6-3
中学生男子が姉と風呂に入るなんて、そうそうないことなのに――。
まさかソレを、よりによって血のつながってない兄弟同士がするとは思わなかった。
聞けば二人は、何度も一緒に入浴したことがあるという。
(なんつう不届き者だ――!!)
千博はすまし顔で答える鳴郎を殴りたい衝動に駆られた。
キクコは中一にしては発育がよく、制服越しでも出るべきところが飛び出ている。
そんな彼女と一つ屋根の下で同居どころか、あまつさえ一緒に風呂まで入るとは。
「鳴郎! 俺は男としてお前を許さないぞ!!」
「は? なにキレてんだよ?」
「とにかくこれからは絶対ダメだからな! 鳴郎! お前は一人で風呂に入れ!」
「……はぁ?」
「じゃないと俺はお前を殴る!」
鳴郎は意味が分からないといった顔になりながらも、「分かったよ」と言った。
この鬼灯鳴郎という男、美少女に囲まれて体を触られても顔色一つ変えないし、キクコと風呂に入るのも大して気に留めてない様子である。
中学生男子といったら、常に女子への関心と桃色の妄想でいっぱいのはずなのだが、彼は一切興味がないようだった。
個人差があるにしてもまったくの無関心ぶりに、こちらが心配になるくらいである。
(まさか、ソッチの趣味とかじゃないだろうな……)
うすら寒い考えが頭をよぎり、千博はそれを慌てて振り払った。
シロが風呂から上がると、次にキクコが風呂場に向かう。
「次はクロちゃんの番だからいいとして、そっからの順番はどうするー?」
部長に聞かれたので、まず自分は一番後回しでいいと千博は答えた。
髪の手入れやなんやらがあるだろう女性陣に比べて、男の千博はシャワーを浴びるだけでこと足りるからだ。
しかし時間や手間を考えて答えたにもかかわらず、部長の顔がニヤリと歪む。
「あー、千博クン。ひょっとして残り湯でどうとか考えてなーい?」
「残り湯? 俺はシャワーだけで済ますつもりですけど」
「ありゃ? え? ひょっとして千博クンって結構ピュア系?」
「は?」
意味が分からず首をかしげていると、常夜が「馬鹿なこと言わないで」と部長の腕をはたいた。
同じく意味を理解できてないだろう花山が常夜に尋ねる。
「あのぉ、残り湯でどうとかって、どういう意味ですか……?」
「いいのよ。一子ちゃんは知らなくて」
「あのねイッコちゃん、残り湯って今まで入った人間のダシが……」
「いい加減にしなさい!」
常夜が叫ぶと同時に、部長の背中を鳴郎が蹴り倒した。
久しぶりに見る部活内バイオレンスである。
そうこうしているうちにキクコが風呂から上がり、今度は鳴郎が入る番となった。
人数が多いため、それから千博の番になるまでには時間がかかり、結局千博がシャワーを済ませるころには十時半を過ぎていた。
「ねぇねぇ、ちょっと遅いけどせっかく泊まりに来たんだし、これから千博君がもってきたお菓子食べない?」
千博が風呂から出たところで、シロが茶目っ気たっぷりに言う。
そろそろ夜食が欲しくなってきていた部員たちは二つ返事で賛成し、リビングには瞬く間に甘味類が並べられた。
死神ピエロが来るまで、あと一時間半。
ひょっとしたら死ぬ危険性もあるのに、皆不安の色は一切なく、お泊り会の夜を存分に楽しんでいる。
ピンク、ミントグリーン、オレンジと、それぞれのパジャマの色が目にまぶしい。
湯上りの女の子たちのパジャマ姿は、思春期真っ只中の千博にとって目の毒以外の何物でもなかった。
心なしか白い肌を桃色に染めた社が始まりの音頭を取る。
「じゃあさっそく、お菓子を食べましょうか」
だが彼女が菓子皿に手を伸ばそうとすると、それを阻むかのようにケータイの着信音が鳴り響いた。
どうやら社のパジャマから鳴っているらしい。
電話を取った彼女は二言三言話すと、廊下へ出ていき、数分後暗い顔で戻ってきた。
「うわーん、また仕事が入っちゃったよー。〆切終わったばっかりなのにー!」
泣きそうな顔で「今から仕事しないといけないから」と言うと、社は肩を落としながらリビングを去って行った。
どんな仕事が入ったのか分からないが、すぐに終わるモノでないのは確かなようだ。
「アイツ漫画家だからな。しかも最近アニメ化するとかで、結構忙しいんだよ」
作家など物書きの類ではないかとうすうす予想していたが、まさか漫画家だったとは。
千博は鳴郎の説明を聞いて驚くと同時に、申し訳ないことをしてしまったと思った。
「疲れてるところに悪いことしちゃったな。こんな大勢もてなすのは大変なのに」
「場合が場合だししょーがねーだろ。特にお前は一人じゃ危ないしな」
「スマン」
「謝ることじゃねぇよ。お前は一般人なんだから。さて、待ってたら夜が明けるし菓子喰うか」
そう言って鳴郎は皿に盛られたチョコレートへ手を伸ばした。
他の部員たちも、次々可愛らしい形をした菓子を取って行く。
一方千博は、ほぼ自分のために買ったしょうゆ煎餅をひたすらかじっていた。
もうすっかり辺りも静かになった、深夜のスイーツタイム。
甘い物がそろった場所に女が四人、しかも中学生となれば、おしゃべりに花が咲かないわけがない。
今日クラスであったことや興味のあるファッションブランドなど、取りとめのない話がコロコロ話題を変えながら続いていく。
「ウチの学校の制服ってさー、前から思ってたけどチョーダサくない?」
「確かに今時紺のジャンバースカートはないわよね。セーラーがいいんだけど」
「えー? セーラー? ないない。今はチェックのスカートとブレザーだし」
「今は『なんちゃって制服』があるから、部長それ着たらどうですか?」
「一子ちゃん、ソレ校則違反じゃない」
「部長なら平気ですよ」
「えー、それどーゆーイミぃ? でもなんちゃって制服イイかも。カワイイの多いし」
「ちくわ大明神」
「そーいえばカワイイで思い出したんだけどさぁ、今年出たデステニーシーのダッヒィのハロウィンコスチューム激カワなんだよねー」
「え!? もう出てたんですか!?」
「うん。早くいかないと無くなっちゃうゾ」
「とはいっても、私たち学生の身分だとなかなか厳しいわよね。お小遣い貯めても足りないし、親に頭下げないと」
「ダッヒィマジ鬼カワだわ。千博クンもそー思うよねー?」
とどまる所を知らぬ「ガールズトーク」に圧倒されていた千博は、いきなり話を振られ、「え!? 俺ですか!?」と叫んだ。
しかも悲しいことに彼女らが話す「ダッヒィ」とやらが何なのか全く見当がつかない。「デステニ―シー」は千葉にある東京の遊園地「デステニ―ランドシー」だと分かるのだが。
「すみません部長、ダッヒィってなんですか?」
「ええっ!? 千博クン今時ダッヒィ知らないの? クマだよクマ! シー限定のテディベアなの。大人気なんだけど!」
「し、知りませんでした」
「関東の女の子ならみーんな持ってるよ。クマキャラはやっぱりダッヒィが一番だよね」
そう言われても「ダッヒィ」の姿かたちさえ分からないので、みんなに合わせて千博は適当に相槌をうっておいた。
鳴郎も話についていけてないのだろう。
じっと黙って少女たちの会話を見ている。
しかし千博がそう思ったのも束の間だった。
むっつりしていた鳴郎の口からとんでもない言葉が発せられたのである。
「テメェらさっきからダッヒィダッヒィうるせぇけどな、「クマモソ」のこと忘れんなよ」
彼が言う「クマモソ」が何なのか、それは千博も新聞やニュースで知っていた。
たしか今全国で大人気のご当地キャラだったはずである。
クマと名前についているだけあって、形はずんぐりむっくりしたクロクマだったと記憶していた。
「お前らのダッヒィ好きを否定する気はもちろんねぇ。だがバックにデステニィがついてるダッヒィとちがって、クマモソには地方の観光課しかついてねぇんだ。なのにアイツは頑張りに頑張ってここまでビックになったんだよ」
(そういえばコイツ、可愛いモノ大好きなんだった……)
「クマモソ」を語りながら鳴郎はぐいぐいとガールズトークに食い込んでいき、取り残されているのは千博だけとなってしまった。
女子だらけの部活に入る時点で覚悟はしていたが、会話に入れないのは予想以上につらいものがある。
(というか鳴郎のヤツ、どうしてこんなにすんなり女子の会話に溶け込めるんだ。女子力高すぎだろ)
ひょっとしたら一学期の間彼女らに揉まれて会話力を身に着けたのかもしれない。
そのうち自分もできるようになるだろうかと思っていると、話題はいつの間にか恋愛色の強いものへと移り変わっていた。
女子中学生の会話だから、当然といえば当然である。
最初はどんな芸能人が好きかという話が、そのうちどんな異性が好みか語る流れになっていた。
「アタシはやっぱり顔面重視だね。あ、当然性格も見るよ。でもイケメンじゃないとおはなしになんなーい」
やはりいつも通りというべきか、まず部長が一番にしゃべりだす。
異性の好みもなんとなくそんな気はしていたので、特に千博は驚かなかった。
「面食いなのね」と常夜に言われた部長は「当たり前じゃん!」と叫ぶ。
「だって人は中身だっていうけどさー、少なくともブサイクはみんなイヤでしょ? 一緒にいるなら見てて楽しい人がそばにいてほしいしぃ。外見イケメンなら中身は普通でいいかなー」
「まぁ誰だってブサイクよりはイケメンの方がいいものね」
「バーバーもそう思う?」
「あら、私は顔も性格も能力も一流の男じゃないと嫌よ?」
微笑を浮かべながら、彼女は当然のように言い放った。
部長は「ウケル―」と手を叩いている。
「うわ、バーバーアタシより理想高いじゃん。大丈夫? ヤバくね?」
「だって私美人だし家柄もいいし、学業も学年トップなのよ。おまけに茶道と華道は小さいころから習ってるし、これくらい要求してもバチ当たらないでしょ?」
「みなさーん、見ましたか―? これが男子の憧れ、常夜鈴の正体ですよー」
「その『憧れ』も困っちゃうのよね。見た目で勝手に大和撫子だと思われて、変なの寄って来るし。そりゃあ私は大和撫子かもしれないけど、キモい男はお断りだわ」
「うわキッツ! キツすぎですよ常夜さん!」
「だいたい大和撫子なら大人しくて男の言うことなんでも聞くと思ってるみたいだけど、逆よ逆! 貞淑な大和撫子だからこそ、身内でもない男の戯言はきっぱり拒絶しないといけないのよ!」
なんだか千博は聞いているのが苦しくなってきた。
彼女たちはここに千博と鳴郎という二人の男がいることを、すっかり失念しているのではないだろうか。
あらかた常夜のぶっちゃけトークを聞き終わった部長は、次に花山へと矛先を変える。
「え? わ、わたしですかぁ?」
好みの異性を尋ねられた花山は、顔を赤らめてもじもじと体をよじった。
「ほらー、言っちゃいなよイッコちゃん」
「で、でも……」
「今は男子いないんだし、恥ずかしがることないって」
「いや俺いますよ!?」
「ねぇー、バーバーもアタシも言ったんだしさぁ」
千博の存在は無視された。
しつこい部長の問いかけに観念したのか、花山は蚊の鳴くような声で言う。
「た、たくましくて、頼りがいがある人がいい、です……」
「へー、たとえばどんな?」
「背が、高くて、ピンチの時には助けてくれるような……」
「ふーん」
話しているうちに真っ赤になってしまったので、部長も武士の情けかそれ以上追及することはなかった。
その代り今度はひたすら菓子を食っている鳴郎へ同じ問いを発する。
バカかと怒るかと思ったが、意外にも彼はすんなり答えた。
「はぁ? オレの好きなタイプ? そうだな、少なくともバカはいやだな」
「他には?」
「あと浮気するヤツも面食いもイヤだ」
鳴郎の好きなタイプは拍子抜けするほど普通だった。
彼はずば抜けた美形だからもっと理想が高いのかと思ったが、案外堅実である。
しかし部長はつまらなかったのだろう、滑らかな頬を驚くくらい膨らませて不満をアピールしていた。
ひょっとしたら、「面食いはイヤだ」を自分への当てつけと取ったのかもしれない。
「もーっ、クロちゃんたら「○○はイヤだ」ばっかり。『○○がいい』ってのはないのー?」
「○○がいい? ……そうだな。だったらオレより背が高い奴がいいかな」
「鳴郎、今あなた何センチだったかしら?」
「百七十五センチ」
「中一でその身長だったらまだ伸びるだろうし、ちょっと厳しいわねぇ。今の平均身長、せいぜい百七十だもの」
「あー、そうだな」
適当にいったのか、それともそこまで恋愛に興味がないのか、鳴郎は至極どうでも良さそうに答えた。
しかしなぜか部長は、顔面が崩壊するほどのニヤニヤ笑いを浮かべている。
なにか変なことを言い出すのは明白であった。
「ねぇクロちゃぁん。クロちゃんは自分より背が高い人がいいんでしょ? だったら千博クンはぁ―?」
「はぁ?」
「ちょっ、部長変なこと言わないで下さいよ!!」
どうしてこの人は、何度も鳴郎と自分をくっつけたがる発言をするのだろうか。
どうせ悪ふざけだと分かってはいるが、それでも男同士の恋愛にもっていくのはやめてほしい。
「ったくどうしてテメェは次から次へとバカげたことを」
「そうです。鳴郎の言うとおりですよ」
「えー、千博くんまでヒドーイ。アタシ別にバカなこと言ってないけどー?」
「言ってるじゃない。二人を炊きつけるのはやめてくれないかしら」
前回の時とは違い、今回は常夜がこちらの味方に付いた。
花山も常夜の後ろで小さくうなずいている。
キクコはなぜか冷蔵庫からちくわを取ってきて食べていた。
ちくわを丸かじりにするキクコをよそに、常夜が冷ややかな声で続ける。
「ねぇ八百、アナタもし自分の発言のせいで二人が意識し合うようになったらどうしてくれるのかしら?」
「いや、ありえませんよ!?」
「意識するならまだしも、付き合い始めたらどう責任とってくれるのよ」
「だから意識するのも付き合うのも絶対ないですから!!」
いくら鳴郎が美形でもそういう関係になるのは真っ平ごめんである。
しかし千博がどんなにつっこんでも、常夜の耳には届いていないらしい。
こうなったら聞いてくれるまで抗議の声を上げようと思ったが、次に発せられた常夜の言葉でその思いも吹き飛んだ。
「まったく、私氷野君狙ってるのに困るのよ」
これには一同、仰天して常夜へ視線が釘付けになった。
さすがの部長も少し戸惑っている様子である。
もっともキクコだけは黙々とちくわを頬張っていたが。
「え? マジ!? バーバー千博クン狙ってたの!?」
「当たり前じゃない! 顔良しスタイル良し! 勉強もできて気配りもできるし、これ以上ない優良物件だもの。今のうちに目ぇ付けないでどうするのよ!?」
「いやー、どうするのって言われても……」
「性格も優しい、紳士、礼儀正しい! 私の見込みだと将来二十台で年収一千万はかたいわよ」
「まぁ確かに千博クンはエリートになりそうだけどさ……」
「あのね、こういう男は下手すると高校辺りで賢い女に取られちゃうの。中学で出会えたのは幸運よ? いい? 三十手前で年収一千万だのイケメンだの言っても遅いわけ。いい男は遅くても大学までに掴まなきゃダメなのよ!!」
いつも静かな常夜が顔を真っ赤にしてまくしたて、珍しく強引な部長が押されていた。
「バーバーがなんかオカシイよぅ」と泣き言すら言っている。
一方千博はここで喜ぶべきかどうなのか真剣に頭を抱えていた。
美しい大和撫子に好意を持たれ、褒められているのに、なぜか喜ぶ気が全くしてこない。
自分の外見から能力まで事細かに評価され、なんだか競売に掛けられる不動産のような気分だった。
「常夜先輩、いつもクールなのにどうしちゃったんでしょう……」
花山は乱心気味の常夜を本気で心配しているようである。
キクコはいつの間にかチーズ入りちくわへ宗旨替えしており、混乱の中、そのうち鳴郎が叫んだ。
「おい、ここにあったウイスキーチョコが全部なくなってるぞ!?」
見ると確かに千博が買ってきたウイスキー入りチョコレートが消えている。
それなりの量を用意したつもりだったが、パックの中は空っぽだった。
「それなら美味しいから私が全部食べちゃったわよ」
「常夜全部食べたのか!」
「食べたかった? 悪いわね」
「何か酒臭いぞ。酔ってんだろテメェ!」
先ほどから常夜の様子がおかしいわけが分かった。
おそらくアルコールに弱かったのだろう。
彼女はチョコレートのウイスキーですっかり「出来上がって」しまったらしい。
「すみません、常夜先輩。俺が変なの持ってきたせいで」
「いいのよ。美味しかったから」
口調だけはしっかりしていたが、目はどことなく虚ろで、よく見ると顔をも赤らんでいる。
「撫子の、正体見たり婚活女子ってか? 学校の野郎どもが知ったら発狂するな」
「こ、これ以上変なこと言わないようにしてあげないと可哀想ですね」
「おい常夜。テメーは水飲んでで黙って大人しくしてろ。後のことはオレたちがやっとくから」
しかし鳴郎の制止も空しく、饒舌な酔っぱらいになった常夜はまだベラベラと喋りつづけていた。
行動にも影響が出てきたのか、キクコのちくわを奪っている。
「スズ―、ちくわ返して―」
「ちくわなんかかじってないで好みのタイプ教えなさいよ!」
「教えたら返してくれる?」
「うん」
「じゃあね、私が好きなのは、戦いがいがあるタイプだよ」
「……そういう意味で好きなタイプ聞いたんじゃないわよ。もういい。千博クンは?」
「俺ですか!? ていうか鬼灯とんでもないこと言ってますよ!?」
「キクコちゃんのことは今どうでもいいわよ。貴方のこと聞いてるの!」
半端なことを言うと厄介な絡まれかたをしそうで、千博は途方に暮れた。
それに今まで好みのタイプなど考えたこともなかったから、聞かれてもすぐには答えられない。
(そりゃあキレイな方がいいけど、中身が変だとイヤだしなぁ……)
千博はなんとなく室内にいる女子部員たちを眺めながらそう思った。
考えている間にも、常夜は早く答えろとせかしてくる。
「すみません、そういうことよく分からなくて……」
「本当に? 嘘ついてるんじゃなくて?」
「……は、はい」
「ならこの中でどの子が一番いい?」
「ええっ!?」
さすが酔っ払いである。
常夜はこの場にいる誰もがのけ反るような質問を平気で言ってのけた。
「ちょっ常夜! バカなこと聞いてんじゃねーよ!」
「痛いオレッコは黙ってて!!」
引いてくれそうにもないし、千博は先ほどより何倍も難しい質問をされて心底困ってしまう。
適当に言ってもいいが後を引くだろうし、あまり本心を偽る答えを言いたくはない。
この中で、一番いい女の子。
考えた千博が真っ先に思い浮かべたのは、今仕事に追われているだろう社だった。
彼女なら今この部屋にはいないが同じ敷地内にいるし、年も離れているからあまりシリアスにならないですむ。
それになにより、千博は社に対して淡く酸っぱい思いを抱き始めていた。
「えっと、俺がこの中で一番イイと思うのは――」
しかし千博が言いかけたのとほぼ同時に、部屋のどこからか甲高い笑い声が聞こえてきた。
笑い声は複数。
こちらをを取り囲むようにして、声は様々な方向から聞こえてくる。
最初何事かと驚いたものの、千博はすぐ今日この家に泊まった目的を思い出した。
お泊り会を開いたのは、そもそも午前零時零分にくる死神ピエロをまとめて撃退するためだったのだ。
下らない話をしているうちにすっかり忘れていたが、知らないうちに時計の針は零時零分を指していたらしい。
周りのことをとやかく言えないなと千博は思いつつ、「気を付けてくださいと」みんなへ注意を促した。
「笑い声が複数――ってことはご丁寧に一人一匹ずつ来たみたいだな」
「イイところだったのに一体何なのよ! 空気読みなさいよクソピエロ!!」
「おー、バーバーあらぶってるねぇ」
何をする気か知らないが、常夜は大型のナイフをいつも抱えている人形の手に握らせていた。
「おい千博!」
鳴郎に呼ばれて振り向くと、金属バットを投げ渡される。
「こんなので倒せるのか?」
「さぁな。ないよりましだろ」
そういう鳴郎はいつも通り、バットより一回り大きい金棒を手にしていた。
部長とキクコは素手のままで、花山は悪霊の負のオーラを三割増しにしている。
死神ピエロの笑い声がだんだんと大きくなり、やがて敵は姿を現した。
黒地に白い水玉模様の服を着たピエロの体は、意外にも人間の半分程度。
しかしその全身はふよふよと宙に浮き、手には不釣り合いなほど大きな草刈鎌を構えていた。
「来るぞ! 気をつけろ!」
鳴郎が叫んだ瞬間、ピエロたちはこちらの魂を刈り取らんとばかりに、猛スピードで突っ込んできた。
千博は自分に向かってきたピエロをとっさにしゃがんで回避する。
ピエロの速度は確かに早かったが、冷静に見極めればよけれない速さではなかった。
顔面を白く塗りたくり、頬に髑髏のペイントを施したピエロの顔が悔しさで歪む。
「来いよ。死神ピエロ――!」
おそらく、複雑な動きはできないのだろう。
またもやピエロが一直線に突っ込んできたので、見切った千博はその顔面をバットで叩いてやった。
ちょうど顔のど真ん中にバットが直撃したピエロは、地面に落ちて動かなくなる。
千博は倒れたピエロの後頭部を、ためらいなく打ち砕いた。
完全に動かなくなったところから、勝負はついたと思っていいらしい。
一息ついてみんなの様子をうかがうと、隣の鳴郎が金棒でピエロの頭をかち割っているところだった。
部長は解き放った複数の管狐をピエロに食らいつかせ、花山は悪霊をピエロに憑りつかせている。
やがて部長を襲ったピエロは食われて跡形もなくなり、花山の方はいつの間にかピエロが動かなくなっていた。
(部長はともかく、花山も結構強いんだな……)
一方常夜の方を見ると、ナイフを持ったフランス人形がピエロと戦っている。
彼女が肌身離さず持っている人形は今、もう千博が認めざるを得ない程はっきりと動いて敵を切り刻んでいた。
「頑張って! 私の可愛い『妹』!!」
(……。ずいぶん姉思いの『妹』なんだなぁ……)
それ以上の感想を持つ心の余裕は、今の千博にはなかった。
視界の端でキクコが素手でピエロを八つ裂きにしているのが映る。
少なくとも一人殺している奴らだとは思えないほど、勝負は呆気なくこちらの勝利に終わった。
おそらくだが、もともと死神ピエロの戦闘能力は高くないのだろう。
きっと標的が怯えているのに乗じて魂を狩っていたに違いない。
しかし千博がそう思ったのも束の間、社がいるもう半分の住居から痛々しい悲鳴が聞こえてきた。
悲鳴の主は考えるまでもない。
あちらで仕事に励んでいる社である。
「あ、そういえばシロにもメールしてたんだった」
「お前何してんだよ!!」
繊細な彼女になんてことをするんだと、千博は思い切り鳴郎を怒鳴りつけた。
そして金属バットを持ったまま、大急ぎで声がした方向へ向かう。
「おいどこ行くんだよ」
「決まってるだろ!? 社さんの所だよ!!」
「別に大丈夫だと思うけどなぁ……」
後ろで呟く彼を無視して彼女の仕事場につながるという扉を開けると、そこにはこちらに背を向けて社が突っ立っていた。
生きているようだが、直立不動のまま微動だにしない。
とりあえず周囲を確認すれば、辺りは切り裂かれた紙がそこらじゅうに広がっている。
死神ピエロがやったのかと思ったところで、千博は肝心のピエロの姿がないことに気付いた。
「社さん、大丈夫ですか? ピエロはどこに?」
尋ねながら彼女の正面に回った千博は、肝が一気に瞬間冷却された。
目に入った社の顔が、まるで絶対零度に置かれた大理石の彫刻のように、冷たく固まっていたからである。
表情はほぼないにもかかわらず、激しい怒りの念がビシビシと伝わってきた。
その赤い双眸は下に注がれており、彼女の足元には死神ピエロが踏みつけられてもがいている。
「コイツ、私の原稿切り裂きやがった……」
「えっ?」
「コイツが原稿切り裂いた。せっかく完成させてたのに」
低く淡々とした社の声は、それでいて怒気をはらんでいた。
どうやら社に襲いかかったピエロは、持っている鎌で近くにあった原稿を切り裂いて回ったらしい。
そばにいた鳴郎が額に手を当てる。
「ど、どうしますかそのピエロ? 殺します?」
「……殺さない。千博くん押さえてて?」
いきなり社がピエロから足を離したので、千博は慌てて自分の足を伸ばした。
彼女はフラフラとおぼつかない足取りで奥に向かったかと思うと、すぐに戻ってくる。
その白い手には大きすぎる裁ちばさみが握られていた。
虚ろな目で柳のように揺らぎながら歩く彼女は、まるで別人。
まさしく幽鬼というにふさわしい状態だった。
「や、社さんどうしちゃったんですか?」
「無駄だ千博。コイツは原稿でキレるとこうなる」
プロ顔負けの料理上手で、優しく美しい鬼灯社。
自分の足元からピエロを引きずり出すその姿に、千博は先ほどまでの彼女を走馬灯のように思い出していた。
もがくピエロをのど元を押さえつけた社は、裁ちばさみの切っ先を向ける。
てっきり突き刺すのかと思いきや、彼女はハサミでピエロの腕を切り落とした
響き渡るピエロの悲鳴。
耳を覆いたく様な声を聴いても、社は顔色一つ変えずもう一つの腕を切断する。
血しぶきで白い肌を汚しながらも残った両足を切り落とし、ピエロはダルマ同然の有様となった。
社はもはや赤い泡をふくだけのピエロを鷲掴みにすると、窓を開けてバラバラになった手足とともに庭へ放り投げる。
「あとは魑魅魍魎たちが食べてくれるから」
元々引いていた血の気が、さらに失せた。
四肢を切断しても殺さなかったのは、きっと生きながらエサにするつもりだったのだろう。
いくら繊細で女性らしいとはいえ、彼女が鳴郎とキクコの保護者だということを甘く見ていた。
「あーあ、また一からやり直さなきゃなぁ」
好きなだけピエロを痛めつけてスッキリしたのか、社の様子はすっかり元へ戻っていた。
しかし千博は彼女に対して抱いていた「何か」が失われたのを痛感する。
「なぁ鳴郎、思ったんだけどさ」
社の仕事場から戻る途中、千博はおもむろに言った。
「俺、好きなタイプ分からないって言ったけど、今分かった気がするよ」
「はぁ?」
「美人とか家庭的とか、そんなことどうでもいい。普通で穏やかだったら別にいいんだ」
「……そうか」
何かを察したのだろう。
鳴郎は一言だけ返事をすると、それ以上何も言わなかった。




