらせながら、常夜を軽く睨む。
「もーっ、バーバーったら冷たいんだからぁ」
「で、言いたいことはなんなのかしら」
「そりゃ決まってるでしょ。ウチらでひき逃げ犯を捕まえないかって」
意外なことに、驚きの声を上げたのは千博だけであった。
こういった事件の解決は、人員の大量投入という警察にしかできない方法によるしかないと思うのだが。
しかし部長は自信満々でふんぞり返っている。
「捕まえるって――一体どうやって捕まえるんですか?」
「そりゃあいつもの手に決まってるっしょ」
部長がバチンとウインクを決めると、彼女の袖口からするりと尾裂狐が現れる。
「犯人の顔と車はキッコタンとクロちゃんが見てるから問題なし。こりゃあアタシたち大手柄かもねー」
「でもたとえ犯人がこの近くの人間だとしても、調べる範囲は広いんですよ? 部長の狐で賄えるんですか?」
「もーっ、何言ってるの千博クン。怪奇探究部の部長、尾崎八百の名前はダテじゃないよ? 任せときなって」
一体何匹尾裂狐を使役しているのかは知らないが、本当に大丈夫なのだろうか。
しかし疑わしさは残るものの、千博は自分たちの手で犯人を捕まえられるのならそれに越したことはなかった。
たとえ単なる顔見知りの関係でも、愛美を殺したに等しい犯人を野放しにしておきたくはない。
義憤に駆られているのは他の部員たちも同じようで、ひき逃げ犯を捕まえようという部長へ異議を唱える者はいなかった。
「あのババァにはなめたマネされてるからな。こうなったら徹底的に追い詰めるぜ」
特に直接犯人を見た鳴郎は強い怒りを覚えているらしい。
彼はノートを取り出してページをちぎったかと思うと、目撃した犯人の車を描き始めた。




