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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第八話 帰ってきた『妹』
30/69

8-3

「いい加減にして!! 私の妹返してよ!!」


 部長に連れてこられた先は、常夜が所属する二年の教室の前だった。

辺りには人だかりができ、その中央に常夜と小槻がいる。


「アンタが取ったのは分かってるのよ。お願いだから返して!」


 常夜は普段の落ち着いた様子とは打って変わって、大声で小槻にまくし立てていた。

一方小槻は学生かばんを胸に抱えながら余裕の笑みを浮かべている。

カバンからは、見覚えのある人形の腕がのぞいていた。


「体育が終わって戻ってみたら、バーバーの妹がいなくなってたんだって。そんで教室の外に飛び出したら、小槻がニヤニヤ笑って立ってたみたい」


 戸惑う千博たちへ、部長が事のあらましを説明する。

おそらく昨日の報復のため、小槻は常夜の妹を盗んだのだろうと千博は思った。

常夜を狙ったのは自分と同じクラスで、なおかつ盗まれて困るものが分かるからか。

わざと分かるように盗むあたり、小槻の性格の悪さがよく現れていた。


 常夜に怒鳴られても迫られても、小槻はどこ吹く風である。


「ボクが盗んだ証拠なんてドコにあるのー? 言いがかりはやめるんだもん」

「アンタが持ってるカバンから出てる腕が証拠よ! アレは私の妹なの!」

「プププ―。これはボクが持ってきたボクの人形なんだな。それに人形を妹なんてキミ頭おかしいんじゃないのー?」

「平気で盗むアンタよりマシよ!!」


 ついに理性の限界に達した常夜が、小槻のカバンを奪いにかかる。

すると小槻が巨体を左右に振りながら、超音波のような悲鳴を上げた。


「イヤアアアァァァッ!! なにすんだよブス! ブス! ブス! ボクが可愛いからってブスがイジワルするーっ!!」

「ふざけんじゃないわよ!」

「バーカ! バーカ! 人形しか友だちがいない根暗のくせにぃっ! それにその髪型はボクのパクリなんだぞ! なのに男子にチヤホヤされて! ビッチ! ビッチィっ!」

「いい加減にしなさいっ!!」


 常夜がついに小槻のカバンを掴んだ。

しかしカバンを引き寄せるより先に、常夜の白い首へ赤い線が走る。

それが小槻の爪によるひっかき傷だと気づくのに、千博は少し時間がかかった。

周囲もしばし間を置いてから非難の声を上げる。

特にクラスのマドンナを傷つけられた男子からは、罵詈雑言の怒声が飛んだ。


「ひどいっ! みんなをボクがいじめるぅ。みんながボクにイジワルするうぅっ!!」


 周囲の暴言に耐えかねた小槻は、金属音のような甲高い悲鳴を上げた。

同時に、人垣に体をぶつけながらその場を走り去る。


「常夜先輩大丈夫ですか!?」

「お願い! 私よりアイツを追いかけて!!」


 そういえば、小槻のカバンには常夜の妹が入ったままだった。

これはマズイと急いで後を追うが、今は昼休み中である。

廊下はうろついている生徒だらけで、いくら足の速い千博でもかわしながら走るのは骨が折れた。

おまけに相手は平気で人を突き飛ばしながら逃げているらしく、差は開く一方である。

それでも何とか背中までは見失わずに追いかけていると、小槻は上履きのまま昇降口を飛び出した。

どこに行くかと思えば、校門のすぐそばに車が止まっているのが見える。

視力の良い千博は、車の外に立っているのが小槻の父親だと分かった。

きっと小槻はこのまま父親の車に乗って逃亡するつもりなのだろう。

もしかしたら最初からこの親子は、常夜の『妹』を盗んで逃げるつもりだったのかもしれない。


 なんて非常識な親子だと千博は思った。

娘の方はともかく、彼女を諌めない父親はどうかしている。

千博は唖然としたが、とにかく逃がすまいと必死に小槻の後ろを追った。

幸い外は障害物がないので、運動神経抜群の千博と肥満体の小槻の間は瞬く間に縮まっていく。

しかしあとちょっとの所で、小槻が父親の車に飛び乗った。


「待て!」


 小槻の父はすでに車に乗ってエンジンをかけている。

とっさに千博は乗り込み口へ手をかけたが、小槻がドアを閉めるのをためらうことはなかった。

閉じる瞬間、ほんのギリギリの所で、千博はドアと車の間から指を引き抜く。

ドアが閉まると同時に、小槻親子を乗せた車は猛スピードで校門前から走り去っていった。

もしあと少し手を抜くのが遅れていたら、千博の指は切断寸前となっていただろう。

他人がケガをしようがどうなろうがお構いなしの親子に、千博は怒りよりも戦慄の方が先に立った。


 ゾッとして指をさすっていると、校舎の方から鳴郎が走ってくるのが見える。

彼の後ろには常夜と部長もいて、三人とも千博と小槻を追いかけてきたらしい。


「おい、お前大丈夫か!?」


 校門の前までたどり着いた鳴郎が千博に言った。


「なんとかな。それにしてもとんでもない奴らだ」

「見てて驚いたぜ。アイツら頭おかしいんじゃねーの?」


 続いて常夜と部長が校門のところまでやって来る。

常夜の姿を見るなり、千博は深く頭を下げた。


「申し訳ありません常夜先輩。妹さんを取り返せませんでした」

「いいのよ。氷野君が悪いわけじゃないわ」


 常夜は気丈にも微笑んでみせるが、その顔には黒い影が深く落ちている。

肌身離さず持ち歩いている「妹」同然の人形が盗まれたのだ。

動揺するなという方が難しかった。


「常夜先輩、無理しないでください。誰だってこんなことになったらショックですから」


 だが常夜は意外にも首を横に振る。


「ううん、違うの。私は別に妹を取り返せなかったことがショックなんじゃないの。私が気にしてるのはね、アイツらの末路よ」

「どういうことですか?」


 千博が尋ねると、常夜はゆっくりと低い声で呟いた


「私の妹――いいえ、あの人形の中に入っているのはね、祟り神に変じた魂なのよ」


急に肌寒さを覚えて、千博はゾクリと身震いをした。

部長と鳴郎は特に表情を変えぬまま、話の行方を見守っている。


「……祟り神、ですか?」

「ええ。あの人形の中に入っているのはね、非業の死を遂げ、恨みのあまり祟り神になった女の子なのよ」

「い、一体どうしてそんな恐ろしいモノが、常夜先輩の人形の中に……」

「私の先祖が人形にその魂を封じ込めたからよ。記録によると、その御霊を封じ込めたのは戦国時代。それから私の一族は、つねに長女がその人形――いえ、正確には人形に封じ込められた魂の『姉』になって、彼女を慰めてきたわ」

「でも、先輩の『妹』はキレイなフランス人形じゃないですか」

「『妹』はね、『姉』になる女の子が生まれるたびに人形からだを変えるのよ。つまり『わたし』がそのうち女の子を産んだら、『妹』はまた別の人形に移ることになるってわけね」


 今「妹」が入っているというフランス人形は、恐らく常夜が生まれた時に用意されたのだろう。

余りに荒唐無稽な話だったが、夢見の森に馴染んできた千博はまったく疑わなかった。

むしろだから人形が動いていたのだと、腑に落ちた気分である。


「じゃあ、なおさら早く取り返さないとマズいんじゃないですか?」


 千博が尋ねると常夜はまたもや首を横に振った。


「無駄よ」

「え?」

「昔から似たようなことがあったから分かるわ。わざわざ何かしなくても、『妹』は絶対に『わたし』の所へ戻ってくる。たとえどんな手段を使ってもね。そして『わたし』から自分を引き離した人間を、『妹』は決して許しはしない」


 「あの人たち、近いうちに死ぬわ」――そう言った常夜の声は、静かで何の感情も籠っておらず、それが逆に恐ろしかった。












 目の前では、腰まである黒髪を綺麗に切りそろえた女の子が泣いていた。

年は、十歳前後だろうか。

色は抜けるように白く、顔はうつむいているため分からない。

神社にいる巫女のような格好をした少女は、家の形を模した檻に囲われていた。


 少女はすすり泣きながら言う。


「早く帰りたい」


 どこに――千博が聞くと、少女はか細い声で答えた。


「姉様の所に」


 姉様って誰。


「鈴姉様」


 どうして帰れないの。


「家が邪魔なの」


 千博は彼女の周りにある鉄格子は、やはり家なのだと思った。

少女はまだ手で顔を覆い隠して泣いている。


「家が邪魔なの」


 そうか。


「家が邪魔なの。お家の人が邪魔するの」


 そうなんだ。


「だから――」


 そこで初めて少女は顔を上げた。

いかにも日本の少女らしい、小さな鼻と紅色の頬。

しかしその両目がある部分には白目も瞳もなく、ひたすら真っ赤な眼球がはまっていた。


 先ほどのか弱い声とは一転、地鳴りのようなおどろおどろしい声で少女が呟く。


「――だから、家も人も壊して帰る」













 千博が目を覚ますと、まだ部屋の中は暗かった。

夜に支配された室内で、電子時計だけが心もとない光を放っている。

時刻は午前二時。

変な時間に起きてしまったと思っていると、消防車のサイレンがいくつも近づいていることに気付いた。

もしかしたらこの音のせいで目が覚めてしまったのかもしれない。

サイレンが家から近いところで止まったのでカーテンを開けると、近くの空が赤く染まっているのが見えた。

赤い空の下には黒い煙がもうもうと立ち上っており、寝ぼけた頭でも大きな火事があったのだと分かる。

こりゃあ気の毒だなと思ってから千博は再びベッドへ戻ったが、その時ふとたった今まで見ていた夢を思い出した。


 鉄格子の家に囚われた、赤い眼球をした少女の夢。


 なぜか眠る気が失せた千博は、起き上がってもう一度窓の外を覗き込んだ。

先程よりも明らかに、夜空を染める赤が広くなっている。


(見に行こうかな……)


 普段野次馬をする性質ではなかったが、なぜかこの時だけはそう思った。

千博はTシャツにジャージという就寝姿のまま、静かに靴を履いて玄関を出る。

火事の方向は炎を映す空を見れば一目瞭然だった。

外は同じく野次馬に出た住民たちで騒がしく、千博は彼らとともに現場へ向かう。

窓から見たとおり、火事の現場は自宅からさほど離れていない場所にあった。

確か大きな一戸建てがあったはずだが、炎に覆われているせいでどんな建物だったかは正確に思い出せない。

燃え盛る火の海には熱で上昇気流が発生し、それが火の粉を天高く空へと舞い上げている。丑三つ時に突如現れた火柱に千博はしばし圧倒されていたが、背後から聞き覚えのある声がしてすぐ我に返った。

振り返ると、すぐ後ろで鳴郎が片手を上げ、彼の隣にはキクコが笑っている。


「鳴郎? それに鬼灯まで一体どうしたんだ?」

「お前と同じだよ。呼ばれてきたんだ」

「呼ばれた?」

「ほらよ。部長たちもご到着だぜ」


 鳴郎が指さすのでそっちへ視線をやると、部長、常夜、そして花山までもが野次馬の中に混じっていた。

確かこの三人は、千博の家とはまるで逆方向に住んでいたはずだ。

学校へ行くより遠い距離を、わざわざ火事を見るためだけにやって来たのだろうか。


「どうして三人ともこんな所に!?」


 千博が聞くと、部長が頭をかきながら言う。


「いやー、呼ばれちゃったら行かないわけにはいかないからねぇ~」

「呼ばれたって、何にですか?」

「そりゃ姉妹感動の再開に決まってるでしょ」


 らちが明かないので花山の方を見ると、彼女はオロオロしながら常夜と燃える家を交互に眺めていた。

常夜の方は一切の感情を顔に出さぬまま、燃え盛る一軒家を見詰めている。


「そろそろね」


 「何が」と千博は聞こうとしたが、その声を男の怒号がかき消した。

声がする方へ顔を向けると、見知った顔の中年男性が消防士に支えられて家の中から出てくる。

煤で汚れてはいるものの、その男が小槻の父親だということはすぐに分かった。

言葉を無くす千博をよそに、小槻の父親は消防士を振り払おうとしながら叫んでいる。


「家には! 家にはまだ娘が! 妻が! 美麗がいるんだ! 美麗が!!」


 「落ち着いて!」と消防士が彼を救急車へ引きずりながら答える。


「美麗が! 二階に! 美麗が! 妻と一緒に! 娘がぁっ!!」


 この燃えている家の持ち主が誰なのか、考えるまでもなかった。

立派だった一軒家は、何台もの消防車に取り囲まれながら、さらに炎の勢いを増している。

救助に入れる状態でないことは、素人の千博でも分かった。

配備された消防車が次々と放水するが、それでもなお炎は燃えるのをやめない。


「美麗! 美麗! 美麗!」


 自身も相当の火傷をしているだろう小槻の父親は、救急車に押し込まれて病院へ運ばれていった。

「これじゃあ助からないわよねぇ」という野次馬の声が、千博の耳にぼんやりと聞こえてくる。


 偶然だと思いたかった。


 人形を盗んだ小槻の家がその日の夜に燃え、小槻とその母親が取り残されたのは、きっとと偶然だと思いたかった。

たかが人形一つに、こんなことをする力があるわけがない――そう千博が自分に言い聞かせている最中だった。

戸建の二階部分が大きく爆ぜ、空中へ室内の物をまき散らしたのは。

火のついた小物は一旦空へと大きく舞い上がり、やがて一直線に地面へ落ちてくる。

近くにいた野次馬たちは一斉に顔を腕でかばったが、なぜか千博の横にいる常夜だけは別だった。


 まるで何かを迎え入れるかのように大きく腕を広げ、空を仰いでいる。


「ほら、帰ってきたわ」


 まもなく無防備な常夜の胸に飛び込んできたのは、傷一つないフランス人形であった。











 学校からの帰り道、千博と鬼灯兄弟は少し道を変えて小槻邸のあった場所へ来ていた。

昨日まで広い庭に囲まれていた一戸建ては、今や炭と瓦礫の山と化している。

火が消えてからもう半日以上たっているのに、辺りには煤けたにおいが消えずに残っていた。

玄関があった場所に置かれている菊の花束を見て、千博は今朝の新聞に載っていた見出しを思い出す。

『深夜の住宅街で火災。一軒が全焼し二名が死亡』――死んだのは言うまでもなく、家に取り残されていた小槻と、その母親だった。

新聞によると、半分崩れた二階から二人の焼死体が発見されたという。

父親の方はというと、命に別状こそなかったものの、ショックで廃人状態だと部長から聞かされた。


「小槻たちは、『妹』さえ盗まなけりゃこうならなかったのか……?」


 「あの人たち、近いうちに死ぬわ」――常夜の言葉が現実になってしまった今、千博はそう思わざるを得なかった。

嫌がらせ目的で「妹」を盗み、常夜から引き離した彼らは、人形の逆鱗に触れ、殺されたのではないだろうか。

娘と妻だけが死に、娘を溺愛していた父親だけが生き残ったのも偶然とは思えなかった。


「ああそうだろうな」


 鳴郎が千博の問いをあっさりと肯定する。

驚かないと言えば嘘になったが、答えは分かっていたようなものなので別に取り乱すほどでもなかった。


 狙ったような大火事。

その中から無傷で常夜の元へ帰還した人形。


 むしろ違うと言われた方が信じられないくらいだった。


「でもいくらなんでも殺すことはないだろ。しかも無関係な母親まで巻き込むことはないじゃないか」


 千博は思わず口にしたが鳴郎はそれを鼻で笑う。


「あのな、祟り神にそんな理屈が通用するワケねーだろ。アイツらにとっちゃ、自分の邪魔をされただけで殺すには十分なんだ。人間の通りや理屈がいつも通じると思うんじゃねーよ」

「でもな……」

「それに今回の結果はあの小槻親子が自分で選んだんだぜ? オレ達に捕まった時点で引き返してりゃ、こうはならなかったんだ。アイツらは自分で破滅の道を選択しちまったのさ」


 確かに千博たちに捕まった時点で心を入れ替えていれば、こんなことにはならなかっただろう。

今思えば、あの時が小槻親子の運命を左右する分かれ道だったのかもしれない。


 黙りこくる千博へ鳴郎はさらに続ける。


「人間の人生にはな、たいてい何回か分かれ道があるもんさ。受験とか就職とかじゃねぇ、もっとわかりにくい分かれ道がな」

「……そうなのか?」

「そうなんだよ。例えば、誰かの忠告を聞くか聞かないかとか。自分の家族のことをよく知ってるかとか。何も考えず勢いだけで突っ走ってると、まず引っかかる。千博、お前は気をつけろよ」


 鳴郎の言っていることは分かりづらかったが、伝えたいことはなんとなく分かった。

きっと彼の言うように、人生にはその後を大きく左右するターニングポイントがいくつも隠されているのだろう。

千博はまだ十数年しか生きていないし、言った鳴郎もそうだったが、彼の言葉は本当のような気がした。


(つまり調子に乗って生きるなということか)


 千博は鳴郎の言葉をそう解釈した。

人生の分かれ道がどこで待っているかなんて、人間には分からない。

選択した結果がどうなるかなんて、神様でもない限り予知することはできない。

だが自分を過信せず周囲を省みていれば、きっと最悪の選択をするのは避けられるだろう。


「ありがとう鳴郎」


 鳴郎に礼を言った千博は、瓦礫へ向かって手を合わせた。

散々盗みを重ねてきた小槻美麗だが、殺されたとなるとさすがに心が痛む。


「ちひろはやさしいね」


 そう言ったのは、今まで黙っていたキクコだった。


「別に優しくなんてないよ。手を合わせるなんて誰でもできる」

「でもよかったね」

「なにが?」

「小槻さんもうドロボウしなくなったもん」


 「ワタシの言ったとおりだったでしょ?」――キクコは満面の笑みを浮かべていた。


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