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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第七話 鬼灯家の墓
27/69

7-4

 ボリュームを最大にしたスピーカーでの読経は、小さな倉庫内をすぐさま埋め尽くした。

千博を含めた皆は耳をふさぎ、暴力的な音量に耐える。

余りに音が大きいので耳を閉じていても経が聞こえてきたが、その声音は先ほどの住職のソレとは大違いだった。

腹から出た声が朗々と響き、ある種音楽のような芸術性さえ感じさせる見事な読経である。

この読経を聞いてしまうと、住職の経がどれだけ稚拙なものだったか実感せざるを得なかった。

声量・抑揚・そして声の質と、スピーカーから流れる経と住職の経は何もかもが違ったが、なにより一番違うのは「心」だと千博は思う。

今倉庫の中で響く経は、スピーカー越しでも分かるほど、心や精神など形にはならない物が詰まっていた。

おそらくこの経を読んだものは、誠心誠意、心を尽くして収録に挑んだのだろう。

対して先ほど聞いた住職の経は、適当に字面を追っただけのものだったと千博ははっきり意識した。

形さえそこそこモノになっていれば、後は死者の魂や遺族の気持ちなどどうでもいい――そんないい加減な気持ちが、結果としてオンモラキを呼び寄せたに違いない。

スピーカーからの読経は、時間がたっても最初の勢いを落とさず、緊張感と厳かな空気を保ったままである。

親戚たちを見ると、彼らは耳をふさぎながら「早く止めろ」と目で訴えていたが、ここでテープを止めるわけにはいかなかった。

途中で経を止めたら、オンモラキは絶対この場を立ち去ることはしないだろう。

あの鳥たちがどれだけの経で満足するか。

そもそもテープの録音でいいのかも分からなかったが、千博はそれだけは確信を持って言えた。

テープの音量はオンモラキの鳴き声よりも大きいため、まだ奴らがいるのか気配を探っても分からない。


(お願いだから上手くいってくれよ――!)


 千博がそう祈っているうちに、荘厳なる読経は幕を閉じた。

後に残るのは、厳かな空気と張りつめた静寂。

テープが切れる音がしても、オンモラキの鳴き声が聞こえてくることはなかった。


「いなくなった……のか?」


 耳をふさぐのをやめ、千博はあたりの物音を探る。

いくら耳をすましても、鳴き声はおろか、羽ばたく音さえピタリとしなくなっていた。

どうやらあの怪鳥の大群は、千博の狙い通り録音した読経で満足してくれたらしい。

千博は安堵のあまり全身から力が抜け、その場にへたり込んだ。

周りの親戚たちも、鳥の気配がしなくなったことに驚き戸惑っている。

そのうち伯父がおそるおそる扉を開け、外の様子を確認した。


「いない。全部鳥がいなくなってる」


 開いた扉の向こうに広がるのは、ごくありきたりな寺院の光景だった。

ここからは手入れされた庭木と梵鐘が見え、黒い鳥の姿など影も形もない。

千博はオンモラキがこの寺から完全に姿を消したのだと確信した。

外に出た親戚たちは一様に首をかしげ、なぜいなくなったのだろうと囁き合っている。

そのうち従弟の重雄が千博に聞いた。


「千博くん、本当にお経で鳥がいなくなったのかい?」

「多分、そうだと思います」

「あの鳥、一体なんだったんだろう。見たことない種類だったし、行動も明らかにこっちを狙ってたし……」

「狙ってたのは、こっちじゃありませんよ。あの鳥は住職だけを狙っていたんです」


 そういうと千博は倉庫から出てくる住職の方を睨んだ。

こっちの話が聞こえていたらしい彼は、千博に負けずと睨み返してくる。


「鳥がオレを狙ってただとぉ? どういうイミだクソガキ」

「どういう意味もそのまんまの意味だよ。あの鳥はアンタを狙ってたんだ。アンタのはらわたを食らい尽くすためにな」

「何を根拠に――」

「アンタ相当手を抜いてお経上げてただろ。あの鳥の数からして、ずっと昔からか。あの鳥はロクに経を上げてもらえなかった死霊だよ。アンタを恨んで鳥になって化けて出たんだ」


 千博が言い切ると、住職は何を馬鹿なことをと笑い出した。

確かにいきなり死霊だ化け物だと言っても向こうが信じないのは分かっている。

それでも千博は引き下がらなかった。


「別に笑いたきゃ笑えばいいさ。でも最後に泣きを見るのはアンタだ。今までの分は今日何とかなったからいいが、心を入れ替えないと、また死霊たちがオンモラキになる日が来るぞ。その時も今日みたいに上手くいくといいな。失敗したらアンタは鳥に食い尽くされて死ぬことになるんだ」


 真剣な面持ちで千博が言っても、住職は馬鹿にしたように笑うばかりだった。

だが千博は彼がこちらの言い分を信じなくても別にいいと思う。

こちらはやれるだけのことはしてやったのだ。

襲いくるオンモラキから守り、撃退し、これからのことも警告した。

目の前で殺されるのは見てられないと、守る義務もないのに親戚一同巻き込んで、暴言を吐かれても見捨てなかったのだから、十分人としての責務は果たしたはずである。

だからこれから住職が何の反省もせず、また同じことを繰り返し、結果殺されたとしても、それが彼の運命なのだろうと思った。

少し冷たいかもしれないが、住職の選択を千博はどうすることもできない。


「せいぜい長生きしろよ」


 いつか鳴郎が言ったのと似たようなセリフを、千博は住職に向かって呟いた。













「千博くんやるじゃない。中一なのに見上げたもんだわアナタは」


 木成家代々の墓の前で、祖母の妹の娘、由美が上機嫌そうに言った。

それを聞いた千博は墓石に柄杓で水をかけながら苦笑する。

オンモラキを撃退した後、千博と親戚一同は、そのまま祖母の眠る木成家の墓を訪れていた。

本来なら本堂での読経を終えてから、住職とともに墓前へ行く予定だったが、彼への不信感から一同は僧職抜きで墓参りすることに決めたのである。


「そう大したものでもありませんよ。偶然上手くいっただけですし」


 柄杓を桶に戻しながら千博が答えると、由美はぶんぶんと首を横に振った。


「そんな謙遜しないで。実際大したものよ。住職をガツンとこらしめてさ、最後はあの鳥を使って上手く説教までしたんだから。アタシ思わずスカッとしちゃった」

「そ、そうですか?」

「でもよく考えたわよね。鳥って大きな音が苦手だもん。カセット大音量で流せばそりゃ逃げるわ」

「偶然テープを見て思いついただけですよ」


 実際オンモラキが逃げたのは大きな音を嫌がったせいではないのだが、そういうことにしておいた。

「あの鳥は妖怪でお経に満足して逃げたんです」なんて言ったら、せっかくうまく収まったのに面倒臭いことになってしまう。

伯父も「千博くんの雄姿をお義母さんも喜んでるよ」と笑っているし、他の親戚からも称賛の言葉をもらって、千博は少し照れてしまった。

まああの住職とはいえ人助けはしたし、言うべきことも言ったので、天国か極楽にいる祖母も少しは喜んでくれているのではないかと思う。

千博は少ししんみりした気分になりながら、親戚たちと共に祖母の墓前で手を合わせた。しかし子供たちはかしこまった雰囲気の中でも通常運転である。


「もういい? おなかすいたー」

「はやくかえろうよー」

「コラ! アンタたち静かにしなさい」


 ただでさえつまらない法事に付き合わされた挙句、鳥に追いかけられて倉庫に閉じ込められたのである。

ダダをこねても仕方ないなと思っていると、じっとしているのが嫌になった二人は墓の周りをぐるぐる回りだした。


「ダメでしょっ! お墓の周りを走らないのっ!!」

「えー、だって」

「つまんないー」


 由美が走って追いかけても、狭い墓地の中では子供たちが有利である。

なかなか捕まえられず由美が苦労していたので、千博は彼女に加勢し子供たちを追いかけた。

妹の方はすぐ捕獲したのだが、小学生の弘毅の方は素早くて上手く捕えられない。


「いい加減にしろ! お墓で走るな!」


 こうなったら作戦変更だと、千博はただ後を追うのをやめ、待ち伏せをすることにした。

あきらめたふりをして、いずれ通りそうな場所に身を隠す。

しばらく待っていると狙い通り弘毅が走ってきたので、千博は彼が通り過ぎる瞬間に腕をつかんだ。

少年はバタバタ暴れて抵抗するが、たくましい千博から逃れることはできない。


「わーっ! つかまったー」

「お墓は死んだ人が眠ってるんだぞ。邪魔しちゃダメだ」

「えー」

「ほら、とりあえずこのお墓に謝れ」


 千博はちょうど目の前にあった墓を指さす。

何気なく墓標を見ると、そこには「鬼灯」と記されてあった。


(鬼灯? 同じ苗字があるもんだな)


 言うまでもなく、鬼灯はかなり珍しい姓である。

こんな所で見かけるとは思っていなかったので、ついくわしく眺めると、左の側面には「鬼灯鳴郎」「鬼灯キクコ」と刻まれていた。


「えっ?」


 名前の上に享年が刻まれているから、どうやら埋葬者名のようである。


(こんな偶然あるのか?)


 キクコの方はともかく、鳴郎という名前はかなり珍しい。

めったにない氏名の兄妹と同じ名の人間が二人、しかも同時に同じ墓へ入れられているなんて。

驚いた偶然もあるものだと思った千博は、さらにまじまじと墓碑へ目をやり、そしてつい声を上げた。


『没年昭和二十一年 享年 三百一歳 鬼灯鳴郎』

『没年昭和二十一年 享年 百四十二歳 鬼灯キクコ』


 そう、この墓に眠っている二人の享年がどう考えてもあり得なかったからである。


「なんなんだこの墓! めちゃくちゃだぞ!?」


 思わず声を高くすると弘毅が「お墓では静かにしないとダメだよ」と注意した。

さすがにこれ以上大声を出すことはしなかったが、でたらめな享年の刻んである墓石へ目が釘付けになる。

同じく昭和二十一年に死んだ、三百一歳の鬼灯鳴郎と百四十二歳の鬼灯キクコ。

今でさえ人間は百二十歳以上生きられないのに、当時の人間がこんな長い歳月を生きられるはずがない。

ひょっとしたらイタズラで作ったはりぼてかとも思ったが、墓石は御影石でそれなりの年月を経た風合いがあった。


「どうみても本物のお墓だよなコレ……?」


 もし墓碑に刻まれた名がキクコと鳴郎でなければ、単なる彫り間違いだと思ったかもしれない。

しかし記された名が「あの」鬼灯鳴郎と鬼灯キクコだったため、千博はどうしても見過ごせなかった。

人間を超越した身体能力を誇り、圧倒的な力を持って化け物を屠るキクコと鳴郎。

あの二人の存在は、曲者ぞろいの怪奇探究クラブでも異彩を放っている。

だからこそ二人の名とおかしな享年が記された墓石を、ただの偶然と間違いだとすませることはできなかった。

まさかあの二人がすでに死んでいるとは思わないが、何か関係があるのではないかと疑わざるを得ない。


(一体何なんだろうこの墓は……)


 考えをめぐらせてみるが、おかしな享年と埋葬者名だけでは何もわからなかった。

墓の前で立ち尽くす千博に、まだ腕を掴まれていた弘毅が口をとがらせる。


「オレもうあやまったよ。だからもうみんなのトコいこー」

「あ、ああ。そうだな」


 いくら気になるとはいえ、いつまでも墓の前にいるわけにもいかない。

若干名残惜しい気もしたが、千博は弘毅とこの奇妙な墓の前を立ち去る。

墓石の裏に「建立者 鬼灯社」と刻まれているのには、最後まで気が付かなかった。

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